フツーの人が習慣を変えるには


◆【習慣の格言て色々ある】

習慣に関しては、様々な格言があります。曰く、

『習慣は第二の天性』

『習慣は、最高の召使いか最悪の主人かのいずれかである』

『猫は美しい王女になっても、鼠を取ることをやめない。』

『習慣は、浅はかな人々を支配する。』

『優れた道徳心は習慣からしか生まれない。私たちは、自分でつくった習慣のようにしかならないのだ。節制している人は節度ある人となり、勇気ある行動を続けている人は勇敢な人となる。』

『習慣は極めて強い引力を持っている。それは大抵の人が考えている以上のものである。他の全ての自然の力と同様に、引力は敵にも味方にもなりえる。』

本当に色々あり、そしてそのどれもが人生の本質を突いているなと思う今日この頃です。そういう僕も自分を変えたいと昔から考えているわけですが、ここ最近は今まで以上に習慣を変えるということに焦点を当てて日々生きています。小手先の変化よりも、毎日を構成する習慣の変化を目指す方が、結果的により波及効果の大きい変化を自分に及ぼすことが出来ると考えたからです。

◆【優秀な人と、羅王みたいなフツーな人は、習慣に関する考え方がちゃうねん】
(優秀な人=頭が良くて動けて機転の利く人。)

が、この習慣というものは、容易に身につくものでも、また捨て去ることが出来るものでもありません。なぜなら、今自分が持っている習慣は自分自身を構成する要素、DNAそのものであり、それを変えようとすることは、脛をトンカチでコンコン叩くがごとく、痛み苦しみを伴うものだからです。

しかも上述の通り、習慣というのは強烈な引力を持っています。外国に行くとよくわかりますが、日本人と外国人とでは習慣が違います。トイレを流す習慣のない人たちが、トイレを流すのが当たり前な日本人の習慣を理解したとして、それを身に付けるのにはとっても時間と根気が必要になるだろうな、というのは想像に難くありません。また自分の中だけで見ても、夜に帰宅してテレビのスイッチを入れる、というただそのただひとつの動作を止めようとするだけでも、強烈な磁場が働き、あっさりとリモコンに手が伸びたりするものだったりします。

より良い習慣を手に入れ、より良くない習慣を手放すにはどうしたらいいか?これがここ1年ほどの僕の問いかけです。

答えを見つけるには、まぁかなりのトライ&エラーと失敗を繰り返してきましたが、遠からずの解を見つけたように思いますので、ここでシェアしときます。

一般に、優秀な人にとって、習慣を変えるということはそう難しいことではありません。いつの思考を切り取ってみても、それによって目標が達成出来る度合いが高まるのであれば、

現状を変えないこと(現状維持への誘惑)<目標未達への恐怖(機会損失の痛み)

となり、常に動かないことよりも動くこと、変わらないことよりも変わることが優先されます。だから優秀な人は優秀な人で有り続けられるのです。

しかし僕を始めとするフツーの人はどうでしょう?多くの人が、

現状を変えないこと(現状維持への誘惑)>目標未達への恐怖(機会損失の痛み)

となってしまい、結果的に現状維持を選んでしまうことって多くないでしょうか?早起きしようと決意しても、いざ起きる段になって、枕と布団が世界一愛しい恋人に思えてくることって、きっと僕だけではないはず。ダイエットしようと思っても、腹が減ると店外に出ている看板の肉そばのそばそのものよりも、肉そばの汁に対して視力を2.5にしてガン見しいつの間にか入店してしまうのも、きっと僕だけではないはず。

そう、多くの人にとって、習慣を変えるというのはそれほど簡単なことではないのです。結果的に、『未来がたいへんなのはわかるけど、今楽しまないとね。』とか、『未来がたいへんなのは分かるけど、まぁ今じゃなくてもいいよね。』となります。ではそれは何故でしょうか?

上の式を別の角度で見ると、実は現在対未来の戦いであることが分かります。現状を変えないことへの誘惑は、今起きている感情です。目標未達への恐怖は、確かに好ましくない未来が訪れるかもしれないけれど、それを味わうことになるのはやっぱり未来だということであって、今の感情として捉えづらいところがあります。

そしてこれが唯一にして最大の、多くの人が変われない理由です。未来に対するイメージが弱いために、現在の誘惑に勝てないのです。一部の優秀な人は、この未来に対するイメージが現在と同じレベルで具現化して出来るため、戦いのフィールドを現在対現在に置き換えることが出来るのです。フツーの人の場合、これは現在対未来になってしまい、そして多くの場合、未来は劣後順位となるため、敗退を余儀なくされます。

じゃあどうしたらいいの?良い質問です。方法は二つあります。

一つ目。現在の誘惑を弱くする。

しかしこれは、やってみるとわかりますがかなり難しい。とてもとても愛おしく思える布団が憎らしく思えるほど、冬の朝は甘くはありません。脂の浮いたスープ(業界ではプースーと読みます)が将来の病気につながると言われても、やはり旨いものは旨いのです。

