ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

日本一赤裸々な野辺山100kmウルトラマラソン日記 最終章

time 2014/06/07


『日本一赤裸々な』と修飾して、ここまで書いてきた。一生懸命、野辺山という戦場で起きたこと、感じたことを書いたつもりだ。

果たして俺は、『赤裸々』に、書くことが出来ただろうか?俺の身に起こった、最低で最悪で、でも最高の出来事について、これを読んでくれた方と少しでも共有できただろうか?

もし、駄筆ながら少しでも伝わることがあれば、とっても嬉しい。新しいチャレンジはいつだって、かっこ悪くてダサくて、効率の悪いものである。

コイツのせいで

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こうなり、

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こんな天気の下で

 

 

 

 

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朝5時から走ることになり、

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こんな戦意に満ちた顔も

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こんな決意の顔も

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出し切った漢だけが出来るこんな顔も

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上官に対する最高の敬礼もすることができた。

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そして、こんなマッスィーンに乗って、

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こんな漢たちのゴロゴロしている世界に飛び込んでしまい、

修羅

ガタガタと震える毎日を過ごし、

ベジータ

 

こんな人に声をかけられてうつむきながら、

マッチョ

ここまで来ることができた。

ちょっとフライングだが、今の時点でダブルウルトラマン(野辺山100km、柴又100km完走)、今年の8月末にはダブルウルトラアイアンマン(+アイアンマンジャパン@洞爺湖)になっているはずだ。ランニングを始めてちょうど8月で1年、とんでもないところまで来てしまったようだ。

さて、今回の野辺山で学んだことを、最後に総括しておきたいと思う。何かにチャレンジしたい、自分を変えたい、だけどもだっけっど・・という、アクセルとブレーキを同時に踏み込んでしまっているどこにでもいる誰かの一歩を応援することができれば、これ幸いである。

順不同、ノンMECEにてお送りしたい。

***

1、大人になると、目指さない場所には決して辿り着けない。

子供の頃は、わりと人生そのものが仕組みとしては簡単である。小学校1年生で入学してから多少勉強をしてさえいれば、時が経過すれば自動的に小学6年生になる。ある程度のものを食べてさえいれば、黙っていても身体は子供の大きさから大人に近い大きさになっていく。親の言うことを聞いていれば、人生のステージは勝手に次へ次へと進んでいく。

大人は違う。身体が大きくなり、給料を得るようになり、大人(=親)支配下登録選手から抹消されると、自由度が子供の頃に比べて何百倍にもなる。通る道筋の決まった子供用のゴーカートのコースから、いきなり100叉路の交差点に押し出されるのだ。進む方向も速度も、前進も撤退も、すべては自分で決断しなければならない。

今回の野辺山ウルトラ100kmの完走には、当然のことながら布石があった。まだ走ったことがない頃に、小僧のせい(おかげ)でフルマラソンの申し込みが決定した。初マラソンで惨敗したにも関わらず、次のマラソンでは全員がサブ3.5(3時間半切り)を目標とするようになった。なんだか分からないうちに、ウルトラマラソンへの挑戦が決まっていた。

普通に考えれば、まずウォーキングを始めて、ランニングを始めて、少しずつ長い距離を走れるようになり、半年ぐらい経過してからハーフマラソンに申し込んでみて、その1年後ぐらいに自信が出来たらようやくフルマラソンに出てみて、さらにその数年後に自信が出来たらウルトラマラソンに参加するかもかもかも〜・・・というのが、定番の流れかもしれない。

俺たちは、そんな定番を無視して、shoudよりもwantを重視して、すべてを前倒ししてたった1年に凝縮して、チャレンジをした。100ある選択肢の中から、ウルトラマンになる道を選んで、結果をつかみ取ったのである。

