コンベンションにも行ってきました!


先日のカナダMDRT世界大会に続き、7月最終週に会社のコンベンションでバリに行ってきた。
今回で入社来4年連続の入賞となり、思い返してみれば奇跡、奇跡の連続でここまでやってくることができた。何一つ自分の力だけでは成し遂げることが出来なかったし、ありとあらゆる奇跡が、家族、一人一人のお客様、周りの方々の支えによって、偶然が必然を伴って引き起こされてきた。改めて全てに感謝したい。
4年間の間に、残念ながらいくつかの入院とガンの保険金を届ける経験をしたものの、給付金そのものと、僕が担当していること自体が、お客様の人生にとってなんらかの支えになればいいなと思っている。この仕事はやればやるほど、責任が重くなっていく仕事だ。その責任を全うする=保険金を届けるまで、この仕事を続けていくことが自分の使命である、と毎回コンベンションに参加するたびに思う。
過去4年間のコンベンションを振り返ってみる。
①2006年度コンベンション ハワイ
入社後初めてのコンベンション。散々苦労して入賞したものの、それを10年連続で達成している人がいるのを見て愕然とする。最大の顧客満足は、この仕事を続けることから生まれるということを初めて知る。周りの参加者を見ると子供連ればかりで、前月結婚式をあげたばかりの妻に、『なんでうちにはちっこいのがいないの?』と詰め寄るが、『甲斐性のないあんたのせいよ』と両断される。
②2007年度コンベンション ケアンズ
約15年ぶりのオーストラリア。イメージとは逆に、結構寒かった。またも『なんでうちにはちっこいのがいないの?』と詰め寄るも、またも『甲斐性のないあんたのせいよ』と二たび両断される。くそ、来年こそは、と一人決意を新たにし、近々父親になること、そしてその前に父親としてふさわしい人間になることを密かに心に誓う。まずはお菓子をやめよう、と当時決意した僕の手には、今日もお菓子が握られている。
③2008年度コンベンション ニセコ
本来ハワイのはずが、新型インフルエンザでニセコになってしまった。一時は会社を恨んだけれど、雪のない夏のニセコに全く期待を抱いていなかった僕は、綺麗な羊蹄山や豊かな緑という、冬なら見る機会のない夏の北海道に魅了され、かなり楽しく過ごすことが出来た。おなかには7ヶ月になる子供を抱え、ひーこら言いながら歩く妻と、親孝行代わりに初めて連れて行った母のコラボレーションが面白かった。
④2009年度コンベンション バリ
今回は念願の『家族連れ』での参加。僕、妻、9ヶ月になった娘、実母、義母の5人で参加した。娘を4人の従者が接待する形での一週間となり、今までのコンベンションで一番大変で、また一番精神的に満たされるコンベンションだった。
年に1度だけでも、自分が表彰されるというのは嬉しい。
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娘は覚えてくれているだろうか。誰に聞いても、『9ヶ月の子が覚えてるわけないじゃん』と言うので、覚えてくれるその日まで、一生懸命達成しようと思う。
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『理想の体スーツ』を着てわが子を中空に投げ出す僕。
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リゾートから離れた地で見つけた民芸品屋さん。とても綺麗な装飾の鏡で、どの品も手が込んでいる。でも値段は250円程度。改めて日本の貨幣の強さへの驚きと、その恵まれた環境に馴れきってしまっている自分に対する戒めの気持ちが湧き上がってきた。僕たちは、広義な意味でのnoblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)を理解しなければいけない。
