人間が変わるための3つの方法という格言について


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『人間が変わるための3つの方法という格言について』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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日本のトップ戦略コンサルタントといえば、言わずとしれた大前研一さんですが、有名な格言にこんなのがあります。
『人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは決意を新たにすることだ。』
最後の行に衝撃を受けた方は結構多いような気がしますが、まさか決意の権化のような人が決意は無意味と断じるとは・・・
さて、僕の中では少し解釈は違って、世の中には
1、決意を新たにすることでスルスルっと変わっていける人
2、それ以外の人
に分かれます。そして、2、それ以外の人も二通りに分かれ、
2-1、時間配分を変えたり住む場所を変えたりつきあう人を変えることで人は変われると思って、時間配分を変えたり住む場所を変えたりつきあう人を変えることにスルスルっと取り組める人
2-2、時間配分を変えたり住む場所を変えたりつきあう人を変えることでで人は変われると思っても、それをなかなか実行出来ない人
のように分類されます。僕は(これからは違うぞ!という意味を込めて)基本的に2-2でした。
世の中にはいろんな人がいて、そもそも0な人(決意もしてないのに成果出しまくり)もいます。これは天才です。1の人は、ダメな時期があって、大病なり経済的困窮なり悲劇なりに見舞われて、これじゃダメだと気づいてすぐに変わった結果うなぎのぼりで成果を出していく凄い人です。これもある意味天才で、その才がしばらく隠れていただけです。
元から優秀な人は、ある理論を理解するとそれをすぐに実践します。そこに躊躇はありません。良いと思ったことに素直にすぐに取り組める人達です。2-1の人はそうです。
が、ほとんどの方は2-2なのではないでしょうか?いや、2-2でいてほしい。なぜなら僕が2-2だから・・・笑
この数ヶ月、ある師匠に師事していて、2-2の僕でも『なかなか変われない人』から『変わり続ける人』になるために何が必要かということを徹底的に学んでいます。僕は1500万円を超える自己投資歴の中で、本当に多くのことを学んできました。学んできましたが、知識が増える一方で、理想の姿とのギャップに苦しむようになりました。学べば学ぶだけ、自分が到達できる域というのがとんでもなく高いところに設定できるということがわかります。しかし自分はいつまでたってもそこに行き着きません。勿論成長はしていますが、その速度に苦しむようになったのです。
向かい風が強すぎるのか、道路が悪いのか、それともエンジンやタイヤに問題があるのか、自問自答する日々でしたが、最大の問題はドライバーである僕そのものにあるということが分かりました。つまり、結構いい車に乗っていて、結構舗装された道路を走っていて、勿論向かい風どころか無風かむしろ追い風なのですが、肝心の僕がアクセルをうまく踏めていなかったのです。クラッチがうまく合わず、いつもガタガタ走りに・・・
今学んでいるのは、それなりのスペックに仕上がってきた車を運転する技術、つまり僕という乗り物を操縦する技術です。もっと言えば、その操縦技術が上達し続けるためのシステム作りについてです。この視点での学びはいままでしてこなかったので、この数ヶ月の自分の変化には驚くばかりです。今までは向かい風の交わし方、道路が悪条件下での対処の仕方、車の改造の仕方ばかり学んできましたが、一番の基本である運転技術については、そういえば放置してきてしまっていました。
人間、自分が出来ていると思い込んでいることについてこそ、実は一段か二段高い視点から見た時に一番出来ていなかったりします。平たく言うと習慣だったり思考回路だったりするのですが、そこに手を入れる技術を学ぶことによって、誰でも変われるということを、今まで以上に証明していきたい、そう思って今も毎日学んでいます。
目指すところは、その方角と距離と手段さえ分かってしまえば、意外とチョロイものです。問題は、目指す方角と距離が合っているのにその停留所につかないバスに乗ってしまったり、場所がわかっているのに反対方向に向かってしまったりすることです。自己省察の毎日ですが、これからの変化はきっと逓増していくと思いますので、三日か三ヶ月か三年か分かりませんが、男子変わりますので、刮目下さいませ!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

