羅王の旅の話 〜旅で泣いた瞬間〜


 

僕は2003年の2月から3月にかけて、二度目の一人旅をしていました。

僕の人生を変えたと言っても過言ではない旅の記憶を、それが僕の脳から抜け落ちる前に記録に残しておきたいと思います。途切れ途切れに記憶をつなぎ合わせていくので、ちょっと脈絡ないかもですが。

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上半身より下半身をトレーニングすべきという話を前にしたけどもう一回します


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『上半身より下半身をトレーニングすべきという話を前にしたけどもう一回します』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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昨日ご紹介した『海賊と呼ばれた男』を読み終わり、就活の時に出光興産を受けておかなかったことを、少し後悔しました。百田さん、あと12年ぐらい早くこの作品書いていてくれれば!!!シェルに行った友人はいましたが、出光興産に行った人はいませんでした。ちなみに名前が『いでみつ』に似ていた『い○みつくん』は、その名を『いでみつイッキ』という名のコールで、大学時代ガンガン飲まされてました。
それはさておき、今回の主人公もそうですが、歴史上の偉人たちに共通しているのはなんだろうと考えた時に、思い当たるのはやはり人間としての下半身の強さです。これは何度か触れている話かと思いますが、今回本当にそう思いました。
少し、ボクシングに例えます。
上半身を鍛えることは、決して悪いことではありません。相手に向かう上で戦闘力の基本となるのは上半身ですし、技を繰り出すのも上半身です。が、鍛え抜かれていたとしても、上半身に頼るというのは、得意技が決まっているということです。ルールや前提が変わったり、相手がその攻略法を編み出してきたらおしまいです。アッパーが得意な選手がいたとして、それを決め技に勝ちを量産したとします。しかしいつの日か研究されて、スウェーバック(身体を反らせて避けるワザ)を得意とする選手が現れたら、アッパー後の無防備なボディを狙われて一環の終わりです。左ストレートが得意な選手がいたとして、それに完璧なタイミングでカウンターを打てる選手が現れたら、トップから陥落します。得意技というのは、時に勝ちにもつながりますが、負けにつながるケースも非常に多いということです。
それに対して、下半身を鍛えることにはどんな意味があるかというと、これはかなり色んな意味があります。まず、どんなパンチでも打てる発射台が整います。パンチによっては下半身や腰に負荷のかかるものがありますが、それを鍛えることにより容易に打てたり、いつでも打てたり、しかも何種類でも打てたりします。キツければフットワークを使って逃げたり避けたりできます。また、柔軟な下半身はそれ自体で
相手のパンチのダメージをナチュラルに殺し、吸収してくれるというメリットがあります。ルールが変わっても、新しい基準の中で勝つための技を身に付けることができます。
『海賊と呼ばれた男』にも記されている通り、戦前戦後のビジネスというのは、極めて困難なぐらい困難を極めます。今と比べたら10000倍以上難しいのではないかというぐらい。しかもそれが何回も何回も。詳しくは本書を読んでほしいのですが、もうとにかくここまで大変なことがあるかというぐらい、様々なトラブルに見舞われます。まず前提条件が違う。戦争に負けた国に、権利の多くは認められません。認められたとしても限定的です。そしてその限定された権利の中で戦い、優勢になってくると、それを良しとしない巨大な勢力によって妨害妨害の嵐がやってきます。そしてその妨害の担い手が、戦勝国である場合はまだしも、国内にもいたりして、普通の感覚ではギブアップしかないだろうという局面が腐るほどあります。(ちなみに読んでいる間、僕だったら無理!ギブアップ!という場面が少なくとも20回は登場しました。)しかし主人公は、それらに対して一つ一つ、真正面から体当たりし、何度も瀕死の重傷を負いながらもその度に立ち上がって、ついには大企業まで上り詰めます。
この本を読んでいて気づいたのが、先の下半身の強化の重要性でした。主人公は本当に様々な手を繰り出します。そしてその一つ一つにいちいちいちゃもんがついたり妨害されたりして、そのほとんどは墜落します。しかしまた様々な手を打ちます。そしてまた妨害され、そして新たな手を・・・をなんと50年以上に渡って続けていき、いつしか独立系石油会社としては最強の地位を築いていくわけですが、仮に主人公が一つの得意技だけを持つ人間であったなら、各勝負のステージのルールが変更された段階でダウンしていたことでしょう。
そうではなく、強靭な下半身を持っていたがゆえに、現状打開のために最善と思えるパンチをいくらでも放つことができたし、完全ノックアウト級の攻撃を受けてダウン寸前の時も、あと一息というところで膝のバネが効いて耐えることが出来た、そんな感じです。それは修身という学問であったかもしれないし、教育勅語のような統一された価値基準があったからかもしれないし、戦争という激烈な経験をする中で、あの時代の男たちが等しく持っていた圧倒的な生命力のなせる技なのかもしれませんが、とにかく人間として下半身が強かったように思えます。
ちなみに僕がやっているテニスでは『手ニスではなく足ニス』と言われていますし、極真空手においても、突きよりも下段蹴りが重視されています。ビジネス界でも、小手先のテクニックよりも人間力や知的体力などの全方位的能力が重要視されるようになっています。この部分をどのように鍛えるかによって、『激動の時代』と呼ばれる時代時代を切り拓いて生き残っていく能力に違いが出るのではないか、そんなふうに思います。
二日に渡って紹介してしまいましたが、是非読んでみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

