ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

機会の平等は実は機会の不平等

time 2012/12/09


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『機会の平等は実は機会の不平等』
世の流れとして、結果平等の社会から機会平等の世界へ移りつつあると言われています。人生そのものが護送船団方式により仲良く誰でも一定の水準の生活が送れ、仕事で昇進できたという時代は終わりをつげ、全員にチャンスは与えるがその後はガチだよ、差がついても知らないよ、という時代になりつつあります。
ただこの機会平等、現実の世界で、それは違うでしょうと一見すると見えることが多々あります。
例えば、ある仕事において、Aさんはしょっちゅう上司からチャンスを与えられ、Bさんはその限りではなく、たまにしか与えられない。Aさんは失敗をしてもまたチャンスが与えられるのに、Bさんは一回でも失敗すると怒られ、次回からチャンスがなくなる。Aさんは達成するとまたすぐに次のチャンスを与えられ、Bさんは結果を出しても地位を据え置きにされます。だからBさんからみたら、これは『機会の不平等だろう』となります。
これが、いわゆる『機会平等』という言葉に対する悪しき誤解です。
何故誤解かというと、この話には前提条件があって、Aさんは1軍の4番選手であり、Bさんは2軍選手だったからです。1軍4番選手のAさんはレギュラーですから、毎試合打席に立ちます。ヒットやホームランを打てば評価され、三振しても、それは年間のトータルで帳尻を合わせてくるだろうと首脳陣も期待しているので、変わらずチャンスを与えられ続けます。一方のBさんは、2軍でのパフォーマンスがよく、ようやく1軍に上がってきました。が、まだ1軍監督からの信頼は厚くはありません。三振すればまたしばらくは2軍生活が待っていますし、ヒットやホームランを打ったとしても、良ければ次の試合も出れますが、Bさんが1軍の試合に出るきっかけとなった1軍レギュラーCさんのケガが治れば、またもやBさんは2軍に追いやられるかもしれません。
これはプロの世界では当たり前です。そしてこれが機会の平等ということです。平等という名前の不平等なのです。誰でも1軍レギュラーを目指すことができるので、それは平等です。しかし1軍選手と2軍選手に与えられる打席の量は、全く平等ではありません。ここを勘違いしてはいけない。
では機会の平等、打席の平等をほんとに勝ち取りたいBさんはどうすべきか?
それは、死ぬほど努力して1軍に上がることが最短の道です。また、それ以前に与えられた打席でせめてヒット、あわよくばホームランを必ず打てるように、これまた死ぬほど努力して練習することです。上りエスカレーターに立って黙っていても上に上がっていく資格があるのは、そこにたどり着いた者だけです。だからなんとしてもそこにたどり着かねばならない。打席が少ないだなんだと負け犬の遠吠えをワオーンと叫ぶ前に、1軍に上がれる努力をしなければならない。これが現実です。
ゆえに、今自身の置かれている環境が100%望むものになっていないのであれば、それは過去自分がしてきた努力の量と質と方向性について、今一度問いかけをする必要がありそうです。努力は無駄ではありませんが、無駄な努力というのはあります。野球の1軍の試合に出たいのに、テコンドーを一生懸命練習しててはダメでしょう。また、1軍の試合に出たいのに、キャッチボールの練習を軽くするだけでは、1万年かかっても無理です。努力の質と量と方向性をマネジメントする。これからの時代に必要な能力になってきそうです。

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。