WBCのあのプレーの評価


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『WBCのあのプレーの評価』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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少し前の話ですが、WBCがありました。対台湾戦で勝利に直結したスチールを決めた鳥谷選手は大絶賛、英雄視され、その後何回も特集されました。かたやプエルトリコ戦で敗因の一つとなったダブルスチールの失敗は、その後ボコボコに取り上げられ、山本監督を含めた何人もの『戦犯』が誕生してしまいました。
さて、英雄と戦犯の違いを分けたものはなんだったかというと、コンマ数秒の世界のタイミングの善し悪しです。たったそれだけ。たったそれだけで、天国と地獄に分かれてしまいました。
で、僕が気になるのは、結果が逆だったらどうなってたの?ということです。もしあのギリギリのスチールが相手捕手の強肩に阻まれていたとしたら、鳥谷選手は果たして英雄になれたのでしょうか?あれは英断だった、素晴らしい走りだった、しかしタイミングと相手が悪かった、と許されるのでしょうか?恐らく違います。今回の戦犯になってしまった方々と同様に、戦犯扱いとなっていたはずです。ボコボコにされたはずです。同じタイミングで同じ素晴らしいダッシュをしたとしてもです。
そして散々罵られたアバウトな指示や戦犯となった方々の判断の遅れは、もしダブルスチールが成功していたら、あの手この手であらゆる角度から賞賛されたことでしょう。あのアバウトな指示が選手の自主性を引き出した!とか、迷ったことが逆に素晴らしいフェイントになった!とか。たとえそれが同じようにアバウトな指示で、同じような判断の遅れが発生してたとしてもです。
つまり、やっていることは同じでも、たまたま出てしまった結果の如何によっては、それが最高にも最悪にもなる、それがプロスポーツの世界です。スポーツだから仕方ないことなのかもしれません。しかし、ほんのちょっとの差やたまたま発生したことに対して、人格や能力まで全肯定したり全否定したりをコロコロ変える『評論家』は好きになれません。それに迎合する人もです。素晴らしいプレーは素晴らしい、それで良いのではないかと思いますが、プロスポーツ故に結果が全ての評価を分けてしまいます。
世界が違うから仕方ないのかもしれませんが、僕は日常の生活において、そして自分の目の届く範囲においては、少なくともこの評論家視点をやめようと思いました。勿論メディアはそういうのを煽るようにしか出来ていないし、じゃあ何で評価するんだという別の問題が発生するにしても、そもそも生きている間に全てを評価しなければならないわけではありません。特に否定的評価に関しては、その多くが不要のように思えます。
『美点凝視』という考え方を最近特に大事だと感じています。鳥谷選手のプレーも、件のダブルスチールも、どちらもプロスポーツ選手の身体能力と決断力を最大限引き出した素晴らしいプレーだった、そのようにプレーを見た時に思えるような心の広い漢になりたいです。今はまだ山本監督にキレちゃうかも・・・?そして当たり前の話ですが、『評論家』ではなく、『プレイヤー』でありたいと思います。例えタッチアウトになるとしても、全力でプレーしたそれは、遠くから見てギャーギャー言うことよりよっぽど価値があることだと思うのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

