ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

ブログを一年書いてついたチカラ

time 2013/12/19


ブログを書くようになって1年が経過しますが、なんだかんだで色々な変化を実感する毎日です。それは極小で遅効性のものから、極大で即効性のあるものまで、文字どおり色々な変化です。

そのうちの一つに、『語彙力が増えた』というのがあります。これは別にもともと持っていた語彙のレパートリーが増えたかというと実際そうではないのですが、でも瞬間的に出てくる言葉の種類や質が大きく変わったことは、自分が一番よく実感しています。

◆【持ってる手数は増えないが、出せる手数は増えた】
たぶんこの表現が一番しっくりくるのですが、結局のところ、頭が良くなって脳のキャパが増えて、語彙が爆発的に増えたかというとそうでもありません。勿論、発信を前提として書籍を読むので、吸収率が結構な割合で違ってきてるという面はあるかもしれませんが。というよりは、語彙の引き出しを検索したり、開け閉めしたり、出し入れしたりというスピードが格段に上がったように感じるということです。

今までは、何かの事象にぶち当たったときに、1つ目の表現はスラスラ出てくる、でも違う言い方をしようとすると、脳の何段目のどこにあったっけ?鍵はどれだっけ?どうやって引き出しから出すんだっけ?どうやって言葉組み合わせるんだっけ?という引っかかりがいちいち発生していたんです。が、今は、割とその事象をありとあらゆる角度から表現する、ということを瞬時にできるようになってきています。

空手で言えば、技の種類が増えたわけではないけれども、相手の動きに合わせてどんな体勢からでも、それらを組み合わせて瞬間的に出せるようになってきたということですね。逆に言えば、今まではしっかり構えて、相手の隙が明確な時じゃないと、ちゃんとした技が出せてなかったということです。これってつまり、実際問題結構強くなってるってことなんですね。

◆【あなたが持っている道具がカナヅチ一丁ならば、全ての問題が釘に見えてくる】
有名な格言なんですが、全くもってそのとおり。実際には問題には様々な形状があり、全部釘と同じように叩けば良いというわけでもありません。でも、語彙のレパートリーを持っていないと、こういった問題の解決は、常に一辺倒で強引で、それゆえに解決せず悪化して・・ということになりかねません。

語彙力が増えるということは、これら毎日のように立ちはだかるあんな問題やこんな問題を、切り分けして分解して適切な道具をもって解毒、無力化するという能力が高まっているということです。揺れている感情が怒りなのか、悲しみなのか、焦りなのか、戸惑いなのかによっても対策は全然変わってしまうのですが、それを表現すらできなければ、なんの対策も打てませんからね。

誰かに何かを伝える時にも、その人にあった伝え方ができるので非常に便利です。大人の交通違反をたしなめるのであれば、リスクと人道をそれ相応に説く必要があるかもですが、子供に交通ルールを守るように理解させるには、鬼さんや神様のチカラを借りた方が効率的です。

◆【学生さんに伝えたこと】
先日、一部の仲間が企画した就活中の学生さん向けセミナーに参加してきました。その中で、『自分の軸を持て』とか『自己分析をしろ』とかいうわけですが、これは経験上学生の立場で言われても、本当のところの意味はわからないと思っています。社会人10年を経てきてやっと理解できつつある重要なテーマなのですが、少なくとも僕は学生の時分にこんなことを理解できる頭も経験もありませんでした。

が、少しでも分かりやすく、成果を持って帰ってもらおうと思った僕は、自然とこんなことを言っていました。

『自分が何弁当なのか、それをはっきりさせろ。唐揚げ弁当なのか、生姜焼き弁当なのか、のり弁当なのか。一番良くないのは幕の内弁当。全部そこそこ入ってる。でも誰の記憶にも残らない。何を食ったのか覚えてられないから。あいつの弁当は唐揚げがはいってた。そいつの弁当には生姜焼きが入ってた、という方がよほど印象に残る。だから自分が何弁当なのか、それを明確にしたらよろし。』

一発で理解したと言わんばかりの顔が何個かありました。時には抽象的な話よりも、具体的な身近な例の方が、ずっと分かりやすいことってあるんですよね。後輩にB/S(貸借対照表)の説明をするときも、貸方とか借方とかよくわからないので、住宅を買うときに準備する頭金が右側の資本、ローンが負債、左側がマンションそのもの、と説明しています。それで一発で頭に入ります。

◆【言葉のチカラ】
これ、師匠の言葉なんですけど、自分がそれをまがりなりにも使えるようになって、ようやく意味が分かってきました。これも知らなかったかといえば、実は知っていた話です。よくいう『言霊』や『伝達力』なんていう語彙や文字そのものの意味は、自分の中に当然のことながら格納されています。でもそれを適切なタイミングで適切な強度で適切な頻度で、『上手に』使うことが出来ていたかと言えば、そうではない。なんとなくわかってきたかな、できてきたかな、というのが、1年間ブログを書くということを経て抱いた素直な感想です。

◆【だけど全く通用しない相手がいると思い知った件】
かといって何にでも万能になったかというとそうでもなく、言葉や語彙に関して、昨日個人的にものすごく面白い経験をしました。

クリスマスツリーを買って娘を喜ばせようと、帰る道すがら、『今日はすっごくうれしいもの買ってあげるね。きっとすっごくよろこぶよ?』と散々煽ってました。4歳の娘は、『え~?おかし買ってくれるの?それともプリキュア?ドーナツ?あたしよろこぶ?』とワクワクドキドキが伝わるぐらいニコニコしながら東急ハンズに向かっていました。ほんとペラペラよくしゃべります。感心するぐらい。

『違うよ、ぜーんぶ違う。でも超うれしいもの』と僕があまりにぼかすので、『なーにー?わかんない、おしえて。パパだいすき。』という娘。それに対して僕は言いました。

『んーと、ヒントはねぇ』

その瞬間、それまでスラスラと成り立っていた会話がピタッと止まり、娘がインターセプトしてきました。

『ひんとって、なに?』

僕は思わず唸りました。そうか、4歳では『ヒント』って言葉を知らないのか。じゃあ説明し・・・・たいけど出来ない。モノじゃない、パパやママみたいに目の前にいるものでもない。『何か問いがあったときに、その答えに近づくために橋頭堡とするべき事象あるいは仮説』なんてことを説明しても、そっちの方が難しい。

うー

うー

うー

結局、『ヒントってのはね、ヒントだよ。10回使えば覚えるからね。またおしえてあげるね。』と逃げるしかありませんでした。

考えてみれば、大人は自分の知っている語彙の一覧をフックにして、出会った新たな語彙の解析をして既存のものと関連づけて、自分の頭の中のどこかに格納します。大人は既に語彙力があるので、それができるわけです。でも子供は、持っている語彙がとても少ない。『パパ』や『ママ』は目の前にいる人だと何百回も教え込めば理解できるし、『ご飯』や『お水』などは、目の前にあるモノを指し続ければ何とか理解できるような気がします。

でも、目の前にもない、既存の語彙とも関連しない、かといってそれに代替する語彙はもっと難しい、という言葉に関しては、どう説明したらいいのか。途方に暮れました。かといって、大人になって『ヒント』という言葉を理解しない人は恐らくほぼいないわけですから、どこかの段階でそうなる時期が来るわけです。

100を1000にすることも、1000を10000にすることもカンタンだけれど、0を1にすることは極めて難しいんだな、と感じた一日でした。子供にも説明できる語彙力が欲しいですね。

その日は娘の匂いを嗅ぎながら、9時半に力尽きました。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!
読んでいただいてる方のシゲキとゲンキとキヅキになれば嬉しいです。

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家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。