ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

【ちきりんさんお題】オーガニック納豆な女の子

time 2013/12/14


『ロッテ』のビックリマンシールより『ロッチ』のビックリマンシールの方が今となっては懐かしいと思っている皆さんこんにちは、文豪です。(@raoukeita)
先日、ちょいと気分を変えてみようと思って、いつもいかない初めてのスーパーに行ってみました。

◆【半端ないスーパーで嫉妬】
芸能人御用達というか、高級そうなタワーマンションに隣接するスーパーだったのですが、これがまたゴージャス!置いてある品物の価格は驚くほど高く、いちいち品物を手にとって値段を気にしてしまうほどです。牛乳も、普通のものも置いてありますが、ふと手にしたものを裏返して値段見てみたら、なんと1リットル500円もしました。

買い物に来ている奥さんたちの服装も、いつも行っているスーパーの数段階上を行く、ハイソな感じでした。僕は若干ショックを受けました。勿論、ムリをすれば買えない金額ではないほどに収入は人並みにあるわけですが、だからといって一本500円もする牛乳を『日常的に』買おうとは思いません。日常の品を買いに来るであろうここに置いてあるということは、それらの品を日常的に買う人がいるってことですからね。500円あれば、はなまるうどんの小が5杯も食べられます。

さらにさらに驚いたのは、ふと横を見た際に、お店の人に質問をしている女の子を見た時です。その子は6歳ぐらいのまだ小さな女の子で、おそらくはお母さんに買い物を頼まれてきたのであろう感じでした。で、何を店員さんに聞いていたかというと、『オーガニック納豆下さい』とのこと。

『オーガニック納豆』ですよ?『おかめ納豆』でも、『金の粒』というブランド(というのか?商品名?)にこだわるならまだしも、『製法』にこだわってるんですよ?しかも6歳の女の子が。

僕は納豆という圧倒的に日常的な商品にすら、非日常的な格差があることにしばし唖然として、その女の子を見ていました。そして、猛烈に悔しくなりました。きっとその子はたまたま今日オーガニックの納豆を買いにきただけだとは思うのですが、おそらくは家の野菜もオーガニック、お肉もオーガニック(そんなのあるか知りませんが、オーガニック飼料で育った牛とか)、下手したら服もオーガニック、家具もオーガニック、トイレの便座もオーガニックな生活をしてるんだろうなぁ、と考えてしまいました。オーガニック嬢って言うんですかね、こういうセレブな子のこと。

この年の瀬に、僕の年間流行語大賞を集計したら、間違いなく『オーガニック』が首位に躍り出た瞬間でした。強烈な嫉妬とともに。。。おかん、あんた納豆の種類にオーガニックなるランクが存在すること、一言も教えてくれなかったやんか。先生、あんた偏差値よりも受験よりも大事な納豆界の序列、なんでカリキュラムに入れてくれなかったんや。僕は話せもしない関西弁とともに、そのスーパーで刹那の間、立ち尽くしました。

でもね、今日言いたいのはそういうことじゃないんです。僕のケツの穴が極めて小さいて話をしたいんじゃないんです。

◆【可哀想な6歳の女の子】
同時に僕が感じたことなんですけど、実は僕はこの女の子のこと、確かに一瞬強烈に嫉妬しました。でも、どちらかというと、『可哀想だな』と思って気持ちの方が強かったんです、正直言うと。別にケツの穴の小ささを否定して、器の大きさをアピールしたいわけじゃないんです。よくある、『そういう子もいるよね、でも人は人だよね』なんていう無為に大人びた意見を言いたいわけでもないんです。

『オーガニック納豆』というのは、ある意味納豆界の頂点です。納豆界を統べる存在です。サイヤ人で言うところの悟空と同じ下級サイヤ人である僕からすると、聖闘士星矢で言うところの星矢と同じブロンズ聖闘士である僕からすると、スラムダンクで言うところの湘北高校の控えである僕からすると、その6歳のオーガニック嬢が頼んでいたのは、『オーガニック納豆』という『ベジータ並のエリートサイヤ人』であり、『サガ並のゴールド聖闘士』であり、『山王工業の沢北並の高校界No1プレイヤー』であるわけです。羨ましい限りです。一度でいいから、僕も『オーガニック納豆』なるものを日常的に食べられる身分になりたいなと、ちょっと思ったりします。