だから二つ目の方法を取りましょう。それは、

『未来を現在に置き換える』

です。つまり、目標未達の恐怖(機会損失の痛み)という未来の負の感情を、無理やり現在のものにします。もっと分かりやすく言えば、自分への罰が未来ではなく、今下されるようにすれば良いのです。犬の調教を行うときのように、イルカや動物の調教を行う時のように、信賞必罰の罰の部分を、即時行います。今行います。そうすることによって、自分を躾ていくのです。

『未来が望む方向に行かない可能性が高い』ということの証明は、その『未来』が訪れて初めて証明されます。先程述べたように、ここをフツーの人は理解はできてもイメージ出来ない。だからこそ、痛みそのものを今この瞬間に持ってくるのです。そうすれば、戦いは、

現在対現在

になります。そして、現在の痛みをより大きくしてやれば、必然的に現在の誘惑勝つことができ、強制的に矯正された自分が、新しい習慣を手に入れる方向に舵を切ることになるわけです。

別に特別なことをする必要はありません。今までこのブログで話してきたことを総合するだけ。例えば早起きをするにしても、マラソンを始めるにしても、

・仲間をつくる=逃げ道がなくなる
・ライバルをつくる=ライオンも人間もライバルには勝ちたいし負けたくない
・宣言する=未達だと恥ずかしい
・仲間に圧力をかける=当然相手からも同量の圧力がかかり、達成出来ないとダサい
・具体的な罰を設ける=お金でもフィジカルでもご褒美取り上げでも可

など、嫉妬や対抗心や志や羞恥心や連帯感など、およそ基本的な人間的感情が起こる場を強制的に立ち上げ、その中で自分が甘えを出した時にはすぐさま鞭が飛んでくるような仕組みを作れば良いのです。立派なことをする必要はなく、むしろ自分に素直に、しかし無理やり頑張れるような仕組みにするのです。

もちろん、西遊記の孫悟空のように、命令に逆らったらその場で締め付けてくる頭の輪なんかがあれば最高ですが、それはもう少しの間、科学の進歩に期待するしかないでしょう。

◆【そして伝説へ・・・】

今僕が手に入れようとしている習慣は、過去10年以上に渡って僕が願ってきて、そして夢破れてきたものばかりです。結局のところ一人ではなかなか難しいなということが分かり、そして他の人も大体そうなのだということが分かったため、そんなダメダメな仲間を一同に集めて皆で押しくらまんじゅうしながら習慣を変える仕組みをいくつも走らせています。これが予想以上に面白く、刺激になり、そして勿論未達が恥ずかしい!!!

ここ1年でトライした習慣で言えば、

・4時起き

・毎日情報発信する

・日常的に身体を鍛える

・走る

・出来ること以外にチャレンジする

・ダイエット

など、出来ていることや出来つつあること、もうちょっとで出来そうなことも含めればこの数倍の数に及びます。全部、意思が弱く怠惰で、どうしようもないと自他ともに認める僕が成し遂げてきたことです。

最初に書いたように、どうやら習慣は人生を変えるようです。総理大臣が変えてくれるわけでも、米国大統領が変えてくれるわけでもありません。僕の、貴方の習慣です。だったら、自分のことだし変えるのは実は一番簡単なんじゃないでしょーか?

オススメの習慣があったら教えてくださいませ。ガシガシ取り入れてみたいと思います。

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我が生涯に一片の悔いなし!

めでたい日、そして旅立ちの日


※先日FBにアップしたものを、忘れないために形に残しておきたく、こちらにもアップします。少し手を加えました。

先日、娘の4度目の誕生日を迎えた。1人の被写体に対し、6人の大人がシャッターを切りまくる。ビビデバビデブティックで王家のメイクをしてもらった。芦田まなちゃんがいかにスゴイかよく分かった。引きつった笑顔が、引きつったまま形を変えていき、もはや本当の笑顔を思い出せないようだ。
生まれてきてくれてありがとう。ただそれだけの言葉しか出てこない。君がいなければ、俺の人生の色はもっと単調で、そしてもっとくすんでいたこととは間違いない。人生で踏ん張れる数も、きっと圧倒的に少なかったことと思う。

本当にめでたい日。だけど悲しいこともあった。
俺が高校2年生のときにうちに来た愛犬その2のリキが、娘が生まれた日を祝うちょうどその日に、旅立っていった。ただ寝ているだけのようだ、という表現は本当だった。初めて泊まりに来た日に飯島愛のビデオを勝手に人の家のデッキに差し込むような、最高に最低で最狂なサッカー部の奴らに踏みつぶされそうになりながら、何故かキャプテンに抱かれて寝ていた、赤ちゃんの頃のリキの姿が懐かしい。
遡ること4年前、娘が生まれるほんの少し前、愛犬その1のポポが旅立っていった。ポポとは中1から一緒だった。当時小学校時代から恋してたコの家まで結構な距離を何気なくポポと散歩し、何気なく出逢って何気なく仲良くなる、というのが、1990年代序盤における俺の戦略だった。コンティンジェンシープランを持ってなかったので、一度偶然そのコに出会ってしまい、しどろもどろになった末、この戦略は廃止された。

