フィジカルを追い込むことによって見えてきたもの


今日、『宮島国際パワートライアスロン』なるレースに出てきました。これについてはまた機会があれば書きます。

さて、この1年でフルマラソンからウルトラマラソン、トライアスロンと経験し、そして8月に出場予定のアイアンマンへとつながっていくわけですが、勘違いされることが多いので弁解しておくと、ただ身体を鍛えているわけではありません。

MというよりはSな性格だし、服のサイズはLLだし。

全く何もしていなかった昨年と比べてかなり追い込んでいるように思われるわけですが、純粋に身体が強くなるとか、精神的に鍛えられるといったこと以外にも、フィジカルを追い込むことによって見えてくるものがあるので紹介しておきます。

それはズバリ、

『可能なことと不可能なことの境目が本能的に分かるようになり、危機察知能力が高まり、引き受け可能なリスクを適切に取れるようになる』というもの。

例を挙げます。

赤信号で横断歩道の前の方で携帯をいじりながら待ってる人っていますよね。申し訳ないですけど、『アホか?』と思います。人間は質量的に、絶対に車には勝てない。だから、何かの拍子に車が突っ込んできたら、アウトです。どんなに強い人間でも、アウトです。携帯なんて持ってたら、逃げることもできません。だから、僕は横断歩道の最前線には立たないか、立ったとしてもその際は携帯をいじりません。

一方、全く言葉がしゃべれない国に旅行にいく。これは悩みますがアリです。同じ人間だから何となく言っていることは分かるし、ツーリスト関係者は大体英語ができます。ただし、テロの恐れがあるところとかは、ナシ。特に誘拐&身代金事件が多発している所に、『勇気を持って』いくのはダメです。勇気と無謀をはき違えてはいけません。

最近僕が経験した、『1月末にプールで50mしか泳げなかったくせに、同年8月のアイアンマン(スイム3.8km@海)に挑戦する』はどうでしょうか。これは、一般の人からすると理解不能なことであり、上記のテロ国家への海外旅行と同じ類いに見えるかもしれませんが、結論から言うと今僕がチャレンジしている通り、アリです。理由としては、1回迷っていった場所の帰り道はすんなり帰れるように、人間は『慣れる動物』であるということです。50mに慣れているだけの状態から、1kmとか2kmに慣れる状態を作って行けば、いずれ3.8kmを泳げる泳力にたどり着きます。いくら慣れてもテロは無理ですからね。

本業で言えば、家族がいて保険に入っていない、みたいな人を見ると、申し訳ないことに『あ〜あ』というふうに感じます。生老病死のうち、生は与えられるものですが、他の三つは避けられないものです。避けられないものを、『俺は大丈夫』と言うことほど、根拠のないことはありません。見えないカウントダウン装置のついた時限爆弾を抱えて家族を危険に晒しながら放置するのって、大黒柱がやることじゃありませんし、果たして賢いことと言えるのかなと。まず飲み代とタバコ代を削れば、と思います。

全体として、昔の僕はリスクとリターンがあるなら、リスクの大きさ=痛みの大きさばかり見ていました。それが、フィジカルを鍛えたことによって、上記の法則のおかげかリターンを見るようになりました。

1万円のセミナーと10万円のセミナーがあったら1万円の方が安いと思うのが普通です。が、前者は10倍の価値があり、後者は100倍の価値があるとしたら、どちらを採るでしょう?以前の僕ならそれでも前者、今の僕なら迷わず後者です。そしてこういう際の意思決定というのは、財力の有無とは関係ありません。

世の中で上手くいっている人を見ると、皆少なからずリスクを許容範囲の中で飲み込み、リターンをうまくたたき出しています。’No pain,no gain’という言葉がありますが、負っていいのは甘受可能な’Good Pain’であって、手に負えないような’Bad pain’ではありません。

フィジカルを追い込むことを続けてきたおかげで、上記のような意思決定を、以前と比べると間違えなくなったような気がしています。

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

引かぬ媚びぬ省みぬ!

我が人生に一片の悔いなし!

 

 

 

2014年W杯惨敗と僕の人生の類似点について思うこと


※サッカー初心者の方でも読めるように、サッカー素人の人が書いてます。

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W杯、事前に期待されていたどのシナリオすら成り立たないほど、打ちのめされましたね。

何人もの選手が、『これが実力です。』と言っていたのが印象的でした。そう、実力で日本は負けました。

僕は小学校から高校までサッカー少年だったので、W杯は毎回楽しみにしているのですが、今回の惨敗についてはこんな感想を持ってます。

『これで日本は強くなる』

なんでそう思ったか。それを説明するために、少々僕の高校時代に触れる必要があります。

***

高校時代の学力

僕は中学までは結構真面目に勉強していました。学校の成績は既に最悪に近かったですが、模試などではそう悪くなく、偏差値が70を超えるような教科もいくつかはありました。『あれ?俺ってもしかして結構頭良い?』なんて思った時期も、正直言えばありました。

で、国立にも関わらずエスカレーターではなく普通に受験を強いる高校に入り、そこでやる気をなくしました。『内部』と呼ばれる内部進学組の僕らに対し、『外部』と呼ばれる開成すら蹴ってくるような化け物がゴロゴロいました。高1の終わりや高2の始め頃に、東大理3の問題をスラスラ解いているようなヤツもいました。◯◯の定理、とその後までレジェンドとして残るような、自分の名前を冠した数学の定理を発見した先輩もいたそうな。

あまりの次元の違いに完全にやる気をなくした僕の入学時に真ん中ぐらいだった成績はどんどん下降していき、気づいたときには高3の二学期に現代文の試験で偏差値8、数学は0点、全教科で365人中364番目まで落ちました。というか堕ちました。(ただ、とてつもないアホだった365番のヤツが偏差値5をたたき出し、結局この男には一度も『勝て』ませんでした。余談ですが、このあと、この程度の学力から僕は東大を目指すことになります。そしてもちろん不合格。)

ある時点から採り始めた戦略が、『俺、全然勉強してないよ作戦』です。またの名を、『やれば出来る子だもん作戦』とも言います。優等生がやるとカッコいいのですが、劣等生がやるとただのアホ丸出しに終わるアレです。

テスト前は極力部活やゲームに逃げ、試験の前日から徹夜して本番に臨んだり、最後の方には試験当日に隣のヤツに『今日って科目なんだっけ?』と確認して、『いやー全然準備してないわぁ』という感じをムンムンに醸し出しながら、そして念のため声に出して言いながら、ひどい点数を採って、『全く勉強せずに20点取れるんだからちょっとやれば結構出来るかもしれない羅王』を演出してました。

ルターもびっくりの量の免罪符をそこかしこに張り付けてました。

***

そうも言ってられなくなった高3の2学期も中盤に差し掛かる頃、なんだか分からないノリで東大を受けることになってしまったので、仕方ないので真面目に勉強してみました。友達と食べていた弁当の時間も図書館に引きこもり、5時間目からの重役出勤が常だったのを1時間目からに切り替え、『お?羅王ちょっと変わったぞ?あいつが努力したらちょっとやばくね?』なんて空気も流れ始めました。

そして迎えたテストで、『俺、全然勉強してないよ作戦』や『やれば出来る子だもん作戦』を捨ててた僕は、見事誰もが驚く高得点を採り、クラス中の注目を浴び

・・・

・・・

ることは一度もありませんでした。点数、全く上がってませんでした。点数が上がらないので偏差値も上がらず、模試もE判定以外見たことありませんでした。

『あいつ、やっぱりアホなんじゃね?』という、優しくない空気が流れ始めたのもこの頃です。僕自身、この結果にはかなりびっくりしました。確かに、覚えようと思ってもところてんのごとく抜けていくし、数学に至ってはサインコサインウソクサインぐらいしか分からない。

この頃、ラスト4ヶ月だけですが1日16時間ほど勉強してましたから、努力はそれなりにしました。で、結果は全く変わりませんでした。つまり、実力がびっくりするほどないということが、このとき初めて分かったのです。

頑張れば追いつけると思ってたヤツらは、本気を出せば金田一君並の頭脳を持つはずの僕が真面目に勉強したとしても全く追いつけないようなスゴいヤツらでした。

僕の高校生活は、結局のところ自分の能力の限界を思い知らされるという意味で、失意のうちに終わりました。

***

今回の惨敗で見えてきたこと

だいぶ前置きが長くなりました。

今回の惨敗で見えてきたこと、今後への教訓を、素人なりに振り返ってみたいと思います。

岡田ジャパンまでの日本は、守備的なサッカーという免罪符でお茶を濁してたとも言えます。守備的であれば、たとえ強豪相手で負けても0−1とかのスコアに落ち着くことも稀ではないし、運が良ければカウンターが機能して勝てちゃう。

10人のギリシャを崩せなかったように、並のチームでも、守備に徹すれば、そうそう点は入りません。早い話、強豪相手でもなんとかなっちゃうし、実力差が見えづらくなります。

だから過信してしまう。

『(例えばオランダ相手に)守備的にやって0−1だった。負けたけど0−1だった。だったら攻撃すれば勝っちゃうんじゃね?』

と、思考が非常に安易で簡単な計算をしてしまう。

そして今回、それが大いなる勘違いだったということを、おそらく国民全員が理解したことと思います。攻めれば攻められる、という一番大事なことが、現実として立ちはだかってきたわけです。

攻められても倍返しや3倍返しが出来るブラジルやオランダと違い、攻められると途端に『自分たちのサッカー』が出来なくなるのが日本です。

僕は思います。もしかしたら今回、日本は純粋なる世界との差を、いわば初めて体感したのではないかと。

***

『自分たちのサッカー』という言葉が今回、流行語大賞並に出てきました。守備的な『自分たちのサッカーではないサッカー』でベスト16までいったのだから、攻撃的な『自分たちのサッカー』をすればもっと上まで行けるはず、というのが、日本代表の主張でした。

そして、それは完膚なきまでに打ち砕かれました。実力差以外の何者でもない差を、見せつけられました。

『自分たちのサッカー』をしようとしたからこそ、もともとあった実力差が、守備的であったがゆえに見えづらかった実力差が、圧倒的にリアルに、まるでRetinaディスプレイで映したように、とーーっても綺麗に鮮明に見えてしまったのではないでしょうか。

攻撃的にいくという『自分たちのサッカー』というのは、そういうことに向き合うサッカーでもあるということです。

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僕が採用していた『俺、全然勉強してないよ作戦』や『やれば出来る子だもん作戦』は、いわば過去の日本の守備的なサッカーと同じです。

実力差を小さく見せることの出来るこの作戦はとても便利で、現実からある意味逃避するのにとっても役立ちました。そしてその間、僕も日本代表も、そして国民も、壮大な勘違いをする羽目になりました。(もちろん、それで結果を出していた日本代表と、結果もクソもなかった僕とでは大きな違いがありますが、そんなことはナンオブマイビジネスです。)

真面目に勉強してみた、つまり攻撃的にいってみた僕は、結局のところそれでも全く周りに歯が立たないことに、受験間際になって気づきました。日本代表は、4年間をかけて、この事実にようやくたどり着きました。

勝てるかもと思った初戦で負け、勝てると確信していた2戦目で1人少ない相手に引き分けられ、最終戦では4点いれられた上に43歳のGKの最年長出場記録の記念日も献上してしまうという結果に、日本中が失意の底にあると思います。

一方、ほれみろ、だから言っただろ、当たり前やん、と思ってる人も相当数いるようです。そういうほれみろ顔の人が跋扈するのが良いとは思いませんが、日本が初めて現実を知った大会として、これはこれでショック療法になるのではないかと僕は考えています。

後から見れば、たぶん、相当な転機になるはずです。

***

目的地と現在地

当たり前のさらに手前の話ですが、ナビで行きたい場所に行くには、目的地の入力が必要です。W杯出場を掲げていた頃、ベスト16を掲げていた頃、ベスト4を掲げていた頃、優勝を口にし始めた最近と、様々な目的地がありました。その入力はそれなりにばっちりだったように思います。

日本はW杯に出ることすら夢物語だった頃から、確実に前に進み、強くなりました。

一方で、現在地の入力はどうだったか?守備的なサッカーで結果を出した頃には、前述の通り、正確な現在地は入力できていなかったのではないかと思います。現在地が入力されていないので、目的地がどれだけくっきり入力されていたとしても、たどり着ける道理はありません。

攻撃的な『自分たちのサッカー』を始めてからも、アジアや親善試合という精神的に近場での戦いが多かったため、仮免しかない状態で首都高に出てみたら早速事故ってしまったというようなものです。20kmぐらいで走っていたら正確に機能したナビも、スピードを上げた瞬間に自身の居所を見失いってしまった、とそんな感じです。(都並さんがコロンビアに敗戦した後に怒り狂いながら言ってましたが、親善試合とW杯本番では、特に強豪国は全く仕上がりが違うそうな。さすが。)

そんな訳で、『自分たちのサッカー』を試みたことで、今回初めて

・現在地がきちんと入力され、

・目的地までの距離や方法も分かった

わけです。

***

さて、結論。

『これで日本は強くなる』

これです。

現在地と目的地が分かると、目的地までの距離と通るべき移動手段が分かります。抜け道なのか一般道なのか国道なのか高速道路なのか。乗っている車のパワーからすると時速何kmまで平気なのか。ガスはどこで入れるべきか。飯はどこで食って、う◯こはどこのパーキングですべきか。何万km走ったら壊れるのか。パーツは入れ替えるべきか。

大体のことが明らかになります。そしてあとは進むだけ。

人間も一緒で、ギャップを体感して初めて人は進化します。偏差値8まで落ちて人としても堕ちた僕ですら、『あー、俺アホなんだ、残念』と気づいてからは、戦い方を変えました。

よく考えたら勉強がめちゃめちゃできるヤツより、運動なら勝てる。しゃべりもこっちの方が面白い。勉強でも数学は捨てて英語と世界史と論文に特化することで、なんとか戦えるレベルにまでなりました。どうしてもダメな教科は、面白みも汎用性もなにもないことを承知で丸覚え。

高校生の時にはあまりにモノを知らなくてバカにされてましたが、おそらく今では僕の方が彼らの大半よりは色々なことを知っています。それは勉強とかそういうことではなくて、経験とか成長という分野を戦いの土俵に選んだ僕の少しだけ賢かった点だと思います。どうすればバカが少しだけ賢くなるかなんて、もともと賢い彼らには到底理解できない道程でしょうから。

***

勇気を出して『自分たちのサッカー』をしようとして、そして撲殺された日本代表は、これからどんな成長、そして進化と真価を見せてくれるでしょうか。

今から楽しみでなりません。個人的には監督にヒディング、ペケルマン、モウリーニョあたりが来てくれると面白いなと思うのですが。

ギャップを知った日本は、これから間違いなく強くなります。

ザッケローニ監督、選手の皆さん、本当におつかれさまでした&ありがとうございました!

