ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

羅王の旅の話 〜旅で泣いた瞬間〜

time 2013/02/28


 

僕は2003年の2月から3月にかけて、二度目の一人旅をしていました。

僕の人生を変えたと言っても過言ではない旅の記憶を、それが僕の脳から抜け落ちる前に記録に残しておきたいと思います。途切れ途切れに記憶をつなぎ合わせていくので、ちょっと脈絡ないかもですが。

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僕が旅の中途で感動で涙を流すことはあっても、やるせない思いで涙を流したのは、ここグァナファトが最初で、そして今のところ最後でした。

グァナファトは、メキシコシティから夜中にバスで出てかろうじて朝たどり着けるぐらいの距離のある街でした。

結局はグァナファトに行く途中で夜中に何故かバスが泊まり、オロオロしているところに韓国系のおねーちゃんに誘われて家に行ったら怖い顔のおっさんが待っていて無理やり泊めさせられて、次の日その二人が教師をしている(つまり教師に逆ナン&家軟禁された)学校に連れて行かれて見世物にされて、更に友達のルチャリブレ(メキシコ式プロレス)の選手にスカウトされて危なくリングに上げられそうになるというハプニング的なSomethingがいくつかありましたが、そんなのはdoesn’t matterな一人旅。僕は予想外の時間をかけて、メキシコ西部ではそこそこ有名なグァナファトにたどり着きました。
グァナファトはメキシコがスペインに支配されていた頃の面影を強く残す町並みで、しかも街中が黄色とか赤とかオレンジとか、遠くから見るとまるでおもちゃのような原色で彩られたとてもカラフルな街でした。

ほぇぇ、とかいいながら着いた僕は、早速街の散策に行きました。遠くから見ている分にはキレイなこの街も、実際は街の中に入ってみると他の都市同様それなりに小汚い部分もあり、建物の塗装はハゲていたりしました。
途中、妙にくねくねしたメキシコ人が10mぐらい向こうから声をかけてきました。一通り挨拶したあと、僕のことを中国人だと勘違いしたまま、

『I heard that Chinese has a big ピーナッツ?』

くねくねメキシカンは聞いてきました。ちょうどピーナッツを持っていた僕は、

『勿論!デカイピーナッツ持ってるぜ!』

と返事。迂闊だったと気づいたのはこの5分後ですが、その返事を効いたくねくねメキシカンは、パッと笑顔を見せ、妙に嬉しそうに近寄って来ました。何度も何度も、

『You have a big ピーナッツ?ほんとに?』

と聞いてくるので、

『そうだよ、持ってるゆうただろ、しつこいぜ』

と回答する僕。そのうち、何やら様子がおかしいことに気づきました。そう、くねくねメキシカンが妙に嬉しそう過ぎるのです!出会った数分前より一層くねくねしています。おかしいおかしいと思って頭を悩ませながら彼をちら見したら、彼は僕の目線に気づかないぐらい、僕の下半身を凝視していました。

 

勘の良い方はもうお気づきかと思います。そう、これは僕のヒアリングミスでした。

英語だと発音が『ピィナァス』となるので完全に聞き間違えてましたが、くねくねメキシカンは先ほどから繰り返し、

『お前のはデカイのか?デカイのか?』

と聞いていたのです。そして僕は、

『そうだ、(俺のピーナッツは)デカイぜ、ああデカイぜ、問題ないぐらいデカイぜ。食べるか?』

とのたまわっていたのです。くねくねメキシカンが色めき立つのも無理はないでしょう。

異常を察した僕は、もう少しで僕の操を手中に収めようとしていたくねくねメキシカンの手をすり抜けて、猛ダッシュで猛省しながら猛ダッシュしました。危ない、もう少しでヤラれていた。そういう目に遭わないように極真道場で体を鍛えていましたが、タコスで鍛えたメキシカンは、男性の8割が屈強、勝てない勝負の可能性もありました。そして勝てない場合は、僕は生涯癒えない傷を負うことになります。敵に立ち向かって負う体の前面の傷ではなく、敵に屈服した証としておしりに傷を。。
僕は気を取り直して、街を一望できる丘の上を目指しました。頂上は色々な人がほのぼのと集う広場になっていて、そこからグァナファトの美しい景色を見ることができました。

