ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

【MDRT世界大会シリーズ】またまたトイレ論

time 2013/06/26


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みなさんこんぬつわ〜、ご訪問有難うございます、羅王のブログです。驚異の偏差値『8』を叩き出した高校時代から始まった『The 補欠人生』にピリオドを打ち、8桁超えの自己投資を通じて人生のレギュラーを目指す軌跡と奇跡を備忘録兼ねて徒然なるままに記しました。大体30分で書いてますので瞬発力重視なのはご愛嬌。。貴方とのご縁に一片の悔いなし!
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※世界中の保険業界の代表選手が集まるMDRT Annual Meetingに出席するため、米国はフィラデルフィアとニューヨークに滞在していました。に関する思考の徒然をここ1週間ほど続けたいと思います。
MDRT関連のフィラデルフィア、ニューヨーク出張シリーズも今日で最後にしようと思います。あーだこーだと日本とアメリカの比較をしてきましたが、結論としては、やっぱり日本ていいよね、やっぱり日本人で素晴らしいよね、という自画自賛が一番感じたことだったかもしれません。今ひとつ考察するとすれば、数々の『至らない』ように感じた点、それは日本とアメリカの、あるいは日本人とアメリカ人の能力の違いから来るものではなく、日本とアメリカの中で共有されている基準の違いであるということがわかりました。
アメリカという国は人種のるつぼです。いわゆるアメリカ人に見えるアメリカ人=WASPもいれば、デカイ黒人も沢山(関係ないけど、マチョメンな黒人の武力を凌ぎたいので極真やってます)、スペイン語の方が得意なヒスパニック、最近バシバシ増えているアラブ系やインド系、韓国系中国系日系と僕達に見た目近い系と、本当に沢山の種類の『人間』がいます。あーこれぞ世界だなぁと、心から思いました。
この多様な人たちは、当然のことながらバックグラウンドや慣習や味覚や常識も多種多様です。同じ民族の中でも人によってでも嗜好が違うのに、それら全種類の全員の満足を100%満たすことはほぼ不可能です。よって諸々検討の結果選択されたのは、『最低限のレベルで最大公約数を満たすサービス』だったのではないか、それが僕の浅はかなる結論です。
僕は日本のトイレは世界一だという矜持を持って、フィラデルフィアやニューヨークでも自慢のおなかの弱さを発揮しました。驚いたのは、ニューヨークのような『世界一』な街でも、流さない奴がいるということです。しかもブロードウェイのミュージカルで。前に用を足して出てきた人と目があったのですが、扉を開けて愕然としました。紳士然としてたのに。
僕の尊敬する先輩は、少なからず地獄を味わったことと思います。その先輩は渡米直前にぎっくり腰をやっており、そしてアメリカのトイレは不自然なほど体を後ろに捻らなければならない位置にトイレットペーパーがあったりするのです。何考えてんでしょーね?
僕も少なからずうめき声をあげました。僕は人に自慢するぐらいおなかが弱く、そしてそれはアメリカでも十二分に発揮されました。が、優しくない。日本と違って優しくないのです。紙が。。もはや臀部を切り刻みに来てるとしか思えない硬質な紙にまさにその通りのことをされ、殴られてもないのに出血する始末。アメリカをhateしたのはその食事に対してではなく、そのrest roomに対してでした。
何度か語ってきたことですが、便器のハードにも大きな違いがあります。とりあえず流れればよい、という名目のもとに全く水量と水圧を考えないため、そこかしこに飛び散るのです。しかもセンサーがこれまた感知すれば良いやといった感じで過度に敏感なため、拭いて座ろうとしたら反応してジャーして飛び散る、拭いて座ろうとしたら反応してジャーして飛び散る、といった形で、いつまでもキックオフを迎えることができませんでした。
犯罪防止なのはよくわかりますが、いわゆる公共トイレなるものが圧倒的に少ないのも特徴です。高層ビルにもビルの公共トイレなるものが設置されておらず、テナントのレストランなどでご飯を食べたり、オフィスのワーカーでない限りは用を足せません。コーラやスプライトなどのアメリカの物質主義に押され押されておなかを痛めた僕は、とっても苦労したのでした。極まると歩き方が『ニンジャ』になってたでしょうね。
トイレに話を絞りましたが、こういった事象の全てが、『最低限レベルで最大公約数を満たすサービス』の具体的事例です。すなわち、
『最大公約数を満たす』=人間は用を足す必要があるため、トイレは必要、紙も必要、流れるのも必要
のを、
『最低限のレベルで』=紙の質にもこだわらない(尻が拭ければOK)、水圧水量にもこだわらない(流れればOK)、紙の位置にもこだわらない(手が届けばOK)、巨大な掃除人が立ってて圧迫する(汚れたら清掃するためならトイレのホスピタリティなどもってのほか)とかもカンケーない
提供している、それがアメリカのトイレなのです。使う人の人種もマナーも好悪の感情も様々だからこそ、とりあえず『用が足せる設備』を置いてあるだけなのです。これはこれで合理的だということができるでしょう。
他に目を向けても、ほとんど全てが『とりあえずそれが達成出来れば良い』という思想で作られたり設置されているものが多いです。ホテルのチェックイン、航空券のチェックインとも、チェックインが出来れば良いという目的以外に、『早く列を進ませてあげよう』とか、『長旅で疲れてるだろうから少しでもスムーズにいくように』とか、『あの人は中東系だから英語分からないかもしれないからこっちのラインに案内しようかな』などという気配りはほぼありません。お金を膨大に払っているクラスの乗客は別ですが、それにしても日本で『無料』で受けられる気配りとはレベルの違うものです。
この、『最低限のレベルで最大公約数を満たすサービス』が基本となっているアメリカ社会というのは、先の通り人種の多様性が生んだ産物であって、必ずしも『日本人以外が気が利かない』というわけでも『ホスピタリティに関して日本人以外はサイテーだ』と日本人の能力面の優位性を喧伝すべきものでもありません。ただ、結果として日本では相対的に気配り心配りが『当たり前』のものとなっていて、それが極めて良い方向に向いている社会なので、少なくともそれを僕達は誇るべきだろうということです。
単一民族ゆえに常識もマナーも考え方も味覚も相応に画一化されてきた、だから日本人は弱い!などという論調も、これから前を向いて進んでいくには一考に値しますが、僕はそれよりも、毎度海外に行く度に感じる日本と日本人の素晴らしさ、これを常に忘れないでいられるように、そして伝えていけるように、自分に何ができるかを考えていきたい、そんなふうに思います。
とりあえず、トイレを流さない奴が世界にいる限りは、日本の時代は終わらない、僕はそう信じています。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!
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家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。