大量の絶望の後には一粒の希望が残るのがパンドラの箱。開けちゃいけなかったのかもだけど、開けてこそ見えたものが沢山ありました。

にわかファンが多いとか言われているけど、つかの間だとしても心から応援できるものがある我々は幸せですね。

***

 

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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我が人生に一片の悔いなし!

帰ってきたウルトラマン〜柴又100kmウルトラ列伝 最終章〜


55kmの関門を10秒前に越え、80kmの関門を6分前に越えた俺。

残るは2時間40分で20km、ゴールまでばく進するだけだ。フルマラソンで走るより少し遅いぐらいのペースで走り、たまに休憩するぐらいならば、なんとかなる。

え?それって難しくないっすか?頭の中で誰かが言う。確かに計算すると少しキツい。そして、燃料がもう残っていない。エンジンはしばらく前から火を噴いているし、車輪は摩耗しすぎてボロボロ。部品もいくつかは取れている。

さぁ、どうする?

俺は、おもむろに携帯電話を取り出し、電話をかけた。

***

タ・ス・ケ・テ

『なーに?リタイヤしたの?』

リタイヤしたことを報告する泣き言の電話だと思ったのか、ヨメは先制してきた。リタイヤしたことを告白しやすいようにしてくれたのだろう。

同じ泣き言には違いなかったが、俺は無茶なお願いをしてみた。

『今からゴールに来てくれ、必ずゴールするから。』

事前に応援に来てくれるというのを一度断っていたのだが(暑いしいつになるかわからんし)、やっぱり来てほしいという虫のいいお願いをしてみた。

予定が急遽変わることをあまりよしとしないヨメが、このときは了承してくれた。俺の、強さよりもはるかに多種多様で巨大な弱さを知っているヨメが、何かしらの決意を電話口から感じ取ってくれたのだろう。

絶望的な状況下で、ゴールにヨメ娘が待っていてくれているはずという一抹の希望を胸に、かなり厳しいと思える残り20kmの戦いに身を投じることにした。

娘を肩車して、それをヨメに写真にパシャパシャとってもらいながらゴールできたら最高ぢゃないか。

***

そしてもう一つ。普段一緒に戦ってる仲間たちに、FB経由で泣き言を言ってみた。

『残り20kmで2時間40分ですが、心折れなければゴールできるかもだけど心折れかけてます。力を下さい。叱咤、激励、罵倒なんでもありで。』

泣き言をアップしたそばから、猛烈な勢いで罵倒以外の二つのコメントが寄せられた。国内から、インドから、神保町から。

『羅王に20kmごとき、敵ではない!』

『雄叫びでも何でもやって意地見せろ!』

『完走したらラクーアでかき氷と焼き肉です。』

俺の弱さよりも強さを信じてくれる人、心で一緒に走ってくれるヤツ、ご褒美で釣ってくれる御大。。。

なんてありがたいんだ。なんて素晴らしい仲間なんだ。

今更ながら、『Admiral』で一緒に戦える仲間たちがいることに、俺は心の底から感謝した。一緒に走っていなくても、一緒に戦える。一人でないと分かるだけで、力がむくむく湧き上がってくる。

人に助けてもらわなくても生きていける力を付けることはとても大事だが、人に助けてもらわないと達成できないような困難が目の前に現れたときに『助けて』と言えることも、また同じように大事なのだと思う。

***

折れない心

80kmの関門を過ぎた瞬間に、俺の真横で『リタイヤします』とサヨナラバスに向かっていく人が数人いた。しかし俺の目には、もうサヨナラバスは映っていなかった。戦いはこれからだ。

80kmを過ぎて、ゴールがなんとなく頭の片隅に近づいてきても、厳しい戦いが続くことに変わりはない。

80kmまで来たという安堵感と、まだ20kmも続くという絶望感からか、このままいけばまだ大丈夫という時間帯であっても、戦意を失っている人が目に付く。日が落ち始めた景観が、モチベーションの低下にさらに拍車をかけているようだ。

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俺はしかし、ヨメ娘とゴールすることを明確にイメージしていたし、皆からもらったメッセージが背中を押してくれたおかげか、一度も座ったり立ち止まったりしようとは思わなかった。

まだまだ、背筋の伸びた、いいフォームで走れている。

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身体は最低最悪の状態にあるが、ココロは最高の状態にある。

フォームに気を配ることで、各所の痛みからも気を逸らすことができた。

***

フォーム、基本、守破離の守

人間は、疲れると本能的に腰が落ち、背が丸まるようになる。その方が早く疲れるからであり、そうすることにより、脳は肉体にリタイヤと休養をさせたいからだ。

つまりは、疲れれば疲れるほど、より疲れる走り方に本能が引っ張っていくということ。これを知っておくかどうかで、追い込まれる後半の戦いっぷりは相当変わってくると思う。

であるならば、疲れたときほどフォーム、基本、守破離の守に気を配るべき。疲れていないときにフォームを整えることは誰にでもできるが、フォームの本当の価値は後半戦にこそやってくる。それが本来は一番疲れにくく、パフォーマンスの高い走り方だからだ。

言葉にすればこんなに簡単なことも、これを頭で知っているだけなのと身体で知っているのとでは、その引き出しの開き方が全く違う。思い出の品は別とすれば、売れない宝石は、ただのガラクタだ。

俺は事前に何度となく気をつけようと思っていたポイントに再度意識を向けて力を入れ、そうすることでぐっと走りがラクになることを感じながら、一歩一歩、脚を前に進めていった。レイアップの基本は『置いてくる』だが、それは試合の終盤になっても変わらない。ジャンプシュートの基本も最初から最後まで、『左手はそえるだけ』なのである。

***

80km〜ゴール

正直、ラスト20kmの記憶はあまりない。それほど、ゴールまでの道のりの一歩一歩に集中していたんだと思う。

どんどん暗くなっていき、諦める人と諦めない人の差が顕著になってきた。ゴールはもうすぐで、そしてそれは今の頑張りの延長戦上にある。今頑張れなければ、きっと1km先でも頑張れず、そして5km先でも頑張れず、もちろん10km先でも頑張れない。

『明日は明日の風が吹く』という格言もあるが、はっきり言えば『Tomorrow never comes』だ。『明日』というものは永遠に来ず、来るのはいつだって『今日』そして『今』だ。

秒単位でペースを管理し、諦めた人の背中ではなく諦めてない人の背中を追い、そして自分も誰かの追うべき背中になり、必要最小限の休憩を取りながら、黙々とゴールを目指した。

辺りが暗くなり、気温がある程度下がっても、給水と水を被るのは止めなかった。走ってるんだか水浴びしてるんだか分からないレースだと言えるぐらい、水を浴びた。頭に、首に、脚に。

毎度のことながら、『負けないで』や『睡蓮花』や『それが大事』や『熱くなれ』や『聖闘士星矢』にお世話になる。イヤホンを忘れてしまったので、申し訳ないが音量マックスでまき散らしながら聞いた。

さらには、恒例となった雄叫びで自らを奮い立たせながら、『全員でゴールするぞ貴様らぁ!』と鬼軍曹のごとく、周りの人を威嚇しまくった。

***

ラスト10kmになり、あと70分ほど。野辺山の戦友でもあるハラルが、チームAdmiralのページに俺とザックの状況を逐一アップしてくれている。遠隔地なのに、一緒に走ってくれている。

ラスト5kmになり、いよいよ完走が目の前になってきた。よし、よし、よし。野辺山では折れそうになる心のメンテナンスと折れた心の修復にだいぶリソースを取られたが、今回は大丈夫。どうやって娘をかつごうかと思案してみたりした。

ラスト2kmになり、ふと踏み入れた砂利道で、脚を軽く挫いた際に『ズリュ』というイヤな音が聞こえた。水を浴びまくったおかげで、汗と水で相当にふやけていたと思われる左足の裏の皮が総出でズル剥けたようだ。おいおい、ズル剥けはそこである必要はない。

今更負傷したとて、大きな問題ではない。こちとら、脚を吊りながら30kmぐらい走ってきてるのだ。俺は普段であれば大騒ぎするような負傷を、極小の些事と断じて、無視して走ることにした。

***

ラスト1kmになり、光輝く麗しの地が見えてきた。14時間前に俺が旅立ったところだ。こんなにも神々しく、こんなにも愛おしく、こんなにもありがたい。

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果たして、ヨメ娘は待っていてくれてるだろうか。ザックは先にゴールしていてくれているだろうか。ネバッティと教官は、ゴールでハイタッチしてくれるだろうか。

ゴールが近づくにつれ、今までほとんどいなかった人通りが急に活発になる。多くの人が沿道にいて、『おかえりなさい!』、『ナイスファイ!』、『もうすぐゴール!がんばれ!』と声をかけてくれる。

ゴール付近は細かい距離調整のためか、一度ゴールを通り過ぎて300mほど行って折り返すという形になっていた。

一度ゴールを通り過ぎるときに、聞き慣れた声が聞こえた。

『パパ!』

見ると、ヨメ娘がいた!来てくれた!

ヨメが解放した娘は一目散に俺のところまで駆けてきてくれた。おお、愛しの姫よ。ありがとう、ありがとう。

***

最後の試練

思えば、合流が早過ぎた気もしないでもなかった。

ここからゴールを通り過ぎ、300mほど行って折り返し、つまりゴールまであと600mほどある。

あと7分、というところで合流した娘は、しかし一緒に走ってくれることはなく、数歩歩いてすぐさま『だっこ〜』と言い始めた。

本来なら寝る時間に等しい日曜日の20時半手前、俺の無茶な呼び出しで急遽着替えさせられ、連れてこられた娘にとって、父親が99.4km走ってようが14時間弱戦ってようが、あと数分ですべてがおじゃんになろうが、そんなことは関係ない。

ただ、夜に目の前にパパがいる=だっこの方程式があるのみだ。

俺は娘をだっこしようとしたが、その瞬間に全身が吊りそうになるのを察知して、すぐさま止めた。下半身の筋肉だけでなく、上半身の筋肉のどの部分に負荷をかけたとしても、全身が吊ることが容易に想像できた。そして一度吊ったら、たぶん二度と立ち上がれないだろうことも。

ゴール数十メートル手前で娘を受け取り、手をつないで歩いて、最後は担ぎ上げて満面の笑みでゴール!という図式はもろくも崩れ去り、99.4km走ってきた最後の600mに、

16kgの重りをお守りしながら走る

ことになってしまった。そうか、この試練を受け入れて、乗り越えてこそ、帰ってきたウルトラマン、そしてダブルウルトラマンだ。

***

俺は残された力を総動員し、『フンヌラバ!!!』と娘を担ぎ上げた。右手で持っても、左手で持っても、どちらかが吊りそうになる。

沿道の人たちからは、『えらいね〜』とか『かーわいー』とか言われて娘は愛想を振りまいていたが、俺は全く笑えてなかった。5年前は2.5kgだったくせに、重くなりよって・・・

継投ミスに気づいたヨメが近づいてきて娘を引き取ろうとしてくれたが、

『ヤダー』

の一言で一蹴。俺は16kgを担いだまま、総計100kgを越える身体で走ることにした。

あと200m

あと100m

あと50m

***

ゴールゲートが見えてきた。

ふと右側を見ると、ザックがいる。ネバッティがいる。伊藤教官がいる。みんな待っていてくれた。ありがとう。ありがとう。ありがとう!

ゴールゲートの前で、先回りしたヨメがカメラを構えて待っていてくれた。ありがとう。ありがとう。ありがとう!

