ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

ブラックボックスの神格化に気をつけろ

time 2012/12/18


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『ブラックボックスの神格化に気をつけろ』
一昨日、先日セミナーに出席させていただいた講師の方のフォローアップ個別コンサルティングを受けてきました。(今日は一部失礼な表現も出てくるので、お名前は伏せさせていただきますが、分かる人には分かる書き方をさせていただきます。)
溢れ出てくる言葉の数々、一般論だけでなく、具体と抽象を交えて私の悩んでる私の業界における問題解決の示唆の質と量、膨大な人脈と勉強量と経験に裏打ちされた針の穴を通すようなコントロールの指摘、恐れ入りました。未来がまた一段と拓けた感覚です。
で、その先生、多い時は年間600回もの会食を昼夜でこなす、会食界の大リーガー、黒帯、賞金王、金メダル、あるいはバロンドールなのですが、会食の様子に関しては、日々届くメルマガで知らされているばかりで、はっきり言って私のような一般人からすると、どんな会食なんだろうとイメージが膨らむばかりで、頭の中でブラックボックス化されていました。何かこう、満漢全席のような巨大な卓を囲みながら、恐ろしい影響力を持つベストセラー作家や超絶ビジネスマンの方々と、丁々発止のやり取りをして、その一言で100億が動く、みたいな、我ながら勝手な想像をしていました。これは、言うなれば、
『ブラックボックスの神格化』
が頭の中で起きているということが言えます。
それ自体は別に悪いことではなく、すげー!、とか半端ねぇ!とか、ナウに言うならば、っパねぇ!と思うことはそれはそれで憧れの気持ちを刺激するので、むしろ良いことと言えるかもしれません。そこから多いに感情が刺激されて、行動へと点火されることもあるでしょう。ただしダウンサイドとして、そこに意識の断絶が起きることは、成長を目指す人間ならば極力避ける必要があります。つまり、すげー!半端ねぇ!っパねぇ!と思うことがすなわち、自分もそうなりたい!という強烈な欲求ではなく、自分には無理だ、に置き換えられていることがままあります。これは単なる憧れではなく、諦めです。そこに到達するということをハナから諦めている、ということにほかなりません。『スゴイ人』のブラックボックス化された部分に関しては、多分にそういうことが発生したりします。
何故こんなことを思ったか?単に憧れとけばええやん、と思う方もいらっしゃるかもしれません。実はたまたま個別コンサルティングの後で会食に誘っていただき、そのブラックボックス化された会食を目の当たりにする機会に恵まれました。お相手が私と同じ大学の同じ学部の少し年上の先輩だったこともあり、多少はお気楽バイアスがかかってしまったこともあるかもしれませんが、実は、
『その会食はとてもとてもフツーだった』のです。
これは大きな学びでした。つまり、『会食会食って言っても、フツーに飯を食ってるだけですよ、いつも』とおっしゃっていた先生のセリフそのまんまの、『フツーに飯を食ってるだけ』だったのです。学びというより発見でしょうか、これは。本当にフツーでした。勿論、その中で恐ろしい程の情報量で会話が飛び交い、様々な例えを用いながら様々な事象を分析し、最後には荒唐無稽な目標まで何故かその場の三人で約束する、というような想像していない展開はありましたのでさすが!とは思いましたが、それ以外は本当にフツーでした。満漢全席もなく、100億の話もなく、日本を仕切るようなフィクサーも出てこない。
考えてみれば、先生のようなスゴイ人でも、そりゃ腹は減るしごはんは食べるわけです。眠くなれば眠るし、勉強したくない時もあれば、仕事したくない時もあるわけです。しかしながら、そういった日常も、今回のような会食も、普段目にする機会がない部分に関して、私たちは過度に上記の『ブラックボックスの神格化』をしすぎるきらいがあります。しかし、横を見たら、先生はエビをかじり、うどんをすすっていました。フツーの食事の仕方でした。
昔、クラスで誰からも愛される人気者の女の子がいました。男子全員がその子のことを好きになってしまう、そんな魅力と魔力を持った子でした。あまりに可愛らしく性格がよく、しかしそれゆえに私生活がいまいち見えないので、とうとう私たちバカな男子の間では、『まなみちゃん(仮称)はぜったいう○こしないし、トイレにもきっと行かない。だってまなみちゃんだから』という仮説が立てられ、最後には半ば定説となっていました。これも、著しくレベルは低いですが、『ブラックボックスの神格化』の一例です。
こういったことを人生にどう活かすか?ということに関して言えば、自分が一段ないし二段上だなと思ってるチャレンジングな人脈や事象に関して、実は相当な部分が『フツー』である可能性が高いということを、少なくとも頭では理解しておくことでかなりの道は拓けるのではないか?ということです。何故ならば前述の通り過度な神格化をしすぎると、往々にしてチャレンジ自体を取りやめるという選択をとってしまうことがありますが、そこをグッとこらえて、『恐らくはフツーだろう』とあたりをつけて突撃すれば、それはやっぱり『フツー』であることが振り返って分かるからです。そしてそこに突撃できた自分というのは、いつの間にかレベルが一つ上がっているものです。
原始時代より、目に見えないものに対しては恐怖を抱くのが人間の本質ですが、この平和な現代においては、ブラックボックスの過度な神格化はせずに、そこに到達してみればごくフツーのものであるとのあたりをつけて、前に進んでみたら良いのではないかなと思います。先生、偉大かつおバカな気づきを私に与えていただき、有難うございました!

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。