ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

育自について

time 2013/05/10


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『育自について』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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職業に貴賎がないのと同様に、当たり前ですが人間にも貴賎はありません。人類みな平等です。ただ、この資本主義的民主主義の世の中では、良かれ悪しかれ、成果というもので判断されることがそれなりのボリュームあります。家族関係だけは別としても、仕事においては成果を出してない人間が成果を出している人間より上の立場に立つということは絶対に有り得ません。(そうじゃない企業のことは知りません!)誰もがその成果なるものをいまよりも沢山出したいと思ってビジネス書が売れていくわけですが、僕が思うに、成果が出ているか出ていないかを分ける要因としては、次の二つがあるのではないかと思います。やり方よりもあり方を重視した視点となりますが、それは、
1、『自分がどういうふうに育ってきたか?』
と、
2、『自分をどういうふうに育てているか?』
です。
前者は生い立ちがかなりの部分において成果に関連します。そして、そのどれもが『ある程度の範囲においては』仕方ないレベルの話です。僕達は親を選んで生まれてくることはできません。それ以前に、生まれる国も時代も選べません。親が裕福な家庭に生まれれば高度な教育を受けることが出来てスペックの高い人間に育つこともできるでしょうし、豊かとは言えない家に生まれれば、学力や学歴という意味では前者に対してハンディを持った状態で社会に出ることになる可能性は、決して低くないと思われます。『どういうふうに育ってきたか?』は、先天的なものに依存することが多いのではないでしょうか?育てる主体は親であることが多く、また育てられる主体は自分自身です。主体の片割れが自分以外の人なのですから、100%自分の望む方向に行くことはなかなかに難しいです。能動か受動かと言えば、かなりの割合で受動です。
対して、『自分をどういうふうに育てているか?』の主体は、育てる側も育てられる側も、自分です。100%自由に自分で自分に対するカリキュラムを組むことができるのですから、どんなリソースをどのようなバランスでどのような方向に使っても自由です。成果を出すということにフォーカスするのであれば、トップ営業マンに話を聞いたりセミナーに参加したり本を読んだり勉強会をしたり・・・というカリキュラムを自分で組んで育てていくことも可能です。また反対に、稼いだお金を全てギャンブルや嗜好品や風俗に使ってしまう、といったむちゃくちゃな育て方もできてしまったりします。こちらは後天的な要素によって決定づけられるのですが、限られらたお金と時間と労力をどのように分野に戦力配置しているかによって、その人が大体どんな人かというのは分かります。
普段耳にする言い訳シリーズを分析すると、上記1の『自分がどういうふうに育ってきたか?』が様々に形を変えてでてくることが多いように思います。いい大学に行っていないから、スポーツで成績残せなかったから、健康に問題があるから、親がこんな感じだから・・・など。そして、不思議なことに2の『自分をどういうふうに育てているか?』に関しての問題意識というのは、あまり聞きません。1は言い訳のオリコンランクの上位を独占するのですが、自分をどう育てているかということについて、人はそこに改善をあまり熱心には求めていないようです。
ただコレ、時間軸で見ると結構おかしいんです。『どういうふうに育ってきたか?』は、人生80年のうちのたかだか最初の20年程度において起きてきた事実の集合体です。人生の序盤1/4、二十歳前後までにどういうふうに育ってきたか?は確かに重要です。しかし、そのたかが1/4が人生の全てを決めるわけでは決してないと思います。残り60年の方がずっと長い。そしてその残り60年のテーマとなるのが、『自分をどういうふうに育てているか?』という深重い難題です。自分自身をどのようなビジョン、ミッションやパッションで武装するのか、60年かけて答えを出していかなければなりません。第1コーナーを曲がっただけでG1に勝つ馬が決まるのであれば、残りのレースはやる必要はありませんが、勿論そんなことはないということです。
今持っているものは、これまでに得てきたものです。これから先に得ていくものの数分の一です。だから必要以上には気にしなくていい、そう思います。確かに今、周りと比べて必ずしも上手くいっていないとか、自分の理想との距離感が結構あるということはありえます。それでも、これから得ていく成長、人脈、収入、の方が、今までをはるかに凌ぐのです。それはまた、初期に不公平に配置されたスタートラインを、残り60年で是正することも十分可能だということです。だからあんまり気にしなくていい。気にするならちょっとだけ。しかもWhy?(過去)ではなくHow?(未来)の思考で。
これからは、『自分をどういうふうに育てていくか?』ということについて、もっともっと時間を使って考え、そして圧倒的な量に裏打ちされた行動に出ていきたいと思います。年齢的に第1コーナーは確かに曲がってしまいましたが、あと50年間は走り続けなければならないのですから。そのためには、何百回何千回、おそらく万に近い形で使い古されてきた言い回しですが、『成長』に焦点を当てて自分を育てていくのが、もっとも近道のような気がしています。一番よくないのは、『成功』に焦点を当てて自分を育てていくことです。50年あるのですから、渋谷や恵比寿という目的地を目指すのではなく、すぐには手の届かない、何光年も先の北極星を目指そう、そう思うようにしています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。