朝くぐったゲートがこんなにも光輝いて見えるなんて!二週間前に見た野辺山のゴールも素晴らしかったが、今回もまた格別に美しかった。

頭の上の娘を改めて確認し、『君のために頑張った』と『君のおかげで頑張れた』を相互に反芻しながら、俺は、ゆっくりと歩いてゴールした。

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13時間57分で制限時間3分前にゴール。後から知ったが、ウェーブのスタートごとの記録のため、繰り下げられたスタート分を加味して正式には13時間50分でゴール。

どっちでもいいが、とにかくゴールした。

帰ってきたウルトラマンは、これでダブルウルトラマンになった。

なんというか、本当にすべてにありがとう。

汗臭い身体で嫌がるヨメ娘を無理矢理ハグし、同じく汗臭いザック、ネバッティ、教官とハグした。ゴール後の写真がどっかいっちゃったけど、最高の戦友たちだ。

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ありがとう、ありがとう。汗臭いけどありがとう。

※このあと、一瞬笑顔を見せた娘は以後ずっと見たこともないほど不機嫌になり、ぐずりまくり。なんでかと思ったら具合が悪かったらしく帰りの電車のホームでお吐き奉られた。幼児を夜連れ出してごみん・・・

***

いろんな結論

野辺山を言い訳として苦しいレースになることを、あわよくばリタイヤを正当化していた俺は、野辺山の経験のおかげで精神的にははるかに安定した状態でゴールすることができた。

暑さと単調さという双頭の竜は、俺に耐えることの価値を教えてくれた。

中高生によるボランティアがメインのこの大会は、30代といえど若者に折れない背中を見せることの重要性を説いてくれた。

人間というものは、どんな過酷な状況であれ、一筋の希望を見いだせばそれをいかなるジェルよりも優れたエネルギーとして取り込んで力に出来るということが、なんとなく分かった。

そして、経験したことがないことでもやろうと思えばなんとか出来るということと、経験したことがあることは一度目よりずっと楽にできるということも分かったので、なるべく多くの経験を積もうという月並み過ぎる結論にも、身体を使って、というか酷使してたどり着くことができた。

なんというか、人生はその気にならなければ全く昨日と同じ今日、去年と全く同じ今年が繰り返されるだけだけれど、その気になればいくらでも変えられる。これはほんと。

俺が走り始めたのは2013年の9月だけれど、この9ヶ月で初マラソンがあり、サブ4があり、トライアスロン挑戦があり、ウルトラマンになり、そしてダブルウルトラマンになった。おそらく、8月のアイアンマンも大丈夫だと思う。走り始めて1年で、結構なスピードで『駆け抜けて』きた気がする。走れないDe部から、走れるDe部に、まがりなりにもなってきたように思う。

昨日想像もしていなかった自分に今日なることはちょっと無理だけど、去年想像していなかった自分に今年なることは、可能だということが分かった。てことは、今年想像もしていない自分に来年なることも、これまたきっと可能なのだろう。

人生を変える、というと大げさだけれど、人生をより良いものにするとか、人生の角度をもう少し上向かせる程度のことなら、誰もが聞いたことのあることをほんの少し取り入れるだけでいい。

それは早起きかもしれないし、お金を貯めることかもしれないし、ダイエットかもしれないし、フルマラソンに出ることかもしれないし、ウルトラマラソンに出ることかもしれないし、アイアンマンに出ることかもしれないし、UTMBに出ることかもしれない。

(後半になるほど過激だけれど、本質は大して変わらない。やってきたことの積み重ねが今の自分なら、やったことがないことをやれば違う自分になる、というだけだ。)

そんなことを学んだダブルウルトラマンめの、柴又ウルトラ100kmマラソンだった。

出走者1494人、完走者633人、完走率42.4%、リタイヤ数861人の過酷なレースから、俺はいろいろなことを学ぶことが出来た。

すべてに感謝します。

ありがとうございました!

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

引かぬ媚びぬ省みぬ!

我が人生に一片の悔いなし!

 

 

 

 

 

帰ってきたウルトラマン〜柴又100kmウルトラ列伝その5〜


 

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55kmの関門をわずか10秒前に飛び出してギリギリクリアした俺。

次の関門は80km地点。17時51分までに関門通過すればいいので、正味3時間半で25kmを走れば良い。

と、簡単に言ってみたものの、普段ならなんてことないペースでも、毎度のことながら体力的には限界に近い。そして毎度のことながら、先が思いやられるのであった。50kmに7時間弱を費やしてしまった前半戦の負債は、どんどんどんどん俺を追い込んでいくのであった。

***

おっさんたちの強さと速さについて

55kmの関門を過ぎた瞬間、あまりの関門閉めのアナウンスの遅さに、隣にいた二人に話しかけて不満を共有した。

聞けば一人は同い年でウルトラ初挑戦、もうひと方は華の50代でやはりウルトラ初挑戦だった。

不思議なことに、ウルトラマラソンやトライアスロンなどの遠距離モノになると、20代30代の若者より、40代50代60代のおっさんたちの方が圧倒的に強いし速い。

通常のスポーツだとあり得ないこの傾向の理由としては、俺が考案したものも含めて諸説ある。

おっさんたちが強くて速い理由その1:若者にはもっと楽しいことがある
若者で『趣味はトライアスロンです』というヤツに、トライアスロンを始めるまで俺は会ったことがなかった。それはそうだ。自分が若い頃を思い返してみても、楽しいことは他に腐るほどある。テニス、スノボ、車、カラオケ、飲み会、ゲーム、ただ寝ること、パックンチョとたべっこどうぶつを食べ比べること・・・。そういうことを一通りやり尽くして、辿り付くのが『自分いじめ』と言っても過言ではないトライアスロン、そしてウルトラマラソンなのである。

おっさんたちが強くて速い理由その2:おっさんたちは、耐えることが未来につながることを知っている
おっさんたちは、高度経済成長期とは言わないまでも、バブル時代のリゲイン状態を知っている。『24時間働けますか、ビジネスマーン、ビジネスマーン、ジャパニーズ、ビジネスマーン!』を地でいってた世代だ。ひたすら働き、会社と家庭の理不尽さに耐えながら、それでもその先に明るい未来が今よりは鮮明に見えた頃を覚えている。すぐに結果やご褒美を求める俺たちの世代よりも、実はずっとずっと強いのではないかと、一緒に走っていて思う。肉体の限界なんぞゴールの遥か前に超えるのが当然のレースで、おっさんたちは本当に強い。

おっさんたちが強くて速い理由その3:ただ単純に、お金と時間がある
ウルトラマラソンには遠征費がかかり、トライアスロンには初期投資がかかる。そして両方とも、それなりの時間を要する。つまり、そうそう若者にはチャレンジしづらい参入障壁がある。マラソンをやっていると言うと、『ふーん』といわれ、トライアスロンをやっていると言うと、『すごいですね!』といまだに言われることがその証左だと思う。土日の出勤を急遽命じられたり、下等兵のごとく働かされる若者には、割けないお金と時間がある一方で、そのあたりを比較的コントロールしやすいおっさんたちは、この分野で無類の強さを発揮する。いい道具と使って質の高いトレーニングをしていれば、結局のところ、誰でも速く強くなるのだ。

 

おっさんたちが強くて速い裏の理由:おっさんたちの方がはるかに『バカ』だから
俺が社会人になったのは2003年、バブルはもちろん、ITバブルすら弾けてしまった後だった。その後の人生で、これが好景気かと言えるようなものは、まだ経験したことがない。おっさんたちは、銀座や六本木でタクシーが3時間捕まらなかったり、ジュリアナだの土地成金だのが跋扈していた頃を知っている。あの狂喜乱舞していた頃の武勇伝を聞くことがたまにあるが、明らかに常軌を逸している。俺たちが『学生時代はバカやったなぁ』と思うその何倍も、バカをやってきたのは、おっさんたちである。学生時代に全裸になった数や、麻雀や飲みで夜を明かした数も、ずっとおっさんたちの方が多いと思う。その意味で、『枠にはまらない若者の存在が』とか、『固定観念に凝り固まった中高年世代が』という言い方に、俺は違和感を覚える。環境が整えば、俺たちをはるかにしのぐ本当のバカが出来るのは、俺たちではなくおっさんたちの方だ。で、それが許されるのがまさにウルトラマラソンやトライアスロンである。たがを外されたおっさんたちは、猛獣よりタチが悪い。

例:猛獣よりタチが悪いおっさんたちの例
先日、伊豆大島にトライアスロンの試合のために向かったが、島に到着したにも関わらず暴風雨で試合そのものが中止になってしまった。そのとき、『いや〜、(暴風雨だしレースが)なしで良かった』と安堵のコメントをした俺たちに対して、『いや〜、(暴風雨の中だしせっかくレース中止だし、全体的なリスクを気にせず)これでいい練習ができますねぇ〜』と気迫溢れるコメントをされた通称じーじ総統閣下。昨年はロング(スイム3.8km、バイク180km、ラン42km)のレースを5本完走したというよくわからなすぎる戦歴で、既にお孫さんがいるという。雨がザーザー、向かい風がビュンビュン吹く中でレースばりのスピードで練習を敢行、その場にいたメンバーの誰よりも年齢が上にも関わらず誰もついていけない恐ろしいスピードで三原山を上っていき、下々に『総統閣下』と第三帝国を思わせる呼称で呼ばせては何度も体力的な限界を超えさせる軍令を発していた。平地でスプリント勝負をしたが、筋力には自信のある俺も圧敗。背中が一瞬で見えなくなった。我々は軍令に対して、ハイかYesかOuiかSiの四択で答えるのが精一杯だった。ちなみにこの日初対面だったが、そんなことはおかまいなしに次々に想像を超える軍令が下された。
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***

張り手

話を戻そう。残り10秒ほどで55kmの関門を通過した俺は、同い年と50代と思われる二人の御仁と、次の関門を目指すことになった。

次の関門とは言っても、もともと直進してきた道をただただ戻るだけ。暑さはなんとか慣れたけど、この単調さはまた格別に不味い敵だなと思っていた矢先。

『羅王!!!』

と呼ぶ声があった。振り向くと、スタートから42km付近まで並走していた同じ松坂世代の同志、ネバッティだった。

場所は55km関門のほんの少し手前。この時間にここにいるということは・・・

そうか、間に合わなかったか・・・

55kmの関門をほんの少しの差で超えられた俺はまだ戦うことを許され、55kmの関門にほんの少し間に合わなかったネバッティは、この先戦う権利を剥奪される。

残酷なまでの勝負の現実が、そこにはあった。微差が人生を分けるというが、現実はあまりにも非情だ。

『残念だったな』とか、『ドンマイ』とか、『まだ次があるよ』とか、浮かんだ言葉は色々あるけど出てこない。

『ダメだった』と言ったネバッティに対して、『・・・そうか・・・』としか言ってやることができなかった。

ネバッティの分まで走る。完走する。そのことだけ誓った俺は、ネバッティに渾身の張り手を背中にしてもらった。一発では足りなかったので、さらに強い一撃をおかわりさせてもらった。

これで痛みと引き換えに、燃料タンクを一個追加させてもらった。困ったときに助けてくれる、熱量無限の燃料タンクだ。これを背負って、必ずゴールしてやる。

***

55km〜80kmの絶望

先の二人としばらく一緒に走った。色々と話をした。ランニング歴のこと、俺以外の二人がウルトラ初挑戦であること、まだまだ諦めなければ完走できるということ。

話すことで少しでも紛れるし、距離も稼げるので、ペースはそれなりでも、話しながら進んだ。

しかししばらくして、50代の方の姿が見えなくなってしまった。

さらにしばらくして、同い年君からも、『先行ってくれ』と言われ、また一人になってしまった。

55km地点の関門にこれでもかというほどたむろしていた『サヨナラバス(リタイヤ者用回収豪華バス)』がまた見える。

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リタイヤならいつでも受け付けるよ、と言わんばかりの安定した陣容だ。

***

60kmを過ぎた頃だったか、序盤で別れてしまった教官にも出逢うことが出来た。この場所での再会ということは、当然関門には間に合っていない。あとは、55kmの関門まで『回収されるために』向かわねばならない。胸中はいかほどだっただろうか。

しかし鋼の漢教官は、『走って』いた。

戦ってたんだ。諦めずに、戦ってたんだ。負けが決まってしまっても、自身の矜持のため、脚を前に進めてたんだ。

かっこ良過ぎるぜ教官。

俺はまた、背中に一撃をもらい、予備の燃料タンクをもう一つ追加させてもらった。優しい性格の教官は、全然痛くない一撃を俺にくれたが、それが俺の体力の消耗を慮ってくれての優撃だったのだと俺は気づいていた。何せ、教官の二の腕は丸太である。本気でやられたら、背中から来た衝撃が胸を貫通し、肺が破れてしまう。

教官にまた元気をもらい、俺は再び走り出した。

***

一人になった俺は、ところどころで並走する人を見つけては、一緒に走ることにした。先の二人も含め、偶然にも、全員が初ウルトラだった。そういえば、ネバッティも教官も、初ウルトラだった。

で、残念なことに、全員と途中で別れることになってしまった。ある人はいつの間にかいなくなり、ある人は『もう無理です』と言って後退していった。

彼らと別れたどの時点でも、『計算上は』80kmの関門も、そしてゴールも、諦めなければギリギリできるという状態だった。

しかし、並走した全員が諦めてしまった。

これはなんなのだろうか。

俺には、思い当たることが一つあった。それは、俺と彼らの唯一にして最大の違いだった。つまりは、

『俺には二週間前に野辺山を走った疲労と経験がある』

ということだ。

***

小僧が何気なく言っていた言葉は、最近俺の中で頻繁にフラッシュバックしている。一時期のカフーやロベカルのように、ゴールライン付近までオーバーラップしてくる。

『1回目は10倍キツいっすけど、1回出来たら次は1/10の力で出来ますよ』

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これだ!、と思った。

俺は確かに疲れていた。『野辺山を制する者はウルトラを制す』とかなんとか言われちゃってる野辺山100kmウルトラに間違ってエントリーし、制限時間2分前に完走。身体はボロボロ、脚の先まで細かい疲労はたっぷり残ってる。胃だって復調したとは言い難い。

なんなら、並走した人たちの数十%増で疲れていたとは思う。

でも、俺には疲労と同時に、野辺山を走りきったという経験もあった。ここをこうすればこうなる、みたいな成功法則が、おぼろげながら出来上がっていた。

そしてその経験に照らし合わせると、『まだまだイケる』という答えしか出てこない。それは、他の誰がなんと言おうと、揺らぐことのない確信みたいなものだった。

野辺山は想定の10倍ぐらいキツかったが、そのときの経験が刻み込まれている状態で臨んだ今回の柴又では、野辺山の10倍ぐらい『イケる!』と思っていた。

そしてそれは、『初ウルトラ』の人たちとは絶対に共有できない類いの無形の何かだったに違いないと、今になって思う。

どれだけ俺が、『まだイケますよ!』、『このペースなら大丈夫!ギリギリセーフ!』と言っても、『もう無理だ』、『先行って下さい』と、彼らは返してきた。

『もう無理だ。』、『先行って下さい』とこっちが言いたいぐらいだったが、先にそれを言ってきたのは彼らだった。

小僧の言葉と、百見は一験に如かず、の格言が、俺に耐える力を与えてくれ、暑さと単調さが彼らから戦う力を奪ったようだった。

俺は、しばしの仲間を得て、そのたびに孤独を味わいながら、なんとか80km地点までたどり着いた。

17時51分に閉まる関門に、17時45分に着いた。制限時間6分前。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことに感謝します。

引かぬ媚びぬ省みぬ!