でも僕が問題だと思ったのは、その子が『オーガニック納豆しか知らない』という可能性が、非常に高いということです。そしてそれは、勝手ながらとても『可哀想なこと』なんじゃないかと僕は思っています。

冷静に考えれば分かることですが、6歳の段階でオーガニック納豆しか家庭で食べていないんだとすると、これから彼女が成長して大人になる過程で口にするのは、自宅以外ではほとんどが『オーガニック納豆以下の納豆』であることが予想されます。学校の給食でも、部活の合宿でも、会社の社食でも、どこを探しても、自宅以外で『オーガニック納豆』と同等の納豆など、出逢うはずもありません。

恐らくはオーガニック納豆を食べる理由は、『オーガニック以外は(色んな意味で)イマイチ、場合によっては害悪』とご両親が考えていたからだと思いますが、とするならば、恐らく『オーガニック納豆以下の納豆』に関しては、今後彼女は避けようとするのではないかと予想されます。一般的な納豆とご飯だけで幸せという人からするとこれはとても奇異に思えますが、同様に、あるいは反対に、このオーガニック嬢から見てもこういう人は奇異に映るだろうということです。

魚の旨い地域に育った人が、他の地域の魚を食べられなくなるのと同様に『オーガニック納豆』しか知らないで育つと、『オーガニック納豆以下の納豆』には不満を覚えること確実です。そしてそれは世の中にオーガニック納豆が1に対してオーガニック以下の納豆が99ぐらいの比率で存在するであろうことを考えると、特に意識しなければ『100回納豆と出会って、そのうち99回は不満』という結果につながります。

対して、僕のように普通の納豆しか知らなければ、一般的なおかめ納豆から始まって、⇒金の粒納豆⇒それなりに高級な納豆⇒かなりの高級納豆⇒・・・⇒オーガニック納豆という頂点に至るまで、各階段を登るごとに『なんじゃこりゃぁ!!!』と松田優作さんのように感動する可能性は高いのではないでしょうか。

◆【幸せとは/不幸せとは、常に相対的なものである】
思うに、幸せも、不幸せも絶対的な基準があるわけではなく、常に相対的なものです。人は自分が生まれた環境を自分の中の基準にします。そりゃ当たり前ですよね。生まれた環境そのもの、そこが『海抜0メートル』になります。そこから上へ行ければ、あるいはそういう希望があれば幸せを感じ、その逆であれば不幸せを感じる生き物なんじゃないかと僕は考えています。

だから、お金持ちの家に生まれたからといって必ずしもその時点で幸せなのではなく、貧乏な家に生まれたからといって、必ずしもその時点で不幸せなわけでもありません。よく言われる通り、比較が生まれることで、格差を感じることで、それが幸せにも不幸せにもなる、ただそれだけのことです。(正確に言えば日本ではってことです。今のソマリアやポルポト期のカンボジアにいたら、それはやはり不幸せだと思います。)

例えば、大金持ちの家に生まれて、住んでいる家は邸宅、寝室10部屋、専用コックさんや教育係がいる、というような家の子は、僕の勝手な想像では毎日フランス料理を食べています。成長したある日、家の事業がうまくいかなくなり、生活レベルが大幅に下がったとします。邸宅は普通の高級マンションに、5台あった外車はクラウンに、お父さんは大企業の重役からライバルに倍返しされて出向に、毎日並んでいたフランス料理は、週に1回しか食べられなくなります。それでも十分僕のような庶民から見るとスゴイのですが、もしかしたらこの子は、『ちぇ、パパ没落したなぁ』と感じるかもしれません。バブル期の人たちみたいに昔を懐かしんでばかりいて、目の前に満足することは今後難しいのかもしれません。

反対に、裕福ではないけれどもご両親の教育はしっかりしている家に生まれた子が、大学で出来た彼氏に人生初めてのフレンチに連れて行ってもらったならば、『なにこれ!こんな美味しいもの食べたことない!ほんとありがとう!大好き!』てな感じになるのではないでしょうか。今後も二人は良い関係を続けることでしょう。