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バリの中でも最上のリゾートエリアのひとつにカウントされるヌサドゥア地区は、確かに居心地も良く非常にリラックスできた。しかし一歩そこを出ると、インドネシアの一部であることを象徴するように、まだまだ発展途上国だった。人々は決して豊かでなく、雨が降った道端には大きな水溜りが出来ており、車が停車すると同時に見た目からして明らかな子供が新聞やタバコを売りに来ていた。上段のnoblesse obligeを、僕はこういうときにいつも感じる。本来の意味は、『貴族の義務』あるいは『高貴な義務』であり、一般に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。僕は貴族でも高貴でも何でもないが、それでもこの言葉の意味するところの教訓は、決して僕たちの人生を貧しくするものではないと思う。少し曲解になるが、僕はこう理解している。
・全ての恵まれた者は、そうではない人たちよりもはるかに恵まれていること自体を認識し、感謝しなければならない。
・全ての恵まれた者は、その力を如何なく発揮し、世の中が少しでも良くなるように日々精進しなければならない。
・全ての恵まれた者は、偶然にもそういう国のそういう人間として生まれたことに感謝し、恵まれた者にふさわしい恵まれた人生を生きなければならない。

日本人にはいずれも足りない点だと正直思うが、なかでも一番大事なのは3番目。どんなに生活が困窮していても、世界の飢餓に瀕している人たちよりは美味しい食べ物にありつくことができ、命を脅かされる安全保障に頭を悩ませている人たちよりははるかに安全な国に住むことが出来、排泄物が生活環境のすぐ脇を流れる人たちよりははるかに清潔な住まいに住むことが出来る僕たちは、やはり世界で最も恵まれた人間のうちの1億3000万人なのである。
そりゃ確かに年金がないとか、医療事故がとか、政治家がイマイチだとか、色んな問題がこの国にはある。だけど、それら全て、ほとんどの『問題』は、そんな『問題』に一生悩む機会すらない人たちからすれば、ただのワガママやゼイタクに映るのではないだろうか。
僕たちは恵まれている。これはどうしようもない事実だ。だったらもうちょっと上を向いて、悲観的なことばかりに目を向けず、この与えられた環境、与えられたチャンス、与えられた人生をまっとうしよう。他の国の人をどれだけ幸せに出来るかはわからない。世界にどれだけ貢献できるかも分からない。でも、そんな大きなことをやる自信はなくても、自分を大事にし、家族を大事にし、周りの人を大事にして幸せに生きることぐらいだったら、自分の努力と心の持ちようだけでなんとかなるのではないだろうか。そんなことを考えながら、大人(=30歳)の階段を登る赤羽『恵』太でした。

日本軍は何故太平洋戦争に負けたか


日本が戦争に負けた理由は、『無謀な戦争に突入した日本の軍部がアホだったから。』というのが僕の今までの認識だった。しかし、どんな理不尽に見える状況にも、その背後にはそうならざるを得ないような事情や要因が必ずある、と尊敬する方がブログで述べていたのを思い出し、少し調べてみた。戦争について学ぶことの是非については賛否両論あるが、先の見えないこの時代に、先人たちが遺してくれた過ちの軌跡を学んでおくことは多いに価値があると思う。断っておくが僕は右でも左でもない。強いて言えば、こんな見た目して平和主義者である。夢は世界平和だからだ。
それによると、太平洋戦争の敗因は大きく二つに分けられる。
1、軍部には反戦派も数多くいたにも関わらず、列強の策謀によって開戦せざるを得ない状況に追い込まれ、それに軍部の開戦派が便乗してしまった。
2、開戦したはいいが、長期的視野を持たず、NO戦略だったため、平たく言うと負け方を間違えて大敗してしまった。

1に関しては三国軍事同盟やABCD包囲網、当時の中国情勢が複雑に絡み合うのでなかなか説明ができない。2に絞って調べた結果をまとめてみたい。この際、日本全体が開戦ムードになってしまい後に引けなくなってしまったことや、軍部の盲目的な猪突猛進など、敗因の大切な項目ではあるが再現性が保てないものについては、割愛する。
僕の結論は、ベッケンバウアー的発想とダーウィン的発想を日本軍が持っていなかったことが敗因だということだ。
ドイツのかつての名プレイヤー、ベッケンバウアーは、『強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ』との言葉を残した。
