ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

日本一赤裸々な野辺山100kmウルトラマラソン日記 その2

time 2014/05/21


『100km!面白そうじゃないっすか!やりましょうよやりましょうよ!』

こんな無責任なことを無責任に突然言い出した通称『小僧』。三十路だが、明らかに少年にしか見えないこの男に、最近俺の人生は翻弄されっぱなしである。

写真 (2)

 

ワンピース並みに無茶苦茶な小僧

ワンピースで言えば、ウソップの大言壮語にルフィーの勢いを足して1.5を掛けたような無茶苦茶なところがあるのがこの小僧。

もとはと言えば、2013年3月頃にフルマラソンに無理矢理誘われたのが始まり。そのとき、小僧はまだフルマラソンを走ったことがなかった。結果、俺は現時点で既に4回完走しており(うち2〜4回目はサブ4)、小僧はまだ1回しか完走していない(たぶん4時間40分ぐらい)。

2014年1月には、ある会議で盛り上がったところで小僧が叫びだし、素人から半年でのアイアンマン(スイム3.8km、バイク180km、ラン42km)への挑戦が決まった。にもかかわらず、目下、小僧はアイアンマンへの申し込みはしていない。

そして今回の野辺山100kmウルトラマラソン。同じく2014年1月に小僧が叫びだし、参加が決まった。名前がほのぼのしているからという理由なのか、野辺山ウルトラが出走レースとなった。これを後で激しく後悔することになる。

そんなわけで振り返ってみれば、この1年の俺のチャレンジのハイライトは、すべてこの小僧を経由して、半ば無理矢理申し込まされる形で実現してきたことになる。バルセロナで言えばシャビやイニエスタばりにチャレンジの中継地点として機能してきたことになる。しかも小僧の場合、フィールドにいないことも多い。

が、結果的に、俺は小僧にものすごく感謝してる。小僧の外圧がなかったら、たぶんどれ一つとして、やっていなかった。それを一度伝えたら、

『でしょー!でしょー!?俺ハンパないっすよねー!!!』

日頃鍛えているのも、コイツを張り倒すためだと言えば、みんな納得してくれるだろうか。

身の程を知らずはNo Good、しかし知りすぎるのはToo Bad

子供と大人の最大の違いは何か?それは、特別意識をしないと次の方程式に落ち着くことから証明できる。

子供:能力<チャレンジ(現有能力以上の無茶なチャレンジをしている)

であり、

大人:能力>チャレンジ(現有能力以下の安パイなチャレンジしかしない)

であるということ。

不思議なことに、能力>チャレンジな子供はあまり見ない。筋力が伴わず何も出来ないはずの赤子が、一生懸命立ち上がろうと何百回もチャレンジし、立ち上がれるようになった瞬間、『前から出来ましたがなにか?』とドヤ顔するのがそれである。何も知らない小学生が、卒業時点ではほぼ例外なく九九やひらがなカタカナ漢字を習得していくのもそれである。

反対に、能力<チャレンジな大人もあまり見ない。安パイな中での成功確率の高いチャレンジしかしないため、『あの頃は』といいながら過去を誇ることになる。本来は、色々できるようになった大人のはずが、下駄を履いている分だけ、何にせよ成長は早いはずである。

子供はほぼ例外なく成長し、大人はほんの一部の人間だけしか成長しない、その理由は、この方程式にあるのではないかと思う。

 

身の程を知らないのは良くない。高尾山にすら登れない人が、今エベレストを登るのはダメだ。でも、マジで努力したら数年後にはエベレストに登頂するだけの体力をつけることは可能だ。

身の程を知らないのはNo Goodだが、知りすぎるのはToo Badというのはそういうことだ。子供の頃よりはるかに賢くなっているはずの大人が、子供の何倍何十倍も力を込めて自分の可能性にフタをしようとするのは、おかしいとか奇妙という言葉でしか表しようがない。

だからこそ、だからこその、今回の小僧のような外圧が必要なのである。そして今更ながら小僧にはとても感謝しているが、それを伝えたときのリアクションが上記のようなとてつもなく軽いノリだったため、彼に何かを返すのは定年後にしようと密かに思う俺であった。

 

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

引かぬ媚びぬ省みぬ!

我が人生に一片の悔いなし!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。