ドコモのしょーもないCMについて


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『ドコモのしょうもないCMについて』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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ドコモのドコモダケをかぶったドコモ田家のCMがイタすぎる件について。まずはこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=TRK7RcDo18w
お気づきの方も沢山いらっしゃるかと思いますが、まぁソフトバンクの白戸家のCMの完全なパクリです。見ていてイタタタタ!と思った人は多いのではないでしょうか。そして勿論、二番煎じだけあって、インパクトあまりありません。犬も出てこないし、黒人のお兄さんも紛れ込んでないし、何より上戸彩がいない!
さて、批判するのはカンタンなのですが、僕はこのCMに関して、ドコモに拍手喝采を送りたいと思います。『よくやった!』と言いたい。それは何故かというと・・・
1、王者がプライドを捨てたから
2、王者がプライドを捨てたから
3、王者がプライドを捨てたから
つまり王者がプライドを捨てたからです。
今回のCMには恐ろしい執念を感じます。元々、ソフトバンクが白戸家CMを始めたときは、日本中の頭に??が点ったのでした。何が言いたいのかよく分からないし、それでソフトバンクの製品が良く見えるわけでもない。しかしまもなく、その意味のなさが話題となり、犬が注目されたり、それにまつわる景品目当ての人が沢山できたり、ダンテお兄さんがピンで活躍したりして、なんやかんやでソフトバンクは快調を維持しました。特にiPhone導入以降はソフトバンクが爆走、慌てて発売したAUも追走して、完全にドコモは劣勢に立たされた数年間を送ってきました。ケータイという市場を作り出したのがドコモだと言っても過言はない、と僕は思っていますが、忸怩たる思いだったでしょう。
が、今回あの白戸家とそっくり同じスタイルの、よく分からないCMをドコモは繰り出してきました。どちらかというと『カッコイイ』や『スタイル』といったものを大事にしていた印象のドコモCMですが、ついにこの『意味のないCM市場』に打って出てきました。意味のないCMに意味のないCMをぶつけることで、元々意味のなさで売っていたソフトバンクのCMを本当に意味もないものにしてしまう可能性が高くなってきました。正直消費者にはどっちでもいいし、意味のないCMは一つでいい、僕はそう思います。
これは、将棋で言うところの『鏡打ち』も言えます。相手と同じ手を延々と打ち続け、どこかの局面で一気に違う手を展開して勝ちを攫う、というやり方です。相手が奇策を出してきた場合には、その奇策がそっくりそのまま真似されるわけですから、たまったものではないでしょう。
同様に、これは強者の戦い方とも言えます。元々ドコモは強いわけですから、今までタッチしていなくてソフトバンクに強みを明け渡していた部分(たぶん、いつでも出来るけどやる意味がないと思っていたのでしょう。で、放っておいたら異様なほど影響力を持ったので焦った、と。)に着手することで、あっという間に同じ土俵での勝負となりました。あとは元々の実力が勝負を決めるとなれば、ソフトバンクに勝ちはなくなります。iPhoneが解禁されたりしたら、もはや差別化は難しいでしょう。
また、ボコボコに言ってもらうことこそ格好のCMになります。その意味では、アップルを訴えて無駄な訴訟を繰り広げ、そのニュースを広告代わりにしているサムスンとあまり変わらないかもしれません。サムスンの訴訟は柔道で言えば掛け逃げみたいなもので、背負投のような派手な技をかけようとして、その実動きが派手なだけで一切力が入っておらず、審判に対する見世物にしかなっていない(それでもそれが功を奏し、相手が負けることもよくある)にも関わらず、結構有効なアピールになっていたりします。話題になるのはまずソフトバンク、そしてAU、最後に普通なドコモ、という位置関係が、ここ数年続いてきました。磐石の体制があったのでそこまで焦っていなかったのかもしれませんが、もはや純増数でドコモが一位になることはほとんどない中で、プライドも何も捨てて本気になったということではないでしょうか。
本気になったライオンほど怖いものはありません。AU一筋の羅王としては、今回の無茶苦茶なCMの繰り出し方に、ドコモの本気を見ました。これからは恐らく攻勢に出るのではないか、そう思います。王者が守りでなく攻めに移行したら、果たしてチャレンジャーは耐えられるのでしょうか。きっとそのひと振りは、ボブサップのラリアットみたいに重いはず。これからドコモがどんな手を出してくるのか、楽しみです。個人的には、この『意味のないCM攻撃』がしばらく続くのではないかと思います。そしてそれが停止した時、もはやドコモとソフトバンクに印象の差がなくなっていて、『じゃあつながりやすいドコモにしとこ』と世間はなっているはずです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

歴史の授業は戦前戦後から始めてみたら?


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『歴史の授業は戦前戦後から始めてみたら?』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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書評はその本の抜粋になるだけだと、僕の言葉ではないのでなるべく避けていましたが、やっぱり良書を読んだ時の感想や、頭の中に格納されていた過去の知識や知恵との結合によって出てくる新たなインサイトを記しておきたく、書くことにします。また、僕より沢山本を読んでいる人は沢山いるでしょうが、僕より沢山本を読んでいない人がいたら、ココのエントリの本は絶対オススメしか書かないので、是非参考にしていただければと思います。また、ある本があってそこから何を学ぶかの思考基準に関しても、出来たら自分なりにまとめておきたいと思います。
さて、本日ご紹介するのはコレ。今現在読んでる人も多いかと思いますが、
『海賊と呼ばれた男』百田尚樹

