ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

歳を取ると時間が早く過ぎる理由

time 2013/09/30


33歳になって約2週間が経過しました。こないだ社会人になったと思ったらもう10年経ってたし、こないだ結婚したと思ったら6年経ってたし、こないだ娘が生まれたと思ったらもう4歳になるし。早い、早すぎます、時の流れ。

この時の流れですが、漠然と皆、歳を取るほど早くなるということはなんとなく実感しているようですが、じゃあそれが何故起こるんだということに関しては、そこまで注意を払っていないようです。ただ僕は歳を漫然と取っていくともうそろそろアラサーならぬアラフォーに突入してしまいそうなので、色々考えました。人生ここまでに、歳が早く過ぎてしまう理由について、示唆深い学びが二つあったので、ここに紹介します。どちらもごもっともと思える理由なので、その反対をしていけば歳を容易に取らずに済むことでしょう。

①分母が増えていくから
1歳の時は人生1年/1年です。しかし2歳になると、次の1年は1年/2年となります。となると30歳の時の1年は1年/30年であり、33歳の1年は1年/33年となります。分母が増える分、分子が相対的に少なくなっていくのです。脳の記憶容量がそれなりに一定だとすると(実際は衰えてすらいくわけですが)、確かに小学生の時の1年と、社会人になってからの1年とでは、人生に対する重みが違ってくるのも当たり前なのかもしれません。

小学生の時の1年1年は、本当に長いものでした。中学生の1年も長かったです。夏休みの1ヶ月なんて、休みが始まった当初は永遠とも思える時間が残されているかのように感じたものでした。でも今の1ヶ月はどうでしょう?休みじゃなく仕事があるからという理由はありますが、1ヶ月のなんと短いこと。もう今年が1/4しか残されていない!と嘆いてる人も多いのではないでしょうか。

②チャレンジしなくなるから
基本的に、子供時代から青年期にかけては、出来ないことばかりに挑戦する毎日を僕たちは過ごします。やったこともない積み木を幼稚園でいじり、平仮名もカタカナも九九も分からない状態で小学校に入り、高校では部活で体力の限界に挑む傍ら、サインコサインウソクサインなんてわけのわからない数式と格闘します。その間、脳には出来ないことが出来るようになるまでのプロセスががっつりと刻み込まれます。基本的にはずーっと出来ないことを続けてくわけです。その過程における苦しみ、喜び、一緒に戦った友人たちとともに、記憶は鮮明なものになります。

しかし社会人になってからはどうでしょう?多くの人が、1年目は苦しんだはずです。2年目もそこそこ。しかし3年目ともなると、結構仕事に慣れてきます。10年目になると、もはや3年目ぐらいからの延長戦上でしか仕事をせずとも、何とかなったりします。過去の貯金で食べるグライダー状態でも、会社や省庁によってはやっていけてしまう、それが社会人です。人は、昨日と同じ今日が過ぎ去ると、時間が経つごとに両者が混同され、あるいは融合してしまったまま記憶に格納されます。早い話、あってもなくても一緒な一日だったというふうに記憶されてしまうわけです。

大人になるということは、基本的には子供時代よりも能力が高くなっていることを意味します。すると全力を尽くさずとも、8割程度、場合によっては5割、ともすると2割程度の力しか発揮せずとも、目の前の仕事を片付けるということが出来てしまうようになります。そうすると、当然のことながら本人の成長はありません。100kgのバーベルを持ち上げられる人が、毎日20kgの重さしか持ち上げないでいるようなものだからです。そしてそんな日々は、またまた当然のことながら記憶に残りません。結果、昨日と同じような今日は、今日と同じような明日につながり、それが続くことによって10年単位で『あっという間に』時間が過ぎてしまうのです。チャレンジしない日々は、記録どころか記憶にも残らないのです。

人は、1速から2速、そして3速、4速へとギアを上げていって、それにともないスピードを増すようにできています。多くの人が、ほぼ確実に新卒の頃の収入を今の収入が上回っているでしょうし、当時よりも今の方が仕事が早くなっているに違いありません。が、それと記憶に残るか、幸せを感じるかはまた別だということ。実は人は、1速の時しか記憶出来ません。確かに4速の時の方がスピードは出るのですが、効率が悪く、燃費も悪く、対してスピードも出ず、アクセル全開にしないと進まない1速の時の方が、ぜーんぜん楽しいのです。記憶にがっつり刻まれる、いわゆる青春となります。

確かに、4速でずっと走り続けられることは素晴らしいことです。でも最期にどうせ死ぬことを考えたら、記憶に残る1速の時期がずっと続いたジェットコースターのような人生の方が、きっと楽しかったと断言出来ると僕は思うのです。

人生はいつ終わるかわからないとか、時間は有限だと心の底から言えるほど、僕は歳をとっているわけではありません。でも、今年の1年や去年の1年が記憶に残らないものだとしたら、ちょっとそれは寂しい。ぶっちゃけ、この会社に入ってからの8年間は全て記憶しているので、その意味ではずっと1速でこられているのかなと思いますが、前職のうちの一部は、記憶がすっぽり抜けています。そして最近、それをとても寂しく感じます。

これからどんどん1年の分母対比は小さくなっていきます。しかしその傾斜以上にチャレンジしていけば、これまでと変わらない、いやもっと素晴らしい記憶に残る時間が過ごせるんじゃないかな。そう信じて明日も休暇を全力で楽しみたいと思います。

※ちなみに、小中高の友達と逢うと、彼らに昔の悪業を教えてもらわないと、自分が何をしたかを全く思い出せないのですが、これはチャレンジしていなかったからではなく、単に脳が溶けてしまってその部分の記憶が流出、破棄されてしまったからだと思っています。『お前に携帯折られた』、『お前に靴にアンパン入れられてぐちゃぐちゃにされた』、『お前に胸と腹を間違えられた』など、クレーム多数。。。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!
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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。