ブログのレベルあれこれ


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『ブログのレベルあれこれ』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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昨年11月からかれこれ半年近くに渡って毎日ブログを書くということを日課にしてきました。ネタがバンバン湧いてくることもあれば、書くことがなくてなくて困ってしまうこともあるのですが、書くことによって人生に何が起こってくるかについては、それなりに人に話せるところまで来たかなと思っています。
ブログを書くことを始めて以来、最初にテーマになったのは何を書くかということでした。そしてそれは悩んだ末、何でも良いという結論に達しました。が、後で出てくるように、それは必ず何らかのインサイトを含んだものであるように心がけてきたつもりです。
次にテーマになったのが、どう書くかということでした。これは結構難題で、自分の中だけでは解決出来なかったため、いろいろな人と意見交換し、いろいろな人にブログ部門師事をしました。そして勿論多くのブログを読み、ある程度のカテゴライズが頭の中に整理できた気がするので、記しておきます。
ブログには、善し悪しや強弱や好き嫌いは別として、『あくまで僕の中では』次のような区分けがあります。
レベル1:亀仙人の所で修行し始めた頃の悟空
書くことを始めた感じ。書くことがまだストレスな感じ。書いても何書いてるか分からない感じ。誰でもここからスタートする感じ。とりあえずよくわかんないけど亀の甲羅を背負って畑を耕し始めたところ。
レベル2:天下一武道会の決勝でジャッキー・チェンに負けた頃の悟空
ただ起きたことを書いているだけ。○○が美味しかった、○○に行ってきたという事実に基づいた記述をしているだけなので、さして書いてる本人以外に与えるものはない。ただし、芸能人ブログはこういうのが非常に多いしそれに喜ぶファンも多いので、それはそれで良いのかもしれないが僕は全く面白いと思わない。でもこじはるがブログ書いてるから読んでみようかなとは思ってる。この領域では書くことはある程度、苦ではなくなってきている。それなりに強くなったが勝つための戦い方という型はまだ身についていない、とりあえず内に溜まっている力を無秩序に吐き出している状態だが、経験のあるジャッキー・チェン(=亀仙人)には負けちゃう。
レベル3:ラディッツにボコボコにされた頃の悟空
○○が美味しかった、○○に行ってきた、という事実の記述から一歩進んで、そこから何を学んだか、教訓は何か、何に応用できるかを考え、伝えようとしているレベル。でもまだそれがうまくできないため、最初に言おうとしたことと最後に表現していることがちぐはぐになり、自分でも何を言ってるかイマイチ分からなくなる。文章量は飛躍的に増え、なんだかんだとブログらしくなってくる頃。そろそろブログの構造ということについて考え始めないと、伝えたいことが正しく伝わらない可能性がでてくる。天下一武道会では優勝したが、生まれながらの戦闘のプロであるサイヤ人には、手も足も出なかったのは周知の通り。関係ないが、この頃魔貫光殺砲で友達を貫くのが全国で流行ったと思う。
レベル4:界王拳を使いまくってる頃の悟空
ある程度構造的に自分の主張をまとめることができ、自分の伝えたい風景を読み手にイメージさせることが出来る。左脳的表現と右脳的表現、具体と抽象、演繹と帰納を駆使し、伝えたいことを伝えることができる。例えるなら、ガードを固めた相手にもストレートだけでなくジャブやフックやアッパーやスリークォーターからのパンチを駆使して、顎に命中させることができる。そんなレベル。このレベルに至ると、大抵の人は『コイツすげー!』となる。でも同時に、『俺にはムリだな』と思わせてしまう苛烈さがある。悟空がそれ以外のZ戦士たちと実力が大きくかけ離れ始めたのが、強襲サイヤ人編において界王拳を使い始めた頃から。相手を効果的に倒すために戦闘力を可変化する界王拳という必殺技によって、結構強い敵から超強い敵まで、バッタバッタと倒しまくった。
レベル5:元気玉を使えるようになった頃の悟空
上記のレベルに加えて、それが勇気を与えるインサイトとなり、読み手の人生にまでポジティブな影響を与える。思考だけではなく行動に働きかけることにより、巡り巡ってその人の人生までが変わってしまう、そんな強烈なレベル。ブログという完全デジタルな世界であるにも関わらず、その文章には熱き血が通っており、画面を通して強烈な衝撃を読み手に与える。ブログ界の女王であるChikirinさんはこのレベルかなと思うし、僕自身も勿論ココを目指している。もっとも、頂上は雲に覆われてなかなか見えないけれど。。。元気玉というのは、地球なら地球のあらゆる生物からちょっとずつ元気を分けてもらって強大なエネルギーボールと化し、それを相手にぶつけるもの。このレベルのブログは逆元気玉というか、ブログというエネルギーボールによって読んでくれた人にちょっとずつだけだけど元気を分けてあげることが出来る、そんな素晴らしいもの。
面倒くさいので強襲サイヤ人編までの例えとしましたが、こんな形に分類できるかと思います。現状僕はどこにいるでしょうか?自己分析でいうと、大体レベル3と4の間ぐらいでしょうか。たまに会心の出来と思えるエントリが書けたり、自分でも全く何書いてるか分からないエントリがあったりするのですが、そのレベルを全体的に引き上げ、均一化し、再現性を持たせることができれば、いつの日かこのブログの目的とするところの、『どこかの誰かの一歩を踏み出す勇気の源となる』ことが実現できるのではないかと思っています。
じゃあどうやるの?ということについては、これから考えます。上記の例えがイマイチ分からなかったという人は、人生の必読書ですので急いでドラゴンボールを読んで下さい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

