ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

『アウトプットの重要性』を俺的にイメージしてみる

time 2012/11/30


昔受験勉強をしていた時に、とにかくノートを取りまくっている人がいました。書いて書いて書きまくることで憶えるの!と言い張ってた人が大半だったように思います。ある先進的な教育をしている小学校では、先生が生徒に教えるのとは別に、成績の良い子が成績がこれからの子に教えるということが奨励されています。結果、成績がこれからの子は成績が上がり、成績の良い子は成績がもっと上がる、ということが起きています。何かを人から聞くのと、同じ内容を人に教えるのでは、格段に難易度の差があります。後者の方が断然難しいのです。
これらのことは私の人生の時々においても実際に起きたことです。いつもイメージしているのは、脳の記憶弁は出口付近についているのではないかということです。インプットの量は確かに能力にある程度は比例しますが、私自身がそうであるように、いくら詰め込んでもつるーーん、と時間の経過とともに忘れてしまいます。受験が非難されるのは、結局詰め込んだことが社会に出るとほとんど何一つ知識としては活きないからです。(もちろん、受験をくぐり抜けるという経験そのものは評価されてしかるべきだし、それは未来につながると確信しています。)
脳は入口から本体まで、小石すら落ちてないアウトバーンのような高速道路で出来ています。情報は勢いよく入ってくるのですが、本体を通り過ぎて、そのまま外へ出て行ってしまいます。全く混まない首都高が脳内になるので、渋滞とは無縁です。結果、何一つ記憶に残りません。
ところが、アウトプット、例えば学んだことを書く、聞いたことを人に教える、といったことをし始めると、脳の出口付近に弁が立ち始めます。高速で脳内を駆け巡った情報は、その弁にぶちあたり、脳内に堆積していきます。普通の交通渋滞なら困りものですが、ラッキーなことに、人間は脳の5%程度しか使っていないと言われています。私の知る限り最も人間の潜在能力=脳力をうまくつかっているケンシロウ君という方がいるのですが、彼も一子相伝の北斗神拳の使い手のわりに、潜在能力の80%程度しか使えていないようです。つまり、先々のキャパの問題はあるにしても、現段階では有り余るほど使える領域が余っています。
さらに、交通渋滞と違って更にラッキーなことに、脳内に情報が堆積していけば堆積していくほど、ある日突然化学反応が生じて、全く違う昇華された成果が生み出されることがあります。悟天とトランクスがフュージョンしてゴテンクスになったように、悟空とベジータがポタラで合体してベジットになったように(細かい話ですが、映画版では何故かゴジータになりました。)、全く異なる、しかしどこかで関連していた情報が突如として全くちがうひらめきを与えてくれることがあります。時間の経過を超えて、10年前に学んだことと今日学んだことががっちゃんこする、ということもよくあります。
ですので、よく言われている通り、インプットとアウトプットは10対0ではいけません。私のような凡人凡脳はつるーんと全てを忘れてしまいます。5対5が理想ですが、諸々考えると7対3ぐらいには持っていきたいなと。そうすると適度に脳の出口付近に弁がたち、残したい情報、未来につなげたい情報が当初混沌と、いずれ整然と堆積していくことになると思われます。
というわけでブログ書いてるんですが、今日のこの文章自体も、書いていて『へぇ、俺こんなこと考えてるんだ?』と意味もなく感心しながら書いています。20分ぐらいでちゃちゃっと書いているので、雑かつ簡素かつ軽薄な点はご容赦を。

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。