ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

トイレに見るサービスとホスピタリティの違い

time 2013/03/12


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『トイレに見るサービスとホスピタリティの違い』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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誰かとあまり『そうそうそうだよね!!!』という話になったことはないのですが、恐らく話をすれば万民が理解してくれるであろうこと、それは、
『日本のトイレは世界一』
であるということです。もちろんある程度ちゃんとした、一定以上の場所に敷設されているトイレのことを言いますが、日本のトイレの特徴は、
・水量が豊富なため、きちんと流れる。
・水がハネない。上記と矛盾するが、水量豊富なのにハネないというのは、恐らくかなりの技術が必要。
・きちんと清掃が行き届いており、いつも清潔。
・手が自然に届くところに紙がある。
・神に祈らなくても良いぐらい、ちゃんと紙がある。
他にも色々とあるのですが、海外のトイレは、この逆です。もちろん旅行の時に泊まるような立派なホテルであればある程度はちゃんとしているのですが、それでも、
・水量がイマイチなため、恐らくすぐ詰まる。
・のくせに、ハネまくるので流す時は飛び散るのがお尻に付着するのを我慢するか、中腰で強靭な筋肉を使ってプルプルせねばならない。
・とても不自然な姿勢をしないと取れない場所に紙がある。
・そもそも紙がない。
・汚い。
といった問題点のうち、最低三つはどこでも当てはまります。これはトイレを造る技術や下水道などのインフラのレベル、清潔さに関する観念など色々と原因があるように思いますが、先日久々に海外もののトイレを経験したときに、『これぞ高野さんが言ってたことだ!』と思うに至りました。
高野さんというのは、リッツカールトンの元総支配人で、本を何冊も出版されているホスピタリティのプロです。一度直接少人数制の講演会に参加し、それが終わったあともガシガシとお話を聞く機会に恵まれたのですが、その時に伺ったお話をトイレに応用すると、こんな感じになります。高野さんが語ってくれたチックに適宜フィクションを入れております。
トイレのない国も、トイレがない家庭も(一般的には)ありません。が、そこで快適に用を足せるかどうかは全く別。トイレがあるということはサービスに過ぎず、ホスピタリティではないと言えます。用を足すという唯一無二の目的でトイレに入るのならば良いのですが、トイレというのは日々の喧騒から離れることの出来る日常のオアシス。人間の活動のうち最も神聖で、生まれた時から一日として途絶えることのない聖なる排泄という行為を行う場所ですから、ただ便器が置いてあるというに留まらず、そこで少しでも上質な空間を味わってもらうための気遣い、それがホスピタリティです。
ある人は、腰の関節が曲がりにくく、無理に曲げると痛みを覚えるほどでした。そんな人にとって、90度以上振り向かないと紙が取れないようなトイレは、関節技をキメられているに等しい拷問でした。
またある人は、お尻に傷を抱える人でした。コストを重視して搭載されたトイレの紙は、摩擦係数がとても大きいためその人のお尻をただただ傷つけるだけとなりました。
そしてある人は、寒暖差にとても弱い人でした。心臓が弱いからです。真冬に急いでトイレに駆け込んだ際に、便器のあまりの冷たさに、文字通り心臓が止まるかと思いました。
どの人にとっても、トイレで用を足すということだけを考えれば、便器があり、紙があるわけですから、トイレサービスとして見た時には全て欲求が満たされているということが言えます。しかしどの人も、苦痛を感じるのみで、人間の活動の中で最も快感を伴うであろう排泄という行為に、苦行に似たストレスを感じています。手を伸ばすだけで取れる位置に紙があったら、その手にとった紙がもっともっとお尻に優しいものであったら、座る前から便器が温められていたら・・・
そう、それら全てを、何気ないようですが全て満たしているのが、日本のトイレです。海外のトイレはサービスであり、日本のトイレはホスピタリティなのです!機能だけではなく体験を提供すること。それが出来るのがホスピタリティです。
最近、世界が総中流化していくに際し、今後このホスピタリティという概念がとても重要になってくるのではないかと、僕は考えています。『食う寝る出す』で満足していた人々が次に求めるのが、『(心地よく)食う(心地よく)寝る(心地よく)出す』ことなのです。そしてそれは、もちろんリッツカールトンのような一流ホテルの代名詞でもあるでしょうが、しかし決して彼らの専売特許ではありません。むしろ、日本人の細かい気遣いや心配りは、活かし方一つでホスピタリティと直結するものです。
僕は日本がこのホスピタリティを武器に、もう一度ジャパンアズナンバーワンの地位を築くと信じています。だって、日本のトイレは世界一なのですから!他でも出来るでしょうよ!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!
※以下余談
一人旅でペルーに行っていた時、標高が富士山より高いクスコという街(マチュピチュに行く途中の、インカ帝国の首都)で高山病の副作用で、おなかが異様な状態になりました。一日20回はトイレ、という生活。なので、歩いていると、すぐにトイレに行きたくなります。大きい方。で、街中のトイレに入ったのですが、海外ではよくあるパターンで、なんと便座がありません。昔、スタンド・バイ・ミーの映画の主題歌が『When the night』から始まるのをもじって『便座無い!』と便座のない便器が映し出されてボキャブラで大フィーバーしていましたが、まさにそんな感じです。座ることもできないので、どうするのか散々思案したあげく、便座に足をかけて中腰で座るという選択をしました。ただし便座は幅わずか5cmほど。しかも濡れているので滑りやすく、踏ん張ることもできません。一寸先は闇ならぬ、一cmズレればぼちゃんの恐怖と戦いながら、それでも迫り来る大波に備えて戦闘体制をとらねばなりません。中途にも関わらず、我が忠臣なる大腿筋が限界を迎えました。こんなことならもっとスクワットをやっていれば良かった、と後悔してももう遅い。徐々に、しかし確実に、便器の中に僕は落ちかけていきました。えーい、ままよ!の掛け声とともに肛門括約筋を一気に締め、飛び出すようにそして筋肉の限界から解放されたように便器から降り立ちました。そしていくらかの酸素を吸入して乳酸を逃がしたあと、そっと僕はお尻を拭きました。それ以来、僕はトイレがきちんとしている施設を愛し、トイレがきちんとしていない施設を憎悪するようになりました。若き日の淡い思い出ですが、この判断基準は未だ僕の中で確定的役割を果たしています。

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。