海賊とよばれた男 上 海賊とよばれた男 上
(2012/07/12)
百田 尚樹
商品詳細を見る

僕的には『海賊と呼ばれた漢』としてほしかったところですが笑。
著者の本と最初に出会ったのは、皆さんご存知、『永遠の0』。是非『永遠の0』と『海賊と呼ばれた漢』をセットで読んでみてもらえると良いかなと思います。ある瞬間に、バチッと両者がリンクします。ここら辺、著者はすげーなと思いました。ま、詳細は読んでから!言いたいことは、飲んでから!
僕は、この著者の世界観が結構好きです。戦争という行為の過ちと、そこに至ってしまった意思決定の過ちは徹底的に糾弾しながらも、そこに否応なく巻き込まれた人たちがごくごく普通の若者であったこと、そしてそのような若者たちが、大切な人を守るために、生まれた国を守るために何を考え、何を決断していったのかを描いています。両方読んでの結論ですが、あれほど縄文時代や弥生時代から始まって江戸幕府、明治維新、そして戦前戦後へと学校で数年間学んできたわりに、僕ははっきり言って歴史を学ぶ意義を、受験対策以外に見出せませんでした。ところがこの2冊を読んだだけで、歴史は学ぶべきもののトップ3には入ってきましたし、そして何より日本が、日本人ってすげーな!!!と心底思えるようになりました。希薄だった愛国心(右じゃないですよ)も、少なからず芽生えてきました。
こういっては失礼かもしれませんが、文科省のカリキュラムに従った変な歴史の授業よりも、『永遠の0』と『海賊と呼ばれた男』を3回ずつ読ませて生徒に意見を戦わせる方が、100倍歴史を理解することが出来ると思うのは僕だけでしょうか。自分のおじいちゃんおばあちゃんややそのお父さんお母さんや・・が生きた、僕たちよりほんの少し前の、そして今とは全く違う時代を学ぶことによって、歴史が一度たりとも途切れることなく今まで続いていることが認識出来るとともに、それより前の日本はどうだったんだろうという興味が湧いてくると思うのです。誰が稲作伝えたとか、どうでもいいと思うことから学ぶよりも、もっともっともっともっと大切なことを最初に教えてあげる授業に出来たら、それって素敵なことだと思うのですが如何でしょうか。
さて、著者は永遠の0では零戦戦士を、本書では出光興産創業者をモデルにしています。もちろんフィクションとはいえ、史実を忠実に再現してる部分が非常に多く、その中で歴史の教科書では決して学べないあの時代の人たちの思考が学べます。
本書および永遠の0で学べるのは以下。
・日本は文字通り灰燼に帰した。いま不況だなんだと言っても、まぁたいしたことないんだなと。全ての建物が吹っ飛び、食べ物が何もないという時代があの時代。教科書で『300万人が犠牲になった』とか、『原爆で数万人が死亡』とか、『GHQが日本を統治』とか、『サンフランシスコ講話条約で日本独立』とか、ほんの一行にしかなっていないことの中にどれほどの真実が含まれているのか、僕たちは知るべきである。しつこいようだけど、誰が稲作伝えたとかよりよっぽど大事だと思うし、江戸幕府よりも明治維新よりも、この時代の歴史からきちんと学ぶべきだと本当に思う。
・最近の若者が根性ないのと言われるのはしょうがないなと思う。はっきりいえば根性のない中年や根性のない高齢者も腐るほどいるのだが、最近の若者は!とアリストテレスの時代から言われてるぐらいだから、言われるのは我慢しましょう、しょうがないから。でも、ある程度の苦難がないと人は成長しないと思うし、あの時代程の苦難はないわけだから、あの時代の人たちが恐ろしいクオリティを誇っていたことは納得できる。だから俺たちのじいちゃんばあちゃんはすげーんだ!と心の底から思える。もっと話しておけば良かったな。でも話したくなかったんだろうな。
・不況を不幸としか考えられない人は仕方ないが、今は不況をバネに伸び上がるチャンス。あれほどの状態から立ち直った先人たちのDNAが、僕たちには刻まれてる。
・さっき書いたけど愛国心。アメリカは人種のるつぼだから愛国心という共通言語でみんなをまとめる。日本はその必要が長らくなかった。でも変に個が強調されてる現代で、価値観は多様化しすぎてる。それはもはや他民族国家といってもいいのではないか。長時間働くのが是の人もいれば、自分の働きたい分だけ働くのが是の人もいる。趣味や娯楽はなんでもできるから、昔みたいに夕食どきは力道山、番組ならNHK歌謡祭、遊ぶなら泥系やメンコ、ではない時代。常々思ってるのはいまの日本に自信がない人が増えてるのは、自分に自信があるなしの前に、その下半身となる自分のルーツに自信がないからだと。そのルーツを学べるのが本書。
ま、そんな感じです。とにかく言いたいことは読んでから。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