だから逆に言えば、ただ漫然とランニングをしていても、絶対にウルトラマラソンは完走できない。普通に考えて、走ろうとすら思わないはずである。大人になって自由度が増したからこそ、目指さないものには、絶対に手が届かない。それを、今回の野辺山で強く感じた。

***

2、結果=持ってる力(実力)×出してる力(ひねり出し度)

ウルトラマラソンに出ている人たちの実力は、果たしてウルトラなのかというと全然そんなことはない。それが今回よく分かった。一部のトップ選手を除けば、まぁあまり変わらんだろうというのが正直なところ。(もちろん、最低ラインとしてフルマラソンの完走ぐらいは出来ないとダメだけど。出来たら4時間半以内)

だけども、完走できる人と出来ない人には、何かしらの差があるように見える。それはなんだのだろうか?たぶんこういうことだ。

結果=持ってる力(実力)×出してる力(ひねり出し度)

100m走などの、一瞬で決まる競技であれば、結果は持ってる力とイコールになりがちである。しかし、ウルトラマラソンのような長時間耐久レースになると、様子は異なるように思える。

持ってる力を1〜5、出してる力を1〜5とすると、

A君:持ってる力5(最高クラス)×出してる力2(ヘラヘラナメてる)=結果10

B君:持ってる力3(並程度)×出してる力4(限界付近まで全力を出してる)=結果12

となる。大したことがない実力でも、一生懸命ひねり出してひねり出していれば、結構な確率で良い成果というのが出るのである。(=あだずのこと)そして大事なことは、このひねり出しを複数回、密度濃くやっていると、いつの間にか実力自体が相当レベルにまで上がってくるということを、身体で知っているかどうかである。

ウルトラマラソンのような限界を超えた状態を半日以上続けるレースでは、ひねり出したヤツだけが自分に勝てる。

果たして人生は、100m走のような一瞬で終わる競技だろうか?それとも、ウルトラマラソンのような、耐え難きを耐える耐久レースなのだろうか。

たぶん、後者だ。だからこそ、ひねり出したヤツが最後には勝つような気がしてならない。大したことない実力というのは、大した問題にはならない。

***

3、大体なんでも3回でそれなりの法則

百聞は一見に如かず、百見は一験に如かず

経験というのは、何よりも大きいと感じている。初心者がゴルフ雑誌を100時間読むよりも、ラウンドに1回出た方が学びが大きいのは周知の通りだ。(経験をある程度するようになると、今度は『ゴルフ雑誌』=理論を学ぶ必要が出てくるのも周知の通り)

で、大体なんでも3回あればなんとか形になるような気がしている。初めて取り組むようなことも、3回あれば巡航速度に乗せられるという感覚。

1回目で想定していた結果とのギャップを思い知り、2回目でそのギャップに対してアジャストし、3回目で改善をする。

今回の俺は、コースの終盤に『馬越峠』なる化け物坂があると聞いて、事前に御殿場近くの有名な峠走エリアで、坂道の練習をしていた。2回。

1回目は目を剥いた。なんじゃこりゃぁ!と、松田優作ばりに驚いた。上りも下りも坂道にボロボロにされて、撃沈した。2回目は前回経験したことを活かして、そしてやはり撃沈した。でも、沈み方は前回よりマシだった。3回目は今回の馬越峠。俺はもう、上り方を知っていた。明るく楽しみながらゲーム形式で、同じペースの他の誰よりも速いスピードで、上ることができた。

多くの人は、大人になると『1回目の撃沈』を恐れるようになる。3回目まで我慢すれば、結構イイ線いくのにね。

俺はこれから、いろいろな分野で『1回目の撃沈』を経験していこうと思う。それで2回目でアジャストし、3回目までに形にしていく。

そうすれば、どんなことでも出来るようになる。そんな気がしている。

***

4、こじつけられる人はこぎつけられる。

『こじつけ力』

はとっても大事。変化のないツラい単純作業や、今回のようなひたすら耐えることを強いられるレースの場合、このこじつけ力があるかどうかで、ゴールにこぎつけられるかどうかが決まるといっても、決して過言ではないと思う。

