ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

フルマラソン惨敗日記〜ほんとにおしまいの巻〜

time 2013/12/03


※ちょっと書き忘れたことがあるので、追記しておきます。悟空の優勝で天下一武道会が終わった後の亀仙人風に言うと、『最終回じゃないのぞよ。もうちょっとだけ続くんじゃ。』

※主な登場人物と組織

元帥:ランの師匠。詳しくは本編参照。

熊:ランのライバル。De部。俺とほぼ同じ体格だけどやや管理職体型。詳しくは本編参照。

小僧:ランのライバル。スリム部。詳しくは本編参照。

愉快な仲間たち:愉快な仲間たち。詳しくは本編参照。

De部:俺が部長を務める部活。入部希望者は体重を80kg以上にした上でこちらまで。

【あらすじ】

フルマラソンってなぁに?と言うヤツがいたら、俺はこう答えようと思う。『人生の全てを学べる』と。
ただ、そういってもなかなか伝わらないので、このおまけに少し意味合いを記しておこうと思う。このエントリを読んで少しでも走ってみようかな、と思ってくれる人がいれば、望外の喜びであります。当たり前のことを当たり前に綴っていこうと思う。順不同で思いつくままに書くので、全くロジカルではないけれど、これが偽らざる気持ちである。

【フルマラソンから学んだこと/フルマラソンで学べること その1『1/100の奇跡』】

経験した人は分かると思うが、途中辛くなってきているにも関わらずまだ距離が数十km残っていると、心が折れる。俺は25km地点で完全ギブアップ、あとはゾンビとして如何に生きているかのように見せかけるかだけが勝負だった。言い訳、ここで止まってもよい理由はわんさか出てくる。それこそ50も100も。俺重いし・・練習してないし・・膝痛いし・・巻き込まれただけだし・・走るのキライだし・・ミドルネームGary(=下痢)だし・・マラソンできなくても極真があるし・・もともと期待されてないし・・etc.etc. そして誰もが頭に浮かべると思う。

『俺(私)、なんで走ってるんだっけ?』

考えて考えて考えて・・・そして出てくる一つの結論。

『カッコイイダンナ、カッコイイパパ、カッコイイ漢でありたい』

ボロボロになっても諦めず、汗水たらたら、ぐちゃぐちゃになって泣きそうになりながら、それでも諦めずに目標に向かっていく。そんな姿を一番近くにいる人たちにも見せられる漢でありたかった。娘がもう少し大きくなったら、きっと勉強にしろスポーツにしろ、努力の崇高さや諦めないことの価値を伝えなくちゃいけない日が来ると思う。そんな時に、それを誰よりも自分自身が体現出来ている漢でありたかった。

やる理由は結局のところ、この1つしかなかった。100の『やらない理由』に、たった一つの『やる理由』が勝った瞬間だった。マラソンに限らず、人は日々あらゆる局面で『やらない理由』と『やる理由』を戦わせている。朝早く起きるのか起きないのか、昼食は腹いっぱい食べるのか食べないのか、仕事をもう少し頑張るのか頑張らないのか、推しメンをこじはるにするのか大島優子にするのか。

100の『やらない理由』に勝る1つの『やる理由』を見つけられると、人は自分でも想像すらしていなかったチカラを発揮することが出来る。今回の俺がそうだったように思う。ただ、究極のところまで追い詰められないと、このたった1つの『やる理由』は、日々の雑多なガラクタ感情に紛れて見つけられないんだわさ。だから究極のところまで追い詰められるフルマラソンは、長期的に見たら絶対にやっとくべきなわけ。

思うに、『心の天秤を制したものが、人生を制す』のではないだろか。数学上有り得ない公式だけれど、『1』が『100』に勝ったときに、奇跡は起こるのである。

【フルマラソンから学んだこと/フルマラソンで学べること その2『目標は宣言した時点で7割達成』】

今回、俺は目標をサブ4(=4時間切り)とした。ゴルフで言えば100切りぐらいに相当するだろうか。『マラソンやってます。サブ4です。』というと、『ほぉ~、お宅なかなかやりますな』と世知辛い世の中にしては無条件に褒めてもらえる、ブランドタイムである。結果は4時間21分。仲間内では、師匠である元帥に続いて2番目のタイムだった。

後から知ったのだけれど、体型的に、またランキャリア的に、俺のサブ4はだいぶ狂言だと思われていたようだ。スリム部の面々から、『いや、羅王さんはぶっちゃけ視界に入っていませんでした。まさかそんなに速いとは・・』と言われた時には、少なからずショックだった。あれほどサブ4目指すゆうたやん!!と、出来もしない関西弁が飛び出すほどだった。だって、俺はかなり大きな声でサブ4サブ4言っていた。それこそ、どんな嘲笑を買おうが無理ですよと言われようが、とりあえず言うのはタダだからサブ4と言い続けた。