どちらの犬も、犬ではなく家族だった。家で1番エライ人にひざまずき、それ以下の人には蔑みの視線を送るという家庭犬の性質を、1ミリも逸脱しない極めて優秀な駄犬だった。

二匹はとても仲がよく、よくじゃれあっていた。ポポはコーギーの雑種、リキはヨークシャーテリアの純種だったので、リキの方が血統はちゃんとしていて品もあったが、なにせポポの方がデカかった。縦、横、幅それぞれ2倍ずつあり、体重は8倍(2kgVS16kg)あったので、リキはよくポポに踏み潰されていた。小型犬ゆえの柔軟性でなんとか乗り切っていたが、傍目には犬が犬を虐待しているようにしか見えなかった。

どちらも、男ばかりで寒風吹きすさぶ俺の家に潤いと笑いをもたらしてくれた。どちらもなかなかに出来が悪く、何度教えてもポポは机の下からジャンプしてきて人の脇の下からぬっと顔を出して食べ物をかっさらっていったし、リキは何度言っても飼い主とそれ以外の人の区別も出来ないようだった。

二匹は、それでも段々と歳を取っていった。いつの頃からか、段々足が弱くなっていって、一緒に全力で走っていた日々が懐かしく、そして二度と手に入らないものであることが、徐々にだが分かるようになっていった。

俺は20代のほとんどを名古屋で過ごしたため、なかなか二匹に逢うこともできず、結婚や出産や仕事や引越しもあり、そんなに何度も実家に帰ることは出来なかった。

徐々に歳を取っていった二匹は、人間で言えば100歳近い年齢になった。そして、家族に迷惑をまずほとんどといってよいぐらいかけることなく、いずれもおかんの腕の中で旅立っていった。
その2犬はもうこの世界にはいない。そして娘は、ワケも分からず、でもほんのちょっと事情を理解したらしく、目に涙を浮かべながらリキがお星さまになったと言った。二匹のお星さまは、たぶん本当に娘を見守っていてくれてるのだと思う。

命は紡ぐもの、そして繋ぐもの。そういう陳腐な使い古された、でもとても本質的な表現を、改めて大切なものだと感じた日。
本当におめでとう。そしてありがとう。あと、悲しいけどさようなら。
色んなことに感謝します。

センターピンの法則


僕が最も苦手とするスポーツの代表格、ボーリングにおいては、ひとつの法則があると言います。それは、『センターピンの法則』。

なるべく高い点数を取るためにはストライクや、悪くてもスプリットを取る必要がありますが、いずれにしても『センターピン』を倒さなければ、それは絶対に叶いません。試合にも勝てません。逆に『センターピン』さえ倒すことができれば、どんなに悪くてもかなりのピンを倒すことができます。うまくすればストライクに結びつきます。

つまるところ『センターピンの法則』とは、二つの意味に集約することができます。

①攻撃的な意味で、『物事をツボやコツ勘所を押さえましょうね。』

あるいは、

②守備的な意味で、『ここさえ守れば何とかなるという防波堤を築きましょう』

ということです。今日は②の意味で話を進めます。

物事は大体において、『計画半分、偶然半分』でしか進みません。その中できちんと目標を達成するためには、その『偶然半分』に左右されないことが肝要です。そのために、『ここさえ守れば何とかなるという防波堤』、つまり『センターピン』を設定するのです。

具体的な事例をば。例えば、何度も何度も書いていますが、早起きは僕にとってかなりのチャレンジです。『計画半分、偶然半分、逆風8割』とでも言えるかもしれません。うっかりするとすぐに寝坊してしまいそうですし、やっとのことで起きられたとしても油断しているとすぐに瞼が閉じてしまいそうです。何も考えなければ早起きの成功率は30%以下となってしまうように思えます。

しかしその中で、『センターピン』を設定してそれを倒すように心がけると、早起きの成功率は飛躍的に高まります。確かに眠い、確かに二度寝が恋しい、確かに布団が愛らしい、しかし、『センターピン』を倒しさえすれば、なんとかかんとか、倒れそうになりながらも早起きが成立するのです。

早起きに関する『センターピン』とは、僕の場合は『起きてまず起きたことを早起き仲間に報告する⇒水を飲む⇒野菜ジュースを飲む⇒部屋の片付けをする』という一連の流れを守ることです。ここさえ遵守すれば、いつの間にか目が覚めています。その後はうっかり疲労で沈没することがない限りは、起きていられます。

空手でも同様です。相手のラッシュで押し込まれている時、この場合の『センターピン』は、一時的に相手に身体を預け、体を入れ替える、もしくは内股を蹴ることで相手の体勢を崩し、それ以上の圧力を一時的に緩和することです。そうしてまた対等な状態に持っていけば、勝負を振り出しに戻すことができます。