1、目の前に起きていること

を、

2、自分の知っている何か

にこじつけるのである。

何でもかんでもこじつける。

例えば『疲れてきて腰が下がってきた』場合。

・なるほど、疲れると腰が下がるけど、腰が下がるともっと疲れるな。脳が休むことをwantしてる証拠だ。方向性はwantで決めて、そこまでの行動指針はmustで決めた方がいいな。逆だとレースが崩壊する。

・なるほど、腰が下がるとより疲れるな。いかにフォームを叩き込んで、維持できるかが大事だ。守破離の守をしっかり身につけること、そしてそれを疲れても続けられることが勝利の秘訣だ。どのスポーツにも言えるな。そういや空手でもそうだったわ。

・そういやナダル(元テニス世界No1)は、世界いち早く動けるわけじゃないけど、世界いち一定の速度で動き続けられるところがスゴかったんだった。体幹体幹。

・腰が落ちるってことは、体幹が弱いってこと。体幹は表には見えない筋肉。成果を分けるところは、たぶんこういうところ。見える筋肉は誰でも鍛えるけど、見えない筋肉はみんなが鍛えるわけではない。みんなが見ていない物事もきっちり見れる漢になろう。

・そういやあのトップセールスマンの特徴は、調子が良かろうが悪かろうが、叩き込んだ基本をずっと繰り返すことにあるんだった。応用を調子によって使い分けるんじゃなく、基本を繰り返す中からアジャストしてくことによって、調子を戻すことが出来る。

などなど、仕事に直結するものもあれば他のスポーツに横断するものまで、はたまた人生の付加価値の向上に寄与するものまで、なんでもかんでもこじつける。

そうして自分の頭の中のシナプスをフル回転させている間に、ある瞬間に何かと何かが結合するような感覚がある。すると、小型タンク一個分のエネルギーが湧いてくる。そういう感じ。

100kmもの距離は、ただ走るのではつまらなくて仕方ない。何か新しい発見をいくつもしながら走れば、つまらない道も楽しくなるのである。

***

5、人間は考える葦である。同時に、変態する陶芸作品である。

今回の野辺山を終えて、走力が飛躍的に上がったかというと、別にそうではないと思う。しかしもう一度100kmを走れと言われたら、多分出来ると思う。(実際、このエントリを書いている時点で、野辺山のたった2週間後の柴又100kmウルトラを完走出来ている)

フルを数回、ウルトラを2回走ってみての感覚としては、『強くなった』というより、『適応した』といった方が正しいような気がする。

発砲スチロールばかり持っていてマッチョになることはないが、引っ越し屋さんをやっていれば、どんな人でもある程度の筋肉が付く。これは、重いものを持つということ自体に身体が適応したからである。

ちょうど轆轤の上に乗って回転する粘土に手を当てると、望み通りの形に適応していくように、強くなるというよりは、その環境に適した状態に脚なり心が形を変えるのである。

だからかな。ウルトラを何十回も完走している人たちは、確かにスゴいけれど、本人たちは普通のことだと思っている。適応しきっているからだ。

人はこれを、強さと呼ぶのかもしれないけれど。

***

6、脳は、身体の一番痛い部分しか認識しない。

100kmも走ると、当然のことながら身体のあちこちが悲鳴をあげる。でも、不思議なことに、それぞれ単体で考えればとてつもない痛みなのだが、痛み1(足首)+痛み1(膝)+痛み3(股関節)+痛み1(肩甲骨)の合計が6になるかと言えば、そうではない。

痛み3(股関節)のみがクローズアップされて認識され、他の痛みはほとんど感じなくなる。脳が自己防衛本能を働かせてるがゆえに感覚が遮断されるのかもしれないけれど、とにかく一番痛い部分しか認識できない。

