ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

背水の陣を敷かない

time 2013/01/20


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『背水の陣を敷かない』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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『背水の陣を敷く』という言葉があります。
背水の陣とは・・・
川・湖・海などを背にして構えた陣立てを意味し、退却すれば水に溺れてしまうことから、一歩も退くことができないという状態で事に当たることをいう。漢の功臣韓信が趙と戦ったとき、兵たちを敢えて山上の砦から下ろして不利な立場にし、川を背にして戦わせた。兵たちは一歩も引けない状態で、死に物狂いで戦闘し、趙の軍を打ち破ったという『史記・淮陰侯列伝』にある故事に基づく。byWikipedia
で、僕はこれにあまり賛成しません。物語としては美しいですし、上手くいけば良いのですが、物事は一進一退がほとんどで、進むとしても漸進です。チャレンジすればそれなりの痛みを伴うのが当たり前です。だから、一歩でも下がったら豪流の川にボチャン、以後カッパの川流され、というのは、軍事行動としてはあまりに危険すぎるような気がするのです。大体、川を背にすれば死に物狂いで戦うと将軍は踏んでいたようですが、実際戦場にいる時点で死に物狂いですし、恐らくは不利な状況で、多数に無勢の中で戦ったのでしょうから、全員が生き残るのに必死こいていたであろうことは想像に難くないわけです。
例によってこれは、限られた天才のみ使いこなせる究極の技だと僕は思っています。
同様に、例えば起業したいといったときに大学をまず辞める、会社をまず辞める、上司に辞表を叩きつけて、『背水の陣敷いたんすよどうっすか!?』みたいなのは、個人的にはナンセンスだと思います。何故ならば、どうせ起業したら死ぬほどの努力が必要なのに、学業や会社との両立も出来ないようでは、到底その後の成功はおぼつかないと思えるからです。
学業をやりながらでは/会社勤めのままでは、全く何一つ前に進まない、ということであれば、それは恐らく、大学を辞めても会社を辞めても、やはり同じく何一つ進まないのではないでしょうか。それは、学学生に必要な勉強時間のせいでもないし、それよりも締め付けがきつい会社の就業規則や付き合いのせいでも実はありません。全ては自分のコントロール出来る範囲に対する誤認と努力不足がもたらす結果です。
だから逆に言えば、学生だろうが会社員だろうが、夢は好きなだけ持てばいいと思うのです。勿論100%その夢に向かうことは色々な制限条件のせいで出来なくても、10%や20%程度は出来るはず。週末も使えば40%ぐらいは出来るのではないでしょうか。その40%でまずとっかかりとなる成果を出せなければ、それは結局100%(と思われる)の力を注ぎ込んでも、結局は形に出来ない何かなのです。
人は限られた状況の中でこそ、実際は力を十二分に発揮します。何やってもいいよ、いつまででもいいよ、という環境では、ほとんどの人はほとんど何も出来ません。
『制約』
の中で
『誓約』
してこそ、可能性を追求できるのです。
だからこそ、逃げ道を残すというネガティブな意味ではなく、あえて最初は制約の中でチャレンジをしてみる、ということが、その後を占う意味でも重要な試金石になります。
そんなわけで、家庭がある、身体が弱い、根性がない、センスがない、など様々な制限条項を抱える僕ですが、今年はみっちりがっつり、色々なことにチャレンジしていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。