ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

『前門の虎、◯門の狼』な富士登山列伝その3〜ほんの先っちょのはなし〜

time 2013/08/17


繰り返しになりますが、富士登山はかくも厳しいものでした。

何十回も登ってる人もいると思いますが、信じられません、あんなツラいものを。有り得ない。。

88kgのこの肉肉しい肉体では悲鳴が上がるのも当然なのか、高山病による頭痛と吐き気とは別に膝も痛め、久々の満身創痍状態に突入しました。

さて、何がツラいかというと、僕にとってはですが、そもそも登山自体が長いことです。僕が取り組んできたスポーツで言えば、サッカーが60分~90分程度、テニスが2時間程度、空手は2分~5分程度と、いずれも少し我慢すれば終わるものです。

しかし登山は登りが8時間、下りが5時間ほどかかり、5合目以高の土地に十数時間も滞在&運動をするもの、はっきり言って僕には長すぎるのです。

が、まぁそれだけの時間極限状態におかれると、色々なことを考えます。

僕よりも明らかに軽くて可愛くて小柄な女の子が登っていたり、僕の1/3程度の年齢の子が登っていたり、反対に僕に倍する年齢の方が平然と登っていたり。。そういう人たちに囲まれていると、ツラい思いをしているのが自分だけではないこと、恵まれた体格といってもいい身体でひいひい言っている自分の情けなさなどが痛感できます。

夜になると面白いことがわかります。当たり前のことが、でも多くの人が時に見過ごしてしまうようなことが。ヘッドライトを付けて延々と頂上目指して登るのですが、これがまた暗さに対する集中力を要するため、昼間の倍疲れます。疲れますが、あることに気づくのです。それは、

『足元の少し先を照らし続けていれば、どこまでも進んでいける』という当たり前の事実であり真実。

ど足元を照らすだけだと、近視眼的過ぎて次にどこに足を踏み出すかという意思決定において、間違いが生ずる可能性があります。遠くを照らそうとしすぎると、次の合目や頂上までのあまりの遠さに、自分のしている努力が無価値に見えてきたりして凹みます。また当然のことながら、夜なので足を滑らせたりするリスクも高くなります。

コツは、足元の少し先を照らすこと。理論上は、それだけでどこまでもどこまでも前に進んでいくことができます。そしてたまに後ろを振り返ります。

登山だと非常に良く分かるのは、自分がいかに困難で長い道のりを徐々に、しかし確実に登ってきたのかという実績です。これは何者にも代え難い自信を自分に植え付けてくれます。

人生において一歩進むことは文字通り一歩進むことを意味しないこともあります。方向がズレていたり、逆に向かってしまったり、正解がないがゆえにその一歩を踏み出すことについて迷うこともしばしばです。

登山は違います。一歩は一歩、確実に頂上に近づきます。

そしてそれを一歩だけでなく十歩、百歩、千歩も重ねる頃には、振り返れば確実に感嘆しうる進捗を確認することができます。一歩一歩を個別に見れば、はっきり言って大して進んでいません。

しかしもうツラいかな、やめようかなと思った時にふと後ろを振り向くと、どれだけの距離を自分が進んできたのかを知ることができ、時にそれは何よりの自信になります。

近くを照らし過ぎては足元がおぼつかないため前に進めず、遠くを照らし過ぎては前に進む気力を失います。少しだけ前を照らす。少しずつ、歩幅の範囲で進んでいくこと、これが肝要です。

そして時に振り返って自分の軌跡が奇跡の積み重ねとして存在しているということを確認する。それだけで、人はどこまでも前に進んでいくことが出来る、そんなことを富士登山で四方八方から追い込まれながら感じました。

とりあえず80kgを目指します。少しだけ前を。

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。