もっと頑張りたい人へ


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『もっと頑張りたい人へ』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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師匠の一人と仰いでいる方との会話。『頑張りたいのに頑張りきれないんです。トップの人たちはもっと働いてるし、僕はこのままではとうてい彼らに追いつけません。お客様にももっと貢献できる人間になりたい。でもどうしても最後のひと踏ん張りができないんです。どうしたらもっと頑張れますか?』と聞いた僕に対し、師匠はこう言い放ちました。
『そうか、じゃ、休め。』と一言。
この世の中、よく分からない次元にいる人は、大体よく分からないことを言います。どこかに翻訳機能付き会話機ってないものでしょうか。
翻訳意訳すると以下のようなことです。
『ダラダラ休むのではなく、狙って休むこと。そこを休むと決めて安む。それ以外の時間はアホみたいに仕事をする。しかし、それを決して続けてはいけない。一日のどこかで自分を解放する時間を作らないと、頑張れない。頑張れない奴に限ってきちんと休んでないから、だからパワーが充電されずに、それでやっぱり頑張れない。』
分かっていたことですし、誰か他の人にアドバイスを求められたら、ほとんど全く同じようにアドバイスすると思いますが、いざ自分が言われてみると、
『いや、そうじゃなくて、もっと頑張りたいんです!!』と、一粒の反感を感じてしまいました。要するに、仕事をしている時間に究極的なまでの生産性で働いているわけでもないし、全体的にダラダラしているにも関わらず更に休むというのは勇気のいることであって、また、僕のような人間が休む資格などないのではないかという自分不信があり、そういう感情を抱いたということです。
しかし師匠の一言は単純明快で、
『だから休め。』とのこと。
そんな状態だからこそ休むことを生活のリズムに入れることで、メリハリのハリ(メリ?)が更に充実して密度が濃くなり、結果として良い方向に舵を切ることが出来る、ということでした。
ということで渋々ながら、今年は週一日(程度)は休むことにしました。考えてみれば、そんな当たり前のことすらこの仕事についてからしておらず、だいぶ奥さんには迷惑をかけたことと思います。またもしかしたらそれ以上に、自分を蔑ろにしていたような気がします。反省しました、はい。
マラソンもそうですが、適度に戦略的に補給を行わないと、前半のペースが早いだけのペースレーサーになってしまい、早晩ガス欠を起こしてリタイヤすることになります。人生全体にも言えることでしょうし、個人事業主というあまり守られていない微妙な立場でも、きっとそうなのでしょう。
しかし、プロスポーツ選手でもそうだと思いますが、休むということには、ある種の、というかかなりの恐怖が伴います。一日休むということは、そこでできたはずの練習や仕事をしないという選択をしたことと同義だからです。でも休まないスポーツ選手はやっぱり落ちてきます。ココが難しい。。勇気が要ります。
ということで、これからは勇気を持って休もうと思います。リラックスするために休むのに、そのために勇気が必要なんて、なんかへんな感じですね。
頑張ります。あ、いや、頑張らない。でも頑張って休みます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

