ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

【MDRT世界大会シリーズ】安易にラベルを貼らない

time 2013/06/21


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
みなさんこんぬつわ〜、ご訪問有難うございます、羅王のブログです。驚異の偏差値『8』を叩き出した高校時代から始まった『The 補欠人生』にピリオドを打ち、8桁超えの自己投資を通じて人生のレギュラーを目指す軌跡と奇跡を備忘録兼ねて徒然なるままに記しました。大体30分で書いてますので瞬発力重視なのはご愛嬌。。貴方とのご縁に一片の悔いなし!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
※世界中の保険業界の代表選手が集まるMDRT Annual Meetingに出席するため、米国はフィラデルフィアとニューヨークに滞在していました。に関する思考の徒然をここ1週間ほど続けたいと思います。
ようやく本題のセッションの内容について今日は触れたいと思います。アニュアルミーティングの目的は、MDRTの理念である’Whole Person’(完全な人格)を以てお客様に貢献できる人財をつくることであり、それに即したセッションが組まれます。逆に保険の細かい話はほとんど出てきません。全人格の向上というゴールのない挑戦をしています。難しい・・・
その中で、今回印象深かったセッションがあります。生まれた我が子が『何らかの理由で発育が遅い』まま子育てをせざるを得なかったT氏のお話です。彼も現役の保険マンです。
T氏は息子が生まれてしばらくして、いつまでたってもしゃべりもせず歩きもしないことに気づきました。いくら検査をしても、『原因は分からないが何らかの理由で発育が遅れている』と、答えになっていない答えを聞かされたそうです。病名が付けばどんなにラクだったか分かりません。しかしどの病院に行っても、『何らかの理由』が何なのか、分かることはありませんでした。
病気ではないのでT氏は我が子といつか来るその日を信じて教育に力を注ぎます。注ぎますが、我が子はそれに応えられるほどの成長を見せません。やはり『何らかの理由』、つまり病名を求めますが、どれにも当てはまらない。。いつまでもいつまでも、何度も何度も調べますが、その度に出てくるのは全て同じ答えです。
T氏と奥様は、この原因の分からない、難病ですらない状態の正体を追求すること(=プランA:答えを探す)をやめ、息子が確かな前進を見せるまで何度も何度も何度も何度も何度も何度も、その年齢の子が出来るはずのあれこれを息子に教え続けました(=プランB:ただ前に進む)。その子は明らかにハンデがありながらも少しずつ成長し、兄弟や友人の力を借りながらついには好きなことを見つけ、スポーツに励み、大学にまで進学しました。
最後にその息子さんがステージに出てT氏と奥様と一緒に立ったとき、スタンディングオベーションになりました。
この話は、様々な教訓を示唆しています。自分にしろ我が子にしろ何か身体の不調があったとき、人はすぐに病名という『ラベル』を求めます。『ラベル』は、貼る側にとっても貼られる側にとってもとてもラクなものです。それがあるとラクにその状況をカテゴライズできるからです。診断する側から見たとき、幾本にも分かれる患者の症状をある程度区分けすることは、医療の効率化の意味でも必要といえば必要です。また患者自身や家族にとっても、自分の状態を総称してなんというか、その単語があるかないかで、精神的な不安定感が幾分解消されます。平たい話、ガンのような症状でガンのような検査結果があり、ガンのような進行状況なのであれば、人はそれに『ガンというラベル』を貼ることを求めるのです。自分の住んでいる場所に、良いにしろ悪いにしろ名前が欲しいのです。
が、これにはひとつのリスクを伴います。すなわち、そうではない可能性や、他の解決策を探す道を潰してしまうというリスクです。ラベルを貼ることによって、ラベル以外の選択肢が、必ずではないにしてもかなりの確率で消滅してしまうのです。『あなたの息子さんは○○病です。だから普通の生活はできませんしできるようになりません。』ともしこのT氏の息子さんが診断されていたとしたら、果たしてこの両親はここまでの努力を出来たでしょうか。
病気以外の例として、学歴があります。
『オレは高卒だから』というラベルを自分で貼った人がいたとします。学歴に関する是非やその価値観は別として、一般的に考えて左記のラベルの続きに『肯定的思考』が続くことは、今の日本においてはあまりありません。否定的なラベルを貼った(貼られた)人は、本来持っている力を開花させることなく、どんどんとそのラベルが意図する方向に沿った能力に近づいていきます。コップにノミを閉じ込めて蓋をすると、ジャンプして頭をぶつけ続けたノミはいずれ蓋を外しても蓋があった高さまでしか飛ばなくなる、とはよく言われる例ですが、まさにそのラベルの存在そのものを理由あるいは終着点として、人の能力はどんどんそこに収斂していきます。
私の友人は先日、実は危なくある病名をつけられそうになったのですが、それ以来、なんだかそれに罹患しているような気になってしまう自分がいるとのことでした。調子が悪いときも機嫌が悪いときも、『オレは○○病だからしょーがないじゃん』と、今までするわけもなかった言い訳をし始めている自分に気づき、頭を振って追い払ったそうです。ラベルというのは、プラスの場合は良いですがマイナスの場合は恐ろしい結果を生む場合もあります。安易なカテゴライズが、それ以外の可能性を潰すのです。
僕にはある瞬間から、『原因不明だけど文章が面白い人』というラベルを貼っていただく機会に恵まれました。自分ではそう思っていなかったのですが、そういうラベルを貼られているうちに、なんだかそういう気になってきました。そんな気になって書き始めた文章は、また新たなラベルを引き寄せました。『すごい努力をしているから文章が面白い人』というラベルです。なんだか自分がすごい努力をしてそこからのアウトプットを出している気になってきました。そうしたらそういうラベルの意図するものに近い文章になってきました。
ラベルというのは、良いラベルも悪いラベルも、当人と周り双方にとって等しく『ラク』なものです。ただし、その貼る種類を間違えると、結構とんでもない目にあったりします。またその逆であれば、人生がよく分からないけれども好転している、という感触に巡り合うことができます。
どの種類のラベルを貼るか、それはラベルではないのか、飲もうとしてる眼前のビールが黒ラベルなのか、しっかり見極めたいと思います。
そういえば、『色が白くて二の腕がぷにぷにしている子が好き』とこじはる(=小嶋陽菜)を好きになりはじめてから公言してましたが、そういうことばっかり言ってたら、色が白いわけではないけど可愛いともちん(板野友美)などの神クラスを愛することが出来なくなってしまっている自分がいました。修正して全方位外交で臨みたいと思います。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!
我が人生に一片の悔いなし!

家族とか教育とかの話

ラオウを目指す羅王のブログ

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。