我が人生に一片の悔いなし!

 

 

帰ってきたウルトラマン〜柴又100kmウルトラ列伝その4〜


同志で同じ松坂世代でもあるネバッティと42km地点らへんで残念ながら別れることになり、その後はただひたすら55km地点のチェックポイントを目指した。

55km地点は、このレースの北の折り返し地点であると同時に、事前に用意しておいたドロップバッグの中から後半戦のためのエネルギーを補給する場でもある。

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前回の野辺山よりはだいぶ少なくなったものの、後半に向けてしっかり補給しておきたい。

***

42km〜55km

俺は今回の柴又、タイムはヨユーで、制限時間は気にしなくていいからとにかく完走することだけ心がけようと決めていた。

平坦だし、スピードが落ちる要因ないし。

そしてその作戦は、前半戦であっさり全否定されることになる。野辺山以上に、関門との厳しい戦いを繰り広げることになってしまった。

完全に失態である。手を抜いていないにもかかわらずここまで追い込まれたことに、問題の深刻さがあるように思える。

50km地点では、なんと6時間46分もかかってしまっていた。約7時間だ。

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半分で約7時間かかったということは、もう半分も同様にかかると見ていい。しかも、前半の50kmより後半の50kmの方が段違いにキツい。ペースは落ちるに決まってる。

この時点で暑さのあまり計算はほとんど出来なくなっていたが、とにかく前半より速いペースを心がけないと、14時間という制限時間はクリア出来ないという結構辛辣な事実に突き当たってしまったことだけは理解した。55kmのチェックポイントで20分ぐらい休むことも計算に入れなければならない。

ああ、ヤバい。ヤバすぎる。

またこれだ。制限時間数分前の攻防だ。

もうイヤだ。でもまたこれだ。

***

さて、懸命な読者の皆さんには、一つ疑問がおありだと思う。

『てかさ、なんで毎回ギリギリなの?もっと余裕持ちなよ。』

ごもっともである。俺だってそう思っている。そして俺は明確に答えを持っている。少しシェアしたい。

理由は主に二つある。

一つ目は、単純な走力不足。ゆうても、走り始めたのが2013年9月。このときは初めての10km走で足腰が立たなくなって師匠である元帥閣下に文句を言い、初めての20km走でツラさのあまり涙した。

そこから2013年11月の初マラソン。2014年1月、3月、4月のフルマラソン。5月の野辺山ウルトラマラソンとステージを駆け上がってきたが、所詮はサンデーランナー。

ノリでウルトラに出ているだけで、まだその走力はない。14時間という時間制限は誠に絶妙に出来ていて、ギリギリのランナーがギリギリ体力気力を絞り出し尽くして、ギリギリ完走出来るか出来ないかというラインに設定されている。

だから、俺程度の走力でウルトラマラソンに出ている時点で、ギリギリとの戦いだということはある程度織り込んでいなければならない。

***

もう一つの理由としては『パーキンソンの第一第二法則』に俺が侵されているからだ。

定義としてはこういう法則だ。曰く、

『仕事量は、与えられた時間を使い切るまで膨張する』
(残業しても残業しなくても成果は限りなく一緒ということ。政府において、官僚が増えればその者たちに与えるべき仕事が増え、仕事が増えればそれを処理する官僚が増え、それによって増えた官僚に暇をさせないために仕事が増え・・・となることを問題視しての格言)

『支出は収入の額と一致するまで増大する』
(同じく政府系の話。官僚が予算を取ると、その予算を使い切るまで、合理性と必要性の仮面を被った予算費消項目が並ぶってこと。ないならないなりに、あるならあるなりにお金はどこかへ飛んでいく。公共事業とかにありがち。)

これをウルトラマラソンに応用すると、『もし制限時間が13時間なら13時間でなんとか走れるのに、14時間あると14時間使って走ってしまう』ということが言える。

実際は13時間で走れるかは現時点では甚だ疑問だが、たぶんそれならそれで真剣につじつまをあわせようとするのだろう。で、たぶんギリギリなんとかすると思う。

14時間あるから、14時間みっちり使ってしまう。夏休みの宿題のスタートが、必ず8月30日頃からになるのと理屈は同じだ。期限のない仕事はいつまで経っても仕上がらないし、ほとんどの人間は期限の直前にならないと、何もしないのである。
(うちの奥さんは期限があると必ずかなり前に仕上げる。こういうところはスゴいと思う。俺は自堕落なので無理。夏休みの宿題は9月に入ってから始める方。しかも先生の顔色を見ながら、『やらなくても良い宿題』を探し出して削っていく方。)

このパーキンソンの法則病は俺のクリティカルな弱点の一つで、これから時間をかけて解決していかないといけない部分だが、一応解決法は分かっている。これはまた別の機会に書きたいと思う。

***

イマイチ過ぎるチェックポイントとサヨナラバス

50kmを過ぎたあたりで、『キャプテン』や『モンタさん(仮)』などの強豪ランナーとすれ違うことが出来た。

どちらも不惑オーバーにして3時間20分を軽く切る凄腕で、しかしキャプテンとは2回ぐらいしか会ったことがなく、モンタさん(仮)に至ってはこの日の朝に初めて会った。

そんな二人だが、どちらも力強くハイタッチしてくれて、そして改めて完走を誓うことができた。

こういう激しいレースに出ていると、1度や2度しか会ったことがない人でも、数年数十年の知り合いよりも強い絆を感じてしまうことがままある。

時間は関係ない。密度と温度と湿度である。

リスペクトする二人にパワーをもらい、しかし大きく力の劣る自分に合ったペースで、俺は淡々と走り続けた。

***

55kmのエイドが近づいてきた。あと数キロというところで、折返してきた同志のザックにも会うことができた。

ザックは去年、45km地点でリタイヤしている。今年の彼は既に、55km地点を超えて、しかも気力十分な顔をしている。

『必ず完走するぞ!』

ペースははるかに遅いくせに先輩風を吹かせたかったのか、俺はザックにそう叫んだ。

『もちろん!』ザックは大声で返してきた。

この先ツラ過ぎてツラ過ぎてやめようと何度も思ったのだが、それでも背中を支えてくれた大きなパワーのうちの一つを、ザックからもらった。ありがとう。

***

ついに55kmチェックポイントが近づいてきた。

折り返しを数度繰り返し、チェックポイントの広場へ入っていく。

ん?

ン?

あれれ?

おっきなバスがあるぞ?

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とても豪華だ。とても涼しそうだ。とても快適そうだ。

そう、これが、

『サヨナラバス』

である。あのゆずが歌っていたアレである。

よく見ると、サヨナラバスは何台も何台も置いてある。そして至るところで、

『リタイヤの方はこちらです!!!乗り込んでお待ち下さい!!!』

と係の人が叫んでいる。

あと関門まで何分あるか、あとどれだけのペースで走れば間に合うか、といったアナウンスは、皆無。

ただただ、リタイヤを勧めてくる。まるであらゆる選択肢の中でリタイヤが最上の選択であるかのように。リタイヤしないヤツは非国民だとでも言いたげな感じで。

***

これには参った。本当に参った。何をどう合理的に考えても、ここで戦いを止めておとなしくバスに乗るのが正解に思えてくる。

55kmを炎天下で7時間以上かけて走るということは、その勝負になぜ自分が挑んだのか、なぜこの戦いに価値があるのかなどの基本的な問いを忘れさせるだけの疲労を伴う。

俺はフラフラとバスに引き寄せられ・・・

・・・

・・・

なかった!!!!!

実は、事前に昨年のリタイヤで悔しい経験をしたザックから話を聞いていた。『折り返し地点にリタイヤする人用のバスがあるので注意してください』

ビジネスにおいて情報は勝ち負けを左右するが、単なる体力比べに思えるこういったレースでも、情報は結果を大きく左右する。

このザックの一言で、俺の心の中にはきちんとした免疫が付いていた。そして、おかげでサヨナラバスを見ても、乗りたいとは思っても、乗ろうとはしなかった。

またしてもザックに救われた。ありがとう。

***

広場では、今までのどのエイドより多くの地元中高生が俺たちを出迎えてくれた。

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うどん、きゅうり、スイカ、ドリンク、そして何より、『がんばってくださーい!!!』のかけ声。

パワーと栄養を沢山もらって、休憩に入ることができた。

しかし困ったことが起きた。関門は14時21分(レース開始から8時間21分)という中途半端な時間で閉まるが、その『関門』がどの地点を言っているのか分からない。

休憩する広場に入った時点でOKなのか、どこかに関門測定器があったのか、それとも関門を出ないと行けないのか。

その辺の人に聞いても、インド人と同じで返ってくる答えがまちまちだ。

みんながっつり荷物を広げて休んでいるし、状況証拠からするに、たぶんこの広場に入った時点でOKなのだろう。周りの人もどうやらそうだと確信している様子。

***

が、違った。荷物をさんざん広げて、酷使した筋肉をほぐし、さぁこれから休むぞというときに、

『はい、あと3分で関門閉めまーす!』と、おっさんが言いに来た。拡声器のような大きなアナウンスでなく、ひょこひょこ歩いてきたおっさんがだ。

『関門って、まさかあそこの入り口のことじゃないですよね?あれって、くぐった時点でOKなんですよね?』と聞いたら、

『いや、この広場自体を出ないとダメです。ダメ。』とのこと。

それを早く言ってくれ!!!!!

会場皆が面食らったと思う。混乱していたと思う。

みんな何がなんだか分からないまま荷物を大急ぎで片付け、

『はいあと2分〜、90秒〜』

と無情にも告知されるカウントダウンを聞きながら、休憩もままならずに走りだしていく。

柴又ウルトラは開催自体が2回目の大会だ。前回も補給が不十分など相当にクレームがあったと聞いている。そして今回もこういう運営ミスがある。こういう告知は最低20分前にはすべきだ。

ボランティアの方々には頭が下がる思いだが、一方でこういった運営のほころびにもうろたえずに粛々と対応しなければいけないのもウルトラマラソンの一つの醍醐味?だ。

『はいあと10秒!』

俺は死にそうになりながら、残り10秒で『55kmの関門』を通過した。危ない。危なすぎる。

羊の群れに狼が現れたように、皆混乱している。あまりの理不尽さに、間に合わなかった人も相当数いたように思う。

人は諦めるとき、適度に合理的で適度に自分が傷つかない言い訳を探すものである。こういうトラブルの一つ一つが、ある意味勉強になる。

俺は諦めていなかったので、もちろん出走することにした。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

引かぬ媚びぬ省みぬ!

我が人生に一片の悔いなし!