片や毎週食べられる一流シェフの作るフレンチに何かを感じることはなく、片や本当にたまにしか食べられない普通のお店のフレンチに幸せを感じる。これって不思議ですね。幸せも不幸せも、常に相対的だということです。

ここで僕が言っているのは、多くの人が幸せを感じたり不幸せを感じたりするのには一定のパターンがあるのではないかってことです。当てはまらない人もいるかもしれないけれど、大体の人は当てはまるはず、そういう類のものです。それは、

『現在が過去より良くなったという事実、もしくは未来が現在より良くなるという確信が、人を幸せな気分にさせる』というもの。法則と言っても良いかもしれません。

『右肩上がり』とも言いますね。

これが、多くの人が幸せを感じる典型的なパターンなのではないかと思います。絶対的な値ではなく、傾きが大事ってこと。逆に言えば、そうでなければ人は不幸せな感情を抱くかもってことです。

◆【一昔前はみんな幸せだった】
諸説ありますが、高度経済成長期とかバブル期って、やはりみんな幸せだったんじゃないかと僕は思っています。5年も一生懸命働けば給料が圧倒的に増えたり、それに伴って家具家電も増えたりしたからです。過去より現在がずっと良くなったという事実があって、そして未来は現在よりもずっとよくなるという確信があったからです。

僕が子供の頃を思い返しても、なんだか幸せだった気がします。より正確に言えば、幸せとは何たるかがわかり易かった気がします。

確かに今のように便利なものは何一つありません。iPhoneどころか携帯もないから待ち合わせもカンタンには出来ないし、特に女の子の家に電話する時はめちゃくちゃドキドキしたものです。iPodもないからすぐに擦り切れるカセットテープにほんの数曲入れて、いちいち折り返しながら聴いていました。街でイケないオトナの書籍の自動販売機を見たときは、やましいこともないのに足早にその前を歩き去ったものでした。

ファミコンの次にはスーパーファミコンがあり、ドラクエⅢの後にはドラクエⅣやⅤがありました。その一つ一つのリリースに僕たちは熱狂し、必死になって親に買ってもらうべくあの手この手で交渉したものでした。僕が中学受験を頑張ったのは、ドラクエⅤがやりたいがためでした。ドラクエ10が11になっても大して今や興味はありませんが、ⅣとⅤではグラフィックから音楽からパーティの組み方や呪文までエライ違いでした。ジャンプを1日早く手に入れられるヤツは、仲間内で英雄扱いでした。発売日前に買ったジャンプを一度欲しがるライバルに売って、また自分用にジャンプを買うなんていう商売もまかり通ったものでした。

高度経済成長期やバブル期の大人の世界も、きっと遠からずな感じだったのではないでしょうか。白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の三種の神器を揃えることに、そして揃えるごとに幸せを感じ、その次にはカラーテレビ、クーラー、自動車といった新・三種の神器を目指しました。

物質的なものを満たすだけで幸せになることは出来ない、と昨今で言われてますけれど、それは物質的なものが満たされるという環境が広く遍くそうなってから初めて出てくる議論であって、そうなるまではやはり分かりやすいという意味でも、物質的なものは幸せの源になるんじゃないでしょうかね。

今の時代に、幸せの在り処を見つけるのが難しいのは、もう分かりやすい形での物質的な何かを求めることがあまりカンタンではないからです。だから青い鳥を探しましょうみたいな話になります。これって、青い鳥を見つける視力がある人は良いとして、そうではない人はどうしたらいいんだろうとたまに思います。

◆【6歳のオーガニック嬢が可哀想なワケ】
話を戻します。『オーガニック納豆くださいな』というオーガニック嬢ですが、ここまで話せばお分かり頂ける通り、要するに恵まれすぎなのです。6歳に過ぎない子が日常の代表である納豆、その最高位に位置するキングたる『オーガニック納豆』を食べている時点で、これ以上今後の人生で恵まれるということが想像しずらいわけです。人生のバッファ、伸びしろがあまりないんですね。しかも恐らく、6歳だから自分が恵まれてるということすら理解していないかもしれません。彼女にとっては日常なわけで、フツーなわけで、取り立ててオーガニック納豆がスゴイとも思ってないかもしれません。この先、僕はこの子が幸せになれるのか、もっと言えば幸せを感じることができるような大人に育つことが出来るのかどうか、心配で心配でなりません。