マラソンで疲労が溜まってペースが落ちてくると、自分でも気づかないうちに背中が丸まり、実は『最も疲れる走り方』にいつのまにかなってしまっていることがあります。だからどんどん疲れていきます。この場合の『センターピン』は、両手組んで空に伸ばし、釣られた背筋を伸ばして姿勢を整えることです。あるいは腕をきちんと、普段以上に振ることです。そうすることで、不可避的に陥っていた『最も疲れる走り方』を、『そこそこ疲れててもこれ以上疲れない走り方』に変えることができます。

仕事の『センターピン』はなんでしょうか?保険の仕事の場合、成果を左右する要因として、実はスキルや知識などより、かなりの部分をメンタルな部分が占めます。そして僕はこのメンタルがそんなに強い方ではない。なので倒すべき『センターピン』としては、『羅王が出している成果を楽勝で出しているレベルの先輩と話す』など、結構他力本願なことをしています。しかしそれでペースが戻るのであれば、それは全然OKなことです。

もし新たなチャレンジをしようとするのであれば、その多くは成功率100%で進めることが出来るかというと、そうでもないと思います。なので、死守すべき『センターピン』をまずは設定し、目標全体ではなく、『センターピン』を倒すことに注力してみてはどうでしょうか。『人事を尽くして天命を待つ』と言うときの『人事』は、まさに『センターピン』のことであると思うのです。

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我が生涯に一片の悔いなし!

どのスーパーサイヤ人を目指すのか?


※今日のお話は、ドラゴンボールのマニアを自称する人から、その5歩手前ぐらいの人までじゃないと理解できないかもしれませんが、ご容赦ください。年齢層で言うとストライクゾーンは25歳~45歳ぐらいでしょうか。

何度も4時起き話、すみません。この4時起き、1週間が経過し、そろそろ習慣づいて・・・きません!まだ眠い。まだツラい。まだまだ、意思の力を最大限発揮しなければ、夢の中へ行ってみたいと思いませんかな感じです。

さて全然関係ないですが、松坂世代のバイブル、ドラゴンボールにおいてのスーパーヒーローである『スーパーサイヤ人』には、以下のような段階があります。属に言うスーパーサイヤ人1~3とはまた別の区分ですが。スーパーサイヤ人すらご存知ない方がいることを懸念して念のため説明しておくと、サイヤ人がスーパーな状態になってパワーもスピードも何倍も強化された状態のことです。よく比較される界王拳とは、実は比較になりません。スーパーサイヤ人という反則技が出てきてしまったおかげで、界王拳は物語の中盤までで、その出番を失ってしまいました。

あの時代の男子に共通していたのは、誰もがスーパーサイヤ人を目指していたということです。そのなり方が以下。
①怒りが頂点に達し、キレてスーパーサイヤ人になる(対フリーザ編)
ただし一般の人は、もしスーパーサイヤ人になるのであればベジータ型が望ましいと思われます。自分の弱さ、不甲斐なさに対する怒りで秘められた力が覚醒し、スーパーサイヤ人になれます。悟空のように、敵への怒り、誰かを失った悲しみによって発露することもあるかもしれませんが、そういうのは何度も経験しない方が精神衛生上よいので。スーパーサイヤ人になると、黄金の闘気が立ち上ります。激しい感情の揺れが偶然にも潜在能力を発動するパターンです。
②『んっ!』と、少し気合をいれただけでスーパーサイヤ人になれる(トランクス編)
悟空は当初、自分の意思ではスーパーサイヤ人になれませんでしたが、ヤードラット星での修行を経て、自在にスーパーサイヤ人になれるようになりました。その姿を見たトランクスが感嘆の声をあげるほどでしたが、そのトランクスも、再生し強くなって来襲したフリーザを瞬殺するほどの強さでした。意識をして自分の力を引き出せるようになったパターンです。
③『な、なんだ、カカロットのやつ。ごく自然な状態でスーパーサイヤ人になっていやがる。』な状態(精神と時の部屋編)
セルとの戦いを控え、悟空が選んだ道は、『スーパーサイヤ人でいることという非日常そのものを日常とすること』でした。もう寝ている時もう○こしている時もスーパーサイヤ人でいようということです。そしてそんな状態にあることすら忘れてしまうぐらい、スーパーサイヤ人でいるということです。ちからの半分をだすだけでカリントウが吹っ飛びそうになるレベルです。全力が巡航速度で出せてしまう、しかもそれを無意識に出来るという究極のパターンです。
ご存知の通り、同じスーパーサイヤ人でも、①<②<③の順で加速度的に強くなります。も少し正確に言えば、①<②<<<<<<<③、というぐらいレベルが違います。それだけ、無意識で全力を出せるということはスゴイことなのです。