能力なのか環境なのか


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『能力なのか環境なのか』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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最近思ったことを書いてもいいですか。
日本では未だに英語を話せることがスゴイことのように言われていますが、アメリカでは(ヒスパニック除いて)全員が英語を話します。何故ならそういう国で生まれたから。日本人の顔をした帰国子女も、英語を話します。何故ならそういう国で生まれたから。
それなりに小さい時から塾に通っていれば、勉強することが当たり前になり、結果的に良い大学に進学するというケースが多いです。それは、それだけの量の勉強の仕方を勉強してきたからです。また、周りを見ればそういう人ばかりだからです。
同じく、幼少期からあるスポーツを徹底的にやらせ、強豪校に進学させれば、大抵の競技において全国大会ぐらいは出られるようになります。そういう目標に向かって圧倒的な努力をすることがもはや当たり前になっている仲間が他にわんさかいるからです。
上記三つはいずれも、環境という大きな川の流れに船を走らせるようなもので、努力は勿論必要なものの、わりと周囲に合わせていればなんとかなったりします。その周囲がかなりの努力をする集団であったり、そういった努力をするための仕組みが整えられていたりするからです。僕に関して言うと、高校の時に偏差値が8まで落ちたのですが、周りが異様に頭の良い人たちだったため、いつしか『俺もやればできるんだ。やってないだけだ。』と説得力0%の自己弁護をするようになりました。結果、少なくとも僕だけはその虚言を自分で信じてしまったらしく、一日16時間勉強というよく分からない生活を4ヶ月続けた後、ギリギリで大学に受かったという経験があります。
ちなみに、この逆はとても大変です。周りで大学に進学するヤツなんてほとんどいない、という地域で、それでも大学受験に向けての勉強を一人でするということは、並大抵の努力ではできません。英語を必ずしも必要としない職場の人が英語を学ぼうとすると、それが切羽詰ったものでない限りは、恐らくほぼ徒労に終わると思います。優勝を全く目指そうとしないマリナーズにおいて、自身だけは結果を出そうとしていたイチロー選手が、どれだけの努力と忍耐を必要としていたのか、想像もつきません。川の流れに身を任せるのではなく、凪の状態で船がぽつんと止まっている状態なので、進もうと思えばそれは全て自分の力で漕いでいく必要があります。結構大変です、実際。
裏を返せば、『あ、これ出来たらいいなぁ、出来るようになりたいなぁ』という事に関して、それに向けての努力が強制的に必要となる状態を作ってしまえば、川の流れに船を走らせるように、スイスイと努力を伴って進んでいくことができます。
よっぽどの天才同士の話でなければ、基本的に才能の優劣はないと思っていて良いかと思います。僕だって英語圏に生まれてたら今頃ペラペラだろうし、ヨーロッパに住んでいて国境をいくつも面している国に住んでいたら、恐らく3〜4カ国語はいけたでしょう。たぶん小さい頃からやっていれば字はうまいだろうし、柔道空手は全国大会ぐらいは出られるようになるでしょう。
何故今僕がそういうことが出来ていないかというと、それはそういうことを習得するための環境がなかったからです。僕の能力のせいではありません(開き直り)。
『これまで』は置いておいて、『これから』を議論するのであれば、『山奥で一人で野球の練習して甲子園目指すぐらいだったら、強豪校に入ってみんなで目指そうよ。』ということを言いたいです。そしてこれを、課題としている色々な部分に当てはめて、とかく苦手な『努力の孤立』を防ぐことが大事なのではないかと思います。仕組みもなく仲間もいない状態でただ努力をする、というのは、実はとてもツライことです。孤独です。何していいかもよく分からなかったりします。僕はイチローじゃありませんし、恐らく多くの人たちもイチローじゃありません。
だからまずは環境を整える。努力が価値を持つためのフィールドを造る。全て、とは言わないけれど、ほとんどのことは能力というよりは環境に依存するのだから、そこの整備さえしてしまえば、何にせよしっかりとしたレベルまでたどり着けるのではないかと思います。
環境がないのに努力をするというのは、実はとても大変なこと。僕はそこまで強くなれる自信がありません。
大事なのは能力じゃなく環境なんだとしたら、あとはどうやってそれを整えれば良いかを考えるだけです。カンタンですね!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

駄菓子の話


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『駄菓子の話』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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最近はどうか分かりませんが、昔は駄菓子を何かっちゃあ買いに駄菓子屋さんによく行っていました。もう廃業してしまっているようですが、地元瀬田の駄菓子と言えばあそこ!と全員が思い浮かべるような行きつけの駄菓子屋さんがあって、遠足がある度に通っていました。勿論遠足がなくても通っていました。そんな瀬田の駄菓子屋さんをうっかり知っている人と逢ったりすると、今でも、いや今でこそ、『おお!友よ!』と一瞬で仲良くなれたりします。
僕にとって、駄菓子は『The菓子(歯と歯に舌を挟む正式な発音だと、ダ、と聞こえる。よってザガシではなくダガシと読む) 』です。つまり、僕にとって菓子と言えば駄菓子を意味するぐらい、菓子の代表格なのです。名前は覚えていませんが、コーラやラムネの形をしたシュワシュワのあれ、うまい棒、ヤングドーナツ、むにゅむにゅゼリー、麩菓子などなど、これまで沢山食べました。今でもそれらをふと見つけて食べると、味は大したことないのに、当時の懐かしい思い出が蘇ってきて、幸せな気持ちになります。また、真面目な話をしている中で駄菓子の話をちょいちょい挟んでくる人がいたら、たぶん無条件に信用してしまいます。カラムーチョやチョコパイやパックンチョなどもいい線イっていますが駄菓子には敵いません。少し大人になって知ったGODIVAなどの高級菓子などは論外です。
で、ふと思いました。人は誰しも、『The菓子』だけではなくて、『Theマンガ(マンガといえば○○)』、『The部活』、『The地元』、『The趣味』など、『おお!!それそれ!!それなんだよ!!分かってくれますか!!』と、その話をした瞬間に目の前の人の関係が一瞬で深化してしまうような何かを抱えているのではないか、と。人間関係を構築するためのホットボタンとでも言いますか・・
今日も新たな出逢いに恵まれ、初対面の方とお話をしている時に、上記の『The○○』が炸裂しました。ちなみに、話題は『Theマンガ』だったのですが、僕の場合はドラゴンボール、幽々白書、スラムダンク、ダイの大冒険、北斗の拳、キン肉マンなどが、いわゆる『どストライクゾーン』です。これらに関する、『それ、一定以上のマニアしか理解できないよね』という閾値を超えるネタをしゃべる輩に関しては、昔からの親友のような気がしてしまいます。お互いの名前も職業も考え方も違うのに、会話してわずか5分で、『うぬもあの時代を生き抜いてきた修羅か・・・』とお互いに一瞬で分かり合える、そんな感じです。そこから先は、どちらがよりマニアかを知識を無駄に披露しあって、互いの力量を測っていく、というよく分からない状態になります。
この『The○○』は、通常主に子供の頃に形成されます。そして多くの場合、大人になってから知ったもっと美味しいものやもっと楽しいことやもっと充実感に溢れることなどは、その『The○○』に、あらゆる面で実質的に勝っているにも関わらず、満足感や幸せ感において勝てません。
また、『The○○』は、圧倒的な努力や忍耐を必要とするある特殊な経験が、自分の中でその地位に定義づけられることも多いです。例えば司法試験のためにロースクールに缶詰になって学んだ3年間とか、シゴキに耐えながらいつも限界ギリギリの線で頑張っていた部活だとかです。敵味方に分かれていたはずの日米の元軍人が戦後に会った際、同じ戦場で戦っていたことが分かった瞬間に、不思議と友情や尊敬の念が芽生える、というのも、この例に含まれると思います。
ふと思いついたので書いたまでですが、もし僕を見かけたら、『退かぬ、媚びぬ、省みぬ!』とか、『日一日とはっきりと成長が見てとれる、この上もない楽しみだ』とか、『ポップぅぅぅぅ!!』とか、『タッカラプトポッポルンガプピリットパロ』とか、『闘魔傀儡掌!』とか、言ってみてください。きっと僕は貴方のことをあっさり信頼してしまいます。たぶん何か頼まれたら何でもやってあげちゃいます。
さて、明日逢う人の『The○○』は何かな??
思いつきにつき、これにて失礼 !
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

