The Dying Room


気合の入った取材をしているだろうことが容易に想像でき、考えさせられることも多いクーリエジャポンの特集で、
少し前に衝撃的な記事があったのでそれに関するエントリー。
平穏なスイスの片田舎に、日本では考えられないタイプの非営利団体がある。 その名はディグニタス、その機能は自殺幇助組織。1998年の創設以来、既に1000人以上を世「から」送りだしているという。 「顧客」のほとんどは、末期の患者や不治の進行性疾患に苦しんでいる病人だ。 病院のチューブにつながれて生きながらえさせられたうえに、無残な死に方をするのはごめんだ、と訴える人を助けることを目的としている。
ディグニタスにくればすぐに世から送り出してもらえるわけではなく、そこにはある一定の手続きがある。
・80スイスフラン(約7000円)の年会費を払ってディグニタスの会員になること
・必要なのは診療録のコピー、何故生きることが耐えられないのかを説明した手紙、1860ポンド(約25万円)をディグニタスに送る
・以上を以って医者が総合的に判断し、致死薬を処方するかどうかを決める。
・その後1860ポンドを更に払い、具体的な死の準備に入る。
上記の手続き経た上で処方された薬を、手配された施設で家族と最期のときを過ごした後に飲むと、全く苦痛を感じることなく、2〜3分で人生を卒業することになる。 そしてその模様をビデオに撮影し、警察に提出することで一連の流れが終了する。
スイスでは、安楽死は禁止されているが、自殺幇助は認められている。日本だと安楽死はギリギリ議論の当落線上、自殺幇助に至ってはもってのほか、というふうになりそうなものだが、その視点からするとスイスの法律は、言葉を選ばずに言えば非常にユニークだ。ただし、このユニークというのも、僕の理解では恐らく日本より人権に関する議論が一回りも二回りも進んだ国家ゆえのユニークさだと思う。
日本における基本的人権は、既にそのほとんどが全く意識することなく達成されてしまってはや数十年たつため、
「はて、基本的人権ってなんだっけ?」と思ってしまうぐらい、我々は基本的人権を保証されている。空気や水と一緒で、薄くなったりなくなったりした瞬間に、爆発的な憎悪を持って基本的人権の奪回は図られると思うが、そんな事態自体が今の日本で起こるとは考えづらい。
ともあれ、この記事に関して、もし日本における基本的人権がほとんど考慮していないものがあるとしたら、それは「きちんと死ぬ権利」だと思う。安楽死を尊厳ある死として、本人の意思とは関係なく家族のみの同意を根拠として渋々ながら認めた日本は、先送り体質が板に張り付いているわりにはよくやったと思う。しかしながら、よくよく考えてみれば、生きることはトラブルさえなければ80年余りあるはずで、その中で幾度となく挽回のチャンスがあるのに対し、死はほんとのほんとに一回きり、それがダメなら全て終わり、というぐらい、とにもかくにも(当たり前だけども)一回しかない。その一回を、今までの人生の総決算として、素晴らしく良い時にしたいと思う気持ちと、それを可能にする法整備というのは、本当はあってしかるべきではないだろうかと今回の記事を読んでいて感じた。
ちょっとおしゃれなウィークリーマンションにしか見えない部屋で、家族が座れるソファや、ヴィヴァルディオッフェンバックのCDもあり、近くには素晴らしいレストランや映画館、ハイキングコースまである。全く病人が過ごす部屋のようには見えない。
ただそこが少し異質なのは、「最期の時」を過ごす部屋だということだ。
勿論、読んだ瞬間に「倫理的にどーなんだ!!」という一次感情は沸いてきた、それは当たり前。しかしよくよく考えてみると、本当に人権というものを尊重する場合、それをサポートする側の(我々から見たときの奇妙な)善意だけに寄らず、彼らの経済的破綻を避け継続的なサービスを提供するためにも一定のフィーを徴収してこういったNPO事業を展開することは、全く不自然ではないように思える。それがとても不自然に思えるのは、こういった自殺幇助が日本ではまだ「有り得ない」事象であることと、もうひとつはそれをお金を取って行っているという点だと思う。