早起きも全く一緒です。僕は1週間前、自分の生活習慣と身体があまりに締まりがないことに強い怒りを感じ、4時起きを決意しました。早起きに関する鬼教官に弟子入りしてしまったため、決意したあとに苛烈な調練から逃げられなくなったことは秘密ですが。しかしそれはまだ①の状態。強い怒りがなければ、そして教官に対する恐怖がなければ、4時に起きるということはなかなか達成できません。それでも何とか外圧にさらされながら、4時起きを続けてきました。

今現在は、②の状態に近づきつつあります。かなり自在に、とは言いませんが、『んっ!』と少し気合いを入れれば、起きること自体に苦労はしなくなってきました。①の頃と比べると、相当に早起き戦闘力がアップしているものと思います。

最終ゴールは当然③です。何も意識しなくとも、そしてそれに対する感情の昂ぶりもなく、ただ淡々と、歯を磨くように4時起きが出来ていること。個人的な盛り上がりはなくとも、そこまでいけば人生が間違いなく変わっているであろうことは容易に想像がつきます。今1週間経過したので、あと2週間、習慣が根付くまでがんばっていきたいと思います。あ、もう0時半だからあと3時間ちょいしか寝られない。

①において怒りで覚醒し、

②の段階で意思の力でコントロールすることを覚え、

③になれればもはや次に進む段階です。

『人間は習慣がつくる』の格言の通り、これから少しずつ③を増やしていきたいと考えています。しつこいけどもう寝なきゃ。

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我が生涯に一片の悔いなし!

『赤字』を抱きしめて


TUBEの大ヒット夏メロをパクったわけではありません。

4時起き、2週目に入りました。当初フラフラでしたが、今も正直フラフラです。加えて、初フルマラソンが11月に迫っているのでその追い込みや、88kgにまで膨れ上がってしまった身体をマラソンに適正な体重(80kg、でも重すぎ?)に絞るダイエット、そして12月に再度出る極真の試合のための筋トレと、全部詰め込んで仕事以外にこなしているため、たまに自分が何をしているのか分からなくなります。

が、ジャンプするときに膝を曲げないと全く跳べないのと同様、飛躍には一瞬の沈降が付き物です。企業で言えば、新しい事業を創出したければ、当初しばらくの間の『赤字』を許容する勇気がないといけません。勿論、ずっと赤字はダメです。が、初年度から黒字を求められ、赤字自体を全く認めないとしたら、面白いと思われるチャレンジは根こそぎ潰されることでしょう。そして安全確実な、誰にでも出来るものにしか取り組まなくなります。そういう企業に先がないのは、誰が見ても明らかです。

今の生活で言うところの『赤字』は、つまるところ、4時起きに関する副作用全てです。ボーッとする、集中力がない、ぶっちゃけ少し体調が悪い、仕事の能率が多少低下している。。。しかし、これらと引換にしてでも、4時起きを習慣化することのメリットは、自分の人生にとって余りあると僕は判断しています。朝の1時間は夜の3時間と言われ、欧米のエグゼクティブは朝が早いと言われていますが、それらの時間に関する格言を、身を持って思い知っているところです。だから続けます。

もっと言えば、赤字、つまりしわ寄せは、今まで惰性で生活に内包されていた『あってもいいけどほんとは要らなかった部分』を発見するチャンスでもあります。早く寝なければいけないので、テレビを見なくなりました。昼寝をすると寝付けないので、あまりしなくなりました。FBやインターネットサーフィンは、数分の一の時間に減ったように思います。いずれも、気づかぬうちに時間の消費あるいは浪費となっていましたが、今回のように追い込まれなければリストラの対象にならなかった奴らかもしれません。

1997年、全盛期を迎える前に盛期を迎えていた20歳のタイガーウッズは、全英オープン、USオープン、PGA選手権、マスターズと次々にタイトルを取りました。にも関わらず、そのスイングをビデオに撮ったタイガーウッズは、『自分のスイングには本当に失望した』との言葉を吐き、スイングの変更をコーチに告げました。コーチは『やればできるが、しばらくはトーナメントに勝てる望みはなくなるだろう』と、至極当たり前の意見を言いましたが、ウッズは変更を断行しました。

結果どうなったか?やはり勝てなくなりました。スイング改良をしていた期間、その実19ヶ月!なんと一勝もできず、世間はウッズがただのフロックであるとみなし始めたそうです。それでもウッズは、目指すゴルフを実現するために、リスクを背負ってフォームの改造に着手しました。そしてそれは、いきなり報われました。ある日『これだ!』というものを掴んだウッズは、そこから破竹の勢いで勝ち続けます。24歳のときに14試合のうち10勝を飾り、グランドスラムも達成しました。ウッズは『赤字』を許容したのだと思います。

『黒字』の方がカッコよく、『赤字』がカッコ悪いのは誰にでも分かることです。しかし実は『黒字』は現在の貯蓄を食いつぶしているだけであり、『赤字』は未来を切り開くものである、そういう見方ができたとしたら、チャレンジのしがいもあるのではないでしょうか。

あーそういえば、仕事も私生活も『赤字』だらけでしたわ。そろそろ回収に入ります。

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我が生涯に一片の悔いなし!