偉大なる格闘プロゲーマー


 

シモで申し訳ありませんが、久々に、というか初めて成功哲学の本を読んでいて◯ッキしてしまいました。

読み終わったあとは興奮が収まらぬ始末。まだ今年は10ヶ月残っていますが、これを凌ぐ成功哲学の本とは恐らく出逢えないと思います。よっぽどの僥倖がなければ。それぐらいインパクトのある本でした。是非皆さんに紹介したいと思い、少しだけ分析をしたいと思います。
『勝ち続ける意志力』 梅原大吾

勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」 (小学館101新書) 勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」 (小学館101新書)
(2012/10/26)
梅原 大吾
商品詳細を見る

この本は、日本初の格闘プロゲーマー(スポンサーがお金を払ってでもプレイしてほしい人がこの人ただ一人だった、ということ。今は何人いるかは知らない。)である著者が、IT業界と同じぐらい(ま、ゲームなのでITなのですが)変化の早い業界において長期に渡り勝ち続けている秘訣を記したものです。
今まで多くも少なくもない程度の年間100冊ずつぐらい色々な本を読んできましたが、これほどまで勝利について、勝つことについて、勝ち続けることについて詳細に記した本を、僕は見たことがありません。

僕自身がゲーマーだったために(ぷょぷょ全国大会に出た。ストリートファイター2が強すぎて高校生の時に小学生に絡まれた。マリオカートは世田谷区でNo2だったと自負している。)共感出来ることが多かった、という点を差し引いても、圧倒的な熱量で勝つことと勝ち続けることの違いを、10代20代の青年が当たり前に抱く不安や不満とともに綴っています。

ちなみに年齢が僕の一つ下なので、やっていたゲームがモロ被りなはずで、当時対戦していたら、スラムダンクで言うところの『山王工業に踏み潰された海南大附属高校』状態になっていたはずです。あー良かった、井の中の蛙で。
成功哲学の本は、僕自身が変わりたいとずっと思っていたこともあって、本当に沢山読んできました。王道モノからタイトルだけのキワモノまで。今回も、そんな中の一つかなぁと思っていました。

勝っている企業を分析するドラッカーモノやエクセレントカンパニーモノにおいては、著者は基本的に勝った人でも勝ち続けた人でもありません。分析しているだけです。だからどうしても傍観者的要素が強くなります。
また、例えばスポーツ選手や格闘家などが書いた自伝は、それ自体は素晴らしいのですが、本人にしか無理だったり、あるパターンがたまたまハマっただけだったりと、標本が少ないケースが多いため、それのみを以てみなさんにも当てはまるでしょ!ということは言えないと思います。
この本は、本人が長期に渡り勝ち続けてきた、というだけでなく、途中ゲームから離れたり、麻雀のプロ目指してみたりと、当たり前のように悩みながら、それでも勝利の法則を掴んでいくという物語です。

また、勝者にありがちな『格差固定による勝利』が微塵も無い業界における勝利の軌跡なので、価値が高いと思います。僕が主催している勉強会の課題図書にしたり、子供に読ませる教育書としても使えるのではないかと思います。

(格差固定による勝利とは、例えば一回勝つことにより、その立場を利用して次も極めて勝つことが易しいという状態が続くこと。エブリデイロープライスのウォルマートに、一般の商店の価格が勝てないみたいに。ゲームの世界はそれがない。特に対戦ゲームは。)
詳細は本書に譲ります。

この本を読んた人と一度議論をしてみたいところですが、今日は『なぜ彼にこの本が書けたのか』を分析してみたいと思います。圧倒的な熱量とともに、実に緻密な自己分析がしてあって、同じ文章を書く者としては嫉妬するぐらい、言葉の扱い方が上手い。それは何故でしょうか。
読む限り、著者は大学に進学していません。また、当時の僕がそうだったように、ゲームを一日10時間以上やっているということは、ほぼ勉強もしていません。また、社会人ゲーマーになってから、介護士になってから、雀士になってから、またゲーマーに戻ってから、特に勉強に触れた形跡はありません。