 

 

帰ってきたウルトラマン〜柴又100kmウルトラ列伝その3〜


 

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柴又100kmウルトラマラソン最大の名物は、暑さと単調さという双頭の竜だった。上りと下りとそれに伴う各所の筋疲労がありつつも、景色が次々と変わっていった野辺山とは敵の種類が違う。

『最高気温33度』は最高気温ではなくただのアベレージで、ずっと33度だった。瞬間最大風速の33度ならまだしも、なかなか33度のバーを、お天道様は下げようとしなかった。単調さは見ての通り、ほんとに『なんもねぇ・・・』

ただ、平坦な道のりということで、野辺山ウルトラのように関門ギリギリにはなるまいと思って『1、野心的タイム(あわよくば13時間切り)』、『2、予定タイム(13時間半)』、『最低限タイム(13時間58分、野辺山と一緒)』の3種類をアンドゥトロワと準備した。

結果からすると、すぐに野心的タイムと予定タイムの計画は脆くも崩れ去り、またまた最低限タイム、すなわち制限時間ギリギリでの戦いを強いられることになる俺。

***

スタート〜42km

さて、今回は野辺山と違って、景色の変動がほぼない。土手、川、土手、川、土手、川、土手、川、たまに草野球場。以上だ。

なので、『この上りがキツかった!』とか、『この下りで脚が砕け散ってしまった!』みたいな、環境に因る武勇伝が一つもない。

野辺山であれば、『序盤の上りで脚を使い過ぎると、後で響くぜベイベー』、『上りはとにかくケツで上るんだ!脚じゃない!』などといったにわかカッコいいことも言えるのだが、今回はそんな格言は一つも生まれそうもない。

ある意味、14時間ずっとただ二つの敵、すなわち『暑さ』と『単調さ』の双頭の竜と戦い続けていただけだった。

普段の俺であれば、ここに『肛門の狼』との戦いが間違いなく入ってきて四面楚歌、満身創痍での戦いを強いられるのだが、野辺山以来愛用している『ストッパ』なる鉄板ドーピングのおかげで、今回も双頭の竜との戦いのみに注力することができた。

勝負に勝ちたければ、まずはディフェンスを固めることだ。昔のサッカーのように、点をただとっていれば勝てるというほど、人生は甘くない。失点を抑えること、その後攻めること、これが肝要だ。

***

柴又のシンプル過ぎるコース概要

序盤は、同志であるネバッティ、そして教官と走ることにした。スピードスターのザックは、先に行ってしまった。

柴又ウルトラのコースは、最初の5kmを南に下り、そこで折返し、あとはひたすら北上するという仕組みになっている。すなわち、10km走ると、スタート地点に戻る。

あとは55km地点までずーっと北上し、そこでまた折り返し、残り45kmをひたすら同じコースを帰ってくる。

昨年は少し違ったらしい。スタート地点からずっと北上していき、45km地点で折り返し、ひたすら戻ってきた後に『スタート地点を通り過ぎて』さらに5km南へ。そしてまた折り返し、ゴールに戻ってくる。

どちらも一本の南北に長く伸びる道を、地点のズレはあれど、ただひたすら南北に走るだけだ。

が、

①、スタート〜南に5km〜北に5kmでスタート地点へ〜北へ45km〜折返して南へ45kmでゴールへ。これが今年。

②、スタート〜北へ45km〜折返して南へ45km、ゴールを通り過ぎてさらに南へ5km〜最後は北に折返して5km、ほんとにゴール。

この、あるのかないのか分からないような些細な違いが、後でがっつり効いてくることになる。昨年トライしたスピードスターのザックはそのせいでリタイヤし、今年チャレンジした俺は今回の折り返し地点変更のおかげで完走できたとも言える。

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繰り返しになるが、とにかく序盤はネバッティと教官と、ただただひたすら並走した。

これには理由がある。

『気を紛らわすため』だ。

ふざけているわけでも、適当に言っているわけでもなく、かなり本気の理由。

100kmもの距離を走るにあたり、文字通り100kmを耐えようとすると、なかなかに厳しい。投げ出したくもなるし、途中でイヤになる。

こういうときは、出来る限り気を紛らわすことがとても大事だ。10kmでも20kmでも話をしながら走れば、気づいたときにはそれなりの距離が積み上げられている。

あれ?もう◯◯km走っちゃったじゃん、なんてことになれば理想的。

単純作業には、二つ大事なことがある。

『いかにそれを楽しむか?』が一つ。ゲーム性を持って峠を上った野辺山などは、このテクニックを使った。

そしてもう一つが今回の、『いかに気を紛らわせるか?』だ。

言葉にすると難しいのだが、要はいかにその単純作業をしているという自覚のない状態に身を置くか、が勝負。ダイエットのための腹筋はツラいが、アブトロニクスを使えばテレビを見ながら腹筋が鍛えられます!みたいな感じ。

今回はネバッティの塾経営の話、教官の習慣形成の話を入念にヒアリングし、学びながら走ることができた。おかげで、気づいたら、20kmを超えていた。

走りながら話すということで呼吸器官を酷使しすぎた教官は、ここで離脱することになる。後から考えれば、悪いことをした。

***

褒める人、うなだれる人、倒れる人

10kmでハイタッチ、20kmでハイタッチ、30kmでハイタッチと、並走するネバッティとは10kmごとにハイタッチをした。長期戦ほど、各プロセスごとに自分の歩んできた道のりをきちんと評価してあげることは大事になってくる。

受験生にとって、本番前に何度も模擬テストが存在するように、自分がどの程度進んでいるのかを確認し、それを承認するということは、大きな目標を達成するときこそ必要な考え方だ。

100kmを丸ごと捉えるのではなく、小さな塊の集合体として見る。それだけでも、達成ごとに自分が自分を承認できる回数が増える。こういうのは、合理性だけではなく感情も考慮して考えると良い。

合計が一緒でも、ただ分けるという作業をするだけで、途端に目標は自分の守備範囲に収まってくる。

***

で、何はともあれコースに抑揚が一切ない。行けども行けども変わらない。

そして暑い。とにかく暑い。

別に手を抜いているわけではなく、真面目に走っているのに、約2.5kmごとに現れるエイドで給水なりストレッチなりをちゃんと行うと、どんどんタイムが食われていく。

そして30kmぐらいになると、エイドごとにこういう人たちが現れる。

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エイドのボランティアの人たちが用意してくれた椅子は満席になり、そして何人かに一人は、必ずうなだれている。

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うなだれているだけではなく、時に結構な人数が倒れている。

暑さと単調さ、暑さと単調さ、暑さと単調さ、暑さと単調さ。

人間の精神に『諦める』という文字を刻み込むには、絶好の条件が整った大会のようだ。

どこのエイドだか忘れたが、土手に人が倒れていた。その人は電話をしていた。どうやらリタイヤしたいからバスを回してほしいという要請を運営側に出したようだが、『中間地点までは自力で来てくれないと、回収できません』とでも言われたのだろう。

『だから動けないっつってんだろが!』

倒れている地点と中間地点までは、まだ10km以上も離れている。叫んだ彼は悪くない。だが、叫べる体力があるという時点で、てめーまだ元気じゃねーか、という証拠である。走れ、お前。

フルマラソンと違い、リタイヤする場所は自由に選べないのがウルトラマラソンだなと思った次第。

***

51対49の法則

俺は、エイドごとにきっちり休むことにしていた。股関節はいずれ動かなくなるし、脚も売り切れ始めることは自明だったから、ストレッチに時間をかけることにしていた。

しかし一方で、休みすぎないことも決めていた。上の人たちのように完全に休んでしまっては、走り続けることは出来ない。

休むか休まないかは、結構な確率で51対49になっている。どういうことかというと、表面だけ見れば休む=100、休まない=0だが、心の中は休む51対休まないが49で、わずかに休むが勝っているに過ぎない。

差はわずかに2である。そう大した差ではないように思える。

でも、それぞれのエイドごとに、心の中で休む=51対休まない=49となって休みの勝利=結果的に毎回休んでいる人と、休む=49対休まない=51となって休まないの勝利=結果的に毎回休みを短時間で切り上げられる人との間には、パフォーマンスということで言えば絶望的なほどの差ができる。

たった『2』の差が、圧倒的な差になるのだ。

ランの経験でも、仕事の経験でも、痛いほどこの『2』の差を知っていた俺は、ネバッティとともに必要最小限の休憩で切り上げて、走ることにした。

***

10km、20kmまでは話をしていたおかげもあってあっという間だったが、30kmを過ぎる頃には会話がなくなっていた。野辺山ウルトラを2週間前に走ったときの疲労は、やはり徐々に顔を見せ始めていた。

身体がどんどん重くなっていく。柴又の疲労もさることながら、野辺山の疲労が身体の奥底からにじみでてくる。

まだ70kmもある。まだ70kmもあるのか。ん?残り70kmか。70kmごときかこの野郎。

断言してみたり疑問符を付けてみたり、抑揚を変えてみたり軽口を叩いてみたりしたが、結局残り70kmという距離は変わらない。

うーん、長いぜ。30km地点で既にスタートから4時間以上を使っている。(スタート:6時半)

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42km地点でとりあえずフルマラソン1回分を走破してまたネバッティとハイタッチしたが、この時点で5時間半以上を費やしていた。

フルマラソンでサブ4(4時間切り)をするとそれなりに疲れるが、ここまでの42kmでもしっかりフルマラソン1回分疲れていた。

ウルトラは疲労感もウルトラなのである。

ここで、ネバッティと別れることになる。正確に言えば、ネバッティのペースが暑さのためか上がらなくなってしまった。折り返しの55km地点まで、そんなに余裕はないのでペースは上げざるを得ない。がんばれ、ネバッティ。すまん、ネバッティ。

このクソ暑いなか、厚着をしていた牛さんも、懸命に走っていた。IMG_0075

 

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

引かぬ媚びぬ省みぬ!

我が生涯に一片の悔いなし!

 

帰ってきたウルトラマン〜柴又ウルトラ100km列伝その2〜


コンディションは表面上、8割ほど戻った。もちろん、中身は分からない。走ったら早々にボロが出るかもしれないし、どこかの時点で急にガクンと来るかもしれない。

それでも、『帰ってきたウルトラマン』たる矜持をもって、完走を改めて誓った俺は、予定通りの時間に起きて予定通りの電車に乗り、しかし乗り換えの渋滞に捕まりやっぱりギリギリになって会場の柴又駅に到着した。

ちなみに前日、ウルトラマンになるためのアドバイスをもらいたいということで、一緒に走るメンバーに野辺山で学んだ限りの完走のコツをメールで伝授しておいた。思えば後でこれが効いたような気がする。

***

会場到着、スタート

途中、レース前で殺気立った集団に飲み込まれていた俺に、モンタさん(仮)が声をかけてくれた。FB上で知り合った方で、医師で、トライアスリートで、フルマラソンサブ3.25(3時間15分切り)で、かつ初対面という、つながりがあるんだかないんだか分かんない状態でつながった方だ。

俺のこの薄口で目立たないどこにでもいるサラリーマン風の冴えない顔を、よくこの人ごみで見つけたなと感心してしまう。会ったことないのに。

FBの写真でしか知らなかったので細身の方かと思っていたら、実物はアゴはしゅっとして胸筋はぶ厚く盛上がり、ロッキー4のドラゴみたいな人だった。

『僕なんて全然普通ですよ』という、こういう人が一番危ない。自分が普通だと思っている異常者は、ウルトラマラソンやトライアスロンの業界には結構多い。『全然普通』と言ってる間にも、胸筋がピクピク動いている。

***

5時45分頃会場に到着すると、そこからは出走の6時半まで瞬く間に時間が過ぎていった。55km地点にドロップバッグが1つ置けるので、その中に何を入れるか、何を入れないのかを考えなければならない。

前回は、これだけの量を準備した。旅行初心者が、何でもかんでも持っていくのと酷似している。(結果的にこの1/4も補給できなかった。)

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今回は、これだけに減らした。少し大人になったようだ。(結果的に使ったのはこの2/3ぐらいだった。真ん中は4歳の娘が作ってるアナ雪のパズル@途中)

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恒例の、仲間たちとの出走前写真。全員でウルトラマンになることを誓う。ちなみに、この時点でウルトラマンは俺一人。プレッシャー。

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簡単に紹介しよう。右から。

教官:見た目普通、語り口滑らか、脂少なめ、中身が異常。ストイックという意味では、西の横綱がイチローなら東の横綱にこの漢を挙げたい。『習慣を習慣化する』名人で、朝4時起きから始まり、様々な成功者の習慣を体得している。確か30個ぐらい資格を持ってた気がする。話し方が穏やだが二の腕が幕ノ内一歩のように太く、丸太のよう。常勝、山王工業にいそうなタイプ。愛する家族に対する誓約と、愛するが故に家族から受ける制約の狭間で揺れている。胸筋が揺れている。

ネバッティ:俺と同じ松坂世代。柔和な語り口からは想像できないが、小学校の教師から一念発起、塾を起業/経営している。こういう漢みたいな先生ばかりだったら日本の教育業界も変わるだろうにと思うが、そんな単純な理想論では何も変えられないことをネバッティの話から理解するに至る。自称『ダメダメな学生時代を過ごしてきたからダメな子の気持ちが分かる塾講師』。ほんとにダメかは知らないが、需要も多く供給もそれ以上に多い塾経営を軌道に乗せている時点で、辣腕なのは間違いない。ハーフマラソンは1時間43分。結構速い。

ザック:W杯に湧く日本でザックと言えばサッカーの監督だが、俺たちの中でザックと言えばこの漢。俺たちのランチーム’Admiral’で最速で、サブ3.5(3時間半切り)まであと8秒というギリギリさ。あまりに速いため、Admiralのトップである元帥閣下(俺のラン、トライアスロンの師匠)の御頭脳の中では、次期組織変更にて馘首の対象の首位に挙っている。元帥閣下は、自分より速い人間を決して許さない。チャラい見た目に反して公認会計士という真面目な職業。昨年の柴又ウルトラ100kmで無念のリタイヤをしており、今年は雪辱に燃えている。自称『諦めの悪い男三井寿より、少し諦めの早い漢』。

***

出走前から心に折り目をつけにくる主催者

そうこうしているうちに、スタート時間がどんどん迫る。気温は高め。というかめっちゃ高い。最高気温33度の予想。既に20度を超えている。

『今日は暑くなります!リタイヤする勇気も、また立派な勇気です!』みたいなアナウンスが出走前から何度も繰り返される。なんだかかっこ良く聞こえるけど、それって結局負けってことじゃねーか。暑さは、今回立ちはだかることになる大ボス級の敵のツートップの片割れであることに、このあとすぐに気づくことになる。

(『大人になるってことはな、夢を一つ一つ諦めていくってことなんだよ!』と格好よくカッコ悪いことを言ってた人を思い出した。)

結論から言うと、今年のエントリは男子で1500人程。完走したのは600人弱。若干のキャンセルがあったにせよ、完走率、50%切っとるやん。

暑さともう一つの敵が、このあと間もなくカサにかかったように攻め込んできて、参加者の心を次々とへし折っていくことになる。(なお、世の中には完走率が3割を切るような激烈なレースもあると、このあと知ることになる。ハードなレースほど、主催者がドSになっていくようだ。)

この出走前にさんざん流された『リタイヤも勇気の一つ!』なる間違ったポジティブ用語が、参加者のうちかなりの人数の心に折り目をつけていたように、後から考えてみれば思える。

薄い金属板に折り目がつくと、もう二度とそれ以前と同じ平面には戻らない。どれだけ戻そうとしても、小さな山が出来てしまう。『リタイヤも勇気の一つ!』という折り目が付いた人たちの心からは、終始リタイヤという文字が離れなかったことだろう。そしてそれは、結果にダイレクトにつながっていく。

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ともあれもう6時半、さあ、出走だ!帰ってきたウルトラマン、行きまーーーーーす!!!