もちろん、親御さんがしっかりしていれば、大丈夫だとは思います。欧州の名家では、子供を早い時期に親元から離し、厳しい規律を課される全寮制の学校に入れて人格も身体も鍛えるそうです。そうして厳しい環境をくぐり抜けて戻ってきた後に、しかるべき経路を辿って家を継ぐようになると言われています。家の暖かさを知りたかったら、一度は冬にドアの外に締め出されるという経験をした方が良いのです。そんな経験を親御さんがオーガニック嬢に課すことができれば大丈夫でしょう。でも、女の子なのでそんなに厳しく出来ないとしたら、きっとオーガニック嬢はオーガニック男子としか恋愛も結婚も出来なくなってしまうのではないでしょうか、極端なはなし。

僕の師匠はお金持ちなのですが、家族でいくときも自分と奥さんはビジネスクラスで、しかし子供4人はみんなエコノミークラスに乗せています。払える財力はあるけれども、敢えてそうしない。それは、子供に勘違いをさせないためです。お父さんがスゴイのは重々分かっているけれども、それが決して自分たちのチカラではないということを、そしてビジネスクラスに平気で乗れるような大人になるためには努力が必要だということを、背中で教えるためです。こういうのっていいですね。

オーガニック嬢も、オーガニック納豆なんか食べてないで、おかめ納豆にすればいいのにねって思います。そしたら金の粒に昇格した時に無情の喜びを感じるし、オーガニックにたどり着いた時には嬉しすぎて失神するんじゃないのかな。

◆【趣味が旅行の人が『博多』に生まれるのは幸せか】
僕が今まで旅行、出張した中で一番良かったなと思えるところは、福岡は博多です。まずメシが旨い。牛も魚もモツもラーメンも旨い。次に安い。ハズレを引くこともほとんどない。そして女性もとっても綺麗。周りに自然も多くて、マイナスイオンも出まくりです。最高の場所だなと思います。

ところで、趣味が旅行だという博多生まれの人がいた場合に、その人は果たして幸せなのかという話について考えてみたいと思います。僕、これ、微妙だと思ってるんです。だって、どこに行っても博多以上に美味しくて安くて綺麗で自然の溢れるところなんて、あまりないわけです。博多がやっぱいいよねと、どこを旅行しても故郷の良さを再認識することになるのではないでしょうか。故郷を大切に思う気持ちは良いとして、こと旅行に関して言うのであれば、毎度楽しみにしていって毎度失望して帰ってくる、なんてこともありえるんじゃないかと思います。

反対に、メシが不味くて高くて自然がなくて女性も・・という県に生まれた人はどうでしょう。たぶんこういう人って、他県に旅行するたびに感動して帰ってくると思うんです。幸せな気持ちになって帰ってくると思うんです。だって、どこに行っても自分の県より旨くて安くて癒されるし綺麗だから。

幸せって、貯金することはできません。その時幸せと感じることが幸せなのであって、10歳の時に超幸せだったから、30歳の今もその時の貯金で幸せを感じることが出来る、なんて人はいません。人間はゲンキンなもので、常に幸せと感じられるようでなければ、幸せではいられないのです。その意味でも、わかりやすく幸せを感じることが出来た高度経済成長期やバブル期は、今と比較しても結構良い時代だったんじゃないかと思うのです。

ということで、もしかしたら、一見すると全てに恵まれた博多生まれの人の方が幸せに見えるかもしれませんが、事実はその逆で、ヒジョーにビミョウな県の人の方がどこに出ても幸せを感じられる分、幸せなんじゃないかと思う今日この頃です。

◆【格差問題も、実は似たような構造】
格差って、今に始まったことじゃなくて、昔からありましたよね?というか、恐らくは昔の方がひどかったんじゃないでしょか。戦時なんて、その日食べるものにも困窮する人がいる一方で、裕福な家の人は毎日ビフテキを食べてビリヤードをしていたそうです。今の日本はモノも水も安全も食べ物もほぼ万人に行き渡って溢れているのに、なぜか小さくなったはずの格差がクローズアップされている。これはなんででしょう?