機内食の頼み方


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『機内食の頼み方』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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6月に控えるアメリカ出張(でも自腹泣)の手配で諸々手間取っています。マイルでビジネスクラスに乗ってふんふんしようと思ったら空いてないとかいうし、じゃあエコノミーにしようと思ったら他の人より高い料金提示されるし、散々な目に遭いました。現地に行くと強いのですが、手配に関しては弱いため、四苦八苦した後HIS御大に駆け込み、助けてもらいました。
さて、航空券の手配をしていて思い出したのですが、皆さんは機内食に関してどうされているでしょうか?どうされているかというのは、例えばchicken or beef? と聞かれた場合です。健康を気にする人はchickenを選ぶ傾向が多いでしょうし、肉食な人はbeefを選ぶことが多いでしょう。
ちなみに僕は、毎回100%ではありませんが、特に国際路線の対外人CAさんにおいては’Both!!!’と叫ぶことにしています。何度か試したのですが、日系CAの方々からは冷たい視線が送られることが多いからです。外人CAさんだと笑顔で拒絶してくれたり、真剣に考えて余ったらちゃんとくれる場合があります。85kgを超える体重を維持するため機内食ではちょっと満足しきれない僕も、さすがに二種類食べられればおなかいっぱいです。機内食を二種類も贈呈してくれた航空会社ということで僕の記憶に残り、以後乗る時には優先して航空券を購入することとなるでしょう。僕のような人間に対しては、機内食マーケティングが出来るわけです。
さて、ここで大事なことは、『言わなければ絶対に機内食は二個食べられない』ということです。当たり前ですが、多少の予備はあるにしても乗客の数に合わせて機内食を準備しているため、それなりの理由がなければ機内食は余らないということです。また、そんなに余るわけでもないものを、わざわざひとり一人声をかけて、食べる?食べる?と聞いて回ることもないわけです。僕のように勇気を振り絞って’Both!’と答えた人間の元にだけ、福の神様に見初められた残り物が来るわけです。一つでおなかいっぱいにならないからといって、事前に売店でサンドイッチを買う卑怯者や、同じくおなかいっぱいになっていないのに自分の意見も素直に発信できない臆病者の元に、エクストラな機内食は来ません。自分の望むことをストレートに発信したからこそ、願いが叶ったのです!
ふぅ、少しアツくなりすぎました。。
というわけで、実はこの『とりあえず言ってみる』という勇気を持つかどうかは、僕のような大した力を持たない一個人が何かを成し遂げようとしたときに、結構重要な役割を果たすことが結構多いということを知っているか知らないかで、本当に成し遂げられるか夢想に終わるかがはっきり分かれるということ、どれだけの人が理解しているでしょうか?
成功する人というのは、一部の例外を除いて、ほぼ全ての人が誰か他の人から応援されて成功しています。人生を通算してもその数分の一から数十分の一の成功に留まるであろう一般の個人にとっても、実はそういった応援をされることによって、望むものが近づいてきます。
高校野球に燃える球児達に大人が燃えて萌えるのは、そして応援してしまうのは、彼らが勝ちたいということを明確に知っているからです。同様に、人が人を応援するとき、そこに何がしたいか、何を望むのかの意志がはっきりしていてはじめて、応援に力を込めることができます。何をしたいか分からない奴を応援するのは、ちょっと僕には難しいです。
じゃあ何を目指しているのか?を明確にするには何をすべきか?ということですが、それにはまず、『とりあえず言ってみる』ということが第一歩になるのではないでしょうか。僕の機内食の例は応援されてるかどうか別ですが、それでも子羊のようなウルウルした目で『機内食、もう一個ちょうだい?』とお願いしているわけですから、CAさんの母性本能がくすぐられていたとしても不思議ではないでしょう。
そう、とりあえず言ってみることが大事です。僕がそれを聞く立場だったらどう考えるか?ということに関しても、例えば誰か知人が明確にやりたいことがあって、そしてそれを僕が知っていて、更にその手伝いをする能力や技量が僕にその時点で備わっているとき、恐らく、というか確実に僕はその人をサポートするでしょう。反対に、知人がどうしようもない状態に陥っていて、しかもそれを微力ながら助ける力が僕にあるとわかっている場合は、間違いなくその微力を僕は捧げます。いずれの場合も、僕がそのことを知っている場合に限りですが。
回りにいる大なり小なり夢を叶えている人を見渡しても、やはり不言実行よりは有言実行の方が多いです。それは、言葉にして『とりあえず言ってみる』を繰り返した結果、その願いを叶えるために数多くの微力が力を貸した結果なのではないかと僕は見ています。
そういえば僕の奥さんは、『とりあえず言ってみる』の嵐で、難関と言われるEXILEのチケットを毎回もぎ取ってくる人でした。当たらなければ誰かがくれるという好循環スパイラルに入っています。すごいですね。
ちゃんちゃん。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

フェラーリ8台のお医者様


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『フェラーリ8台のお医者様』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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仕事柄、パートナーという意味でもお客様という意味でも、様々なお医者様とお付き合いがある僕ですが、今まで見てきた中で一番ぶったまげたのは、フェラーリを8台持っているというお医者さんです。医院も持っていて、後継者もいるのに、年間360日近く、しかも本拠地から出張も多い中で働きまくるという結構凄い人でした。しかもしかも、それらのフェラーリに乗れないという。。。もはや一生働かなくても全く困らないんじゃないかと思えるような方です。
このお医者さんに聞いたことがあります。
『先生、そんなにお金あるんだし、もう働かなくてもいいんじゃないですか?休んでみたらいいじゃないですか。』
すると先生は、
『ふぇっふぇっふぇ、そうなんですけどね。こないだも、モナコにF1見にいこうゆうて、朝方ついてF1見て、その日の夜中にとんぼで日本帰ってきましたわ。』
とのこと。なんで?なんで?疑問が収まりませんでした。なんでモナコまで行って、1日も経たずに帰っちゃうの???すると先生は明確に答えてくださいました。
『だってね、羅王さん。クソ忙しい中遊ぶから楽しいんやないですか。ずっとお休みでずっと暇で、そんなんでモナコ1ヶ月行ったってなーんも楽しくないですよ。』
どーん。響きました。心に響きました。さっさと働くのやめてぶらぶら仕事がない日々を満喫したい、という非常に浅はかな僕の当時の夢が、もろくもその存在価値を瓦解させた瞬間でした。そうか、遊んでから仕事するのではなく、仕事してから遊べばいいのか。そして短い休みでも、そこに至るまでに全力で仕事をしていれば、満喫できるものなのか、と。
それ以来、僕は極力忙しくするということそのものを追いかけるようになりました。単に休みがあるだけでは、不安で不安で仕方ありません。忙しいときほど、休みも充実して感じられるのです。忙しいために完全にブロックしてそこまでに終わらせようとする意志が働くのです。
後で後悔することがないよう、強烈に忙しくて本気で仕事をしたという10年間を過ごしたいものです。そしてがっつり遊びます!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