つまり、痛み(や苦しみ)というのは、相対的なものなのだ。

***

7、投資回収の法則

現実世界における投資というのは、A社に投資したらそのA社から配当を受け取るなりキャピタルゲインの恩恵を賜るなりして回収するのが鉄則だと思われる。

A社から投資について何の見返りも得られなかったとしたら、それはおそらく『失敗した投資』と見なされるに違いない。

でも、人生においてはそうではない。Aで投資したものがBで回収できることもあるし、Cでの損失があったおかげでDで一気にハネることもある。

ウルトラマラソンの経験は、ウルトラマラソンの中だけで完結する必要はないってことである。正直言うと、俺は今回の野辺山ウルトラでの経験から、本業の保険の仕事に関するヒントを軽く100はもらったと思っている。それだけでも十二分に元は取れている。

人生、いろいろある。だからこそ、今舐めている一粒の飴の味は、いろんな味に変わっていく可能性を持っている。

***

8、3段階上からのアドバイスの法則

ある物事について、貴方より3段階上のレベルのAさんがこういった。

Aさん:『あなたなら出来るよ。』

返答は大体こうだ。

貴方:『私には無理です。』

さて、この場合、貴方の能力評価を正しく行っているのはAさんだろうか?それとも貴方だろうか?

貴方は自分のことだから、貴方自身のことを一番よく分かってると言うかもしれない。しかしそれは大体の場合、間違いだ。特に能力を評価するときに、それが仕事であれフィジカルであれ、自分が判断できるのは自分が経験したことのある範囲のことだけである。

つまり、経験したことがないことは判断できない。もっといえば、これからチャレンジすることに関しては、一切の根拠を持たないのである。やったことないのだか、それは経験の範囲外であって、ゆえに可も不可も分からないのである。

こういうとき、参考にすべきは3段階ぐらい上のレベルにいるAさんの意見だ。富士登山初心者が、登頂経験10回で様々なルートを知っている人にアドバイスを求めるのが正しいように、3つぐらい上のレベルにいる人にご意見頂戴すべきである。

なぜなら、そういう人は貴方が最大限手を伸ばしたときに、どこまで届くかを貴方以上に冷静に判断できるからである。どうしても難しいようであれば、それは止めてくれるだろう。ちょっと頑張れば届くようであれば、それは背中を押してくれるだろう。そういうことが判断出来るのが、3段階上のレベルの人なのである。

***

9、迷ったらエイヤ

よく聞かれる。『なんでウルトラマラソンなんて走ろうと思ったんですか?』

俺、答える。『ノリです。』

よく言われる。『ノリでよくそんなことできますね!?』

でわ問いたい。逆に、ノリでなく熟慮すればウルトラマラソンに申し込めるのだろうか?熟慮すれば踏み出せるのだろうか?違うと思う。無理だと思う。

熟慮すると、過去の経験の範囲内でしか考えられない。出来ない理由は、わんさか出てくる。理性は時に人の前進を止める。

大それたことはノリでしか出来ない

と思う。迷ったとして、それが自分の人生にプラスになると確信できるのであれば、最後はノリでいくべきである。エイヤっと投げるべきである。

そうでなければ、熟慮なんかしていたら、いつまでもいつまでも、安全地帯でぶいぶい言わせるだけの人生になってしまう。そんな人生、おらいやだ。

***
総集編、一生懸命書いてみた。いかがだっただろうか?もう一度聞きたいのだけれど、日本一赤裸々に書いたつもりだったが、日本一赤裸々にかけていただろうか?

こうして書いてみると、100kmの道のりというのは、自分の強さの証明ではなく、自分の弱さとの数限りない邂逅と対面と消化のプロセスである。

書いてみたら、言い訳とか逃げ出したいという弱さばっかだった。諦めないということは、簡単なようで難しい。でも、諦めてもいいんだ。諦めた後に、諦めるのを諦めれば。

大事なのは、精神の『強さ』そのものではなく、精神の『しなやかさ』だと思った今回のレース。本当にいろいろなことが起こるのだが、それに対して精神の状態をコントロールする糸の本数と弾力と強さ。これが必要。