勿論、一流スポーツ選手と一流文化人が、業界は違うのに話が合う、ということがよくあるように、一流は一流を知るとか、一流はその業界で極めたことを言語表現するのが上手い、という理由はあると思います。
ところが僕は、そんな一般的な因果論理だけでは、この著者のエネルギーとそれを伝える技術の高さを説明出来ないと思っています。例えば、格闘ゲーマーである著者と格闘家である有名選手とでは、この勝利に関する持説を述べさせたら、天地ほどの差が発生するように思えます。

そこである仮説を立てました。それは、
『勝利のスパン』
です。
格闘家と格闘ゲーム家の違いは、その試合間隔です。

どちらもその土俵において一流の技量を必要としますが、そのスパンが全く違います。数ヶ月の準備をして年に数回しか戦えない格闘家と違い、一日何十試合と勝負を繰り返す格闘ゲーマー。

強くなるためのプランを立て、実行し、試合に望み、勝敗の分析をし、次に活かす、いわゆるPDCAのサイクルをどちらも回すわけですが、そのサイクル数が全く違うというわけです。

格闘ゲームは一回数分の勝負ですから、一日数十回もPDCAサイクルが回ります。PDCAサイクル=カイゼンのプロセスとも言えるため、それを数ヶ月に一度、年に数回しか肉体的に回すことが出来ない格闘家と、一日数十回、年間数万回と回せる格闘ゲーマーの著者とでは、勝利を分析し研究し理論家するための蓄積量が全く違うのではないか、これが僕の仮説です。

そしてそれは恐らくあたっています。

それほど、著者の勝利に関する表現は秀逸であり、勝つためのパターンを経験値から言語化することに優れています。
格闘家の本は多いけれども、400戦無敗のグレイシーですら400戦です。著者はなんと20万対戦を軽く超えるとのこと。

圧巻です。
とにかく読んでみてください。

そして是非感想を。きっと燃えるはず。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

必勝法のワナ


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『必勝法のワナ』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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ジャンケンは、素晴らしく公平なゲームです。『ものすごいグー』とか、『最強なパー』とか、『ひ弱なチョキ』といったものはありません。『このグーを出せば、チョキに勝つのは当然として、アイコのグーも打ち砕くことができるし、パーなんて貫くことができる』なんてものはなく、グーはグーであって、同じグーとはアイコになり、チョキには勝つもののパーには負ける、ただそれだけです。
だから今ジャンケンに勝っているとしたら、それはこっちがグーで向こうがチョキだからという可能性もあります。向こうがパーを出してきたら、途端に勝てなくなります。だからジャンケンに必勝法はありません。厳密には精巧なる後出しをするとか、精神的な揺さぶりをかけるとか、統計を活用するとか色々あるようですが、そうは言っても『絶対に勝つグー』なんてものはありません。グーがチョキより実力的に強かったのではなく、グーとチョキの相性でグーの勝利が決まっていただけです。それは『必勝法』と読んでもよいもので、この法則を使えば、グーは必ずチョキに勝ちます。左バッターに左投手を当てるようなものです。
ところが、先に出たように、パーが登場すると、途端にグーは勝てなくなります。どんなに会心のグーや、神が惚れ惚れするグー、ラオウに匹敵するグーを放ったとしても、なんの変哲もないパーに負けます。あの伝説を誇った必勝法であるグーなのにも関わらず、普通のパーに負けます。それがゲームのルールだからです。
現実世界においては、たいてい後出しジャンケンが可能です。ですからある程度戦略的にグーチョキパーを後出しで配分すれば、勝ちはなんとか拾えます。でも、グーにこだわっていたら、ある日世間がパーに変わった瞬間に、以後二度と勝てなくなる負け犬と化します。
これまで、独占的地位を築いてきたり栄華を極めた多くの企業が、突然転がり落ちていきました。先日破綻したコダックは、市場がチョキだった時代にフィルムビジネスというグーを出し続け、勝利し続けました。そしてあろうことか、市場がデジカメに移行し、単なる写真屋さんがどんどん姿を消しているパーの状態に変わったにも関わらず、引き続きグーを出し続け、結果倒れました。
ほんの少し前のJALは、出していたパーが全知全能だと思い込んでいて、ただのパーなのに果敢にも同じパーやチョキに戦いを挑んでいきました。結果、敗れ続けていることにも気づかないまま、敗れていきました。稲盛さんが立て直しに来ていなければどうなっていたかと思うと、ゾッとします。
一般の僕たちも、今勝っているのであれば、それがチョキに対するグーのおかげで勝っているのか、それとも実力が本当にあって勝手いるのかをよく見極める必要があります。今負けているのであれば、それが本当に実力不足なら、地道に実力を伸ばす方策をいくつも考えなければなりませんが、もし相性の問題で負けているのであれば、出す手を変えたり土俵を変える必要があります。エスキモーに氷を売ることは難しくても、砂漠の遊牧民に氷を売ることはとてもカンタンだからです。
世の中の本を見渡すと、一般的には勝利に関する本が多いように思います。どうやったら勝てるか?に重きを置いています。しかしその際に、グーを出してチョキを倒そうとしているのか、それとも小さいグーに鍛え抜いたグーをぶつけてグーそのものを破壊しようとしているのかで、取るべきアクションがかなり変わってきます。そしてその手を出し続けることで、『必勝法』がいつの日か『必敗法』にならないとも限らないことを、僕たちは肝に銘じておく必要があるように思います。
勇者は誰に対しても強く在ることができますが、それ以外の人に関して言うと、心臓病の悟空はエネルギー吸収型の人造人間に弱く、暗黒騎士はアンデットにダメージをあたえることができず、バクテリアンの体臭はクリリンには効かず、渡辺まゆゆはこじはるに決して勝てず、ベジータは悟空に勝てず、三井くんは山王工業一之倉くんに勝てないのです。今挙げたいくつかはグーにチョキが勝てない典型であり、いくつかは子供のグーに格闘家のグーが勝つ理由の典型を示しています。マニアックですみません。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