努力を自慢できる人間になりたい


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『努力を自慢できる人間になりたい』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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数年前に大学生として部活の様子がテニス雑誌に特集された時に、弟が取材に対してこう答えていました。
『走った距離は裏切りません。』
尊敬する経営者の方と今日会食したのですが、部下の方にはいつもこういっているそうです。
『いいよ、俺の働きがイマイチだったらいつでも言ってくれて。でも俺はお前の倍やってるからね。本も三倍読んでるからね。誰よりも早く来て誰よりも遅くまで残ってるからね。負けないよ。』
どう思いますでしょうか?ちなみにですが僕は、こういう類の言葉を知人が話しているのを聞くと、身震いします。心の底から『すげぇ〜!』と思います。
この世の中は結果主義なので、それなりの結果を振りかざせばそれなりに説得力を得ることができます。僕で言えば、資格はFPなどを持っているとか、MDRTという業界トップ1%の成績基準を達成しているとか、大学がKO大学ですよとか、そういうことです。そしてそれを誰かにお話した場合に、十中八九、邪険に扱われることはありませんし、僕の発言のバックグラウンドにもなってくれてるかと思います。
しかし本当のところ、自分がそこまで努力しているのかと言われると多少疑問符が付くことがあります。自分は能力ではなく要領が良かっただけではないか?そもそもスタート時点で有利だったんじゃないだろうか?と自分に対して疑心暗鬼になったりします。
上記の弟や経営者の方のように、『結果主義』ではなく『努力主義』の側面から自分のやっていることを人に伝えられる人は、本当に凄いと思います。なぜなら、結果だけみれば結果的に大して努力しなくてもそれが手に入ることはありますが、努力への言及は、言及に値する努力を実際にしていないとできないからです。
僕は自分をブログを用いて自己省察するということをかれこれ半年近くやってきましたが、結局のところ自己省察というのは、良い結果を出したかということではなく、良い努力をしたかという問いを自分に発し、そしてそれに正直に答えられるようになるまで自分を鍛えることなのではないかと思います。で、今の僕はそれに果たして明快にYesと答えられているだろうかと・・・
しつこいようですが、勿論世の中は物事を結果で判断します。そういう意味では、ある程度結果の出ている今は決して否定すべき対象ではないのかもしれません。しかし、その結果に全責任を持つ当の本人が、その結果に対する信頼性や再現性、つまりは努力の質と量に疑問符がつくというような努力しかしていないことを否定していないので、これは大いに見直すべき時期にきているのかもしれません。
自分より力量が上の人と逢うと、こういった誤魔化しきれない自分の弱点が浮かび上がり、次につながる課題が出てきて、本当に刺激になります。努力を自慢できる人間になりたいです。心の底から。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

