ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

羅王はすごくエライ

time 2013/02/19


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『羅王はすごくエライ』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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中学生の時の思い出話。当時、僕には大好きな大好きなゆりちゃん(仮)がいました。大好きといっても、恋愛感情ではなく、なんか一緒にいると楽しいみたいな。ある日、まだ携帯もなかった頃なのでゆりちゃんの家に電話をかけ、電話に出たゆりちゃんとと10分程話をしました。しかし何かがおかしい。会話が全く噛み合わない。今日話したはずの話も伝わらないし、あっちの言ってることも分からない。。
ねじれの位置な会話を10分程したあとに、もしやと思って念のため確認してみると、案の定、僕がしゃべっていたのは、ゆりちゃんに瓜四つな声帯を持つと噂のえりちゃん(妹)でした。僕の名前は略してAKBですが、えりちゃんの同級生にも、まさにあのオタクのメッカの駅名のような名前のAKBくんがいて、今で言うところの『俺だよ俺、AKBだよ!』と僕が話をし始めたので、そんなに仲良くない(えりちゃんの学校の)AKBくんから電話が馴れ馴れしく来たことになぜだろうと思いつつも、まぁいいやと思いながらえりちゃんはお話を続けていてくれたのでした。20年近く経ってまだ双方が覚えているほど、衝撃的な事件でした。
3年ほど前、T先輩は、更に先輩であるK先輩とともに、九州出張をしていました。朝1で福岡空港から入り、博多や佐賀での仕事を済ませ、二人はそれぞれのアポのために一旦分かれました。『じゃ、あとで空港でな!』と約束をして。夕方、T先輩は福岡空港に着いた際、K先輩に電話をしました。
T:『K先輩、どこにいますか?』
K:『もう着いてるぞ。今2階だ。エスカレーター上ったところにデカイお土産屋さんあるからそこに来い。』
T:『分かりました。』 
T先輩はエスカレーターを上りましたが、デカイお土産屋さんの前に来てもK先輩が見えません。先輩を待たせるわけにはいかないのでキョロキョロ探しますが、見つかりません。恐る恐るもう一度電話します。
T:『K先輩、今エスカレーター上りましたけどどこですか?』
K:『デカイお土産屋さんの前って言っただろ。早くこい。』
T:『え??でもエスカレーター上ったのに見当たりませんけど』
K:『いるっつってんだろ!早く来い先輩を待たせるな。』
・・・
・・・
T:『K先輩、今どこの空港にいますか?』
K:『熊本空港に決まってるだろうが。』
福岡空港にいたT先輩と、熊本空港にいたK先輩は、空港内部の構造が似ていたこともあって、数百キロ離れた所で5分ほど会話していたのでした。
僕は20代のほとんどを、名古屋で過ごしました。社会人になったら一人暮らしをしてみせる!と意気込んでいたら、うっかり飛ばされた格好です。名古屋にいるときは行動範囲が広く、名古屋市から豊橋、田原といった、目的地まで1時間半〜2時間級のアポを精力的にこなしていました。はるばる名古屋市から来たというと、お客様によっては
『羅王さん結構エライでしょ?』と言ってくれます。決まって僕の返答は、
『いやいや僕なんてそんな・・・(まだ偉くないです。まだ新人です。)』=地位に関する言及
『いやいやこれしきの道のり、○○さんに会うために来たんですから、お時間頂けるだけで光栄です』=ここに来るまでの努力の総量に関する言及
と謙遜するのですが、あとで聞いて真っ赤になりました。ご存知の方も多いと思いますが、名古屋弁では、
『エライ』=(ただ単に)疲れる
という意味です。偉いとかスゴイとかいう意味は含まず、ただの『疲れる』です。だから、『羅王さん疲れたでしょ?』と聞かれていただけなのです。それを、『あなたの身分が偉い』とか、『わざわざここまで来た努力が偉い』とか勘違いしていたため、無駄に謙遜をするハメになり、無駄に恥ずかしい思いをすることになりました。まぁ、なんか変だなと思いつつも、僕の大いなる勘違いをお客様が気づかなかったようなので、よしとしましょう。
上記はほとんど冗談みたいな出来事でしたが、何を言いたかったかというと、僕たちは普段、誰かと同じものを目指し、同じベクトルを向いて話をしているているつもりが、実は全く噛み合っていないということもよくあるのではないかということです。
思想において、資本主義と共産主義は、どちらも人々の幸せを願って考え出されました。しかし片方は(問題は多々あるものの今のところ、しかも物質的にという限定条件付きで)実際に人々を豊かにし、もう片方は歴史的には悲劇ばかりを生み出してきました。人々の幸せのために考え出されたはずが、数十万、数百万の命の粛清と虐殺を行ってきたのです。しかも不思議なことに、どちらも自分たちの考え方が人類の発展に寄与する一番手であることを諦めようとしません。
家庭において、家族を幸せにするという目的はほぼ全ての家で共有されていると思います。しかし、パパは時に家族を犠牲にしてでも働くことで成し遂げようとし、ママは限られた家族の時間を最大化することで成し遂げようとします。同じ方向を向いていたはずなのに、言っていることが全く噛み合わないのです。パパは会社で偉くなることが家庭でも名声を得るであろうことに固執しますが、ママや子供から見た時に、社長パパと係長パパは社長パパが偉いわけではなく、どちらのパパだろうが、家庭に多くを割いてくれるパパが偉いパパなのです。これは結構男性には残酷な事実です。数十年連れ添った妻のことすら分からない(で時に熟年離婚を突きつけられる)のに、他人のことなんて分かるはずがない、と良く言われているのも、その証左かもしれません。
このように、同じバックグラウンドを共有し、同じビジョンを共有している(と思い込んでいる)としても、実際に本当に同じことを考えているかどうかに疑問符が付くことはよくあります。であるならば、よほどのことがなければ油断はしてはいけないということにも繋がるのではないでしょうか。あの人は自分と同じ考えのはず、家族は理解してくれるはず、など、独りよがりな人類皆兄弟理論に落ち着いている可能性もあります。答えがあるわけではありません。しかし、自分の意見と他人の意見が必ずしも同じではないかもしれないと思ってコミュニケーションに臨むのと、そうでないのとでは、徐々にではありますが物凄く大きな差ができてくるのではないでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。