結果どうなったか。一番サブ4に近い場所にたどり着いたのは俺だった。結果論だから後から何とでも言える点は差し引いたとしても、何故俺が今回チーム内2番目のタイムだったかというと、俺だけが『サブ4と言い続け、一度もブレなかった』からだと思っている。

他のメンバーはというと、『完走が目的』な人も、『5時間切り』が目的な人も、『4時間半切り』が目標の人もいた。それぞれの目標に貴賎や巧拙や尊卑はない。それぞれが全力を出し切った。が、面白いのは、大体みんな掲げた目標付近のタイムになったということ。俺も若干のアクシデントはあったものの、大体目標付近のタイムに落ち着いた。

ここで言いたいのは、結局のところ、実力云々ではなく、『どこを目標にしたか』によって結果が決まった、ということ。『そこ』を本気で目指したのか目指さなかったのか、ということ。俺は目指したけれど、後で聞いたら熊は言ってみただけで本気で目指していなかったらしい。小僧には、『キツイときにもうちょっと羅王さんを意識してれば違ったんだけどなぁ!!』と言われたが、俺はそうは思わなかった。確かに熊も小僧も意識したが、それは焼肉に関しての賭けの話であって、俺はとにかくサブ4しか考えていなかった。実力が足らなかったせいで目標達成には至らなかったが、少なくとも本気で到達しようとしていたことだけは、疑いがない事実だ。

感覚的な話だけれど、目標というのはとりあえず言ってみるに限る。なぜかというと、仮に未遂に終わったとしても、たいていの場合はその近くまで行けるからだ。4時間を目指したから4時間21分だったのであって、5時間を目指していたら恐らくそのあたりにとどまっていたことと思う。タクシーの運転手さんに大体の地名を言えば、ビルまでは特定できなくてもそこの近くまでは行けるよね?そんな感じで、仮に失敗しても目標付近まで行けるのであれば、言わない手はないと思う。

ただ多くの人は、言ってしまった結果何らかの理由で未遂に終わるリスクや恥ずかしいという気持ちを、言ってしまった結果その付近までたどり着けるメリットよりも高く大きく見積もっているように思う。結果何が起こるかというと、『目標なんて言わない』とか、『ほんとの目標のはるか手前の手堅い目標を言う』となる。それが一番、リスクもなく恥をかく可能性も少ないからだ。

でもそれってどうなのよ?赤ちゃんですら、机のかどに頭ぶつけてビービー泣きながら色々なことを学んでいくのに、心も身体も強いはずの大人が豆腐の角ですら恐れるのって、ダサくない?

【フルマラソンから学んだこと/フルマラソンで学べること その3『幸せコスパが高くなる』】

多くの人が気づいている通り、今の時代はお金と幸福度は比例しない。年収は1500万までは幸福度が増すが、それ以上はあまり変わらない、なんてアホな統計もあるぐらい。じゃあ結婚して子供がいればそれで幸せかというと、そういう条件を満たしているのに幸せじゃなさそうな顔をした人が、日本にはわんさかいる。結局のところ、幸せかどうかというのは、幸せを見つけるチカラがあるかどうか、その一点にかかっているのではないかと思う。

問題なのは、これだけ安全で綺麗で飯が旨く大体のものは揃っている日本で、幸せな人がどれぐらいいるかというと、先進国どころか途上国、後進国まで含めても『Yes!』と言い切れる人がそう多くはないということ。モノが溢れるだけでも、安全が保障されるだけでも、国が安定しているだけでも、人は幸せになれないなんて知ったら、世界中のそうではない国々が怒りだすのではないだろうか。そう考えると幸せを見つけるチカラってのが、人生そのもののクオリティを分けるんじゃないかと思う今日この頃。

さて、関係ないですがゴルフというスポーツを考えてみたいと思います。ゴルフ場に行くまでが楽しい、ゴルフ場のラウンジが綺麗だと盛り上がる、ティーショットがかっ飛んだときは超きもちいい、インとアウトの間のランチも美味しい、景色も楽しめるということで、基本的にはポジティブな気持ちになれるスポーツ。勿論スコア云々にイライラしたり、思い通りに飛ばない球に対してマイナスな感情が起こることもあるけれど、ま、楽しいですよね。

マラソンはどうか?ということを考えたときにはどうでしょか?『走るのが好き!きもちいい!』という奇特な人は除いて、俺のような一般市民太めこってりめ背脂多めランナーだと、『99.5%はツラい』んじゃないでしょうか。最後の0.5%、つまりゴールしたあとの爽快感、達成感だけが、ぶっちゃけたところ『プラスの感情』に溢れるパートなんじゃないでしょうか。途中の感情としては、『なんで俺こんなことしてるんだ?』とか『アホちゃうか?もう二度とやらん』とか『生きててごめんなさい』とか、ヒッジョーにネガティブなものが多い。勿論その過程で上述した『やる理由』が見つかって燃えることもあるのだけれど、それだって容積的には100も200もあるネガティブな感情に囲まれてるわけ。