種の起源を記したダーウィンは、『最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるわけでもない。唯一、生き残るのは変化できるものだけである』

この二つの考え方を欠いていたために、日本軍には戦略がなく、Contigency Plan(=不測の事態のための代替プラン)の発想がなく、兵站の発想がなかった。
いくつかのエピソードを。
・日本軍には戦略がなかった。
戦争において、戦略とは、戦術、戦闘の上位概念であり、いまだにいくつかの解釈が存在するのでその定義については大よそのところに留めておくことにする。強いて言えば日本軍の戦略は『ザ・短期決戦』であったが、これは実際は戦略と呼べるようなものではなく、勢いに任せた突撃のドサクサでアメリカ軍を降伏させてしまおうというものだった。その裏には、日露戦争でバルチック艦隊という、当時世界最強のひとつであったロシアの艦隊をたった一回の海戦で海の藻屑とした、その栄光をそのまま数十年間引きずった時代遅れの自信がある。
日本軍の問題点のひとつは、戦略がないことの問題点が、戦術戦闘が優れていたために全く太平洋戦争までは顕在化されずにきてしまったことにある。バルチック艦隊を破った海軍しかり、ゼロ戦率いる航空機部隊しかり、ガチンコで敵とぶつかったときの日本軍は、実は極めて強かった。その強さゆえに、戦争全体をどのように進めていくかというグランドデザインを欠き、結果いつまでもいつまでも『次こそは!』と次のない戦いに身を投じてしまったのである。
対するアメリカ軍の戦略は一貫していた。『長期的な物量作戦で日本軍を疲弊させ、本土決戦で決着をつける』。この戦略だけは一貫していて、戦術戦闘に関してはコロコロ変えたのがアメリカである。戦争を補給などの兵站含めた戦略から考え、カメレオンのように戦術戦闘を変えていったアメリカと、個々の戦闘で相手を各個撃破する旧来の戦争スタイルを踏襲してしまった日本、という言い方もできる。
例えば航空決戦。芸術的なゼロ戦と、物量作戦のアメリカ。日本は相手の航空機を破壊することを目的とし、アメリカは日本の超優秀パイロット陣を殺傷することを目的とした。 序盤は技術に勝る日本の航空部隊の圧勝だったが、一対一で勝てないと踏んだアメリカ軍は、大して性能の高くない航空機を量産し、ゾーンプレスでゼロ戦の、しかもパイロットを搭乗不能にする作戦に切り替えた。ひとつの航空機の作りこみがハンパではなく、またそれを操縦するパイロットの技量もハンパではなかった日本軍は、当然その高いレベルの航空能力を量産できるはずもなく、徐々に戦力の逆転を許していった。見ていたポイントの大小の違いである。
また、ミッドウェー海戦。実は結果的に大敗するミッドウェー海戦だが、当初のアメリカ軍の戦力はイマイチで、とても日本軍に大勝できるような状態ではなかった。しかも数十年前とはいえ、かのバルチック艦隊を破った日本海軍の強さは有名であり、まともにぶつかればアメリカ軍にも甚大な被害が出ることは明白だった。しかしアメリカ軍のエライところは、自軍の配置、敵軍の配置含め、徹底的に情報収集をしたことである。日本軍は『ぶつかれば勝つ!』との信念が先行し、何も情報収集をしなかった。ゆえに勝てる局面を逃し、負けそうな局面で大敗した。全ての遅れを戦闘で取り戻そうとした日本軍は、このミッドウェー海戦での敗北を機に、一挙に敗戦への向かうことになった。
・日本軍にはContigency Planがなかった。
まずはA、ダメならB、それもダメならC、と、移り行く戦局に応じて作戦を変えていくのが戦争の常道であるが、日本軍は終始一貫、『ザ・短期決戦』だった。 日露戦争での大勝利、真珠湾での大勝利、航空機戦での序盤の大勝利、と、その場その場では素晴らしい成果を日本軍であったが、それをなんと最長数十年間も引きずることによって、一番やってはいけない間違いを最後の最後にやってしまった。対するアメリカは、実は太平洋戦争においても何回どころか何十回も失敗している。しかしそれをすぐに情報本部がフィードバックし、今風に言うところのPDCAサイクルを回し、次節の局面で同じ間違いをしないように、次々と変化していった。個別の戦闘で負けることを認識したならば、日本軍の兵站を伸ばさせて各個撃破することを考えたり、技術で及ばない点に関しては多少雑でも物量作戦で封じ込めたり、そもそも戦闘に入る前に徹底的な情報収集をして戦う前に勝つシナリオを描いたりした。海戦にこだわりつづけた日本軍と、いち早く航空機戦の重要さに気づき航空機の大量生産に走ったアメリカ軍の、どちらが勝つかは明白である。
