ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

守破離の守は長いのよ、ハッハ〜ン

time 2013/01/03


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『守破離の守は長いのよ、ハッハ〜ン』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
私が仕事上、比較的多用する言葉が、『守破離』です。
有名な格言ですが、Wikipediaによると、
『守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。
まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。』です。
スポーツでは、この守破離が徹底されているように思います。どんなに成功したサッカー選手でも、トラップやインサイドキックの練習は怠りませんし、どんなに成功した野球選手でも、いや成功した野球選手こそ、素振りや走り込みを大事にしています。そうして『守』としての膨大な練習を積み重ねてきた上に、そのうち『破』としての独自のフォームが生まれ、最後にはそれを真似する人が現れるほど特徴的なものとなり、王貞治さんの『一本足打法』や、イチローの『振り子打法』といった『離』的なものが生まれてきます。
逆に言えば、インサイドキックの練習を15歳ぐらいで切り上げてプロになったサッカー選手も、素振りを1000本程度しかしないでプロ野球選手になった人も、恐らく、というか絶対にいないと思います。それだけ、高いパフォーマンスを維持するには、『守』の部分をずっと鍛え続けていくことが大切なのでしょう。
プロのスポーツ選手たちは、弟を見ていても思いますが、このことが体の芯から刻みつけられているのだと思います。
ところがことビジネスの世界やプライベートな世界になると、少し事情が違うような気がします。『守』よりも、『破』や『離』の方がさも大切かのような風潮があるように感じます。私だけでしょうか。いいえ、誰でも。
『新しいビジネスモデル』や『自分らしさ』といった、実しやかな言葉が流布していますが、これはインターネットやメディアをはじめとした情報社会になったことによって、どこかにあるもっとお気楽でもっとお手軽な手段や方法『のように見える』情報が容易に手に入りやすくなったからだと私は考えています。本当に大切なことは、表面的に見えているその地下の根にこそあるのですが、恐ろしいほど表面的な情報が多いため、そこに影響を受けてしまうことが多々あります。
例えばビジネスの世界では、普通1年目から3年目までは、いわゆる新人とされます。この時期は徹底的に『守』を叩き込まれます。多くの新人は、この時期を経て、ビジネスパーソンへと育っていきます。
しかし社会人10年を経て思うのは、自分や周りも含めて、『最近破や離ばかり追っていないか?』ということ。これは慣れが原因の一端かもしれませんが、情報過多の社会情勢も影響があるでしょう。『守』はつまらないことが多いです。苦しいことが多いです。退屈なことが多いです。だから、一見して派手に、格好良く見える『破』や『離』に行きがちなのだと思いますし、そこへのアクセスを見た感じ容易にしてくれるインターネットがあれば、そこに飛びついてしまう人が多いのも仕方ないのだと思います。
確かに年齢や実績とともに職責は変わります。新人時代と同じく飛び込み営業ばかりするわけにはいかず、働く時間を長くすれば良いというものでもありません。しかし周りを見渡して、成果を出して出して出し続けている人たちを見ると、
1、新人時代よりも動いて
2、新人時代よりもアツイ気持ちで
3、新人時代よりも変化し続けて
います。ある意味アホです。手を抜くということを知らない人たちです。私から見たら異常です。でも、プロスポーツの世界から見たら、これが普通なのです。これがスポーツの世界とビジネスの世界の共通点であり、違いでもあります。結局、成果を出す人というのは、スポーツでもビジネスでも、『守』をいついかなる時も大切にしています。
『守』はいわば、
『原理原則』
と言っても良いと思います。
こうすればこうなるという、因果の法則を表したものです。これだけやればこうなるという、大数の法則を表したものです。この人にしか出来ないといったものではなく、誰でも出来る非属人的なものです。結果でなく過程、才能よりも努力、アプリケーションよりもOSを表すものです。
往々にして『守』は、それを始めたばかりのとき、そして踊り場で成果に直結していないときは、とかく何をやっているか分からないものですし、そこに積極的な意味を見出すのも、私のような盆栽(=凡才)には難しいこともあります。
しかし、そういうものは概して、後々になって効いてくるもの。そのスパンは、1年かもしれませんし5年かもしれませんし、はたまた10年の長期にわたるかもしれません。そしてそれが効果を発揮する頃には、いままで想像もつかなかった境地へたどり着くことができます。数式で表すとすれば、
守≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫破≫≫≫≫離≫≫≫≫成功
なのであって、
守≫≫破≫≫離≫≫成功
ではありません。長く続く守の時期を耐える必要があります。多くの人は守の期間中に諦めてしまうか、守の期間をどうにかこうにか短くしようとして手を変え品を変えるものですが、原理原則はそんなにカンタンに縮まりません。諦めて耐える必要があります。
今年はホンモノの力をつけるために、この『守』ということに改めて重きをおいて、物事に取り組んでいきます。安易に『破』や『離』に手を出したりはしないつもりです。それは地味でツライ作業の連続になるかもしれませんが、未来の私から課された必須トレーニングだと思って、テンション上下せず粛々と取り組んでいきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。