にも関わらず走るのは、やはりその0.5%が、走った暁には99.5%を駆逐するから。それは恐らく、全ランナーに共通していることだと思う。

そしてこれが俺がたどり着いた結論なのだけれど、つまりは人生全体において『幸せコスパが高くなる』のがマラソンの最大の魅力なんじゃないかと思う。ゴルフやサッカーや野球などのように、やる前からやってる最中から終わった後まで楽しいスポーツと異なり、マラソンは容積的には0.5%しかないプラスの部分が残り99.5%のマイナスに打ち勝ち、感動を与えてくれる。これってスゴイことじゃないだろうか。そして実はスゴく鍛えられてるんじゃないだろうか。何がって?、わずか0.5%に関して幸せを見い出す力が、マラソンをするたびに鍛えられているということ。それって、日常生活にも応用できるんじゃないだろうか。

幸せコスパが高くなれば、多額のお金も、元ミス・ユニバースな奥さんも、芸能界にスカウトされるような子供も、必須条件ではなくなる。高級外車も、邸宅も、専用コックも要らない。今ある中に、幸せを見つけることができるようになる。今そういうことができずに苦しんでいる人も、マラソンで0.5%を愛し、幸せコスパ力を鍛えることによって、そこまでたどり着くことができる。

これまでは、形ある幸せを追い求める能力が必要とされた。これからは経済が長期的には縮小していくなかで、形のない微細な幸せを見つける能力が人生の幸福度を分ける。ダイエットの後の白米が異常なほど美味く感じるように、厳寒のなか帰ってきた時のコーヒーがたった一口でハッピーな気持ちにしてくれるように。。小さなところに幸せを見出すチカラ、すなわち幸せコスパって、鍛える方法が意外と身近なところにあるってことが、マラソンを始めてわかったのであります。

マラソンってすげー!!!

【フルマラソンから学んだこと/フルマラソンで学べること その4『評論家になれない』】

マラソンは基本的には努力のスポーツ。体育の授業でも分かる通り、サッカーやバスケというのは、確実にセンスのあるヤツというのがいる。サッカー部じゃないのにサッカーが上手いヤツ、バスケ部じゃないのにバスケが上手いヤツ、という憎たらしいヤツらだ。

勿論マラソンも、ある程度の基礎体力がある人は有利だが、それよりも努力の量がモノを言う。有名な話だが、フルマラソンよりも更に過酷な100kmマラソンのタイム平均は、20代~30代に比べて圧倒的に50代~60代の方が速いそう。サッカーで60代が20代に勝てる道理はない。

マラソンは、評論家になれないスポーツ。誰かの陰に隠れて荒波をやりすごすことも、上手に責任転嫁して、やってるフリをして誤魔化すこともできない。要領の良さがファッキンシットな世界である。一歩は誰にとっても一歩であって、金融の世界のようにレバレッジを効かせることもできない。ただただ、ストレートに自分の実力と向き合うスポーツである。

プレーヤーだけが、自分の限界を超える醍醐味を味わうことを権利を許される。

【フルマラソンから学んだこと/フルマラソンで学べること その5『一歩進むと一歩ゴールに近付く』】

当たり前の話だけれど、マラソンは一歩進むと一歩ゴールに近づく。マラソンは基本的に方向を間違えることはないスポーツ。本当に一歩進むとゴールに一歩近付く。あまりに自明だけど。どの一歩も無駄にはなってない。どの一歩も、ゴールまでの距離を埋める大切な一歩。

イチローが4000本安打を達成したときに、『やっぱ4000本目って印象的?』と聞かれて、(名古屋弁風に意訳すると)『いやいやいや、あんた全然分かっとらんだがね。4000本目の前に3999本目があって、その前に3998本目があるだぎゃ。遡れば1本目があるわけだから、全部大事だっつーの!!!』ということをインタビューで言っていたが、まさにそれと一緒。どの一歩がなくても、マラソンは完走できない。

仕事や家庭のように、進む方向すら分からないものと若干の違いはあるとは思う。でも、一歩進むと一歩ゴールに近付く、だからその一歩一歩を大切にするという感覚を、マラソンを通して改めて強く感じたと思う。