あちら側とこちら側の違い


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『あちら側とこちら側の違い』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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今日は『あちら側とこちら側の違い』について考えてみたいと思います。
僕は父がデカイ漢のため、小さい頃からデカくなりたいと思っていました。183cm85kgという、元アメフト選手としても、外資系で戦う戦士としても中々の体格。絶対にケンカでは勝てず、腕相撲では瞬殺され、むかついた時に『じゃあ俺の尻を殴ってみろ』と言われて本気で殴ったら、手首を捻挫しました。デカくなればこんな父を地面に沈めることが出来るほどの強さが手に入る、そう信じていました。中一で153cm38kgの可愛い男の子で、高校三年で確か179cm63kgほどの標準体重となりましたが、テニスや極真空手、そして暴食暴食を経て、今87kgになりました。運動全盛期の高校の時と比べても、Quarter Centuryものの増加です。結果、目標としていた80kgを大きく超えて今の体重になったわけですが、超えても特に何も起こらなくなりました。強いて言えば、『羅王さんガタイいいですね。何かやってたんですか?』『いえ、そう思われると心外なんですが、太ってるだけです。』という人とのやり取りが増えただけです。
中学校高校大学と全て受験しましたが、その度に、○○中学に入ったら毎日ハッピーなはず!○○高校に入ったらバラ色なはず!○○大学に入ったら楽園なはず!と思って頑張りました。中学に入学したら普通だったので高校に、高校に入学したら普通だったので大学に、大学に入学したら普通だったので会社に、良い未来を求めていました。しかし、進学してみてそこに待っていたのは、何も変わらない普通の日常でした。
今年で社内の表彰制度である社長杯は、入社から7年連続での入賞となりました。25歳で老け顔を利用して入社するという暴挙に出た関係で、この記録は未だ社内最年少だと思います。1回目を目指してた時は、社長杯というのは化物の巣窟のように思えました。1回目入賞したときは、やっぱり化物の巣窟だと思いました。3回目ぐらいからなんとなくそこにいるのが当たり前になってきて、5回目ぐらいからそれを落とすのが有り得ないという認識と立場になってきて、7回目を迎える今年は、誤解を恐れずに言えば、(家族やお客様に支えられてということには200%の感謝をしているのは当然として)空気を吸い、水を飲むがごとく自然に達成していました。
あちら側とこちら側を隔てるあらゆる障壁は、とてつもない防御力を誇る巨大なる要塞に見えます。遠くからでも勿論圧倒されるので、そこに近づくことを決意することすら難しく、万一行動することを決意できたとしても、近づけば近づくほど大きさに圧倒され、やっぱり自分はここに来るべきではなかったのではないかと、一歩踏み出すごとに思い知ります。
ただし、ひとたびその要塞の入口まで来て、その凄まじい防御力を誇る城壁を触ろうとすると、それが高度なホログラフィで表現された偽物であるということが分かります。SF映画のように途端に要塞は消え、また新たなる要塞が遠くに遠くに見えるようになります。ハリボテの城と一緒でそこに脅威は何もなく、ただ淡々と次なる要塞への道が続くのみです。
こちら側にいるときは、あちら側のことはなにやら神秘的に見えるものです。想像も出来ない充実感や達成感や快感、想像も出来ないステータス、想像も出来ない拍手喝采、そしてそこにたどり着くまでの想像も出来ない努力。人は知っていることしか知らないので、知らない世界のことは必要以上に畏敬します。
しかし、なんにせよあちら側にたどり着いてみると分かります。決してそこにはレッドカーペットが引かれておらず、割れんばかりの拍手の中、ハリウッドスターのように歩けるわけではないことも。
実は、あちら側とこちら側には、何も違いはありません。強いて点数をつけるとすれば1点分、あちら側がこちら側より良いだけです。ただ、皆さんの頭の中ではどうでしょうか?きっと、タッチする前の要塞ホログラフィーのような、無駄に強烈なインパクトを持つ壁が、さも『ここからそっちとこっちはぜーんぜん違いますよ!!だからしっしっし!』とのたまっているかのように君臨しているはずです。人間の意識というのは、それほど既存の強烈なる習慣に引き寄せられます。自分が当たり前と思っていること以外は異常に見えるのです。だから自分が理解できる範囲の世界に安住しようとします。ちょうど格闘家の方がチューブを巻いて前にダッシュするかのように、目的地が近づけば近づくほど、強烈な巻き戻し力によって、引き剥がされるようになります。そして元に戻ります。
何度も言いますが、あちら側もこちら側も本質的には何も変わりません。あるのは、あちら側とこちら側を隔てている僕たちの脳内の壁、要塞だけです。自分史を振り返って未来を予測してみると、今掲げている目標も、結局達成してみれば『こんなもんか。(ふぅ〜)』で終わるのではないかとおもわれます。ですから大事なのは、目標を達成することそのものよりも、目標を達成する過程で経験したあんなことやそんなことを、楽しみながら自分の血肉にし、成長させていくことなのではないかと思います。
長くなりましたのでまた改めます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