衆人環視なんて甘いのさ


『衆人環視』というワザがあります。

何か新しいことを始める場合に、一人では弱さが出てしまうという人間の特徴をカバーするために、仲間を集ってお互いに刺激しあいながらちょっとずつ進んでいく、というもの。これはこれで、とても効果があります。仲間と何かを一緒にやっているという連帯感、そして約束を果たしたいという責任感もあいまって、ある程度までは進めることが分かってきました。なかなか独力を全てにおいて進めていくことは、少なくとも凡百の僕には難しいです。赤信号じゃないですが、みんなで渡れば怖くない、というのが精神的に一番ラクですね。

でもちょっと待って!最近気づいちゃったYO!『これじゃ甘い!』と。正確に言えば、『(僕にとって)これじゃ甘い!』ということ。

なぜなら、僕は元々筋金入りのダラダラ人間だからです。高校の時はラスト4ヶ月間、1日15時間勉強していましたが、そうせざるを得なかったのは、それまで1日15時間寝ていたからでした。高校には基本的に5限目からしか『出勤』しないという形を続けていたら、『あと地学1単位を落としたら留年だぞてめー!』というところまで、学生生活をあと半年近く残した状態で追い込まれ、途方に暮れたこともありました。大学生活は基本的にダラダラ以外の何者でもなく、いつの間にかおなかには厚い脂肪がかぶさっていました。社会人になってから幾分マシになったものの、キビキビした奥さんや娘と比べると、明らかに窓際族のリラックマ状態です。

『衆人環視』は、そんな一人では何も出来ない僕のために誰かが開発してくれた至高のワザです。なんだかんだ言って、数ヶ月前からブログを始めて勉強会を立ち上げ、10年ぶりの空手の試合に出て、なんなら87kgの肉厚ボディにも関わらずフルマラソンにエントリーなんかしちゃって、朝4時起きを数日前からするようになりました。こんな僕でも少しずつ変わることが出来つつあるように思います。

しかし一方、チャレンジしてはみたけど途中で挫折したもの、チャレンジしようとしてどうしても足が動かないものもいくつかあります。うまくいったこととうまくいかなかったこと、続いたことと続かないことの間には、『衆人環視』というワザだけでは埋められない溝があったのです。

よく考えてみました・・・・ちーん、分かりました。

『衆人環視』は至高のワザです。しかしワザであって、『必殺ワザ』ではないのです。

必殺ワザというのは、通常単発のものをそう呼ぶことが多いようです。『はじめの一歩』で言えば、ガゼルパンチやリバーブローが該当します。ドラゴンボールで言えばかめはめ波、幽遊白書で言えば霊丸。しかしそれらは、物語の中盤になると、ある程度強い敵に大体破られます。そして修行の末、必殺ワザを昇華させて敵をまたバッタバッタと倒し始めます。

実は必殺ワザというのは、単発にあらずなのです。他のワザと連携させて、そして連動させてはじめて本物の力を発揮する、それが本当の必殺ワザです。一番分かりやすいのはストⅡ。ゲーマー諸氏には自明のことと思いますが、波動拳や昇竜拳をいくら連発したところで、敵には勝てません。昇竜拳を叩き込むためには、跳び大キック⇒アッパー⇒昇竜拳という代表的な『コンボ』(=連続技)があります。そう、本当の『必殺ワザ』とは、一連のワザの『コンボ』のことなのです。幕ノ内一歩のリバーブロー⇒ガゼルパンチ⇒デンプシーロールのような、悟空の元気玉+スーパーサイヤ人のような、そんな感じ。

ということで編み出しました。『衆人環視』なんて甘い。だから最初は『囚人監視』にすべきだと。そして『衆人環視』につなげるべきだと。特に何かしら新しいチャレンジをする際、序盤においては、その意義すら分からずにマストを求められることが多くなります。(空手で言えば、華麗なワザ出したければスクワットしろ、みたいな)そんなときに、『衆人環視』で人に見てもらってても、なかなかツラいことに集中することはできません。むしろ『囚人監視』で強制的に矯正するのです。

するとどうなるか?『囚人監視』によって一気にギアが引き上げられ、ケツを蹴られまくってるうちに、急激にソレが出来るようになります。強制的に矯正されるのだから、能力はガンと上がります。するとソレを段々好きになってきます。人間、出来ることの方が好きなのです。そうして初めて、ある段階で『衆人環視』に切り替えれば良いのではないでしょうか。巡航速度でも上昇傾向にあったり、成長していくような状態、そこまでいけば、ギチギチの監視よりも、ゆるやかな環視の方が本人もやる気になります。

そしてその段階すらも超えた時には、完全フリーになればよいのです。

『囚人監視』⇒『衆人環視』⇒『フリー』

こんな流れでやれば、どんなことでも出来るのとちゃいますか?

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我が生涯に一片の悔いなし!