「人間の尊厳を守るためというのはまだ100歩譲って納得できないまでも許せる。だがそれでお金をとるとはなにごとだ!!」
という意見が、間違いなく出ると思う。日本はとかく、NPOや献身的ビジネス(介護士や児童保護施設の職員など、報償よりも明らかに重度の献身が上回るようなビジネスと勝手に定義)に厳しい。ここではNPOetc.の有り方や是非についてどうこういうつもりはないけれども、そういうものは基本的に善意でやれ、利益はあげるな、が基本スタンスになってしまっていると思う。しかしそれはサービスを提供する当事者からすれば極めて乱暴かつご無体な話だ。
日本の献身と欧米の献身には大きな開きがあって、欧米ではその提供者の生活を守るための適切なコストを徴収することは基本的に認められているし、そうしなければそのサービス自体が遠からず提供できなくなることも、当たり前だがみんなが理解している。だから利益を上げることも全く問題視されない。だが日本では、善意のみに頼って報いることをしないから、本当の善意のある人たちが費消されるだけ費消されて、ボロ雑巾のようになって去っていく。そういった善意ある人たちはスーパーマンのように強靭なわけでも、ナイチンゲールのように底なしの愛を持っているわけでもなく、いわゆる普通の人間で少しだけ他の人たちより愛に溢れているやっぱり普通の人間なのだということを、我々はどこかで忘れてしまっているのではないか、と思う。
話が逸れてしまった。
こういう問題を話すときに不可欠になってくるであろう価値観が、死生観。どう生き、どう「死ぬ」のか。自殺幇助組織の是非がどのような評価を受けるのかは歴史の判断を待つことにして、この死生観について、我々はどう考えるべきだろう。欧米ではDeath Educationなる、死に関する教育が既に始まっていると聞くが、日本でそんな気配はない。これは別に暗い話でもなんでもなくて、人間いつかは必ず死ぬのだから、その日に向けて、いつその日が来ても悔いがないように、1日1時間1分1秒を大切に、光輝かせながら生きていこう、そういう教育である。そんな話ならば是非義務教育のなかにでも組み込んでほしいくらいだけれども、恐らく日本でそういうことが議題に登ることはないと思う。
幕末から明治維新、終戦までは、何人たりともいつ死ぬかは、いつも手元にある極めて手ごたえのあるものだった。そういう意味で、特に特攻隊にこれから組み込まれる、確実に死が迫っているその立場にある若者の精神の成熟度はすさまじかったと言われている。しかしその後数十年たって、水と安全は無料、といわれるまでに平和になってしまい、医療水準も世界最高となってしまった日本で、死を意識することはほとんどない。どこかの誰かには関係ある話かもしれないけど、僕には、少なくともしばらくは関係ない、そういうものが死という言葉の持つ緊張感のなさだろう。この数十年で、「死」という一文字が持つ緊張感の偏差値が、ぐっと、ぐぐーっと下がってしまったようである。
どう生き、どう死ぬかを考えなくなった日本人が、なんとな〜くダラダラ生きているように見えるのは、このせいなのかもしれない。やらねばならないことを差し置いてどうでもいい誹謗中傷、政策でなく人間性批判を繰り返す、国のリーダーたち、資本主義社会だから仕方ないにしても、視聴率という麻薬に取り付かれ、とにかく意味のない批判をするために意味のない獲物探しをするメディア、それに乗せられて右往左往する暇な(僕も含めた)大衆。
もし明日死ぬかもしれない、もう来年は迎えられないかもしれない、だったら今を精一杯生きよう、そう思って全員が毎日生きていたら、少なくとも日本はもう少し良い国になるのではないだろうか。
「貴方の命はあと3週間です」

こう言われたら、残りの時間を誰と何をしてどう過ごすか、日曜の朝からパチンコ屋に並んでる暇な人でさえ、真剣に考えるだろう。 それが
「貴方の命はあと30年です」
こう言われた瞬間に、ハタとその思考が止まり、またいつもの通りダラダラと無目的に時間が過ぎるのを待つのはどういうわけだろう。