・日本軍には兵站の発想がなかった。
『ザ・短期決戦』を標榜し、事実それだけでしばらく勝利を重ねてきた日本軍は、兵站、特に補給の必要性を全く考えていなかった。その最たるものが陸軍で、メインの戦略は『補給は撃破した敵軍からぶん盗る!』。兵站が伸びきった部隊がどれほど脆弱になるか、を把握していなかったため、太平洋の広い広い地域全般に軍を配置してしまった日本軍の兵站は伸びに伸び、それらをひとつひとつ潰されるのにそう多くの時間はかからなかった。太平洋の島々での戦死者は、戦闘での死者よりも餓死者が多かったそうだ。
以上を振り返ると、負ける結果は変わらなかったにしても、もう少しうまく負けることが出来たのではないかという疑問は残る。また、今の時代に翻って当てはめてみると、驚くほど多くのことが、この太平洋戦争での日本軍の敗因とそれに伴う教訓に重なる気がする。高性能携帯電話という非常に特殊な技術を追求するあまり、世界のマーケットを失った日本の携帯ビジネス、味よりも立地と物量で日本市場を席巻したマクドナルド、相変わらず商品の質は高いが戦略がないと言われる日本の企業などなど・・・。勿論強ければ強いほど生き残る可能性は高くなるけれども、時に強すぎる商品を持つ企業は、それに溺れて沈んでいくこともある。強くなることと共に、ビジネス面でも人間としても、変わることが求められている。過去の数十年間は日本人にとって、色々あったけれど大成功の時期だったと思う。けれど様々な変化が起きた世界に比べ、我々は変わらなすぎた。だからいまこそ、チェーンジ!!!ベッケンバウアーさんとダーウィンさんの言葉を参考に、次の数十年を作り出すために僕も変わっていこう。
温故知新という言葉は、今僕が最も大切にしている格言のひとつだ。新しいことは、古いことから学ぶことが出来る。見えない未来は、見てきた過去をもとに推測することが出来る。歴史を学べ!という時流に、ミーハーだけどももうちょっと乗ってみようと思う。

MDRT世界大会に行ってきました


少し前の去る6月の前半に、MDRT世界大会に参加してきました。
MDRTとは、Million Dollar Round Tableの略で、世界の生保販売人およそ300万人のうち3万人、日本の生保販売人およそ30万人のうち3000人程度が登録している。定義はこんな感じ『世界中の生命保険・金融サービス専門職の毎年トップクラスのメンバーで構成され、そのメンバーは相互研鑽と社会貢献を活動の柱とし、ホール・パーソン(バランスのとれた人格を志向すること)を目指し、努力しています。またMDRT会員は卓越した商品知識をもち、厳しい倫理基準を満たし、優れた顧客サービスを提供しています。』 今年度の基準をお客様と周りの方の助力のおかげで運良く達成することができ、年に一回北米で開催されるAnnual Meetingに出席してきました。目指すところは『ただ売れるだけの営業マン』ではなく、MDRTが掲げるところの人格面でも優れた『ホールパーソン』を目指しているため、自己研鑽は欠かせない。
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これが全部MDRT会員。道端を歩いていてもMDRT会員に遭遇することや、一人のお客様が何人ものMDRT会員と商談をする機会というのはそう多くはないが、こうしてみると、いるところにはうじゃうじゃいるんだなと思った。自分は何も特別ではない。自分は頂点を目指す人間の中では底辺だ、まだまだがんばろう、と思った瞬間。