羅王はすごくエライ


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『羅王はすごくエライ』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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中学生の時の思い出話。当時、僕には大好きな大好きなゆりちゃん(仮)がいました。大好きといっても、恋愛感情ではなく、なんか一緒にいると楽しいみたいな。ある日、まだ携帯もなかった頃なのでゆりちゃんの家に電話をかけ、電話に出たゆりちゃんとと10分程話をしました。しかし何かがおかしい。会話が全く噛み合わない。今日話したはずの話も伝わらないし、あっちの言ってることも分からない。。
ねじれの位置な会話を10分程したあとに、もしやと思って念のため確認してみると、案の定、僕がしゃべっていたのは、ゆりちゃんに瓜四つな声帯を持つと噂のえりちゃん(妹)でした。僕の名前は略してAKBですが、えりちゃんの同級生にも、まさにあのオタクのメッカの駅名のような名前のAKBくんがいて、今で言うところの『俺だよ俺、AKBだよ!』と僕が話をし始めたので、そんなに仲良くない(えりちゃんの学校の)AKBくんから電話が馴れ馴れしく来たことになぜだろうと思いつつも、まぁいいやと思いながらえりちゃんはお話を続けていてくれたのでした。20年近く経ってまだ双方が覚えているほど、衝撃的な事件でした。
3年ほど前、T先輩は、更に先輩であるK先輩とともに、九州出張をしていました。朝1で福岡空港から入り、博多や佐賀での仕事を済ませ、二人はそれぞれのアポのために一旦分かれました。『じゃ、あとで空港でな!』と約束をして。夕方、T先輩は福岡空港に着いた際、K先輩に電話をしました。
T:『K先輩、どこにいますか?』
K:『もう着いてるぞ。今2階だ。エスカレーター上ったところにデカイお土産屋さんあるからそこに来い。』
T:『分かりました。』 
T先輩はエスカレーターを上りましたが、デカイお土産屋さんの前に来てもK先輩が見えません。先輩を待たせるわけにはいかないのでキョロキョロ探しますが、見つかりません。恐る恐るもう一度電話します。
T:『K先輩、今エスカレーター上りましたけどどこですか?』
K:『デカイお土産屋さんの前って言っただろ。早くこい。』
T:『え??でもエスカレーター上ったのに見当たりませんけど』
K:『いるっつってんだろ!早く来い先輩を待たせるな。』
・・・
・・・
T:『K先輩、今どこの空港にいますか?』
K:『熊本空港に決まってるだろうが。』
福岡空港にいたT先輩と、熊本空港にいたK先輩は、空港内部の構造が似ていたこともあって、数百キロ離れた所で5分ほど会話していたのでした。
僕は20代のほとんどを、名古屋で過ごしました。社会人になったら一人暮らしをしてみせる!と意気込んでいたら、うっかり飛ばされた格好です。名古屋にいるときは行動範囲が広く、名古屋市から豊橋、田原といった、目的地まで1時間半〜2時間級のアポを精力的にこなしていました。はるばる名古屋市から来たというと、お客様によっては
『羅王さん結構エライでしょ?』と言ってくれます。決まって僕の返答は、
『いやいや僕なんてそんな・・・(まだ偉くないです。まだ新人です。)』=地位に関する言及
『いやいやこれしきの道のり、○○さんに会うために来たんですから、お時間頂けるだけで光栄です』=ここに来るまでの努力の総量に関する言及
と謙遜するのですが、あとで聞いて真っ赤になりました。ご存知の方も多いと思いますが、名古屋弁では、
『エライ』=(ただ単に)疲れる
という意味です。偉いとかスゴイとかいう意味は含まず、ただの『疲れる』です。だから、『羅王さん疲れたでしょ?』と聞かれていただけなのです。それを、『あなたの身分が偉い』とか、『わざわざここまで来た努力が偉い』とか勘違いしていたため、無駄に謙遜をするハメになり、無駄に恥ずかしい思いをすることになりました。まぁ、なんか変だなと思いつつも、僕の大いなる勘違いをお客様が気づかなかったようなので、よしとしましょう。
上記はほとんど冗談みたいな出来事でしたが、何を言いたかったかというと、僕たちは普段、誰かと同じものを目指し、同じベクトルを向いて話をしているているつもりが、実は全く噛み合っていないということもよくあるのではないかということです。
思想において、資本主義と共産主義は、どちらも人々の幸せを願って考え出されました。しかし片方は(問題は多々あるものの今のところ、しかも物質的にという限定条件付きで)実際に人々を豊かにし、もう片方は歴史的には悲劇ばかりを生み出してきました。人々の幸せのために考え出されたはずが、数十万、数百万の命の粛清と虐殺を行ってきたのです。しかも不思議なことに、どちらも自分たちの考え方が人類の発展に寄与する一番手であることを諦めようとしません。
家庭において、家族を幸せにするという目的はほぼ全ての家で共有されていると思います。しかし、パパは時に家族を犠牲にしてでも働くことで成し遂げようとし、ママは限られた家族の時間を最大化することで成し遂げようとします。同じ方向を向いていたはずなのに、言っていることが全く噛み合わないのです。パパは会社で偉くなることが家庭でも名声を得るであろうことに固執しますが、ママや子供から見た時に、社長パパと係長パパは社長パパが偉いわけではなく、どちらのパパだろうが、家庭に多くを割いてくれるパパが偉いパパなのです。これは結構男性には残酷な事実です。数十年連れ添った妻のことすら分からない(で時に熟年離婚を突きつけられる)のに、他人のことなんて分かるはずがない、と良く言われているのも、その証左かもしれません。
このように、同じバックグラウンドを共有し、同じビジョンを共有している(と思い込んでいる)としても、実際に本当に同じことを考えているかどうかに疑問符が付くことはよくあります。であるならば、よほどのことがなければ油断はしてはいけないということにも繋がるのではないでしょうか。あの人は自分と同じ考えのはず、家族は理解してくれるはず、など、独りよがりな人類皆兄弟理論に落ち着いている可能性もあります。答えがあるわけではありません。しかし、自分の意見と他人の意見が必ずしも同じではないかもしれないと思ってコミュニケーションに臨むのと、そうでないのとでは、徐々にではありますが物凄く大きな差ができてくるのではないでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!