僕も痛いほど文字通り痛感しているが、人間というのは、わかっていても出来ないことがある。合理的と分かっていても割り切って行動できないことがある。それでも、この「死」というものに関しては、今まであまり考える機会がなかったゆえに、毎日少しでも、チラリとでも頭の隅に置いておくようにすれば、これまでとは違った人生を選択することができるのではないだろうか。
少なくとも今、家族を持ってかわいいかわいい娘を授かった僕は、死ぬことが何よりも恐ろしい。だから、少なくとも毎日をきちんと意識しながら生きることが、以前よりは出来ていると思う。
『パパ、パパ』と意味も分からず口ずさみ始めた娘が、『パパ、ちゅき』と言ってくれるまでは生きたい。いや、それだったらお父さん徒競走で一位になってから死にたい。いや、もう少し大きくなって、うっかり鼻ピアスの彼氏を連れてきたらボコボコにして追い返し、父の強さと偉大さを見せてからあの世へ旅立ちたい。いやいや、バージンロードで信頼できる後継者に託すまでは、でもそしたら孫を見るまでは・・・と、そうしたら、死を意識しつつも、長生きしないとな、と思う僕であった。

人生観を変えたいという弟をお寺に送ってみたPart1


『人生観変える方法を教えてくれ』といきなりテニス選手の弟から連絡があった。
な、なんだ?いきなり、とは思ったが、要は相当悩んでるらしかったので、思いつく限りのことを挙げてみた。 がしかし、
ひとつのことに打ち込んでみろ→年がら年中テニスに打ち込んでる弟には効果なし。
海外一人旅をしてみろ→最近オーストリアやインドネシアなどに遠征しまくってる弟にはもはや海外の衝撃なんてのは既知。
テニス以外のことをやってみろ→ヨガやピラティスなども既に試しているらしい。
能力開発研修に行け→行かせてみたが、スポーツ選手である以上もっと体感経験が欲しいらしい。
結論は、『俺に聞くな』と言いたいところだったけれど、こんな兄でも多少なりとも頼りにしてくれているらしい弟に応えるためにも、 色々と知恵を絞った結果、 JRのCMばりに『そうだ、お寺に行こう』という話になった。
弟がプロ行きを決心した大学3年当時、彼はインカレでなんとシングルスベスト4、ダブルスでベスト8に入ったわけだが、その当時、彼は『無』だった。 それはそれは強かったが、そのときは完全な『無』になりきれていたようなのだ。 それを思い出した僕は、とりあえず無になれば強さを取り戻すだろうと安易に考え、お寺を薦めた。 弟も完全にテニスを離れて何かを考える必要性を感じていたようだった。
で、ちょうど大学の先輩がお寺の住職をしていることを思い出したので、『かくかくしかじかで弟をお願いします!!!』と半ば強引に 先輩に押し付け、修行をさせようということになった。しかし手配している途中で、そういえば自分にも『無』は必要だ、何より弟だけずるい!!と 電撃的に思いつき、はるばる伊豆急下田まで、そしてそこから更にバスに揺られてお寺に向かった。
元々この先輩は大学のゼミでお世話になった方で、『あいつと酒を飲むと絶対潰されるぞ』という周りの評判があったので一緒に飲んだことは何度もあったが、 どう考えても先に潰れてたのはこの先輩だった。『あいつだけは坊主になっちゃダメだろう』と言われていたが、比叡山に修行で籠もって連絡が数年間一切つかなくなったり、暁に一時帰京した際には皆が彼のために集まる人気者だった。『坊主だって人間だ』と言ってはばからない、ファンキーな性格を綺麗に残したまま、ちゃんとした修行を経てファンキーな坊主に なっていった先輩だ。
一度、二人目に男の子が生まれたということなので、お祝いがてら、『なんて名前なんですか?』と聞いてみたら、住:『○○の字に、覚せい剤の覚だ。覚せい剤って言ったほうが覚えやすいだろ?へっへっへ』と素晴らしくファンキーな回答をくれた。
ということで、僕は仕事の関係上1泊しか出来なかったのだが、そんな中でも色々と話をしてくれ、座禅も短い時間ながらさせていただいた。 仲の良いご家族も我ら兄弟を暖かく迎えてくれ、充実した2日間となった。
住職とかわいいご長男   
遘      
なんとめちゃうま鰻をご馳走いただいた、感謝!!