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お客様に対する最大の顧客サービスは、個人的な意見としてはいい商品などではなく、いつまでもこの仕事を続け、日々自身が成長し様々な知識を身につけ、お客様にとっていつでもお役に立てるように自分の状態を常に極め続けること、だと思っている。そういった想いを一段と強くしてくれるのがこのMDRT。末端ではあるけども、この一員であることに誇りを感じる。
ところで今年の会場はカナダはバンクーバー。何年か連続で『世界で最も住みよい街』、としてNo1に有り続ける、憧れの街だ。
世界で最も便利な街である日本の街々と比べると、いくつかの点で徹底していて、いくつかの点で非常に合理的で、いくつかの点で日本ほど完璧ではないなと感じた。
・赤信号でも右折(日本でいうところの左折)は可能。きちんと気をつければ事故に合う確率は少ないから。これは合理的だなぁと思った。赤信号は一律ダメ!という日本とは違う。
・国土がだだ広いせいもあるが、公園の広さがハンパではない。ローラーブレードで回った公園は、なんと一周2時間もかかった。
・日本と同レベルに治安がいいかと思いきや、数km離れたチャイニーズタウンには、タクシーの運ちゃんも夜は行きたがらないほど麻薬が横行している。
・タバコは、建物施設(ホテルやレストラン)の出口から半径数メートルに至るまで禁煙。かろうじて路上の一部で吸うことは出来るものの、スモーカーの生息範囲は日本と比べ物にならないほど狭い。
・さらにタバコは日本と比べて非常に『マズく』味が設定され、値段は倍。パッケージはなんと、肺がんで真っ黒になった肺の写真などが印刷され、そもそも吸う前に気持ち悪くなるようにされている。
・コンビニにタバコは売っている。しかし見えないところに幕が張られ、その裏に先の気持ち悪くなるパッケージが並んでいて、非常に買いにくい。
・酒はLiquorShopと呼ばれるお酒専門店でしか買えない。結構お酒をパクりに来るお客さんが多いのか、お店には屈強なガードマンがいる。
・会社員はあまり遅くまで働かない。外資系金融会社を除けば、日本人より働いている国の人はあまり見たことがないけどやっぱりそうだった。
全体的な印象としては、必ずしも便利な街ではなかった。だけど綺麗だった。そしてやっぱり住みやすそうだった。心が癒される街だった。 日本人は戦後、便利さを追求して恐ろしいほどの経済発展を遂げてきたけれども、あらゆるところにコンビニがあり、携帯電話で何でも用が済み、どんなところにでも地下鉄で移動できるという東京を代表とする日本の生活は、実はそんなに心の充足になっていないと思う。なんというか、ほっとしないのだ。
満たされすぎた便利な生活は、堕落を引き起こす。人間にとっては、欠乏こそが進化の源泉となり、パワーとなる。その気になれば一日中家に閉じこもっても、ゲームと出前とコインランドリーで暮らせてしまうこの便利さは、我々を日々弱くしていると認識したほうがいい。勿論、一度便利さを知ってしまった生活を戻すのは容易ではないし、そもそももっと便利に!もっと便利に!を追求してきたら今日があるのは明白な事実ではある。難しいパラドックスになるけれども、人類の発展のためには便利さを追求すべきだということに異論は全くないが、そこに適度な不足や欠乏の余地を残しておくべきだろう。水や空気に害がなく、トイレが綺麗に流れるということ自体が世界的に見れば奇跡であるにも関わらず、我々日本人は、そうではない状況をもう数十年間、経験していない。家族がいつでも減る可能性がある、という危機の可能性を、テレビの向こう側にしか感じることが出来ない状態は60年以上続いている。
元気がない、パワーがないと言われる日本と日本人。運良く海外にいく機会があったときは、日本よりも便利でない部分、不足しているもの、効率の悪い分野、しかしながらそれが人間の基本的エネルギーに寄与しているもの、に目を向けてみると、我々のこの鬱屈感を解消してくれるヒントがゴロゴロ転がっていて、光明が見えてくると思う。

娘の成長に思うこと


子供のことをブログに書くと親バカみたいでちょっと恥ずかしいのだけど、実際親バカ、どころか超ウルトラスーパー親バカなのだからしょうがないし諦めることにした。それよりも、子供の日々の成長に対して今考えていること、思っていること、感じていることを残しておきたくて、記録しておこうと思う。
