ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

それゆけ桐生選手!

time 2013/08/10


暑くなってきました、スポーツの夏です。

僕自身も、秋の極真の試合、そして初フルマラソン出場に向けてこれから追い込んでいきます。さて、今注目している一つに、陸上100mがあります。

言わずと知れた日本のホープ、桐生選手です。10秒01という、日本人としては幻の9秒台までほんのあと一息!最後は空気の壁が立ちはだかると言われる100m走において、肉体的に発展途上の高校生であることを考えれば、近いうちに9秒台を出してくれることでしょう。

さて、この桐生選手がいま一回り成長して9秒台に達した後、何が起こると想像できるでしょう。

桐生選手は間違いなくレジェンドになると思われます。

が、僕の見立てでは、桐生選手の記録は金字塔になると同時に、過去の遺物の参考記録になるのではないかと予想しています。日本人選手が皆9秒台に突入するからです。

もちろん桐生選手自身が自分の記録を塗り替えるということもあるでしょうが、何故昔は10秒台しか日本人は出せなかったのだろうと皆が不思議に思うぐらい、9秒台が他の選手含め怒涛の勢いで出てくると思われます。

実は昔、世界の記録も10秒台がやっとだった時期があります。カールルイスが1983年に9秒台を出したのが最初で、それまでは人類はずっと10秒台でしか100mを走れませんでした。

しかしアフターカールルイスは皆さんご存知の通り、今や100m決勝は9秒台の選手しかいないほどになっています。ルイスが9秒台を出したことで、全人類が9秒台を『不可』から『可』に認識を変えた瞬間でした。

同じように、桐生選手が9秒台を達成した瞬間に、日本人にとっての9秒台が『不可』から『可』に変わるはずです。『誰も出来ないこと』は、仲間うちの誰かが出来た瞬間に、『誰でも(ひょっとして俺でも?)出来ること』に変わるのです。

野茂選手が大リーグへの道を開いてから今や野球選手の渡米が当たり前になったように、三浦知良選手がセリエAという舞台に立ってから20年を経て、日本代表の大半が海外プレーヤーになったように、今フロンティアだと思われている限界地点は、西部開拓が進むとただの中間地帯になるのです。そしてそれは、民族全体の進歩と言い換えることができます。

『それ』を出来ると思いこめるか否かは、『それ』の実現の可能性に大きく影響します。

かつて人類史上どこを見渡しても誰もやったことがないという事柄ならいざ知らず、僕たちのチャレンジしようとしていることの大半は、どこかの誰かがいつの段階かでチャレンジしてきて、かつ達成してきたことばかりです。

とするならば、『どこかの誰かが出来たんだから俺も出来るはずじゃん!』と思い込んで、何の不都合もありません。

宇宙に誰も行けなかった時代がほんの少し前にあったはずなのに、いつの間にか数は限られるものの宇宙に人が行くのは普通のこととなりました。これ以上速くは走れないと思われていた馬は、その何倍も速く自動車に取って代わられました。戦場に出た最新兵器が、次の戦いでは全ての軍及び敵軍に標準装備されるほど、技術の模倣は容易になりました。

いずれも、心の底から『出来ない』と思われていたことが、いつの間にか『当たり前』になったことの例です。

てことはですよ、今何かをやろうとして頭の中で赤信号が灯るもの、例えば能力面、金銭面、労力面で不可と判断せざるを得ないものは、実は後々振り返ってみたら全然青信号の範囲内だったということは、結構あるんじゃないでしょうか。

はいはいしか出来ない赤子を、走り回る幼児が『何で立てないの?』と不思議な目で見るように、成長した自分は出来ない頃の自分を思い出すことすら難しいのかもしれません。

もしこれをお読みの方がこれからチャレンジしようとしていることに対して不安を持っているのであれば、それが人類初の偉業でない限り、きっと大したことはありません。

大丈夫、ほんとに大したことないから。9秒台がひとたび出れば、それに多くの人が追従できます。人間の限界なんて、そんなもの。全ては良しにつけ悪しきにつけ、思い込みです。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!

我が人生に一片の悔いなし!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。