ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

希望と絶望

time 2013/03/17


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『希望と絶望』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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希望と絶望について考えたことを書きます。たった一文字ですが大違い。プラスの究極とマイナスの究極な言葉ですが、何をもって希望と絶望が分けられているのでしょうか。あくまで僕の意見ですが、
昨日と少し何かを変えてみようとしても、それを今日変えることが不可能な日常しかないことを、僕は絶望だと考えています。
その逆に、『今日はいつものランチではなく、こっちでランチ食べてみよう』とか、『今日は少し早く帰って子供をお風呂に入れよう』といった日常の瑣末なことから、『転職をしよう』『旅行に行こう』といったそれなりの変化を要することまで、今日と明日を変える権利を持っていることを、希望と呼ぶことができると思います。
家がある、とか、お金がある、とか、そういう物質的なこともとても重要だけれど、もっと重要なことは、そこに変化を加えられる余地が残されているかどうか、だと思います。人間は、今いる場所がどんなに低いところでも、『もっと良くなる』という確約があると頑張れるものです。学生の頃に貧乏寮に住んでいた人は社会人になって会社の寮に少なからぬ感動を覚えるでしょうし、お給料が上がってもっと良い家に住めるようになると、また喜びに包まれるでしょう。あるいはそんなことを夢想している時点で、あ〜頑張ろう、と思えるものです。
反対に、普段いくら高いところにいたとしても、何一つ自分では選択できない環境しか用意されていない場合、人はそれを絶望を感じます。僕には感覚は分かりませんが、家がお金持ちのお医者さんで自分も医者になることを完全既定路線にされている家や、大きな資産を抱える企業グループの御曹司で、それを継ぐ以外の選択肢がない人、あるいは王族や皇族の方々も、捉えようによってはそうなのではないかと思います。
また、僕がバックパッカーとして旅をしてきた多くの国々では、それとは真反対の境遇の、しかし同じく絶望を抱えた人たちを何千人と見ることになりました。インドでは夜中に駅に着くと、地面一面が寝ている人で埋め尽くされていて、色が黒いので目しか見えなくてビビリまくったという経験があります。次の日によくよく目を凝らして見てみると、線路の上に用を足していたり、牛をどこへともなく引いていたり、作物が実るようにとても思えないところを耕していたり、あるいはお決まりの喜捨を求めてきたり。。。大変申し訳ないことに、『今日と明日は1ミリも変わらないんだろうな』、『それを願っても叶わないのだろうな』、『ゆえにそれを願う神経回路をすら断ち切ってしまったんだろうな』と正直に思ってしまい、またそんな考えが浮かんでくる一方で自分の好遇に感謝をするという自分の頭の中身のおめでたさに、半ば呆れ果てたものでした。目の前にあったのは、間違いなく絶望でした。
しかし、それが世界の事実であり現実です。だからこそ僕達は気づかなければいけないと思います。日々、変化をつけようと思えばいくらでもつけられるこの日常は、実は世界中の誰もが羨む幸福な日々なのではないかと。やろうと思ったことの大概が出来て、言いたいと思ったことの大半が言えて、行こうと思った所の大半に行ける僕達の現在値、実はサーカスの一輪車綱渡りのように、絶妙なバランスと奇跡の上に成り立っているということじゃないかと思います。希望に満ちあふれた毎日に感謝!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。