ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

子供と大人の境目

time 2013/06/30


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みなさんこんぬつわ〜、ご訪問有難うございます、羅王のブログです。驚異の偏差値『8』を叩き出した高校時代から始まった『The 補欠人生』にピリオドを打ち、8桁超えの自己投資を通じて人生のレギュラーを目指す軌跡と奇跡を備忘録兼ねて徒然なるままに記しました。大体30分で書いてますので瞬発力重視なのはご愛嬌。。貴方とのご縁に一片の悔いなし!
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ここだけの話、僕は不治の病に侵されています。『ピーターパン症候群』という、大人になれない病気です。歳をとったら相応に落ち着きが出て大体世の中のこともわかってくるのかなと昔は期待していましたが、実際は歳を取れば取るほどやりたいことが沢山出てきて、そして世の中のことは知らないことが溢れているということに気づくようになりました。ぶっちゃけた話、体は大人になっちまいましたが、心はどんどん子供化、幼児化する一方です。昨日も書きましたが、最近は『やりたいからやりたいんだもん』と、新たなチャレンジに際して全く理屈をつけずに始めるようになってしまっています。退行化現象?
それはさておき、子供と大人の境目というのはどこにあるのだろう?としばしば考えます。年齢であれば二十歳や大学卒業、昔であれば元服の15歳から大人だったでしょうし、身体的なことを言えば下の毛が生えてくるらへんからが大人の仲間入りでしょう。が、いつの時代も若者はバカにされ、大人になりきれないことを揶揄されたりしています。
これは最近達した結論なのですが、僕の意見を言えば個人的には『誰が答えをくれるか』に対して明確な自分以外のWhoを答えられる場合は子供、と言えるのではないかと考えています。また、そこから解放もしくは放逐されて、自分自身で答えを見つけなければいけない状態に入ると、見事大人の仲間入りをします。
自分で答えを見つける必要にせまられる時期ということに関して言うと、(事故などによって)ごくたまにそれをある程度幼少期に課せられる人もいますが、多くは身体的に大人になってからです。少なくとも僕は就職活動をするまで、恐らくまともに自分の頭で答えを探そうとしたことはないのではないかと思います。(はずかぴー)まぁたまに現れる天才的高校生や大学生でもなければ、他の人もあんまり変わらないことでしょう。
昔はこの時期がぐっと早かったようです。江戸時代末期、立ち上がった漢たちはみなとても若かった。多くが20代、下手をすると10代後半から動き始め、日本の命運を左右するような圧倒的な動きをしました。国も藩もまともな答えをくれなくなっていた時代に、彼らはその年齢でした。だからこそ高杉も伊藤も久坂も若かったのではないかと思います。
今はどうでしょうか?幼少期は親が答えをくれます。では大学に入るタイミングや社会人になるタイミングで自分で答えを探すようになるでしょうか?親の庇護下からは抜けるかもしれませんが、例えば入社と同時に『先輩』や『上司』という、答えをくれる人がまた周りに現れます。つまりこの時点ではまだ子供だということです。
では何歳から大人に、答えを自分で探すことが出来る状態になるのでしょう?課長になっても部長が、部長になっても取締役が、取締役になっても社長が、社長になっても会長が、答えをくれたりします。昔あったオー人事オー人事のCMでは、社長から部長、部長から課長に責任がガンガン降りてきていましたが、ちょうどそれの逆です。何歳になっても、職位が何になっても、答えをくれる人が上位にいたりします。
これでは下手をすると、『25歳だけどまだ子供です』程度ならいざ知らず、『いや、わたくし42歳で子供です』、『いやいやあだずは56歳だけどまだ子供です。そろそろ大人になりますわ。』という人も出てきてしまうのではないでしょうか。というか、世のなかちゃんと分析してみると、結構な数の『大人』が、『子供』だと判明するのではないかと危惧しています。
子供はラクです。だって正解は上から降りてきて、しかもそれは大体一つか二つしかないからです。大人は大変です。正解は上から降りてこず、しかもその正解となりうる解は一つとは限りません。いくつもあるかもしれないし、一つもないかもしれない。一つ見つけても、もっと良いものがあるかもしれない。そんな中で意思決定をしていくのが大人です。
が、大人にも良い点があります。それは、『選択肢の中から決まった正解を当てられる子供が良い子供』であるのに対し、『選んだ選択肢を(無理やりにでも)正解にすることが出来る大人が良い大人』というふうに、実は評価基準が超甘甘なのです。せいぜい10しかなかった子供の頃の科目は、大人になるとそれが数千数万に増えます。そしてそのどれを選んでも、正解に近づけようとする限りは正解なのです。
結婚なんぞはその最たるものです。子供的発想で考えれば、『どのように最高の家庭を築ける相手を見つけるか』が命題となりますが、大人的発想で言えば、『選んだ相手との家庭を最高にしていく』となります。好みの相性などもあり前者の成功率が数%しかないであろうことは想像に難くないですが、一方後者の成功率は限りなく100%に近くなります。なぜなら、選んだ選択肢を正解に近づけようとするそのプロセスは、実は一片の無駄もない前進を生むからです。
僕の中では、半独立のような形になったこの仕事に就いた8年前、それが大人の階段を登った時だったと、今思えば定義することができます。そしてそれは実はフリで、本当に階段を登りきったのは2009年頃、マジで死ぬかと、いやむしろ死にたいと思うような苦労をした時でした。人によって時期は異なるものの、今自分が『誰かから答えをもらっているのか』、それとも『自分で答えを見つけているのか』、または『選んだ答えを正解に近づけようとしているのか』を自己に問うことは、省察の意味でも非常に重要なのではないかと思います。
答えがないってことは、答えがいくらでもあるってことなんさね。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!
我が人生に一片の悔いなし!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。