***

出走直後に現れたもう一つの敵

出走時点で20度以上、最高気温33度。ゴールが20:30とはいえ、そのほとんどを真っ昼間に走ることになる今回の柴又では、暑さが最大の敵のように思われた。

だが上述の通り、敵は双頭の竜だった。立花兄弟は、単体ではあまり怖くないが、ツインシュートやスカイラブハリケーンなど、二人揃うとシュナイダー君もびっくりの力を発揮する。

同じことだ。

暑さだけならなんとかなる自信があったが、双頭の竜のもう一つの頭の方が、もしかするとやっかいだったかもしれない。

では双頭の竜の片割れとは、何者だったのだろうか。ヒントはこちら。

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それからこちら。

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お分かりだろうか?水泳金メダリストの北島康介風に言うと、

『・・・なんもねぇ。。。』

のである。

スタート地点は葛飾区は柴又。江戸川沿いを葛飾〜埼玉〜茨城と延々と北上し、そして同じ道を延々と南下してくる。

遮蔽物は一切なく、日光が14時間の制限時間中12時間ぐらい直刺し。変化があると言えば陸橋が数キロおきにあるぐらい。景色はほぼ変わらない。横を見れば川、土手、川、土手、ゴルフ場、川、土手、川、土手、野球場、川、土手、川、土手・・・。

33度の最高気温のなか、死にそうになりながら行った道をもっと死にそうになりながらただ戻るだけ。『フラットで走りやすいコース!』とこれ見よがしに書いてある。

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愛の反対は憎しみではなく無関心と言われる。絶望に最も近いのは平易で単調な人生なのかもしれない。走りやすい柴又が、走りにくい野辺山よりもずっとツラいものであるということを、このあとがっつり思い知ることとなる俺であった。

***

はてさて、とにかく今回はタイムを狙わない。とにかく完走し、ダブルウルトラマンになることが一番大事だ。

フルマラソンであれば、タイムを狙っても良い。しかしウルトラマラソンで何より大事なのは、まず完走だ。野辺山で痛みきった身体で、果たしてどこまで戦えるのか。その限界を見極めるためにも、完走は絶対にしなければならない。

制限時間は野辺山と同じ14時間。そして平易で単調とはいえ、どがつく程フラットなコース。制限時間どころか、関門にひっかかることすら、想定する必要が全くない。これが、俺の事前のレースプランだった。

そしてもろくも、その目論みは前半戦で崩れさることになる。

前半はキロ6分半、エイドでの休憩を入れて7分程度のゆっくりしたペースで進んで行く。

賽は投げられた。そして地獄の釜は、その口をたっぷり開けて、俺たちを待っていた。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

引かぬ媚びぬ省みぬ!

我が人生に一片の悔いなし!

 

 

 

 

 

帰ってきたウルトラマン〜柴又ウルトラ100km列伝その1〜


2014年5月18日、俺は野辺山高原100kmウルトラマラソンを完走し、無事『ウルトラマン』になった。

『野辺山を制するものはウルトラを制す』と言われ日本を代表するほどのウルトラレースを相手に、実力的には71kmの部門に出走していれば良かったぐらいだったが、いわゆる限界を越えた状態をはるかに越え、『やれば出来る』とか『念ずれば花開く』とかいう古来より言われている陳腐で本質的な格言を自分の身で体現することができた。

で、なんでか忘れたけれど、たった2週間後の6/1に柴又100kmウルトラマラソンが俺の予定表に書き込まれていて、ウルトラマンになった直後にダブルウルトラマンを目指すことになってしまった。

そうそう、またしても確かコイツのせいだ。コイツのアジテーションで、ノリでポチってしまった2回目のウルトラは、1回目のウルトラの直後だったのだ。

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またお前か・・・まぁいい。なんか、小僧に崖から突き落とされるのは、俺の既定路線になりつつある。

あれだけ苦労して、死にそうになって、号泣してまで勝ち取ったウルトラマンに、2週間後にもう1回チャレンジする???

うーん、間違えた。しかし仕方ない。敗北の文字はあっても、不戦撤退の文字は俺の辞書にない。

周囲には、『いやー、たぶんリタイヤしますわ。むりむり。だって野辺山の二週間後だし。』と最大限の予防線を張って、俺は出走することにした。

***

出走までの戦い

マラソンをやっている人とやっていない人の違いで顕著なのは、『マラソンを完走するために必要不可欠なこと』の項目に対する認識だ。

一般的に考えて、高い心肺機能や強靭な足腰というのは、想像するに難くはないことと思う。事実そうだ。

けれど、長い距離になればなるほど、そこに『胃腸の強さ』が加わる。水分、食糧ともにしっかり補給し続けられること。これが、何千年も昔から言われてきた長期戦の要諦であり、戦いの場がランニングに移るウルトラマラソンにおいても必須の能力となる。

ちなみに、フルマラソンを走ると、その後の打ち上げではそんなに食べられない。胃が2万回前後揺れるため、内壁が相当程度荒れるからだ。100kmを走るウルトラマラソンだと、その回数が5万回程にもなる。その消費カロリーの程度に比べて、後半になるほど補給がおぼつかなくなる。

野辺山ウルトラの前に、戦友でありウルトラの長兄であるJo仙人から、『ウルトラはその後1ヶ月は胃腸が戻らないと思った方がいい』と脅されていた俺。事実、野辺山の完走直後は何も食べる気がしなかった。

しかし次の戦いはたった2週間後。失ったエネルギーを取り戻し、もう一度戦える身体を作るためには、この胃腸のケアが必須だった。

***

胃腸のケア

野辺山の次の日、俺は自分の胃腸の痛み具合を確認するために、早速リハビリを開始した。『まずはおかゆから』と言われるほど、いたわりが大事だと言われるウルトラ直後の食事。

しかし俺は、『いたわり』では、次の戦を戦えないと思っていた。しばらくレースがないのならいい。俺の戦いはたった2週間後だ。

俺は、『いたわり』ではなく、『いたぶり』によって、胃腸の回復を試みることにした。最初の食事がこちら。

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さすがに2切れ残してしまった。しかし思ったより順調。

次の日は焼き肉。野辺山でウルトラマンになったウルトラの兄弟たちと、盛大に打ち上げをした。その次の日、次の次の日もおかゆやスープというヤワなものではなく、胃腸には通常営業を課した。

結果、ダメージは残るものの、順調に回復することができたように思う。

***

脚のケア

次に脚のケア。野辺山の完走直後に靴下を脱ぐと、脚の水ぶくれが破れて大量に破水した。家に帰ってさっさと処置し、乾かすことにした。

大腿、ふくらはぎ、股関節など、主立った部分には筋肉痛以外の損傷は見られなかったものの、今回一番ダメージを受けたのがスネ筋だった。足先を上に向けると少し盛り上がってくる筋肉の部分だ。

ここが野辺山の100kmという距離、盛大な上り、長々と続く下りで相当破壊されたらしく、ダメージを受けた右足と、無事だった左足の大きさの差が1.3倍ぐらいになってしまった。

え?右足、ビルドアップし過ぎじゃないっすか?ぐらい。

当然、押すと痛い。歩いても痛い。腫れはなかなか引かない。

とにかくレース直後は冷やし、柴又が近づくにつれて歩く距離を伸ばして筋肉をほぐすことにした。プールで泳いでも、バタ足をするために痛みが走り、仕方なく浮力に任せて歩くことしか出来なかった。

『回復』というと、とにかく安静にというイメージが先行しがちだが、ある程度年齢を重ねると、動かないより動いた方が回復が早いような気がする。

これは、休日に寝てばかりいると逆に疲れるのと似ているかもしれない。動いて回復させる、ということを、みんなもっと生活に取り入れた方が良いだろうと思う。

***

心のケア

最後に心のケア。すなわちモチベーション。これが一番やっかいだった。何せ俺は、既にウルトラマンになっている。もう一度目指さなくても、既に称号は手元にあるのだ。

思えば、野辺山の時は、気がラクだった。『野辺山を制する者はウルトラを制す』と言われるほど敵は強大で、前を向いて全力で戦いさえすればよかった。遠方のため部活のノリで結構楽しく、あまり他のことを考える必要がなかった。『De部でウルトラマン』になることは、全国のDe部(80kg以上か体脂肪25%以上のぽちゃスリート)に勇気を与えるための至上命題だった。

かたや今回の柴又。とにかく出走前からリタイヤの言い訳、制限オーバーになったときの理由が腐るほど出てきた。曰く、

・2週間では筋肉、胃腸ともに回復しないだろうから途中で走れなくなってもしょうがない。

・既にウルトラマンになってるし、2回目に出走するだけでも勇者だからダメでも仕方ない。

・参加することに意義があり、完走できなくてもまぁOK。

・我らがランニングチーム『Admiral』最速の漢、ザックですら、昨年の柴又ではリタイヤしている。いわんや2週間前に野辺山走った俺おや。

まぁとにかく、目標未達がどれだけ論理的かつ合理的か、本当に感心するほど色々な理屈がロジカルに組み上がっていく。

同時に周囲への発言自体もそういう流れになっていく。自分を傷つけないために、どんどん『リタイヤありきだけどもうウルトラマンだし柴又に傷ついた身体と心で出走するだけ結構エラい俺』像が出来上がっていく。

いかん。

このままではイカン。

てめー、それでいいんか!?

***

ダメな自分を追い込む外堀の埋め方

俺は、柴又が近づくにつれ、そんな加速する負け犬根性に逆走する形で、自分の中のプライドがめりめりと音を立てて立ち上がって来る様子を感じていた。

それでいいのか。

それでいいのか。

それでいいのか。

よく・・・ない!!!

俺は、慌てて外堀を埋めることにした。

ある人とは、完走できなかったら『この負け犬が!』と罵倒していただくという条件で賭けをした。ある人とは、完走できたら近くの鮨屋で昼飯をゴチになるということで約束をした。公には、野辺山と柴又をしっかり両方完走することが既定路線であるかのように、宣伝をした。そんな自信は全然なかったけれど。

何かにチャレンジするとき、そしてそのチャレンジの達成可能性が50:50かそれ以下の劣勢の時、自分のフルパワーでチャレンジしなければ未達が濃厚な時、

ご褒美とお仕置きと衆人環視

の条件を整えておくと、達成の可能性は飛躍的に向上する。

人は弱い生き物だ。山奥に籠って10年間も春夏秋冬を修行に費やして、誰からも見られず、誰からも褒められず、誰からも貶されず、たった一人で自らを追い込み続けるということは、本当にイカれた一部の人にしか出来ないことだと思う。(ストイックの塊のようなイチローですら、褒められることを喜びとし、貶されることを怒りに変えているように思える)

俺はこうして、野辺山からわずか二週間後、『帰ってきたウルトラマン』として、柴又への出走に臨むところまで、なんとかこぎつけることが出来たのであった。

毎度のことながら、当日に前回以上の地獄が待ち受けていることなど、知る由もなかった。

 

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

引かぬ媚びぬ省みぬ!

我が人生に一片の悔いなし!

 

 

 

 

 

 

日本一赤裸々な野辺山100kmウルトラマラソン日記 最終章


『日本一赤裸々な』と修飾して、ここまで書いてきた。一生懸命、野辺山という戦場で起きたこと、感じたことを書いたつもりだ。

果たして俺は、『赤裸々』に、書くことが出来ただろうか?俺の身に起こった、最低で最悪で、でも最高の出来事について、これを読んでくれた方と少しでも共有できただろうか?