ブログを毎日書くことの効用そのエックス


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『ブログを毎日書くことの効用そのエックス』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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ブログを毎日書くことの効用については、過去何度か触れているため、これが?回目となります。普段は自己省察の回数を年に一回でも月に一回でも週に一回でもなく毎日とすることによって、経営学で言うところのPDCAサイクルが異常な速さで回すことができますよ的なことを書いているわけですが、今日はそこから少し視点をズラしたいと思います。
確かに自己省察という名のPDCAサイクルを数多く回すことにより成長スピードが上がります、ということは、量的な側面から言うことができます。しかし一方、質的にはどうかというと、これもまた加速度が付くのではないかというように思えるのです。
何故か?それは、毎日ブログを書くことによって、ネタがなくなるからです。ある一定量までは、頭の中にある過去蓄積してきたネタが文章に反映され、それでなんとか体裁を保つことができます。しかし一定量を超えた段階で、過去の蓄積はもはや使い古しの感が出てきて、完全に枯渇します。
そうしたらどうするか?新たに見つけるしかないのです。日常のあらゆるところからネタ集めをしてくるしかないのです。最初はほんの些細なことがほんの些細なブログのエントリにしかなりません。自分の表現力のイマイチさに呆れながら、それでも毎日書くことを決めているがゆえになんとか形に仕上げなければならない。結果、見るも無残な形のエントリが出来上がることになります。
そうしてそんなイマイチなエントリを書き続けていると、いつしか自分が体裁だけは整えられていることに気づきます。
また、そうしてそんなイマイチで体裁しか整っていないエントリばかり書いていると、いつしかたまには結構中身の詰まったエントリが奇跡的に書けたりします。
またまた、そうしてそんな奇跡的にかけた結構インサイトの詰まった良いエントリを結構低い成功率で書いてたりすると、その確率がいつの間にか上がってきたりします。
こうなると強いです。日常のどんな些細なことからも学ぶことができ、それが自分の中で知恵に昇華し、そしてブログのエントリというアウトプットになる、という流れが出来るので、ある意味太陽と空気さえあれば無限のエネルギーを生むことができる光合成を体得したようなものです。元々頭の中にあった矮小なネタの集積ではなく、無から有を生み出す、無限大のリソースを手にしたと同義になるのです。
これは、量的のみならず、質的にも大きな変革を遂げたといっても良い状態なのではないかと思います。1リットルの器には1リットルしか入りませんが、日常のあらゆることに目を配り、因数分解をし、何らかのインサイトを導き出す訓練を毎日毎日行うことによって、1リットルの器が5リットルにも10リットルにも拡がっていくのです。そうすると、毎日毎日が宝の山に思えてきます。あ、こんなこともこんな教訓に出来るな。あ、この場面は他山の石だな。あ、この経験はあの時のあれと結びついてこういうアウトプットにできるな、といった感じで。
ブログを毎日書くということは、ブログを毎日書いている人にしか分からない効用をもたらします。ですから、書いていない人には全く分かりようがないものばかりです。しかし、だからこそとりあえず書いてみる。そして書いて見た暁には、インドの山奥で出会った唯一の日本人同志のような不思議な連帯感ができてくるものです。連帯感のみならず、いつの間にか大きく成長している、あるいはその可能性を強烈にかんじさせる自分に出会えることも間違いなしです。
ま、こんなこと言ったって、実際に書く人は100人に一人ぐらいしかいないんですけどね。あー仲間ほし。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

同志へのサプライズ


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『同志へのサプライズ』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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先日同志と会食した際に、ちょっとしたサプライズをカマしました。ビジネス最前線で頑張っている、尊敬すべき同志の一人が昇格するということで、学生さながらに王様帽子を用意し、表彰状を手書きし、ケーキを準備し、芸人みたいなメガネをかけさせて、由緒正しい高級中華料理の店員さんの失笑を食らいました。
さて、その際の同志の嬉しそうな顔を見ていて久々に思い出したことがあります。
あれは3年ほど前、僕が保険業界の集まりであるMDRTに初めて入会し、沖縄の日本大会に行った時のことです。ある講演者の方が、『ちょっとゲームをやってみましょう!』ということで、目の前の人と二人ひと組になってあるロールプレイをしました。それは、
『褒める』
というものでした。しかも、例えばネクタイを褒めるのであれば、『ネクタイそのものを褒める』のではなく、『ネクタイを選んだセンスを褒める』といったように、その人に焦点を当てたほめ方をすると、より喜ばせることができますよ、というものでした。
果たして、その『ネクタイを選んだセンスを褒める』的な褒め合いを2〜3ターンやった後に、その講演者の方が一つ質問をしました。
『はい皆さん。服装や笑顔など、褒められて嬉しかった人!?』
会場は全員が手を挙げました。(関係ないですが、ちゃんとロープレやってちゃんと挙手するあたり、みんな素直です。)
そして講演者の方はもう一つ質問をされました。僕にとっては衝撃的でした。
『それでは、褒められたのと、相手を褒めて相手が嬉しがってるのを見るのとでは、どちらが嬉しかったですか!?』
全員が後者に手を挙げました。僕達は、もしかしたらみんながみんな、相手が喜んでいるのを見ることが、自分の得る喜びの中で最大のものかもしれないのです。このことに僕は気づきました。そして結構な衝撃を受けました。
それ以来、何かといっちゃあ誰かのお祝いの時に、無理やりこじつけをして祝ったりサプライズしたりをやっているわけですが、これは僕の中では、実は一番自分が嬉しく喜んでいるといっても過言ではないのです。だから一番自分が楽しい。別に人のためOnlyではないのです。勿論その副作用?で相手も喜んでくれていたりします。
今回の同志のサプライズも、こんな気持ちでやったんだと思います。祝われた本人はもとより、祝っている他の同志もものすごく楽しそうでした。自分がどういった方向に舵を取ると、どういった幸せの感じ方が出来るのかということを知恵レベルで知っているか知らないままでいるかというのが、大きな差になってくるのではないかなと思った一幕でした。
とりあえず同志よ、おめでとう!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