昨年10月に産まれてきてくれた娘は、現在9ヶ月になった。僕は手帳に、『2009年10月長男誕生!』と3年前から書いてあってそれを見事実行したわけだが、性別だけはズレてしまった。実は妊娠が分かる数日前に、夢の中で僕のひざの上に1歳ぐらいの女の子が座って話しかけてくる、という夢をみたのだけれど、今思えばそれが娘から僕への『もうすぐそっち行くからね!』という挨拶だったように思う。ちなみにその次の日には、妻の夢にも女の子が出てきたらしい。ちゃんと家庭の大黒柱が誰か分かっているなぁと、感心したものだ。産まれる3年ぐらい前から、誕生日と勝手に決めた日=10月31日に、ハッピーバースデー!と歌っていたバカな両親である。10月31日は、『テン・サイ』ということ。
娘が家に来てから、僕はものすごく人生について考えるようになった。
以前はいつ死んでもいいと思っていたし、実際死んでしまえば1億をはるかに超える保険金が妻に遺せるので、『別にいいっしょ?』と思っていた。
でも今は、絶対に死にたくない。生きて、娘の成長を見たいと思うようになった。好きなものだけを食べていた僕は、野菜を積極的に食べ、食わず嫌いなものを少なくとも食べてから嫌いになるようにし、お酒をほとんど飲まなくなった。いつ事故に遭ってもいいように、高速で120km以上出さなくなったし、いつ暴漢に襲われてもいいように道場で鍛えている。
以前は自分を中心に原則を回そうとして、色んなところに軋轢が起きていた。例えば僕はせっぱ詰まったときのホームランが得意なので、家族に対してもホームラン性の当たり(ビッグサプライズ、ビッグプレゼント)を年に数回飛ばしておけばそれでいいと思っていた。でも今は、原則を中心に自分を回すようにし、うまく適合しきれないまでもトライはしている。イチローのようにヒット性の当たりを毎日打つことを目指し、娘をお風呂に入れたり、ゴミを捨てたり、靴を磨いたり、早起きしたりしている。
以前の僕は成功を目指していた。ビジネスマンとしての父を尊敬していたし、実際同じような道を目指したこともあった。今の僕は、幸せを目指している。幸せを目指すために、この仕事を選んだといっても過言ではない。だから将来、豊洲に住むことやカッコいい外車に乗ることも男として大事な目標だけど、今の僕の目標は、数年後の運動会のお父さん競走でぶっちぎりの一位でゴールし、娘の歓声を勝ち取ること、そして、いつまでも『パパカッコいい!』と言われることである。カッコいいといつまでも言われるためには、残念ながらそろそろ捨てなくてはいけないものがある。大好きなたべっこ動物を頻繁に食べること、そして、期間限定だからと日々買ってしまっているマックシェイクSのヨーグルト味を30秒で飲み干すことだ。
僕に起きている変化は、常識のある普通の人にだったら起きなかった変化かも知れない。遅まきながら、僕にもやっと人間らしい変化が出てきて、それを僕は自分で愛しい変化だと思っている。自分の快適さのことしか考えていなかった僕が、娘の未来の社会のために何が出来るかを考え始めている。
そんな親の心情の変化に我関せずといった感じで、ビービー泣くわ、人の頭にカカト落としを食らわせるわ、ダーダー猪木のようにつぶやくわ、姫は毎日赤羽家に笑顔を提供してくれている。
産まれたばかりの頃は枯れ木のように細くいつも心配していた足。むくむくむくむく太くなり、ものすごい勢いで振り上げて落ちてくるかかと落としは、昨日妻の頭蓋を直撃し、悶絶させた。 
むくむく足 
ベビザイル。将来、エグザイルのようなムキムキのガングロダンサーを彼氏として連れてこないことを願う。
ベビザイル 
ここ最近TVのリモコンが大好きな姫。勝手にボタンをぽちぽち押して、チャンネルを変えたりいつの間にか勝手に録画していたりする。先日、いつものように勝手に録画された番組を消していたら、驚くような類の番組を娘が録画していたことが分かった。その名も、『寿命を伸ばす方法 NHK』
生誕9ヶ月でもう寿命が心配になるとは・・・と笑ってしまったが、そんな心配を乳児に与えてしまうこの日本という国をどげんかせんといかん!とちょっと思ったものだった。