ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

日本軍は何故太平洋戦争に負けたか

time 2010/08/06


日本が戦争に負けた理由は、『無謀な戦争に突入した日本の軍部がアホだったから。』というのが僕の今までの認識だった。しかし、どんな理不尽に見える状況にも、その背後にはそうならざるを得ないような事情や要因が必ずある、と尊敬する方がブログで述べていたのを思い出し、少し調べてみた。戦争について学ぶことの是非については賛否両論あるが、先の見えないこの時代に、先人たちが遺してくれた過ちの軌跡を学んでおくことは多いに価値があると思う。断っておくが僕は右でも左でもない。強いて言えば、こんな見た目して平和主義者である。夢は世界平和だからだ。
それによると、太平洋戦争の敗因は大きく二つに分けられる。
1、軍部には反戦派も数多くいたにも関わらず、列強の策謀によって開戦せざるを得ない状況に追い込まれ、それに軍部の開戦派が便乗してしまった。
2、開戦したはいいが、長期的視野を持たず、NO戦略だったため、平たく言うと負け方を間違えて大敗してしまった。

1に関しては三国軍事同盟やABCD包囲網、当時の中国情勢が複雑に絡み合うのでなかなか説明ができない。2に絞って調べた結果をまとめてみたい。この際、日本全体が開戦ムードになってしまい後に引けなくなってしまったことや、軍部の盲目的な猪突猛進など、敗因の大切な項目ではあるが再現性が保てないものについては、割愛する。
僕の結論は、ベッケンバウアー的発想とダーウィン的発想を日本軍が持っていなかったことが敗因だということだ。
ドイツのかつての名プレイヤー、ベッケンバウアーは、『強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ』との言葉を残した。
種の起源を記したダーウィンは、『最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるわけでもない。唯一、生き残るのは変化できるものだけである』

