ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

コンベンションにも行ってきました!

time 2010/08/15


先日のカナダMDRT世界大会に続き、7月最終週に会社のコンベンションでバリに行ってきた。
今回で入社来4年連続の入賞となり、思い返してみれば奇跡、奇跡の連続でここまでやってくることができた。何一つ自分の力だけでは成し遂げることが出来なかったし、ありとあらゆる奇跡が、家族、一人一人のお客様、周りの方々の支えによって、偶然が必然を伴って引き起こされてきた。改めて全てに感謝したい。
4年間の間に、残念ながらいくつかの入院とガンの保険金を届ける経験をしたものの、給付金そのものと、僕が担当していること自体が、お客様の人生にとってなんらかの支えになればいいなと思っている。この仕事はやればやるほど、責任が重くなっていく仕事だ。その責任を全うする=保険金を届けるまで、この仕事を続けていくことが自分の使命である、と毎回コンベンションに参加するたびに思う。
過去4年間のコンベンションを振り返ってみる。
①2006年度コンベンション ハワイ
入社後初めてのコンベンション。散々苦労して入賞したものの、それを10年連続で達成している人がいるのを見て愕然とする。最大の顧客満足は、この仕事を続けることから生まれるということを初めて知る。周りの参加者を見ると子供連ればかりで、前月結婚式をあげたばかりの妻に、『なんでうちにはちっこいのがいないの?』と詰め寄るが、『甲斐性のないあんたのせいよ』と両断される。
②2007年度コンベンション ケアンズ
約15年ぶりのオーストラリア。イメージとは逆に、結構寒かった。またも『なんでうちにはちっこいのがいないの?』と詰め寄るも、またも『甲斐性のないあんたのせいよ』と二たび両断される。くそ、来年こそは、と一人決意を新たにし、近々父親になること、そしてその前に父親としてふさわしい人間になることを密かに心に誓う。まずはお菓子をやめよう、と当時決意した僕の手には、今日もお菓子が握られている。
③2008年度コンベンション ニセコ
本来ハワイのはずが、新型インフルエンザでニセコになってしまった。一時は会社を恨んだけれど、雪のない夏のニセコに全く期待を抱いていなかった僕は、綺麗な羊蹄山や豊かな緑という、冬なら見る機会のない夏の北海道に魅了され、かなり楽しく過ごすことが出来た。おなかには7ヶ月になる子供を抱え、ひーこら言いながら歩く妻と、親孝行代わりに初めて連れて行った母のコラボレーションが面白かった。
④2009年度コンベンション バリ
今回は念願の『家族連れ』での参加。僕、妻、9ヶ月になった娘、実母、義母の5人で参加した。娘を4人の従者が接待する形での一週間となり、今までのコンベンションで一番大変で、また一番精神的に満たされるコンベンションだった。
年に1度だけでも、自分が表彰されるというのは嬉しい。
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娘は覚えてくれているだろうか。誰に聞いても、『9ヶ月の子が覚えてるわけないじゃん』と言うので、覚えてくれるその日まで、一生懸命達成しようと思う。
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『理想の体スーツ』を着てわが子を中空に投げ出す僕。
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リゾートから離れた地で見つけた民芸品屋さん。とても綺麗な装飾の鏡で、どの品も手が込んでいる。でも値段は250円程度。改めて日本の貨幣の強さへの驚きと、その恵まれた環境に馴れきってしまっている自分に対する戒めの気持ちが湧き上がってきた。僕たちは、広義な意味でのnoblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)を理解しなければいけない。
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バリの中でも最上のリゾートエリアのひとつにカウントされるヌサドゥア地区は、確かに居心地も良く非常にリラックスできた。しかし一歩そこを出ると、インドネシアの一部であることを象徴するように、まだまだ発展途上国だった。人々は決して豊かでなく、雨が降った道端には大きな水溜りが出来ており、車が停車すると同時に見た目からして明らかな子供が新聞やタバコを売りに来ていた。上段のnoblesse obligeを、僕はこういうときにいつも感じる。本来の意味は、『貴族の義務』あるいは『高貴な義務』であり、一般に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。僕は貴族でも高貴でも何でもないが、それでもこの言葉の意味するところの教訓は、決して僕たちの人生を貧しくするものではないと思う。少し曲解になるが、僕はこう理解している。
・全ての恵まれた者は、そうではない人たちよりもはるかに恵まれていること自体を認識し、感謝しなければならない。
・全ての恵まれた者は、その力を如何なく発揮し、世の中が少しでも良くなるように日々精進しなければならない。
・全ての恵まれた者は、偶然にもそういう国のそういう人間として生まれたことに感謝し、恵まれた者にふさわしい恵まれた人生を生きなければならない。

日本人にはいずれも足りない点だと正直思うが、なかでも一番大事なのは3番目。どんなに生活が困窮していても、世界の飢餓に瀕している人たちよりは美味しい食べ物にありつくことができ、命を脅かされる安全保障に頭を悩ませている人たちよりははるかに安全な国に住むことが出来、排泄物が生活環境のすぐ脇を流れる人たちよりははるかに清潔な住まいに住むことが出来る僕たちは、やはり世界で最も恵まれた人間のうちの1億3000万人なのである。
そりゃ確かに年金がないとか、医療事故がとか、政治家がイマイチだとか、色んな問題がこの国にはある。だけど、それら全て、ほとんどの『問題』は、そんな『問題』に一生悩む機会すらない人たちからすれば、ただのワガママやゼイタクに映るのではないだろうか。
僕たちは恵まれている。これはどうしようもない事実だ。だったらもうちょっと上を向いて、悲観的なことばかりに目を向けず、この与えられた環境、与えられたチャンス、与えられた人生をまっとうしよう。他の国の人をどれだけ幸せに出来るかはわからない。世界にどれだけ貢献できるかも分からない。でも、そんな大きなことをやる自信はなくても、自分を大事にし、家族を大事にし、周りの人を大事にして幸せに生きることぐらいだったら、自分の努力と心の持ちようだけでなんとかなるのではないだろうか。そんなことを考えながら、大人(=30歳)の階段を登る赤羽『恵』太でした。

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。