一本が切れても他でカバーをする。剛性ではなく柔性。いかに自分を騙すか、が大事。

レールの上を微動だにせずに列車が走るというよりも、自転車のようにまっすぐ進んでいるように見えて、実は重心が右にいったり左にいったり、それを微調整しながら進むのと同じ感覚。それが精神のしなやかさ。

人生生きてればいろいろあり、良いことがあれば調子に乗りすぎないように、悪いことがあれば必要以上に落ち込みすぎないようにする必要がある。それも精神のしなやかさ。

戦友、Jo仙人が言っていた。
『フルマラソンみたいにタイムを追うのもいいけど、完走できるかどうか自体を評価できるウルトラは、その意味で価値が高いですね。』

確かに人生でも年収がどんだけ上がったとか昇進をどこまでしたかとかより、どれだけ自分の目指すゴールに対して前進し続けられたかが、価値を決める気がする。

***

今回の野辺山は、一言で言えばこんな感じだった。


10kmで、この先が思いやられた。

20kmで、山のアップダウンに脚が完全にやられた。

30kmで、想像をはるかに超える序盤で、完走が不可能にしか思えなくなっていた。

40kmで、最初の関門に引っかかりかけた。これほど貯金の出来ないウルトラはないとJo仙人が言っていた。

50kmで、しっかりと限界がきた。あと半分ということが信じられず、頭がおかしくなりそうだった。

60kmでリタイヤを真剣に考えた。ご丁寧にも、リタイヤ受付のブースがあって、一度ならず考えた。

70kmで、ゴールしてる人たちを尻目に、心が壊れ涙がでてきた。なんでこんな辛いことをやってるんだろう、もういいじゃないかとしか思えなかった。

80kmで、最大の山場である地獄の馬越峠を越え、希望が少しずつ見えてきた。しかし、もう大雑把な計算すら出来ない精神状態だった。

90kmで、想定していなかった上りが数km続くことが判明し、発狂しそうだった。出来ない計算がさらに出来なくなった。

100kmで、俺は俺自身を超えた。涙が溢れて止まらなくなった。


関門にどんなに思いを馳せても、こちらにできるのは脚を前に進めることだけ。こんな小さな一歩にどんな意味があるのだろうと訝しみながら、一歩を踏み出すだけ。

『小さなことを積み重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道だ』イチローの言ってたことがわかった。腑に落ちた。

制限時間2分前のゴール。この2分を生み出すためにどれだけの回数、折れた心をつぎはぎしたか。何百回、もうだめだと、Noを突きつけてくる脳に、逆にNoを突きつけ返して、限界を超えたことか。

改めて問いたい。その実力がないとそれにチャレンジしてはいけないのだろうか?いつも安パイなチャレンジで、果たして満足のいく人生など送れるのだろうか?

確かに身の程知らずはいけない。ウルトラを走るなら、最低でもフルマラソンの完走経験ぐらいは必要だろう。野辺山を走るなら、サブ4ぐらいの実力はほしいところだ。

でも一方で、身の程を知り過ぎてもいけない。それは、自分の可能性にフタをすることになるからだ。過去のチャレンジがあって今の自分がある。ならば、未来の自分を作るのは今のチャレンジ意外ないではないか!

何度でも諦めていい。諦めなければなんとやらといわれるが、一度も諦めないなんてことはそんなに簡単なことではない。ただ、諦めたあとに何度でもまた決意すること。そういった微差の積み重ねが、大きな差、大きな結果になる。

総集編と言いつついろいろ脈絡なく書いてしまったが、書きたいのはこういうことである。

我が人生に一片の悔いなし!

と言える人生を。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。