ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

学歴と学習歴

time 2013/11/03


こんなことを言ってしまっては、自分の人生の一部を否定してしまうことにもなりかねない身も蓋もない話なのですが、明らかに事実なことに、学校で僕らが学ぶ最も重要なことは、『最も重要なことは学校では学べない』ということです。

これは文字通り読んでしまうとそのまんまなのですが、真意としては別に学校教育を否定することではなく、むしろ前向きに捉えたい言葉です。つまり、学校で学ぶことが大したことない、ということではなく、学校での学びに留まらず、社会に出てからももっと学ぼうとする姿勢こそが、人生における真の学びとなるのではないかということです。

◆【学歴=学習歴というのはどうなのか?】

僕の知っている限り、多くの人が、子供の頃は勉強を強制されているようです。自分の経験で言えば、(勿論今となっては親に感謝していますが)中学校受験、高校受験、大学受験と、『勉強したい』というよりは、『勉強せざるを得ない』環境で勉強をしてきました。中学校受験は確かスーパーファミコンとドラクエⅤのために頑張りました。高校受験は好きな女の子と同じ高校に行くために頑張りました。大学受験は・・・なんでか忘れましたが、ラスト4ヶ月だけ結構頑張りました。

しかし多くの(日本の)大学生は、受験の終了とともに遊びを専門とするようになります。僕もご多分に漏れず、属していたのは商学部でしたが、実際に学んでいたのはビール学とテニス学と極真空手学でした。一部、公認会計士試験などを頑張っている人もいましたが、そんな人たちは僕にとっては『ただのイカれた奴ら』だったのです。

そして社会人になると、確かに仕事に関しては学びます。が、これまた多くの人が、(特に男性に多いのか)仕事以外のことを学ぶ機会を失っているようです。ザ・仕事人間にありがちなのは、仕事を定年で失った途端に家族以外の、いやもしかしたら家族すらも含めて、話を出来る人が激減してしまうという現象です。おーこわ。

お医者さんや税理士さんなど、素人から見れば常に勉強しているように見える人たちも、実はよくよく見ていると、学んでいる人とそうでない人の違いというのが、ある段階から如実に現れてきます。それは、『仕事=専門分野以外も学んでいるかどうか』で判断することが出来るように思います。テレビでよく見るような『白い巨塔』のお医者さんなどは、医学と権力闘争以外の一切を学んでいなかったのだろうと思います。もっと学ぶべきは、どうしたら人が幸せになるか、どうしたら自分に関わる人の最大公約数の幸せを追求できるかを追求することだったのではないでしょうか。

おおざっぱに言ってしまえば、仕事での学びを別として、『学歴=学習暦』となってしまってる人は、その後の成長があまりないような気がします。勿論、社会的地位が仕事の能力だけで上がっていくということもままあるので、そういった側面だけ見て判断することは難しい面があるかもしれません。

でも、例えば『社会的に偉いけど実際かなりエラそうな社長さん』だったり、『収入は高いけど友達のいないお医者さん』だったり、『飲み会で会社と上司の愚痴しか出てこないビジネスマン』だったりというのは、要するに学校で学ぶ延長線上のこと以外のことを、あまり学んでいない可能性があるわけです。しかも学校を卒業してからの数年~数十年に渡って。学習暦が学歴の段階でストップしてしまってるわけです。

◆【学歴<学習歴にするにはどうすれば良いのか?】

簡単です。公認会計士試験や、MBAを目指せばよろしい・・・わけでは勿論ありません。ま、それも良いでしょうが、もっと簡単な事で良いのです。例えば、

1、出来ないことが出来るようになるようチャレンジしてみる

学ぶとは、出来ないことが出来るようになる過程のことです。大人になると、ともすれば出来ることしかやらなくなります。それまでの過程で膨大な数の『出来ること』が完成してしまっているので、ぶっちゃけその安全地帯の中だけでやりくりしたとしても、生きていくことも自分を適当に納得させることも出来るのです。その『出来ること』は、本来は幼少期から大人になるまでの間に築き上げた学び、つまり『出来ないこと→出来ること』の軌跡の集積であるにも関わらず、ある段階からはその貯金だけで食おうとするのです。何故か?簡単だしラクだからです。でも当然、貯金を切り崩すだけの生活は、いずれ行き詰まります。

ということで、大人になったからこそ、『出来ること』が増えてきたからこそ、改めて『出来ないこと』にチャレンジしてみたら面白いんじゃないでしょうか。それにはもう一つコツがあります。それは、

2、本業と関係なく、脈絡があるようなないようなことに手を出してみる

ことです。本業と関係ある限り、今までの経験が生かせてしまいます。しかしそれではつまらない。そういうものが一切通用しない、新たな境地というものにチャレンジしてみると、今まで自分が全然鍛えていなかった部分が、あっという間に刺激されて強化されます。そして実に面白いことに、そういう脈絡のないものにチャレンジすると、それと本業がシナプスで結ばれ、新しいアイデアがバンバン湧いてきたりします。脈絡なんてものは、まさに’Connecting the dots’なので、自分で後からどうにでも見出せるものなのです。大切なのは、そのチャレンジをするかしないか、それだけ。

◆【学習暦が高まると、幸福度が増す?】

学歴は変えられません。もう僕はハーバードの学卒というブランドを手に入れるには、歳を取りすぎています。でも、学習暦はいくらでも変えられます。今学んでいることが『最終学習暦』になるからです。人は、恐らくほぼ全員が『幸せになるため』に生きています。勿論その定義は人それぞれなのでここでは割愛しますが、この1年色々と脈絡のないことにチャレンジしてみて思うことは、人が何かを学ぶプロセスの中に、結構な割合で幸福感が含まれているのではないかということです。要するに、出来ないことが出来るようになる過程で、そのチャレンジ対象がどんなものであれ、なんともいえない幸せな感じがするのです。また、それがどんな形であれ本業にもつながるという気づきが、その幸せ感を増幅してくれます。人が生活していくためには本業が必要ですが、そのための学びが実は生活のどこからでも仕入れられると分かると、俄然全てが楽しくなります。

僕は今回、5km走るのも約20年ぶりというところから、フルマラソンを完走するに至りました。保険という仕事からは、まず関係ない競技です。でもその過程で得た学びというのは、これまで学んできたいずれとも異なり、また新たに自分の可能性を拡げてくれるものでした。

詳細はこれから徐々にブログに起こしていきますので、頭の中のどこかで何かと何かが結びついた様を楽しんでいただければ幸いです。とりあえず、体力的にも体型的にも出来るはずがないと思われていたフルマラソンを完走できて、今めっちゃ幸せです。筋肉痛が激しいのでとりあえず寝ます。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!
読んでいただいてる方のシゲキとゲンキとキヅキになれば嬉しいです。

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家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。