もし、駄筆ながら少しでも伝わることがあれば、とっても嬉しい。新しいチャレンジはいつだって、かっこ悪くてダサくて、効率の悪いものである。

コイツのせいで

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こうなり、

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こんな天気の下で

 

 

 

 

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朝5時から走ることになり、

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こんな戦意に満ちた顔も

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こんな決意の顔も

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出し切った漢だけが出来るこんな顔も

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上官に対する最高の敬礼もすることができた。

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そして、こんなマッスィーンに乗って、

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こんな漢たちのゴロゴロしている世界に飛び込んでしまい、

修羅

ガタガタと震える毎日を過ごし、

ベジータ

 

こんな人に声をかけられてうつむきながら、

マッチョ

ここまで来ることができた。

ちょっとフライングだが、今の時点でダブルウルトラマン(野辺山100km、柴又100km完走)、今年の8月末にはダブルウルトラアイアンマン(+アイアンマンジャパン@洞爺湖)になっているはずだ。ランニングを始めてちょうど8月で1年、とんでもないところまで来てしまったようだ。

さて、今回の野辺山で学んだことを、最後に総括しておきたいと思う。何かにチャレンジしたい、自分を変えたい、だけどもだっけっど・・という、アクセルとブレーキを同時に踏み込んでしまっているどこにでもいる誰かの一歩を応援することができれば、これ幸いである。

順不同、ノンMECEにてお送りしたい。

***

1、大人になると、目指さない場所には決して辿り着けない。

子供の頃は、わりと人生そのものが仕組みとしては簡単である。小学校1年生で入学してから多少勉強をしてさえいれば、時が経過すれば自動的に小学6年生になる。ある程度のものを食べてさえいれば、黙っていても身体は子供の大きさから大人に近い大きさになっていく。親の言うことを聞いていれば、人生のステージは勝手に次へ次へと進んでいく。

大人は違う。身体が大きくなり、給料を得るようになり、大人(=親)支配下登録選手から抹消されると、自由度が子供の頃に比べて何百倍にもなる。通る道筋の決まった子供用のゴーカートのコースから、いきなり100叉路の交差点に押し出されるのだ。進む方向も速度も、前進も撤退も、すべては自分で決断しなければならない。

今回の野辺山ウルトラ100kmの完走には、当然のことながら布石があった。まだ走ったことがない頃に、小僧のせい(おかげ)でフルマラソンの申し込みが決定した。初マラソンで惨敗したにも関わらず、次のマラソンでは全員がサブ3.5(3時間半切り)を目標とするようになった。なんだか分からないうちに、ウルトラマラソンへの挑戦が決まっていた。

普通に考えれば、まずウォーキングを始めて、ランニングを始めて、少しずつ長い距離を走れるようになり、半年ぐらい経過してからハーフマラソンに申し込んでみて、その1年後ぐらいに自信が出来たらようやくフルマラソンに出てみて、さらにその数年後に自信が出来たらウルトラマラソンに参加するかもかもかも〜・・・というのが、定番の流れかもしれない。

俺たちは、そんな定番を無視して、shoudよりもwantを重視して、すべてを前倒ししてたった1年に凝縮して、チャレンジをした。100ある選択肢の中から、ウルトラマンになる道を選んで、結果をつかみ取ったのである。

だから逆に言えば、ただ漫然とランニングをしていても、絶対にウルトラマラソンは完走できない。普通に考えて、走ろうとすら思わないはずである。大人になって自由度が増したからこそ、目指さないものには、絶対に手が届かない。それを、今回の野辺山で強く感じた。

***

2、結果=持ってる力(実力)×出してる力(ひねり出し度)

ウルトラマラソンに出ている人たちの実力は、果たしてウルトラなのかというと全然そんなことはない。それが今回よく分かった。一部のトップ選手を除けば、まぁあまり変わらんだろうというのが正直なところ。(もちろん、最低ラインとしてフルマラソンの完走ぐらいは出来ないとダメだけど。出来たら4時間半以内)

だけども、完走できる人と出来ない人には、何かしらの差があるように見える。それはなんだのだろうか?たぶんこういうことだ。

結果=持ってる力(実力)×出してる力(ひねり出し度)

100m走などの、一瞬で決まる競技であれば、結果は持ってる力とイコールになりがちである。しかし、ウルトラマラソンのような長時間耐久レースになると、様子は異なるように思える。

持ってる力を1〜5、出してる力を1〜5とすると、

A君:持ってる力5(最高クラス)×出してる力2(ヘラヘラナメてる)=結果10

B君:持ってる力3(並程度)×出してる力4(限界付近まで全力を出してる)=結果12

となる。大したことがない実力でも、一生懸命ひねり出してひねり出していれば、結構な確率で良い成果というのが出るのである。(=あだずのこと)そして大事なことは、このひねり出しを複数回、密度濃くやっていると、いつの間にか実力自体が相当レベルにまで上がってくるということを、身体で知っているかどうかである。

ウルトラマラソンのような限界を超えた状態を半日以上続けるレースでは、ひねり出したヤツだけが自分に勝てる。

果たして人生は、100m走のような一瞬で終わる競技だろうか?それとも、ウルトラマラソンのような、耐え難きを耐える耐久レースなのだろうか。

たぶん、後者だ。だからこそ、ひねり出したヤツが最後には勝つような気がしてならない。大したことない実力というのは、大した問題にはならない。

***

3、大体なんでも3回でそれなりの法則

百聞は一見に如かず、百見は一験に如かず

経験というのは、何よりも大きいと感じている。初心者がゴルフ雑誌を100時間読むよりも、ラウンドに1回出た方が学びが大きいのは周知の通りだ。(経験をある程度するようになると、今度は『ゴルフ雑誌』=理論を学ぶ必要が出てくるのも周知の通り)

で、大体なんでも3回あればなんとか形になるような気がしている。初めて取り組むようなことも、3回あれば巡航速度に乗せられるという感覚。

1回目で想定していた結果とのギャップを思い知り、2回目でそのギャップに対してアジャストし、3回目で改善をする。

今回の俺は、コースの終盤に『馬越峠』なる化け物坂があると聞いて、事前に御殿場近くの有名な峠走エリアで、坂道の練習をしていた。2回。

1回目は目を剥いた。なんじゃこりゃぁ!と、松田優作ばりに驚いた。上りも下りも坂道にボロボロにされて、撃沈した。2回目は前回経験したことを活かして、そしてやはり撃沈した。でも、沈み方は前回よりマシだった。3回目は今回の馬越峠。俺はもう、上り方を知っていた。明るく楽しみながらゲーム形式で、同じペースの他の誰よりも速いスピードで、上ることができた。

多くの人は、大人になると『1回目の撃沈』を恐れるようになる。3回目まで我慢すれば、結構イイ線いくのにね。

俺はこれから、いろいろな分野で『1回目の撃沈』を経験していこうと思う。それで2回目でアジャストし、3回目までに形にしていく。

そうすれば、どんなことでも出来るようになる。そんな気がしている。

***

4、こじつけられる人はこぎつけられる。

『こじつけ力』

はとっても大事。変化のないツラい単純作業や、今回のようなひたすら耐えることを強いられるレースの場合、このこじつけ力があるかどうかで、ゴールにこぎつけられるかどうかが決まるといっても、決して過言ではないと思う。

1、目の前に起きていること

を、

2、自分の知っている何か

にこじつけるのである。

何でもかんでもこじつける。

例えば『疲れてきて腰が下がってきた』場合。

・なるほど、疲れると腰が下がるけど、腰が下がるともっと疲れるな。脳が休むことをwantしてる証拠だ。方向性はwantで決めて、そこまでの行動指針はmustで決めた方がいいな。逆だとレースが崩壊する。

・なるほど、腰が下がるとより疲れるな。いかにフォームを叩き込んで、維持できるかが大事だ。守破離の守をしっかり身につけること、そしてそれを疲れても続けられることが勝利の秘訣だ。どのスポーツにも言えるな。そういや空手でもそうだったわ。

・そういやナダル(元テニス世界No1)は、世界いち早く動けるわけじゃないけど、世界いち一定の速度で動き続けられるところがスゴかったんだった。体幹体幹。

・腰が落ちるってことは、体幹が弱いってこと。体幹は表には見えない筋肉。成果を分けるところは、たぶんこういうところ。見える筋肉は誰でも鍛えるけど、見えない筋肉はみんなが鍛えるわけではない。みんなが見ていない物事もきっちり見れる漢になろう。

・そういやあのトップセールスマンの特徴は、調子が良かろうが悪かろうが、叩き込んだ基本をずっと繰り返すことにあるんだった。応用を調子によって使い分けるんじゃなく、基本を繰り返す中からアジャストしてくことによって、調子を戻すことが出来る。

などなど、仕事に直結するものもあれば他のスポーツに横断するものまで、はたまた人生の付加価値の向上に寄与するものまで、なんでもかんでもこじつける。

そうして自分の頭の中のシナプスをフル回転させている間に、ある瞬間に何かと何かが結合するような感覚がある。すると、小型タンク一個分のエネルギーが湧いてくる。そういう感じ。

100kmもの距離は、ただ走るのではつまらなくて仕方ない。何か新しい発見をいくつもしながら走れば、つまらない道も楽しくなるのである。

***

5、人間は考える葦である。同時に、変態する陶芸作品である。

今回の野辺山を終えて、走力が飛躍的に上がったかというと、別にそうではないと思う。しかしもう一度100kmを走れと言われたら、多分出来ると思う。(実際、このエントリを書いている時点で、野辺山のたった2週間後の柴又100kmウルトラを完走出来ている)

フルを数回、ウルトラを2回走ってみての感覚としては、『強くなった』というより、『適応した』といった方が正しいような気がする。

発砲スチロールばかり持っていてマッチョになることはないが、引っ越し屋さんをやっていれば、どんな人でもある程度の筋肉が付く。これは、重いものを持つということ自体に身体が適応したからである。

ちょうど轆轤の上に乗って回転する粘土に手を当てると、望み通りの形に適応していくように、強くなるというよりは、その環境に適した状態に脚なり心が形を変えるのである。

だからかな。ウルトラを何十回も完走している人たちは、確かにスゴいけれど、本人たちは普通のことだと思っている。適応しきっているからだ。

人はこれを、強さと呼ぶのかもしれないけれど。

***

6、脳は、身体の一番痛い部分しか認識しない。

100kmも走ると、当然のことながら身体のあちこちが悲鳴をあげる。でも、不思議なことに、それぞれ単体で考えればとてつもない痛みなのだが、痛み1(足首)+痛み1(膝)+痛み3(股関節)+痛み1(肩甲骨)の合計が6になるかと言えば、そうではない。

痛み3(股関節)のみがクローズアップされて認識され、他の痛みはほとんど感じなくなる。脳が自己防衛本能を働かせてるがゆえに感覚が遮断されるのかもしれないけれど、とにかく一番痛い部分しか認識できない。

つまり、痛み(や苦しみ)というのは、相対的なものなのだ。

***

7、投資回収の法則

現実世界における投資というのは、A社に投資したらそのA社から配当を受け取るなりキャピタルゲインの恩恵を賜るなりして回収するのが鉄則だと思われる。

A社から投資について何の見返りも得られなかったとしたら、それはおそらく『失敗した投資』と見なされるに違いない。

でも、人生においてはそうではない。Aで投資したものがBで回収できることもあるし、Cでの損失があったおかげでDで一気にハネることもある。

ウルトラマラソンの経験は、ウルトラマラソンの中だけで完結する必要はないってことである。正直言うと、俺は今回の野辺山ウルトラでの経験から、本業の保険の仕事に関するヒントを軽く100はもらったと思っている。それだけでも十二分に元は取れている。

人生、いろいろある。だからこそ、今舐めている一粒の飴の味は、いろんな味に変わっていく可能性を持っている。

***

8、3段階上からのアドバイスの法則

ある物事について、貴方より3段階上のレベルのAさんがこういった。

Aさん:『あなたなら出来るよ。』

返答は大体こうだ。

貴方:『私には無理です。』

さて、この場合、貴方の能力評価を正しく行っているのはAさんだろうか?それとも貴方だろうか?

貴方は自分のことだから、貴方自身のことを一番よく分かってると言うかもしれない。しかしそれは大体の場合、間違いだ。特に能力を評価するときに、それが仕事であれフィジカルであれ、自分が判断できるのは自分が経験したことのある範囲のことだけである。

つまり、経験したことがないことは判断できない。もっといえば、これからチャレンジすることに関しては、一切の根拠を持たないのである。やったことないのだか、それは経験の範囲外であって、ゆえに可も不可も分からないのである。

こういうとき、参考にすべきは3段階ぐらい上のレベルにいるAさんの意見だ。富士登山初心者が、登頂経験10回で様々なルートを知っている人にアドバイスを求めるのが正しいように、3つぐらい上のレベルにいる人にご意見頂戴すべきである。

なぜなら、そういう人は貴方が最大限手を伸ばしたときに、どこまで届くかを貴方以上に冷静に判断できるからである。どうしても難しいようであれば、それは止めてくれるだろう。ちょっと頑張れば届くようであれば、それは背中を押してくれるだろう。そういうことが判断出来るのが、3段階上のレベルの人なのである。

***

9、迷ったらエイヤ

よく聞かれる。『なんでウルトラマラソンなんて走ろうと思ったんですか?』

俺、答える。『ノリです。』

よく言われる。『ノリでよくそんなことできますね!?』

でわ問いたい。逆に、ノリでなく熟慮すればウルトラマラソンに申し込めるのだろうか?熟慮すれば踏み出せるのだろうか?違うと思う。無理だと思う。

熟慮すると、過去の経験の範囲内でしか考えられない。出来ない理由は、わんさか出てくる。理性は時に人の前進を止める。

大それたことはノリでしか出来ない

と思う。迷ったとして、それが自分の人生にプラスになると確信できるのであれば、最後はノリでいくべきである。エイヤっと投げるべきである。

そうでなければ、熟慮なんかしていたら、いつまでもいつまでも、安全地帯でぶいぶい言わせるだけの人生になってしまう。そんな人生、おらいやだ。

***
総集編、一生懸命書いてみた。いかがだっただろうか?もう一度聞きたいのだけれど、日本一赤裸々に書いたつもりだったが、日本一赤裸々にかけていただろうか?

こうして書いてみると、100kmの道のりというのは、自分の強さの証明ではなく、自分の弱さとの数限りない邂逅と対面と消化のプロセスである。

書いてみたら、言い訳とか逃げ出したいという弱さばっかだった。諦めないということは、簡単なようで難しい。でも、諦めてもいいんだ。諦めた後に、諦めるのを諦めれば。

大事なのは、精神の『強さ』そのものではなく、精神の『しなやかさ』だと思った今回のレース。本当にいろいろなことが起こるのだが、それに対して精神の状態をコントロールする糸の本数と弾力と強さ。これが必要。

一本が切れても他でカバーをする。剛性ではなく柔性。いかに自分を騙すか、が大事。

レールの上を微動だにせずに列車が走るというよりも、自転車のようにまっすぐ進んでいるように見えて、実は重心が右にいったり左にいったり、それを微調整しながら進むのと同じ感覚。それが精神のしなやかさ。

