ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

年末年始に捨てるもの

time 2014/01/05


皆さんこんにちは、拳王です。

今年は色々なチャレンジをこれみよがしにレポートしていくのでお楽しみに!

さて、年末年始ということで一部の尊敬すべき方々みたいに『年末年始も元旦以外は通常営業』とか『人が遊んでいる時にこそ働く』ということをしてみたかったのですが、やはり誘惑には逆らえず、なんとプリズンブレイクを布団の牢屋に入るがごとく観賞しまくってしまいました。

牢屋関連でホリエモンの『ゼロ』も読破し、そういえば『大経営者になるためには大病、倒産、投獄の三つが必要だ』と言ったどこかのお偉いさんのお話を思い出しました。

さて、そんなぐだぐだな年末年始を過ごしてしまった僕ですが、きちんとやることはやります。それは大掃除。いわゆる断捨離です。

◆【年末年始に捨てるもの】
当然服や本やその他諸々、普通の人が普通に捨てるモノも僕は普通に捨てるのですが、僕が捨てる中で特徴的なものが一つあります。それは、

『表彰状(その他メダルなど、表彰された的なもの全般)』

です。

勿論表彰に伴って撮ってもらった娘の写っている写真などはとっておくのですが、表彰グッズは基本的に捨てます。会社の社長杯であったり、MVPを頂いたりで表彰状的なものをいただく機会は、今まで幸運なことにそれなりにあったわけですし、それを見ると自分が認められている気がして悪い気はしないのですが、だからこそ捨てるという選択を数年前からしています。過去は所詮過去だからです。ただ、もう少し具体的に考えてみたら、次の二つに場合分けできました。

◆【表彰状を捨てる理由その① 現在が過去よりも輝いている場合】
現在が以前に比べて輝いているのであれば、過去の表彰状を捨てても全く無問題です。形而下的には表彰状を捨てることで、形而上的にはプライドを捨てることができます。だから運良く成果を出し続けて表彰され続けたとしても、その証拠や証左となる表彰状を捨てることで、毎年気分一心が可能、仕事に対する驕りも侮りもなくなります。自分はこれだけのことを成し遂げてきたんだ、という傲慢な気持ちもなくなります。部屋の場所も広くなり、良いことづくめです。更に良い結果を求める体勢が整うわけです。

◆【表彰状を捨てる理由その② 過去が現在よりも輝いていた場合/現在が過去よりも色あせてる場合】
問題はこちら。過去の方が現在よりも力強く輝いているという残念なケースの場合、過去の表彰状は持っているメリットよりも、捨てないデメリットの方が明らかにデカイ、だから捨てるべきだと僕は考えています。もう少し具体的にはこういうことです。

例えばの話、応接室にどこぞから表彰された賞状やらメダルやらが置いてあるお偉いさんていますよね?往々にして、そういうのは他者から見れば『どーでっもいいですよ』的なもので、大して興味は引きません。ただ本人にとっては、人に自慢したい大切なもの。やれ、あれは何十年前にどこぞから表彰されたもの、それは十何年前にどこぞで入賞したもの、などなど。しかし、こういう人は、『ところでこの1年/直近に何を達成されたんですか?』などと聞かれた暁には、大体の場合『いや、今はもう歳で・・・』と答えることが非常に多い。過去の栄光を以て自分の現在価値を高めようとすると、こういうことになります。客観的に見てヒジョーにかっこ悪い。

確かに逆境に陥ったときにこそ過去の良かった時期を思い出し、自分に自信を取り戻す、というのはありえなくはない思考かもしれません。僕も強い人間では決してないので、そういう誘惑に駆られることは実はよくあります。しかし、大体の場合、逆境というのは少なからず弱っている時なので、そういう時は同じく大体の場合、思考がネガティブな方向にいきます。『あの頃の俺は輝いていた、そうだ、もう一度その時の姿を取り戻そう!』と素直に復活の起爆剤となるかといえばそうではなく、『あの頃は良かった、それに引換え今の会社(/部下/上司/嫁/子供/時代)は・・・』と、愚痴や他責の温床になる、それが過去の表彰状です。それは過去に輝いていたという証明書であり、すなわちその時の自分が様々な意味で正しかったという証明書でもあります。そこに思考を近づけることは、『自分以外の正しくないもの』に対する怒りや不満を呼び起こすことになります。

要は、過去が輝いていて今が色あせてる、その落差が激しいほど、健全な精神を保てなくなるのです。だから捨てるべき。今が色あせているのであれば、過去の栄光に思いを馳せるのではなく、もう一度輝けるように踏み出すべき一歩を実際に踏み出す、それしかありません。その一歩をこれみよがしに邪魔してくるのが、表彰状なのです。

◆【さぁ、バシバシ捨てよう】
小学校の時、誰もが簡単なテストであれば少なからず100点を取れる機会があったはずです。もし家に当時の100点答案があったら、それを見つめて自分はかつて天才だったとニマニマしてみてください。・・・きっとものすごく虚しくなると思います。大人になってからの表彰状も、多かれ少なかれそれと同じ。過去の栄光に焦点を当てても、実際は大して意味がないどころか、時に有害であったりします。『落ちぶれてももと上流階級』のびんぼっちゃまは、どう転んでも今現在、残念ながら貧乏なのです。その現実は変えられません。前半分だけになってしまった高級スーツを捨てて、ユニクロで上下揃えて新たな一歩を踏み出したほうが良さそうです。

断腸の思いで捨てた過去の栄光は、未来への光にいずれ変わります。『昔取った杵柄』ならぬ『昔打った篠塚※』になるのはちょっとね・・・。
※元巨人軍篠塚選手の晩年を風刺した誰かの名言

昔もらった表彰状だけでなく、昔入ったジーンズ、昔着られた服、昔読んだ本、ぜーんぶ捨てちゃいましょう。あ、子供の表彰状はとっとかなきゃダメですよ。あくまで自分のだけ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!
読んでいただいてる方のシゲキとゲンキとキヅキになれば嬉しいです。

我が生涯に一片の悔いなし!

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。