ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

素敵なラストワンマイル

time 2013/01/16


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『素敵なラストワンマイル』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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私が新卒の三年を過ごしたネットワーク(インターネット)の世界では、家庭や企業のユーザーに通信のための接続を提供する最終行程、すなわち一般には通信事業者の最寄の加入者局からユーザの建物までのネットワーク接続のための手段を、
『ラストワンマイル』
と呼びます。
今では死語になりつつあるブロードバンドの普及によって、あまり意識することはなくなりましたが、幹線を敷くところまでは良いとしても、そこから利用者に分岐敷設するのはとてもコストのかかることだったので、一時期はどうするんだ!といった論争がありました。
さてこのラストワンマイル、日本はガンガンに整備することで今や世界ナンバーワンのネット大国となったわけですが(他にガンガンの国あったらすみません。ただ最先端のアメリカはいまだに結構遅いと聞いてます。恐らくシンガポールとか韓国とか、比較的面積も人口も小規模の国がインターネットというのは整備しやすいのだと思います。)、実は日本人そのもの、日本という国そのものも、このラストワンマイルにおいて、私は世界一だと思っています。
日常に近いところで言うと、
☆レストランで、注文したあとにしばしトイレにいったとしても、戻ってくるまでに料理が勝手に運ばれていることはまずない。冷えると美味しくないだろうな、という想像が働いていると思われるし、そもそも見映えが悪いのでお客様が席に戻ってから料理を出す。その際、最悪冷えてしまっている場合は、こっそり温めなおすという心遣いがある。
☆コンビニに入る時、コンビニでおつりを渡す時、コンビニを出る時、いずれも大きな声で声がけしてくれる。(勿論犯罪防止もあるのでしょうが。)特に女性店員さんは、優秀な人だとおつりを渡す時にそっと手を添えて、また来たいな、とおじさんたちに思わせる力がある。
☆日本のスッチーさん(正式にはCAさんと呼ぶべきですが、私的にはこの方が・・)は世界一優しい。何度呼び出してもニコニコしてくれて、こちらが困っていてヘルプを求める寸前にそれを察して手を貸してくれる。
☆トイレの水が跳ねない。これ重要。また、トイレの水力が割と強力でそんなにつまらない。これもまた重要。
これはほんのほんの一例なので、挙げればまだ数十数百は簡単に出てくるのですが、人間にしても製品にしてもサービスにしても、非常に心が行き届いているという印象です。心の『ラストワンマイル』に手をそっと差し伸べているということです。これは外国を少し知ると非常に良く分かります。誰でも出来ることのようですが、世界を広く見渡しても、今のところ日本人にしか出来ないのではないかと思います。
トイレから戻ってきたらサラダやスープが勝手に置いてあったり、Liquor Shopの店員さんは例外なく、いらっしゃいませもまたお越し下さいませも言わないし、特にアメリカ系航空会社のスッチーさんは明らかに私より強いし不愛想だし、外国のトイレは用を足すのはいいが流す時に水が飛び散るのは勘弁してほしいです。
これは何故か?ということを私は暇なので考えました。日本人が優しくて配慮があって気配りが出来る国民だということは前から知っていましたが、要するになぜこれが日本だけで起こるのか?ということは、国民性とはまた別の問題だろうと思ったからです。
私の推測ですが、これは、
『日本が単一民族だったから』
だと思います。
どういうことか?それは、言い換えれば『他国は多民族国家であるから』とも言えます。
アメリカを代表する国々は、基本的に多民族国家です。国家が出来る時点で、あるいは今でも多様な人種が入り乱れていて、国を形成しています。また、かなり人種が統一されているような国々でも、日本のような島国はあまりないため、隣接する国から別の民族が入り込んだり、侵略の歴史の中で交配が進んでいたりして、基本的にはぐちゃぐちゃです。ゆえに肌の色から生活習慣から宗教に至るまで、一つの国の中に色々な人がいて色々な文化が形成されているということが普通です。
するとどういうことが起きるかというと、要するに背景の違う人たちがコミュニケーションを取るわけで、しかもそのコミュニケーションの媒介が1対1のみならず、1対1対1や1対1対1対1といった場合もあるので、その全てが違う背景を持つ人たちだった場合には、収拾がつかなくなります。ゆえにどうすれば良いかというと、その違う背景を持つ人たちにも共通するような、『最大公約数的なところでのコミュニケーション』を手段として取ることとなります。具体的には、それは具現化されたサービスだったりするわけです。
レストランなら指定された料理を指定された味付けで出す、コンビニで商品の値段より高いお金を受け取ったらその差額を返す、機内で用事を言いつけられたらそれに応えてビールを運ぶ、などの、最低限約束された部分を履行することが出来れば、コミュニケーションとしては成立します。その際、相手の背景が違うわけですから、料理を出す以外の配慮をする必要もないし、おつりを渡す時に手で包み込んで返す必要もないし、機内で笑顔になる必要もないわけです。それが、背景を異とする者同士の最低限の最大公約数だからです。
逆に言えば、それ以外は風習も言語も文化も違うため、スタンダードがつくれなかったとも言えます。例えば、女性がおつりを渡す時に手を包み込むなんていうのは、恐らくイスラム教では下手したら死罪です。そんな恐ろしいことになるぐらいなら、笑顔もなにもつくらずにおつりを渡せば身の安全は保障されます。最大公約数でコミュニケーションするというのは、こういうことなのです。
日本人はどうか。しつこいようですが、単一民族です。同じ肌の色をして、方言はあれど同じ言葉を話します。一億総中流階級だったため、おおよその人は同じ水準で暮らしていました。それゆえに心が奥底まで他人とつながり、それが気配りや配慮といった形に出てきているわけです。自分と周りの人にとっての最大公約数が大きく重なり、行為やサービスそのものだけでなく、その際の感情や想いといった部分まで共有するのが日本人です。ですからそんな深いところまで気配りし、配慮したサービスや製品が出てきたわけです。日本製品がガラパゴス化したのも、別にリーダーシップや技術力のせいではないと私は考えています。単一民族だったがゆえに、幸か不幸か、他人の心奥底まで慮ることの出来てしまい、それが色々なところに色々な形で具現化されていて、ラストワンマイルを形作っているように思うのです。
これから、一億総中流階級ならぬ、世界3割ぐらい中流階級の時代がやってきます。世界中で衣食住が足りてきます。するとどうなるか。私たち日本人と同じように、奥ゆかしいサービスや奥ゆかしい製品を求めるのではないかと考えています。孫の手のような、かゆいところに手が届くサービスや商品です。他人様のかゆいところはどこだ?ということばかり長年考え続けてきた私たち日本人は、実は次の時代に主役となる大きな可能性を秘めている、と断言できるぐらい思っているのは私だけでしょうか。いいえ、誰でも。
世界一のラストワンマイルを!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。