人生生きてればいろいろあり、良いことがあれば調子に乗りすぎないように、悪いことがあれば必要以上に落ち込みすぎないようにする必要がある。それも精神のしなやかさ。

戦友、Jo仙人が言っていた。
『フルマラソンみたいにタイムを追うのもいいけど、完走できるかどうか自体を評価できるウルトラは、その意味で価値が高いですね。』

確かに人生でも年収がどんだけ上がったとか昇進をどこまでしたかとかより、どれだけ自分の目指すゴールに対して前進し続けられたかが、価値を決める気がする。

***

今回の野辺山は、一言で言えばこんな感じだった。


10kmで、この先が思いやられた。

20kmで、山のアップダウンに脚が完全にやられた。

30kmで、想像をはるかに超える序盤で、完走が不可能にしか思えなくなっていた。

40kmで、最初の関門に引っかかりかけた。これほど貯金の出来ないウルトラはないとJo仙人が言っていた。

50kmで、しっかりと限界がきた。あと半分ということが信じられず、頭がおかしくなりそうだった。

60kmでリタイヤを真剣に考えた。ご丁寧にも、リタイヤ受付のブースがあって、一度ならず考えた。

70kmで、ゴールしてる人たちを尻目に、心が壊れ涙がでてきた。なんでこんな辛いことをやってるんだろう、もういいじゃないかとしか思えなかった。

80kmで、最大の山場である地獄の馬越峠を越え、希望が少しずつ見えてきた。しかし、もう大雑把な計算すら出来ない精神状態だった。

90kmで、想定していなかった上りが数km続くことが判明し、発狂しそうだった。出来ない計算がさらに出来なくなった。

100kmで、俺は俺自身を超えた。涙が溢れて止まらなくなった。


関門にどんなに思いを馳せても、こちらにできるのは脚を前に進めることだけ。こんな小さな一歩にどんな意味があるのだろうと訝しみながら、一歩を踏み出すだけ。

『小さなことを積み重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道だ』イチローの言ってたことがわかった。腑に落ちた。

制限時間2分前のゴール。この2分を生み出すためにどれだけの回数、折れた心をつぎはぎしたか。何百回、もうだめだと、Noを突きつけてくる脳に、逆にNoを突きつけ返して、限界を超えたことか。

改めて問いたい。その実力がないとそれにチャレンジしてはいけないのだろうか?いつも安パイなチャレンジで、果たして満足のいく人生など送れるのだろうか?

確かに身の程知らずはいけない。ウルトラを走るなら、最低でもフルマラソンの完走経験ぐらいは必要だろう。野辺山を走るなら、サブ4ぐらいの実力はほしいところだ。

でも一方で、身の程を知り過ぎてもいけない。それは、自分の可能性にフタをすることになるからだ。過去のチャレンジがあって今の自分がある。ならば、未来の自分を作るのは今のチャレンジ意外ないではないか!

何度でも諦めていい。諦めなければなんとやらといわれるが、一度も諦めないなんてことはそんなに簡単なことではない。ただ、諦めたあとに何度でもまた決意すること。そういった微差の積み重ねが、大きな差、大きな結果になる。

総集編と言いつついろいろ脈絡なく書いてしまったが、書きたいのはこういうことである。

我が人生に一片の悔いなし!

と言える人生を。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

日本一赤裸々な野辺山100kmウルトラマラソン日記 その11


ゴール。それは点に過ぎない。しかし、すべての冒険の終着駅。すべての苦労も苦難も、この一点において報われる。

時間は13時間58分、制限時間2分前だった。

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写真 (1)

恥ずかしながら、こんなにスポーツで泣いたのは初めてだ。初めて、『自分の限界をはるかに超えた状態をはるかに超えた』のだ。

こんな顔になれるほど頑張った自分を褒めてあげたい。

***

ゴールしたあとの驚愕

ゴールした瞬間に、怖くなって後ろを振り返る。掲示板の時間が、間違いなく制限時間内であることを確認するためだ。

そしたら、

『小僧だ!!!』

誰かが叫ぶ。

ウソだろ?

87km地点の最後のチェックポイントで、俺と熊が出発するときにようやくたどり着いた小僧。多忙のため、フルマラソン出場はこれまで一回限りで、普段の練習にも事欠くありさまに見えた小僧。普段、風呂敷の拡げっぷりに比してあまりにも畳まないことが多い小僧。

87km地点で会ったときも、その顔は決して希望に満ちあふれていたわけじゃなかった。何より、小僧には俺にとっての熊のような一緒に走るパートナーがいない。ラスト13kmの一番キツいパートを、一人で走りきれたとは考えづらい。

しかし・・・

小僧だ!間違いなくゴールテープを切っている。

俺たちよりも、たったの10秒後ろで、間違いなくゴールテープを切っている。

お前、お前、お前・・・

やりやがったな!!!

やりやがったんだな!!!

***

倒れ込みそうになる小僧を皆で支える。これでもかというほど、皆で抱き合う。兄さん、Jo仙人、熊、俺、小僧、みんなぐちゃぐちゃだ。

汗と涙でぐちゃぐちゃ、抱き合いながらぐちゃぐちゃ。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。

聞けば、小僧は馬越峠を下り始めてから、20kmほどで数百人を抜かしてきたという。ほぼ一度も歩くことなく、ゴールまでたどり着いたという。

なんてヤツだ。なんて根性だ。なんて強さだ。

小僧はこの日、30歳最後の日を迎えていた。明日は31歳になる。その30歳最後の日を、漢として全うして終わらせ、やりきって31歳を迎えたかったのだそうだ。

小僧、間違いなく漢だぜ。最強の漢だぜ。

この日のMVPは、間違いなく小僧だ。

ぐちゃぐちゃに泣いているが、小僧、最高にカッコいいぜ!!!

***

14時間5分の英雄

そして無情にも、時計の針は制限時間の14時間を跨いだ。ここから先は、完走にはなっても記録には残らない。

俺たちは、最後の戦士、ハラルを待った。ダメだったか・・・

***

片付けの関係でゴール付近から追われてしまった俺たちは、ひとまず体育館の近くでハラルを待った。

5分後、フラフラになりながら、ハラルが現れた。

なんて言葉をかければいいか分からない。でも、おつかれさま。

ハラル、ナイスラン!がんばった、お前最高に頑張った!

そんなようなことを言って、抱きしめたように記憶している。

ハラルは、顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。気持ちが分かるとは言うまい。惜しかったとも言うまい。結果がすべてと言えば、確かにそれまでだ。

だけど、お前、最高に頑張ったぞ。その涙、最高にカッコいいぞ。

フラフラのハラルを椅子に座らせ、完走のご褒美のそばをハラルに持たせる。

ふとハラルを見ると、ぐちゃぐちゃの顔をさらにぐちゃぐちゃにして、顔を下に向けて泣いていた。涙も鼻水も、ものすごい勢いでそばに流れ込んでいた。

ハラル、泣け。涙が枯れるほど泣け。その悔しさが、お前を大きな漢にする。

『這い上がろう。負けたことがある、というのが、いつか大きな財産になる』

という山王工業堂本監督の名言を思い出した。(スラムダンク31巻参照)

ハラルのゴールタイムは14時間5分。

俺が前日に『前門の虎、肛門の狼』対策でメジャーリーグ級の効き目を誇る『ストッパ』を大量に用意しているのを見て馬鹿にしていたが、思えばこのとき、ハラルにお裾分けをすべきであった。

この日のハラルは肛門の虎に6度も襲われ、その度に列を作って御手洗に並んでいた。軽く1時間は御手洗に費やしていたはずで、それさえなければ間違いなくこの日チームで最も速い漢になっていたはずである。

彼を知り己を知れば百戦危うからず

は有名だが、『おのれ』だけでなく『あなる』も知っていれば、この日のMVPはハラルであったことだろう。

***

ハラルのゴールを見届けた俺は、いの一番に奥さんに電話した。

『おで、おで、おで、完走したじょーーーーーーーーーーーあばばばばぁ!あびがとう!あびがとう!おで、完走でぎた!ぁぁぁぁあああああああ!!!!!』

もはや何を言ったかも思い出せないが、奥さんはテンションの違い過ぎる電話にため息をつきながら一言、

『おめでとう、良かったね』

と言ってくれた。

電話に代わった4歳の娘も、電話口で泣き叫ぶ父親に向かって、

『パパ、へんな声〜、泣いてんの〜?』

と言ってくれた。

君たちのダンナとパパ、頑張ったよ。ありがとう!

***

全員がゴールし、全員がウルトラマンとなった俺たちは、傷ついた身体を休める間もなく、簡単な着替えを済ませ、新宿行きのバスに乗り込んだ。

帰りのバスでは、寝たくても寝られない状況だった。寝るには疲れすぎていた。

でも

疲れすぎて寝られないって、最高。

俺たちは、ウルトラマンになったんだ。

新宿に降り立った俺たちは、忠誠を誓う元帥閣下に敬礼をして、帰路についた。

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ウルトラマンの兄弟たちへ

感動とか限界という言葉すら陳腐に思えるほど出し切った野辺山100kmウルトラマラソン。一人で参戦していたらとっくの昔にリタイヤしていたと思う。

この漢たちがいなかったら、絶対に無理だった。

この漢たちがいたから、俺は頑張れた。

心の底から、お礼を言いたい。ありがとう。

しつこいようだが軽く戦友たちを紹介しておく。

兄さん
並走出来たのは最初の5分だけ。俺がストッパ3錠投入にも関わらずOPPで離脱するまでだった。以後は終始安定した走りで、一度も背中を見ることはできなかった。人格はもちろん仕事、家庭、トライアスロン、今回の野辺山とすべてに安定感抜群で、追い込まれた状況でも気配りを常に忘れない。こういう漢、こういう40代になりたいと素直に思える頼れるアニキ。しかし一体、44歳の肉体でどうやってこんなに安定したフィジカルを保てるのか、不思議で仕方ない。俺と熊がゴールするときに大きな声で呼んでくれたのは、本当に嬉しかった。なぜか出身県と自分の名字が同じ。例えて言うなら、幼き頃のケンシロウを救うため、自身の両目を犠牲にした心優しき南斗聖拳の重鎮、シュウ。

Jo仙人
ウルトラ経験2回の猛者で、見た目も中身も解脱気味だが、今回の走りは本当に圧巻だった。開始4kmで古傷の爆弾が爆発し、まさかの超序盤でロキソニン投入。その後、厚生労働省の指示を無視したロキソニン6錠投入で今回のレースを乗り切った。傍目に見てても今回こそは仙人もリタイヤかな、と何度も思ったのだが、60kmからの鬼気迫る走りと背中に、とてつもなく勇気をもらった。ノウハウや心構えを事前にこの人に教えてもらったからこそ、今回完走できた。例えて言うなら、亀仙人からエロとハゲと不真面目さと亀と加齢を除いた感じ。


熊には今回、ありがとうしか言えない。熊がいたから頑張れた。熊がいたから折れた心もなんとかつなぐことができた。熊が吐いたとき、俺が頑張らなきゃと思った。熊が吼えたとき、俺は泣いた。熊が最後に引っ張ってくれて、俺はゴールまでたどり着くことができた。いつもモゴモゴしていて、焼きそばの入ったメロンパンを買ってこいと言ったら真剣に探してきてくれそうな熊。今回、二人でウルトラマンになれたことを本当に誇りに思う。例えて言うなら、スラムダンクは山王工業の不動のセンター、河田の弟である河田マルオ。

小僧
今回のMVP。50km過ぎからは何度も合流し、何度も離れた。正直、87km地点で最後に見かけたときには無理なのかなと思ったが、そこから一度も止まらず数百人抜きをかました。30歳最後の日に伝説を作った走りは間違いなく最優秀選手。今回のレースで一番の感動をくれたのはこの小僧だったかもしれない。そういえば、そもそもこのレースに出ることになったのも、小僧のおかげ(せい)だ。小僧に言いたい。『ふざけんじゃりがとうございました。』例えて言うなら実力のあるウソップ。

ハラル
今回の陰のMVP。不運なOPPによる6回の戦闘さえなければ、間違いなく最速の漢だったことと思う。ハラルには以後、必ずストッパを押し付けることにしよう。ハラルが流した悔し涙を、俺は一生忘れない。本当にカッコいい、戦いを全うした漢の涙だった。自分を変えたいと願うハラルの気持ちは、ものすごくよく分かる。今回の悔しさを胸に、これからハラルがどう飛躍していくのか、楽しみだ。この3日後ぐらいに、かつての上司にかなり上から目線で『ウルトラマンになるコツ』を伝授したというハラルのハートの強さには頭が下がるばかりだ。例えて言うなら、結構あらゆることがねじれの位置。

野辺山の人たち
本当に素晴らしい大会で、今までとは全く別物の世界を見せていただいた。苦しいところで必ず現れるエイド、心のこもった言葉には、何度も何度も救われた。人には人柄があるが、大会にも人柄というのがあることを知った。なんか、とっても温かい大会だった。もちろんこれ以上ないぐらいに厳しかったけど。全体として、愛を感じる大会だった。携わっていただいた方全員に、改めてお礼を言いたい。ありがとうございました。I’ll be back!

***

毎度の癖で長々と続いてきたこのエントリも、次で最後となる。最後は、この野辺山で学んだことを改めてまとめて、以後誰かが何かにチャレンジするときに、参考にしてもらえるような内容にしたい。

そして個人的には、それが将来的に娘の勇気になったりするようなことがあれば、とっても嬉しい。

君のパパは頑張ってたんだよ、そして今も頑張ってるんだよ、ということを、伝えたい。

 

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

引かぬ媚びぬ省みぬ!

我が人生に一片の悔いなし!