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ドラマで宮本武蔵役の俳優が実際に吊るされたという木
木 
ほとんどが楽しい話に終始したが、やはりそこは現役の住職、たまにしてくれるまじめなお話が素晴らしく、とてもとても心に残るメッセージとなった。 特に印象的だったのは、お寺という何百年の歴史を持つ職場で、それこそ安定の一文字に尽きるお仕事なのかと思いきや、現状に対する 危機感が、個人事業主である我々と全く同じだったことだ。
赤:『お寺ってやっぱり安定してるんですか?これだけ大きなお寺だと、檀家さんもそれなりに多いですよね。』
住:『いやいや、やべぇよ。寺ってのはさ、単価も何も決まってない、念仏ちょっと唱えてお布施ウン十万とかっていう、一見すると、でも実際ボロい商売と言えなくもねーんだ。
でもよ、そんなのに胡坐かいてる寺ばっかりになっちまってよ、業界としては何も努力をしてこなかったんだよな。 ところがいまや、人口も減るし、この村なんか8000人しかいないし、人口全部がお寺に来るわけじゃないし、若者の寺離れなんて特に顕著。 だから、寺も変わらなきゃいけねーんだよほんとは。
そうやって変わろうとしてるところと、相変わらず昔のまんまでいいと思ってるところは、やっぱり差が出てきてるよな。たとえば俺は来てくれて記帳してもらった人には、毎月はがきを送ってる。 ほんとはそんなことする必要全くないんだけど、人と人との出会いじゃん?感謝の印として送ってるわけ。そうするとさ、ちょっと寄り道してきました、とかいって、わざわざこの田舎まで何時間もかけて俺に会いに来てくれる、そんな人も出てくるわけ。それ寄り道じゃねーじゃん!と思っても、やっぱり嬉しいよな。 人に感謝されるって意味ではすごいやりがいのある仕事だけど、でも昔の風習にとらわれずに俺たちも変わってかなきゃいけんよ。』
うーむ、一見すると究極の安定職である住職といえども、ここまでの危機感があるんか!と唸ってしまった。
また、
赤:『実は弟とは事情は違うんですが、人生で初めて逆風に遭ってて、無になれれば突破できると思って来ました。』
と相談した僕に対しては、
住職:『座禅してもよ、無になれるわけじゃねーぜ?ちょっと修行したから何が変わるってもんでもない。だいたいそんな簡単に人生なんて変わんねーよ。 良いときもあって、悪いときもあって、順風満帆だけが人生じゃない。ツライのを経験して、自分がいかにショボイ存在かを思い知って、そうやって人生ってのはだんだん分厚くなっていくんだ。そもそも俺だってよ、世間の常識の通用しない世界で修行して、何も分からないままこんなデカい寺の住職になって、倍以上歳の離れてる人たちに説法するんだぜ?俺の方がモノを知ってるわけないじゃん。だけど、そんな俺の話でも聞きたいって来てくれる人たちがいるんだからさ、分からないなりにも一個一個応えていかねーと。そうやってくとちょっとずつ拓けてくんだよな。』
そうかそうか、世の中の摂理全部分かってるように見える職業の人でも、悩んで苦しんで、一歩一歩しか進んでないんだな。。 僕はちょっぴり、早足を求めすぎていた気がする。
実はこのあとも、11月は(自分のせい、というのは多分にありながらも)不運に見舞われ続けたけれど、このときの住職の言葉で、『これも人生』と、何とか乗り切れるようになった。 ただポジティブなだけではいつか緊張の糸が切れてしまう。時には柳のように、起きたことを受け流すことも必要、そう、ちょっとだけ悟ることができた。
住職、ありがとうございました!
またご指導下さい。