ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

人間は成長と右肩上がりが好き

time 2013/07/04


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みなさんこんぬつわ〜、ご訪問有難うございます、羅王のブログです。驚異の偏差値『8』を叩き出した高校時代から始まった『The 補欠人生』にピリオドを打ち、8桁超えの自己投資を通じて人生のレギュラーを目指す軌跡と奇跡を備忘録兼ねて徒然なるままに記しました。大体30分で書いてますので瞬発力重視なのはご愛嬌。。貴方とのご縁に一片の悔いなし!
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毎度不思議に思うのは、『昔は良かったけど今はモノ溢れてるのに幸せとは言えませんな〜』的な論調です。事実としては、『あの頃』はテレビ、洗濯機、冷蔵庫が揃っていればよかった程度で、WiiもDSもiPhoneもありませんでした。僕が子供の頃はファミコンやゲームボーイにのめり込み、スーパーファミコンなる大発明品が出た時は狂喜したものです。しかしその後セガサターン、プレイステーション、Wii、DS、と立て続けに出てきたものに対して、ファミコンやスーパーファミコンに対してあったような情熱はもはや維持されませんでした。大人になったのでしょうか??
モノの総量と質では過去を確実に凌駕しているのに、幸せ度で言えば確実に低下している。これはなんとなくの論調なのではなく、実は人間の心理的側面から見て明らかな事実なのではないかと思います。人間、分かりやすい成長が好きなのです。右肩上がりが好きなのです。そんな環境にいると、人は幸せを感じるようです。

戦後のモノがなかった頃は、人々にはまず食べ物に対する欲求がありました。それが満たされると、今度はまともな家に住みたいと思うようになりました。そして住むところが確保されるとその生活を豊かにしたり効率的にしたりするものが求められました。先のテレビや洗濯機や冷蔵庫がそれです。食う寝る出す、衣食住がある程度保証されるようになると、今度は余暇の過ごし方に焦点が当たるようになり、人々は車を求め、ゲームを求めました。その後は更に良い食べ物を欲し、更に良い住居を欲し、更に良い車や更に綺麗なゲームを求めました。このサイクルは何度か続き、ないものがあるものへ、あるものが更に良いものへと変遷していくうちは、人々は幸せでした。確実に前に進んでいる感覚があったからです。 が、最近ついにそうでもなくなりました。食事は調味料の存在によってある程度味が整ってきたので、誰が作っても同じような味になると同時に、それが10年も経てばめっちゃ旨くなってる、ということもなくなりました。自動車は時速100kmで走るようになってからそれが300kmになったりはしていないし、エアコンで夏場にめっちゃ冷やそうとしても零下5度まで下げるなんてことは絶対にありません。人間の身体に限界がある以上、モノが満たせる感覚にも限界が生じてきて、それを少しでもカイゼンしたり心地よいものにしようとしているのが昨今の技術革新ではないでしょうか。平たく言うと、『あんま変わらん』のです。3Dになってからのファイナルファンタジーやドラクエは、前ほど魅力的ではなくなってしまいました。 人間は分かりやすい成長が好きで、右肩上がりが好きです。だから昔は幸せを存分に感じられたし、今はそうではない、非常に単純な話です。なんでこうなのか?は僕は知りませんが、もしそうだとしたらどうすべきか?ということについては一定の価値観を持っています。
年収300万からキャリアをスタートして最終的に1000万に到達する人と、最初から700万で最後までゴールする人がいたとします。会社から受け取る総報酬が同額だとしても、たぶん前者は幸せを様々な局面で感じることが出来、後者はともすれば初期を除いて不幸感満載なんじゃないだろうかと思います。人間は分かりやすい成長が好きで、右肩上がりが好きだからです。いくら高所得でも、ずっと同じではどこかで不満が出てきてしまうのです。
友人の家の話ですが、あるとき業績がよく年収が200万ほど一気に上がったそうです。生活レベルも上がり、欲しかったものも買え、奥さんはそれなりに喜んだそうです。次の年、残念なことに不況が再来し、上がった200万が元に戻ってしまったそうです。奥さんは喜んだときの5倍ぐらい激怒したそうです。人間は分かりやすい成長が好きで、右肩上がりが好きだからです。上がるのはまぁ良いが、下がるのは断固許さない、そういうことのようです。
子供の頃は一挙手一投足を注目され、一歳ごとに家族がお祝いしてくれたものです。が、大人になるとその機会は減り、自分自身もそこまで歳を重ねることが嬉しいわけではなくなります。これは見た目的にぐんぐん成長していた幼少期に比べると、大人になってからでは特に外見に変化はないからです。簡単に言うと、成長を測るのに中身を見ないといけない。それはめんどくさい。だからあまり感動しないのです。人間は分かりやすい成長が好きで、右肩上がりが好きだからです。1歳と2歳は全く違いますが、正直言って32歳と33歳はあまり変わりません。
さて、まぁ要するに人間は分かりやすい成長が好きで右肩上がりが好きなわけですが、しかしながら日本経済全体を見れば分かりやすい成長も右肩上がりもありません。あくまで個別具体の中でそういう事例が生まれてくるだけであって、全体として伸びるかといえばそうではない。だからスキルアップが大事、人間力アップのような自己成長が大事と言われるわけです。そうでなければ生き残れない時代だというのもなんとなく頷けます。
ここでちょっと気をつけたいのは、自己成長をすればより良い状態になれるはずだとはいっても、実際に予定した通り自分が成長しないこともよくあります。よく言う成長の踊り場があり、それを突破するまでは何をしても結果から見れば何も変わっていない、といったようなことが発生します。これはツラい。ツラいから何をするか?それは、『少しでも成長を感じられるように因数分解したり誇張したりマイクロマネジメントをする』ことです。
その昔、大海原でどれだけオールを漕いでも、周りの景色が巨大過ぎて全く進んでいないように見えて漕ぐのを諦めてしまうというのは結構あったそうです。そんな時は、GPS機能を使って現在地を把握するとか、何回オールを漕いだら距離に関わらずOKとか、その消費カロリーに焦点を当てるとか、誰が一番オールを漕げるかとか、実に様々な評価方法があります。結果はもちろん大事ですが、それを出すために努力をし続けなくてはならないのですから、その努力の継続のためにモチベーションの上がる仕組みを作ることは、もしかしたら一番大事です。要はやり続けることが出来る仕組み、やり続けてももうイヤだと思わないような仕組みです。短期的に、分かりやすく、モチベーションの上がる評価システムと言っても良いでしょう。それを作る必要があります。
小学生の頃、決して好きではない勉強がそれでもあれだけ長い期間続いたのは、カリキュラムがあったからです。漢字にしても算数にしても、解くごとに自分がどれだけ前に進んでいるのかを把握できるように点数が付きました。場合によっては進捗が図になってたりもしました。点数がよければ先生に褒められました。だから続けられたのです。それが、6年間の中でターゲットだけ与えられて習得しろ、と言われたら、恐らくトップ1%の意志の強い子供しか、掛け算も割り算も習得出来ないのではないでしょうか。
なんにせよ、成果にフォーカスすることは大事です。が、その成果が出ないこともあります。そんな時は、自分が分かりやすい成長や右肩上がりの状態だと思えるように、場合によっては錯覚できるように、自分がチャレンジしている分野の学習の仕組みだったり評価方法をつくってみると良いかもしれません。
とりあえずレコーディングダイエット始めました。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!
我が人生に一片の悔いなし!

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。