ふと見ると、僕に近寄ってくる三人組の兄弟がいました。6歳ぐらいのお兄ちゃん、4歳ぐらいの妹、2歳ぐらいの弟といった三連星で、とてもかわいらしい子たちでした。メキシカンなので色は浅黒くて、そんなに裕福ではないのか、着ているもんはあまりキレイではなく鼻も垂れていて、しかし目はキラキラと輝いていました。

でもお兄ちゃんと妹の目には、ほんの少しだけ、鬱屈とした何かが溜まっているように見えました。一番下の子が僕に手を出してきたので、僕はあ〜かわいいなぁ、と握手をして、しばし微笑んだ後、再び景色を見ていました。
しばらくして気づいたのですが、その三人は、他の観光客のところにもトコトコ行っていました。そして弟が同じように手を出していました。

その時、僕の脳みそに衝撃が走りました。

手を出された観光客は、弟の手にお金を載せていました。そう、その手は、決して僕と握手するための手ではなく、僕という裕福(に見える)な外人からお金をもらうための、施しを求める手だったのです。そのことを瞬間的に悟った僕は、自分がどれだけマヌケな勘違いをしていたのかを気づかされ、思わず展望台から街を見下ろすフリをして、泣きました。サングラスをしていたので周りには見えなかったと思いますが、間違いなく僕は泣きました。
何が一番悲しかったかというと、それは弟くんの無邪気さでした。まず100%、自分が何をやっているのか、彼はわかっていませんでした。そしてお兄ちゃんと妹は、弟が何をやっているのか、恐らくわかっていました。

だから弟の目はキラキラ輝いていて、お兄ちゃんと妹の目には何かしらの影があったのだと僕は今でも思います。弟は、手を出せばお金がもらえる、ということだけを、体で知っているのです。そのお金がどんなふうに使われるかなどまだ何も理解できないにも関わらず、自分のその行動が、目の前の誰かから何かを集める行為だということを、彼は知っているのです。

知るべきでないことを知っていて、知るべきことを知らない彼の姿と、少なからぬ理不尽を感じながらも弟をそういう行為に投入せざるを得ないお兄ちゃんと妹の境遇を考えた時、涙が止まらなくなりました。
僕たちは、どんなに苦しいとかツライといっても、恐らく身内を物乞いに提供しなくても済むぐらいの自由はほとんど全員が獲得できています。それは、日本人に生まれたからです。

でも、ほんの少し生まれる場所が違っただけの彼らは、恐らくこれまでも、そしてこれからもああいった形でお金をもらいながら暮らす、という生活をずっと続けていかなくてはいけません。そしてそこから抜け出すのは、僕から見たらちょっと不可能に見えます。僕たちは、自分たちがどれだけ恵まれているのかについて、ほとんど何も分かっていないのではないか、そう思います。
実は、その後にもう一回3兄弟が僕のところにきました。僕は、他の観光客と同じようにお金をあげようとしました。しかしやめました。僕がお金をあげることで、弟くんは『手を出せばお金をもらえる』という経験を、また一つ積むことになります。僕があげようがあげまいが、何も変わらないかもしれない。でも万に一つでも変わるかもしれない。

何よりも、僕が彼らの人生が狂う方向に少なからず影響を及ぼしてしまうということが、自分自身許せなかったのかもしれません。僕は、結局お金をあげることはせずに、お菓子を少しだけ分けてあげました。三人で仲良く食べてね、と目で伝えたつもりです。有難うも言わずに去ってしまった三人組でしたが、しかし少しだけ嬉しそうでした。僕は何も出来ないけれど、いつの日か、彼らのような子供が笑って教育を受けることが出来る機会を創りたいなと、そう思いました。
僕たちは、もっともっと世界を知る必要があると思います。これはほんとに最近強く思う。これから年に1回は一人旅を二週間、しようかなと本気で思います。娘の年齢が、ちょうどあの兄弟の誰かと一緒になったんだろうなと少しだけ想像しながら、娘が日本に生まれてきてくれたことに心から感謝してしまう、ズルい親です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。