この二つの考え方を欠いていたために、日本軍には戦略がなく、Contigency Plan(=不測の事態のための代替プラン)の発想がなく、兵站の発想がなかった。
いくつかのエピソードを。
・日本軍には戦略がなかった。
戦争において、戦略とは、戦術、戦闘の上位概念であり、いまだにいくつかの解釈が存在するのでその定義については大よそのところに留めておくことにする。強いて言えば日本軍の戦略は『ザ・短期決戦』であったが、これは実際は戦略と呼べるようなものではなく、勢いに任せた突撃のドサクサでアメリカ軍を降伏させてしまおうというものだった。その裏には、日露戦争でバルチック艦隊という、当時世界最強のひとつであったロシアの艦隊をたった一回の海戦で海の藻屑とした、その栄光をそのまま数十年間引きずった時代遅れの自信がある。
日本軍の問題点のひとつは、戦略がないことの問題点が、戦術戦闘が優れていたために全く太平洋戦争までは顕在化されずにきてしまったことにある。バルチック艦隊を破った海軍しかり、ゼロ戦率いる航空機部隊しかり、ガチンコで敵とぶつかったときの日本軍は、実は極めて強かった。その強さゆえに、戦争全体をどのように進めていくかというグランドデザインを欠き、結果いつまでもいつまでも『次こそは!』と次のない戦いに身を投じてしまったのである。
対するアメリカ軍の戦略は一貫していた。『長期的な物量作戦で日本軍を疲弊させ、本土決戦で決着をつける』。この戦略だけは一貫していて、戦術戦闘に関してはコロコロ変えたのがアメリカである。戦争を補給などの兵站含めた戦略から考え、カメレオンのように戦術戦闘を変えていったアメリカと、個々の戦闘で相手を各個撃破する旧来の戦争スタイルを踏襲してしまった日本、という言い方もできる。
例えば航空決戦。芸術的なゼロ戦と、物量作戦のアメリカ。日本は相手の航空機を破壊することを目的とし、アメリカは日本の超優秀パイロット陣を殺傷することを目的とした。 序盤は技術に勝る日本の航空部隊の圧勝だったが、一対一で勝てないと踏んだアメリカ軍は、大して性能の高くない航空機を量産し、ゾーンプレスでゼロ戦の、しかもパイロットを搭乗不能にする作戦に切り替えた。ひとつの航空機の作りこみがハンパではなく、またそれを操縦するパイロットの技量もハンパではなかった日本軍は、当然その高いレベルの航空能力を量産できるはずもなく、徐々に戦力の逆転を許していった。見ていたポイントの大小の違いである。
また、ミッドウェー海戦。実は結果的に大敗するミッドウェー海戦だが、当初のアメリカ軍の戦力はイマイチで、とても日本軍に大勝できるような状態ではなかった。しかも数十年前とはいえ、かのバルチック艦隊を破った日本海軍の強さは有名であり、まともにぶつかればアメリカ軍にも甚大な被害が出ることは明白だった。しかしアメリカ軍のエライところは、自軍の配置、敵軍の配置含め、徹底的に情報収集をしたことである。日本軍は『ぶつかれば勝つ!』との信念が先行し、何も情報収集をしなかった。ゆえに勝てる局面を逃し、負けそうな局面で大敗した。全ての遅れを戦闘で取り戻そうとした日本軍は、このミッドウェー海戦での敗北を機に、一挙に敗戦への向かうことになった。
・日本軍にはContigency Planがなかった。
まずはA、ダメならB、それもダメならC、と、移り行く戦局に応じて作戦を変えていくのが戦争の常道であるが、日本軍は終始一貫、『ザ・短期決戦』だった。 日露戦争での大勝利、真珠湾での大勝利、航空機戦での序盤の大勝利、と、その場その場では素晴らしい成果を日本軍であったが、それをなんと最長数十年間も引きずることによって、一番やってはいけない間違いを最後の最後にやってしまった。対するアメリカは、実は太平洋戦争においても何回どころか何十回も失敗している。しかしそれをすぐに情報本部がフィードバックし、今風に言うところのPDCAサイクルを回し、次節の局面で同じ間違いをしないように、次々と変化していった。個別の戦闘で負けることを認識したならば、日本軍の兵站を伸ばさせて各個撃破することを考えたり、技術で及ばない点に関しては多少雑でも物量作戦で封じ込めたり、そもそも戦闘に入る前に徹底的な情報収集をして戦う前に勝つシナリオを描いたりした。海戦にこだわりつづけた日本軍と、いち早く航空機戦の重要さに気づき航空機の大量生産に走ったアメリカ軍の、どちらが勝つかは明白である。
・日本軍には兵站の発想がなかった。
『ザ・短期決戦』を標榜し、事実それだけでしばらく勝利を重ねてきた日本軍は、兵站、特に補給の必要性を全く考えていなかった。その最たるものが陸軍で、メインの戦略は『補給は撃破した敵軍からぶん盗る!』。兵站が伸びきった部隊がどれほど脆弱になるか、を把握していなかったため、太平洋の広い広い地域全般に軍を配置してしまった日本軍の兵站は伸びに伸び、それらをひとつひとつ潰されるのにそう多くの時間はかからなかった。太平洋の島々での戦死者は、戦闘での死者よりも餓死者が多かったそうだ。
以上を振り返ると、負ける結果は変わらなかったにしても、もう少しうまく負けることが出来たのではないかという疑問は残る。また、今の時代に翻って当てはめてみると、驚くほど多くのことが、この太平洋戦争での日本軍の敗因とそれに伴う教訓に重なる気がする。高性能携帯電話という非常に特殊な技術を追求するあまり、世界のマーケットを失った日本の携帯ビジネス、味よりも立地と物量で日本市場を席巻したマクドナルド、相変わらず商品の質は高いが戦略がないと言われる日本の企業などなど・・・。勿論強ければ強いほど生き残る可能性は高くなるけれども、時に強すぎる商品を持つ企業は、それに溺れて沈んでいくこともある。強くなることと共に、ビジネス面でも人間としても、変わることが求められている。過去の数十年間は日本人にとって、色々あったけれど大成功の時期だったと思う。けれど様々な変化が起きた世界に比べ、我々は変わらなすぎた。だからいまこそ、チェーンジ!!!ベッケンバウアーさんとダーウィンさんの言葉を参考に、次の数十年を作り出すために僕も変わっていこう。
温故知新という言葉は、今僕が最も大切にしている格言のひとつだ。新しいことは、古いことから学ぶことが出来る。見えない未来は、見てきた過去をもとに推測することが出来る。歴史を学べ!という時流に、ミーハーだけどももうちょっと乗ってみようと思う。

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。