僕は格差問題の専門家じゃないから解釈が合ってるかはわかりません。でも、なんとなく思うのは、人間ってのは、遠い場所に存在する圧倒的な格差よりも、近くのちょっとした格差の方に頭を悩ませ、心を痛めます。アラブの石油王に真剣に嫉妬してるヤツは、少なくとも僕の周りに一人もいません。それよりも、娘の幼稚園の他のパパがBMW7シリーズに乗ってるのを見たときの方が、嫉妬が強いような気がしています。

格差問題がクローズアップされるようになったのは、多くの人が前進できなくなったからです。正確に言えば前進を実感できなくなったからです。先に述べた、『現在が過去より良くなったという事実、もしくは未来が現在より良くなるという確信が、人を幸せな気分にさせる』という法則が通じなくなったからです。下りエスカレーターを歩いているのと同じ感じで、頑張っているのにいつまでも同じ場所にいるような感じがする、だから他の人との差に目が向くのです。そしてそれは、三種の神器が頑張れば手に入った時のように単純に解決出来るものでもありません。もうみんな、テレビも洗濯機も持っているからです。テレビや洗濯機がもう一台増えても、別に嬉しくないんですね。

逆に言えば、いわゆる新たなフロンティアを国が、会社が、あるいは自分自身が用意することができれば、格差問題なんてのは一発で解消出来るってことです。みんな目標を目指しますから、今あるちょっとの差なんて、どうでもよくなるんです。俺もそこの場所に行ったるわ!!!そのように考えるわけです。そう考えると、経済には成長が大事、成長が大事と吼える政治家の皆さんの意見も、わからなくはないですね。

人生には、右肩上がりを常に経験出来る仕組みが必要だってことです。これ、また機会を見て書きますね。最近、上手に右肩上がりの仕組みをつくる方法を見つけたので。

◆【てなわけでオーガニック嬢へのアドバイス】
中国には有名な諺があります。

『まず隗より始めよ』

優秀な人を集めたいなら、まずは(あまり優秀ではない)私=隗を重宝なさい。そしたら私程度を重宝するような国なら自分はもっと重宝されるはずだ、という周りの国の優秀な人間がどんどん集まるでしょう。という、人事上の要諦を突いた諺です。

これをパクるわけではありませんが、もし僕が今回登場したオーガニック嬢にアドバイスするなら、こう言ってあげたいと思います。

『まずおかめ納豆より始めよ』

オーガニック嬢が幸せになるために、こんな素晴らしいアドバイス出来るのって、江東区には僕ぐらいしかいないんじゃないですかね?

※Disclaimer1
以上は、尊敬するちきりんさんの日記にあったお題を基に作成したものです。(ご参考:http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/touch/20131204)
実際は初めてのスーパーにも行ってないし、オーガニック納豆を頼むなんていう『可哀想な』6歳ぐらいの女の子も目撃してません。

~お題~
・いつもは行かない初めてのスーパーに入ったら、
・価格が驚くほど高く、周りの客の服装もいつものスーパーより、かなりハイソな感じだった。そして、
・「オーガニック納豆を下さい」と店員に話しかける”6際ぐらいの女の子”を目撃した

というシチュエーションに自分が出くわしたとしたら、そこから感じたことをブログを通して読者の方にどのように伝えるか、が課題です。この課題に取り組んだ全員が同じシチュエーションで作文てことなので、ちきりんさんのところには非常に面白いサンプルが集まることでしょう。

※Disclaimer2
いつもは20分、遅くても30分でブログを書くことにしているので、今回はちょいと規格外というか気合入りすぎでした。なので、いつも書いているブログの方が雑で大雑把で、しかし僕の実力は一番良く出ていることと思います。今日のはある程度時間がかかったりテーマが決まっていたので、ちょっとテイストが違うかも。ちなみに今回は50分ぐらいかかりました。

家族とか教育とかの話

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。