【フルマラソンから学んだこと/フルマラソンで学べること その6『強くなりたかったら敵に塩を送れ!』】

ゴルフにて下記のケース。賞金王がかかった全米オープン最終ホールで暫定トップ。一緒に回っているライバルがパットを入れれば自分と並び、プレーオフ。外せば自分の優勝が決まる。そんな状況下でライバルが最後のパットを打つ。そんな時、大概のプレーヤーは、というかおそらく世界中でタイガーウッズ以外は、『外れろ!』と神に祈る。これが普通の感覚だと思う。しかし世界中でタイガーウッズだけは、『入れ!』と心の中で叫ぶそうだ。なぜなら、『外れろ!』と念じて運悪くパットが入ってしまった時はショックが大きく、メンタルが非常に大きな影響を及ぼすゴルフにおいて、プレーオフでのダメージが計り知れないから。逆に『入れ!』と言うと、身体も脳もそのまま第一級の戦闘態勢を維持出来るので、仮に入ってしまったとしてもそのままベストな状態のままプレーオフに臨めるのだそうだ。

このウッズのスゴさを知った俺は、以来間接的にウッズ的であろうと試みている。具体的には、より強くなりたい場合にはより積極的に敵に塩を送るようにしている。応援して、『もっと強くなれ、もっと強くなれ』と念じるようにしている。今回のマラソンも、そして次の1月と3月のマラソンに向けての練習も、俺は敵である熊に、塩を送りまくっている。練習内容を公開し、俺の別の師匠で2時間半切りする化物を引き合わせ、計画を一緒に練って一緒に練習している。それもこれも、ウッズのような真のチカラを身につけたいからだ。敵が強くなればなるほど、俺も間接的に強くなることができる。最後に勝つのは俺だが、そこまでは出し抜くよりも、敵により強大になってもらったほうが、こちらとしてもやる気になる。

だから俺は、強くなりたかったら敵に塩を送ることってことをオススメしたい。勇気がいるけどね。

【フルマラソンから学んだこと/フルマラソンで学べること その7『人間本来のチカラを取り戻すことが出来る』】

最近の世界、特に日本はやばいと感じている。例えばトイレ。水を綺麗に流してくれるのはさておき、便座を上げ下げするボタンも付いているし、音を消す音出し機能もついている。そんなレベルでトイレのプライバシーを守るのは日本だけだ。

例えば電車。乗客に御礼を言うだけならまだハートウォーミングだが、『ホームでは電車が通りすぎる際の風圧にご注意下さ~い』と、どうでもいいところまで注意報が出ている。インドでは線路に人は寝てるし電車内は荷物網のところにまで人が横に乗ってるし、車輌のあらゆるところに人がへばりついているけれど、誰も轢かれたりしない。

快適に快適にってのを追い求めすぎて、人間が段々と弱くなってきているのは、誰もが気づいていることだと思う。そのうち、結婚するのも子供育てるのも仕事するのもロボットにやらせたりするんじゃないだろうか?人間はどんどん賢くなっているつもりで、どんどんアホになっていってるのではないだろうか?服のボタンを締めるのも、ファスナーを上げ下げするのも、センサーに判断してもらうんだろうか?

そんななか、人間のもつ本来のチカラだけで走るのがマラソンだってこと。どれだけ世の中が便利になっても、ITが発達しても、マラソンだけはそういう誤魔化しもショートカットも許されず、自分のチカラだけで走らないといけない。考えてみれば、42kmなんて距離は、自動車で移動すればいいじゃない。何故それを態々自分の足で移動するのか?

何度も書いたけれど、人間の幸せというのは、物質的なものだけで満たすことは出来ない。むしろ、不便さの中に楽しさがあり、非効率の中に光があり、非合理の中に未来があるんじゃないかと思う。マラソンは、ロジカルに考えれば考えるほど、おバカのやるスポーツ。多分ゴルフの方が楽しいし、気持ちいい。サッカーも点を取れば嬉しいし綺麗なパスが通るだけでもグレートな気持ちになる。でもその大半が苦しいだけのスポーツなのがマラソン。ゴルフはゴルフをやらないと出来ないのに対して、マラソンは移動手段という意味では他にいくらでもある。

じゃあなんでやるのか?もう一度書くと、『不便さの中に楽しさがあり、非効率の中に光があり、非合理の中に未来がある』から。そして、人間本来のチカラを取り戻すことが出来るからです。

以上、色々書いてきたけれど、初めてのフルマラソンは、振り返って俺の人生を変えてくれたターニングポイントに間違いなくなっていることだろうと思う。とりあえずはサブ3.5(3時間半切り)、そして黒帯である3時間切りを真面目に目指してみたいと思う。

このフルマラソンから学んだこと/学べることを持ちまして、フルマラソン惨敗日記を終了、そして修了としたいと思います。

改めて共に闘ってくれた仲間、師匠に感謝!!!

~これでほんとの最終回。全11話となりましたが、今までお読みいただき有難うございました!次回作に乞うご期待~

家族とか教育とかの話

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