夜空の☆


夜景と言えば香港とかニューヨークとか言われていますが、僕が一番これまでで綺麗だなと思ったのは、ボリビアはラパス、世界最高地にある街です。熊本の阿蘇山のように窪地状になった街に、発展途上国特有の点いてるか点いてるかわからない黄色い電灯がきらめいていて、夜行バスでラパスに着いた時は泣くかと思うぐらい感動しました。

ま、それは置いといて、今日は夜景ならぬ夜空の話です。

まだ行ったことはありませんが、夜空ランキングの中で確実に上位にランクインされると思われるのは、ニュージーランドです。住んでた人、旅行した人に聞くと、それはもう日本の田舎とは比較にならないそうな。ホームステイならぬファームステイというのがあるらしいので、娘がもすこし大きくなったら一緒に行きたいと思っています。

夜空って、不思議ですね。暗い闇の中に、ただ☆があるだけです。それに人は感動します。僕も朝4時起きで夜空を見上げますが、もともと宇宙飛行士志望(?)なため、宇宙への想いを馳せたりして楽しんでいます。何かこう、夜空に、そして宇宙に吸い込まれていく、そんな感覚です。

でもよく考えてみるとなかなかイイことに気づきます。天体の巨大さに比べて、どんなに綺麗に☆が見える日も、その☆が天体に占める面積というのは、恐らく1%もないんじゃないでしょうか。天体望遠鏡でも使えば別かもしれませんが、少なくとも肉眼で見えるレベルという意味では、確実に面積は1%以下です。人はその1%に満たない部分をして、『綺麗だ』とか『感動する』とか心を動かすわけです。これって、結構スゴイこと。人間は、食べかけのドーナツと一緒で大体『無い部分』に目がいくものですが、夜空に限ってはほんのわずかな部分に目を向けるのです。

逆に、天体の9割の面積を☆が占めたとしたら、感動するほどの星空にはならない、そんな気がしていますがどうでしょうか?

さて、何が言いたいかというと、人間も同じです。極悪人を愛せとは言いません。でも、皆さんの目の前の人の中にある、『何もない部分』ではなく、光る☆だけを見つめることができたとしたら、その人は貴方にとって素晴らしい人になるのではないでしょうか。たとえそれが相対的に少ない面積の分しかなかったとしても、夜空同様、人が心を動かすのは、光っている部分です。

僕たちは、夜空に関しては『無い』より『ある』を、『闇』よりも『光』に注目し、感動し、評価することを無意識に誰もができています。人間に関してもちょっと応用するだけで、そういうことが出来るようになるのじゃないでしょうかね。所謂『美点凝視』というやつですが、この夜空理論によれば誰もが容易に手にすることが出来る視点なのではないかと僕は思っています。

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我が生涯に一片の悔いなし!

Connecting the dotsなんてクソくらえ(注 ジョブズは好きです)


人生の話をしていると、必ず出てくるのが’Connecting the dots’の話。有名なスティーブジョブズのスタンフォード大学におけるスピーチに出てきた話です。(ちなみにこれを知らないと、ビジネスマンとしてはちともったいないことになるので見たことない方は一度見ましょう。日本語訳のもあります。)

この話、とってもいい話です。だから是非に参考にしたいし一人でも多くの人に知ってほしい。一点気をつけなければいけない点があるとしたら、、dotsをconnectしたときはいいが、dotsをconnectする前はどうすべきかということ。dotsをconnectして初めて、意義を見いだせることというのは世の中に沢山あります。でもそこまでいくんにはどうすんの?

世の中には、たくさんのスゴイ人たちがいます。何についてスゴイかと言うと、dotsをconnetctさせたら天下一品という能力を持っている人たちがそれに当たります。しかも他人や他の会社のdotsをconnectするのに長けている、そういう人たちです。

バブル時代の狂騒にしろ、リーマンショック前の熱狂にしろ、スポーツの悪魔的魅力にしろ、事が起きてから、起きた事象の論理的な理由付けだけを専門的にこなし、それで多くの人に影響を与える暇な人(言い杉?)が、世の中には本当にたくさんいます。

勿論、中には本当に未来が見える人もいるでしょうし、分析に分析を重ねて論理的思考の帰結として正解を出すことが出来る人もいるでしょう。でもそんな人はごく少数で、ほとんどの人は後から必然的に見える『それ』に関する道筋を辿るだけです。リーマンショック前に、全世界の超一流アナリストのほとんどがリーマンショックなどが起きることすら想像していなかったのと同じように、そして事が起きてから不思議なほど『それ』を予測していたという論陣が増えたのと同じように、プロですら当てにならない、そんな感じです。

言葉を選ばずに言えば、『そういう人たち』というのは、決して自分の足で前に進むのが得意なわけではありません。ただ、人が通った道に名前をつけるのが得意なだけです。

常々思います。解説者や評論家になるな、プレイヤーでいろ、と言葉を替えてよく言われるあの格言。よくよく吟味すると、解説者や評論家というのは、道に名前をつける人たちのことです。じゃあプレイヤーは?

