ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

『フツー』を見直す

time 2013/08/07


今日はお互いに『お前とは友達のフリをしてやってる』と罵り合う尊敬する友人Hとその後輩Sくんとの会食だったのですが、友人Hが後輩Sくんに叫んでいた言葉がとても印象的でした。曰く、

『社会人になってから友達作るのって難しーだろ。お前は社会人になってからの友達が、社内の同期とかじゃなくいるのかオラァ!いねーだろ!!俺と羅王は5回しか会ってないし友達のフリしてるけど友達なんだぜ』

『センパイ、サーセン(※業界用語ですみませんの意)、いません』

僕はしばし思考停止しました。『え?社外の友達がいるのフツーじゃないの?むしろ社内より社外のが多いのがフツーじゃないの?』との考えが頭にあったからです。見るからに優秀そうな商社マン、見るからに活発そうな漢なのですが、いないとのこと。僕は結構そのことに驚きました。同時に、自分の中の『フツー』に対して、自分がどれだけ『フツー』に感じてしまっているかを再認識しました。

ある人にとっての『フツー』は、活動する業界を異にする人からみれば完全な『異常値』となるケースは、実はとっても多かったりします。

例えば僕たちの業界。僕たちにとってはフルコミッションが『フツー』で、一般の方々から見るとそれは恐ろしく殺伐とした世界に生きているように見えているようです。

人がいつか病気になり、あるいはいつかガンになり、そしていつか死を迎えるということは保険に携わる者にとって大前提な『フツー』ですが、僕も以前そうであったように、一般の方の中にはそんなことを想像すらしていない人たちがかなりの数います。僕たちは休日がキライです。そしてそれが『フツー』です。しかし確か一般の方は休みが大好きだったと記憶しています笑

グーがどんなグーであれチョキに必ず勝つように、チョキがどんなチョキであれパーに必ず勝つように、Aさんが『フツー』と思っていることが、Bさんにとってはとてつもない価値をもつということは、往々にしてあります。

Aさんにとっては当たり前で大したことがなくても、Bさんにとっては垂涎の的なものです。価値のアービトラージ (=裁定取引)が発生し、AさんはBさんに対してシェアする価値のある価値を持つことになります。そしてよくよく探せば、誰にでもそういうものはあるのです。

僕は極真空手において、エベレストにも匹敵する登山のふもと程度の実力しかないのですが、それでもそれを『フツー』としない人たちからは、フルコンタクトというだけで『ハンパない!』との評価をいただきます。

前職に英語を話す人は山ほどいて、僕はその数分の一しか話せないにも関わらず、英語アレルギーだらけの同業の人たちとアメリカに研修旅行に行くと、必ずと言っていいほどちやほやされます。何も言ってないのに見た目だけで『お酒すっごく飲むでしょう、しかもめっちゃ食べるでしょう』と言ってくる人が結構多いのですが、本当の僕はお酒を飲まず普通の量しか食べられません。

価値のアービトラージは、様々な場面で発生します。AさんがBさんに対して発揮できなくても、Cさんに対しては発揮できることがあります。Aさんの一般分野に関する価値は他の人と大差ありませんが、ある分野に特定するとその他全員から先生呼ばわりされるほどの価値を持っていたりします。時間の経過によって価値が生まれることもあります。

てなわけで、人は自分にとっての『フツー』を今一度外界と照らし合わせながら客観視するべきだ、というのが僕の考えです。そうすることにより、自分が気づいていた自分の魅力以外に、自分が気づいていなかった自分の魅力というのが表に出てきます。そしてその魅力を発見した嬉しさにより、様々な活動が活発化し、加速していくのです。

僕がEXILEの名前を全員覚えていることも『フツー』なら、AKBの神セブンを迷わず言えるのも『フツー』です。スラムダンクなんぞほぼほぼ全巻どこに何が書いてあるか記憶していますが、それもまた僕にとっては『フツー』です。僕以外のほとんどの人から見たら異常なのに・・・

『YouはShock』な『フツー』、持ってませんか?

最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。