アマゾンとヨドバシネットで比較する人


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『アマゾンとヨドバシネットで比較する人』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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まずはこちらをご覧下さい。
http://frnk.hatenablog.jp/entry/2013/04/08/080159
ヨドバシカメラで買うのは安いけど、ヨドバシカメラで買うようなそぶりを見せて散々説明聞いた後にアマゾンで買った方が安いけど、それを更にヨドバシカメラのオンラインショップが上回った(=値段で下回った)からそっちで買ったほうがよくね?という記事です。僕はうーんと唸ってしまいました。何故かというと、ここの思考がどうやら人生の成否を分けそうだということを、最近師匠と崇めている方から教えていただいたからです。
人間というのは、二つに分かれます。このヨドバシカメラ関連のエントリにあるように比較し足と時間を使うことで浮いた数千円を利益と思う人、そして『そうではない人』です。ちなみに僕はちょっと前まで前者でした。そして今は後者だと思います。
この『そうではない人』というのは、例えばアマゾンにしろヨドバシネットにしろ、安いと思われる価格を見たらもうそれで購入してしまう人のことです。足をいちいち運んでお店同士の比較をしたりしない。交渉もしない。何故ならば、そうすることによって得られる数千円の利益よりも、そうすることによって失われる時間を他に振り向けた時に得られる利益の方がはるかに大きいことを知っているからです。
どちらが良いとか悪いとかの問題ではありませんし、前者は分かりやすい利益である反面、後者はわりと分かりにくく理解もされにくいのではないかなと思います。また、『そうではない人』が比較をしないことによって失っている利益も、積り積もれば物凄い塵の山になるということも考えられます。
それでも、たまに思うのです。ここで比較をする目的は、本来数千円の利益を得るためだろうと。ならば、数千円を数十分〜数時間かけて浮かせる方法もあるけど、それ以外の方法で、しかもその数分の一の時間でその数千円を稼いでも一緒だよなと。てことは僕の場合、その時間を仕事の仕組み作りに使った方が得だよなと。。
つまり、マイナスをゼロにするのではなく、ゼロをプラスにするのです。マイナスをゼロにするには数時間かかるけど、ゼロをプラスにするのにはその数分の一の手間や労力や時間で出来る、そんなことって結構ありません?
つくづく思うのは、これだけいろいろなものが氾濫する世の中なので、『視点』が大事ということです。知識ではなく知恵だとも言えます。物事をどういう側面から見てどういうふうに捉えるかによって、同じ景色を見ていたとしても、その人生への活かし方が全く異なってきます。
両者は近いのですが、しかしどちらも相手のことが理解できないほどその精神的距離は離れています。エコノミー席にしか乗らない人と、ビジネスクラスにしか乗らない人は、お互いの気持ちはあまりわからないのではないかと思います。エコノミー席に座る人にとっては、それによって浮く実際的なコストが第一条件になるでしょうし、ビジネスクラスにしか乗らない人は、それによって浮く精神的ストレスや肉体的疲労というものが、他の全てに優先します。これは善悪でもレベルの上下でもなく、厳然とした違いです。
どちらの世界に生きたいか?という最終的な問答になってしまう感は否めませんが、かなりの量の勉強をしてきて、その間が決して曖昧な境界線によって隔てられているわけではないということが分かってきました。
この視点で見た時に、自分が普段どのような場面においてどのような意思決定を無意識に行っているかということを、極めて詳細なレベルで因数分解することができます。自分が何を基盤として考え、どのような方向に向いていきたいかということをまずきちんと認識する、当たり前のことですが、いつもながら大切なことだと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!