プレイヤーとは、途中では何やってるかワケが分かっていない、そんな時期を耐える人のことを言うのだと思います。dotsがconnect出来るのなんて、数ヶ月、数年、もしかしたら数十年後かもしれません。もしかしたら、意義自体が死後に見出される、なんてこともあるかもしれません。ゴッホのように。それでも、ワケわからないながらも前に進むことが出来る人、それがプレイヤーだと思います。

いくらdotsをconnect出来たって、半径1cm四方の面積じゃつまんないよ。どうせならあっちこっち点が飛んで、面積がでっかくなるように生きなきゃ!dotsをconnectして喜んでるだけの人生なんてクソくらえ!ってことです。

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我が生涯に一片の悔いなし!

グダグダ言う人に


おはようございます。本日朝4時起き。仲間に『ケツを蹴られて』無理やりスタートしました。過去何十回、いや何百回、恐らくもしかしたら何千回もトライして出来なかった早起きですが、とりあえず仲間との約束のため、出来るところまでやろうと思います。三日坊主も、1年間続ければ約半分はできたことになりますので。

さて、僕が最近大事にしている法則が一つあります。それは、

『グダグダ言うのはやってみてからにしろの法則』

です。意味は読んで字のごとく、グダグダ言うのはやってみてからにしろということです。

例えば早起きに関して、やってみたはいいものの、引換に犠牲になるもの、デメリットもいくつか想定されます。

・昼間眠くなったらどうするんだ。
・上司に夜飲みに誘われたら寝る時間がないじゃないか。
・生活のバランスが悪くなる。
・家族は協力してくれるのか。
・そこまでして早起きする必要があるのか。

これらはご承知の通り、全て『早起きをしていない人が早起きを実際にする前にしている言い訳の百烈拳』です。そして、試しに一回だけでも早起きをしてみれば、そのデメリットが実際にどのような形で現れるのか、どのように対処すれば良いのか、どう改善すればそれが防げるのか、など全てのことが身体で理解できます。

この『言い訳の百烈拳』を全て防御することはなかなか不可能で、全てに論理だてた正解をぶつけることはとても難しいです。が、たった一回の実際のトライアルで、身体知として色々なことが判明します。百聞は一行に如かず、ですね。

さてこの『グダグダ言うのはやってみてからにしろの法則』を取り入れるまでの僕というのは、とにかく新しいことが目の前に展開されるたんびに、そのことに対する批評を『グダグダと』述べているだけでした。結果何が起きたか?想像するまでもありませんが、何も起きなかったのです。

変わらない人生に辟易してついに『グダグダ言うのはやってみてからにしろの法則』を取り入れてからは、少なくない数だった失敗が、更に数多くになってしまい、一時期は恥ずかしくて恥ずかしくて、夜もよく眠れる日々が続きました。しかしあるとき気づいたのです。『俺、成長してるぢゃん』。そう、誰でも知っている通り、挑戦すればそれが成功にしろ失敗にしろ、成長はするのです。たったそれだけのことに気づくのに、かなりの時間を費やしてしまった気がします。

この『グダグダ言うのはやってみてからにしろの法則』、結構使えます。何か新しいチャレンジが目の前に提示されたときに、貴方はグダグダ言ってますか?それともグダグダ言いたいのをぐっとこらえて、とりあえずチャレンジしてますか?その毎回毎回の選択の結果が、残念ながら、また幸運ながら今の姿なのです。

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我が生涯に一片の悔いなし!

(宣言) 4時起き開始します


突然ですが、明日から4時起きすることになりました。早起き?10年間したことありません。というか33年間したことありません。一時期、ほんの一時期だけ早起きに目覚めていた時がありましたが、文字通りすぐに眠りにつきました。

が、今回は早起きの鉄人を自他共に認める友人の助けと環視とそそのかしもあって、4時起きを始めることにしました。

思うに、『やりたいなぁ』、『チャレンジしたいなぁ』、『これさえできればなぁ』といったことは、大抵1人では出来ていないものばかり。出来ていたら、そんなことを既に思わなくなっているはずだからです。だからコツは、2人以上でトライすること。あるいは目上の人、力が上と認める人と一緒にチャレンジすること。人生、自分の信念が大切とか芯を持てとか言われますが、本当に大事かつ重要な時には、『勇気をもって流されてみる』ことも必要です。ちょうどサーフィンで波に乗る時に抗わずに少し自分でパドリングするように、少しだけ自分をその方向にもっていくような言動をとると、自然に流されていきます。いつまでも海底に杭を刺して流れに逆らいながら自分の居場所を確保しようとするだけのヤツに、どんな女神も微笑みません。

というような、普段人に僕が教えているようなことを、早起きに関しては全くできていなかったので、今日この場で自分を実験台にすることにしました。

三日坊主OK、挫折OK、やり直しOK、何度でもチャレンジ無料、ということで、これから華の、そしてずっと憧れていた4時起きにチャレンジします。失敗したら笑ってください。そのうちモノにして笑い返してやります。2.6倍返しだ!!!

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我が生涯に一片の悔いなし!