ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

帰ってきたウルトラマン〜柴又100kmウルトラ列伝その5〜

time 2014/06/24


 

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55kmの関門をわずか10秒前に飛び出してギリギリクリアした俺。

次の関門は80km地点。17時51分までに関門通過すればいいので、正味3時間半で25kmを走れば良い。

と、簡単に言ってみたものの、普段ならなんてことないペースでも、毎度のことながら体力的には限界に近い。そして毎度のことながら、先が思いやられるのであった。50kmに7時間弱を費やしてしまった前半戦の負債は、どんどんどんどん俺を追い込んでいくのであった。

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おっさんたちの強さと速さについて

55kmの関門を過ぎた瞬間、あまりの関門閉めのアナウンスの遅さに、隣にいた二人に話しかけて不満を共有した。

聞けば一人は同い年でウルトラ初挑戦、もうひと方は華の50代でやはりウルトラ初挑戦だった。

不思議なことに、ウルトラマラソンやトライアスロンなどの遠距離モノになると、20代30代の若者より、40代50代60代のおっさんたちの方が圧倒的に強いし速い。

通常のスポーツだとあり得ないこの傾向の理由としては、俺が考案したものも含めて諸説ある。

おっさんたちが強くて速い理由その1:若者にはもっと楽しいことがある
若者で『趣味はトライアスロンです』というヤツに、トライアスロンを始めるまで俺は会ったことがなかった。それはそうだ。自分が若い頃を思い返してみても、楽しいことは他に腐るほどある。テニス、スノボ、車、カラオケ、飲み会、ゲーム、ただ寝ること、パックンチョとたべっこどうぶつを食べ比べること・・・。そういうことを一通りやり尽くして、辿り付くのが『自分いじめ』と言っても過言ではないトライアスロン、そしてウルトラマラソンなのである。

おっさんたちが強くて速い理由その2:おっさんたちは、耐えることが未来につながることを知っている
おっさんたちは、高度経済成長期とは言わないまでも、バブル時代のリゲイン状態を知っている。『24時間働けますか、ビジネスマーン、ビジネスマーン、ジャパニーズ、ビジネスマーン!』を地でいってた世代だ。ひたすら働き、会社と家庭の理不尽さに耐えながら、それでもその先に明るい未来が今よりは鮮明に見えた頃を覚えている。すぐに結果やご褒美を求める俺たちの世代よりも、実はずっとずっと強いのではないかと、一緒に走っていて思う。肉体の限界なんぞゴールの遥か前に超えるのが当然のレースで、おっさんたちは本当に強い。

おっさんたちが強くて速い理由その3:ただ単純に、お金と時間がある
ウルトラマラソンには遠征費がかかり、トライアスロンには初期投資がかかる。そして両方とも、それなりの時間を要する。つまり、そうそう若者にはチャレンジしづらい参入障壁がある。マラソンをやっていると言うと、『ふーん』といわれ、トライアスロンをやっていると言うと、『すごいですね!』といまだに言われることがその証左だと思う。土日の出勤を急遽命じられたり、下等兵のごとく働かされる若者には、割けないお金と時間がある一方で、そのあたりを比較的コントロールしやすいおっさんたちは、この分野で無類の強さを発揮する。いい道具と使って質の高いトレーニングをしていれば、結局のところ、誰でも速く強くなるのだ。

 

おっさんたちが強くて速い裏の理由:おっさんたちの方がはるかに『バカ』だから
俺が社会人になったのは2003年、バブルはもちろん、ITバブルすら弾けてしまった後だった。その後の人生で、これが好景気かと言えるようなものは、まだ経験したことがない。おっさんたちは、銀座や六本木でタクシーが3時間捕まらなかったり、ジュリアナだの土地成金だのが跋扈していた頃を知っている。あの狂喜乱舞していた頃の武勇伝を聞くことがたまにあるが、明らかに常軌を逸している。俺たちが『学生時代はバカやったなぁ』と思うその何倍も、バカをやってきたのは、おっさんたちである。学生時代に全裸になった数や、麻雀や飲みで夜を明かした数も、ずっとおっさんたちの方が多いと思う。その意味で、『枠にはまらない若者の存在が』とか、『固定観念に凝り固まった中高年世代が』という言い方に、俺は違和感を覚える。環境が整えば、俺たちをはるかにしのぐ本当のバカが出来るのは、俺たちではなくおっさんたちの方だ。で、それが許されるのがまさにウルトラマラソンやトライアスロンである。たがを外されたおっさんたちは、猛獣よりタチが悪い。

例:猛獣よりタチが悪いおっさんたちの例
先日、伊豆大島にトライアスロンの試合のために向かったが、島に到着したにも関わらず暴風雨で試合そのものが中止になってしまった。そのとき、『いや〜、(暴風雨だしレースが)なしで良かった』と安堵のコメントをした俺たちに対して、『いや〜、(暴風雨の中だしせっかくレース中止だし、全体的なリスクを気にせず)これでいい練習ができますねぇ〜』と気迫溢れるコメントをされた通称じーじ総統閣下。昨年はロング(スイム3.8km、バイク180km、ラン42km)のレースを5本完走したというよくわからなすぎる戦歴で、既にお孫さんがいるという。雨がザーザー、向かい風がビュンビュン吹く中でレースばりのスピードで練習を敢行、その場にいたメンバーの誰よりも年齢が上にも関わらず誰もついていけない恐ろしいスピードで三原山を上っていき、下々に『総統閣下』と第三帝国を思わせる呼称で呼ばせては何度も体力的な限界を超えさせる軍令を発していた。平地でスプリント勝負をしたが、筋力には自信のある俺も圧敗。背中が一瞬で見えなくなった。我々は軍令に対して、ハイかYesかOuiかSiの四択で答えるのが精一杯だった。ちなみにこの日初対面だったが、そんなことはおかまいなしに次々に想像を超える軍令が下された。
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張り手

話を戻そう。残り10秒ほどで55kmの関門を通過した俺は、同い年と50代と思われる二人の御仁と、次の関門を目指すことになった。

次の関門とは言っても、もともと直進してきた道をただただ戻るだけ。暑さはなんとか慣れたけど、この単調さはまた格別に不味い敵だなと思っていた矢先。

『羅王!!!』

と呼ぶ声があった。振り向くと、スタートから42km付近まで並走していた同じ松坂世代の同志、ネバッティだった。

場所は55km関門のほんの少し手前。この時間にここにいるということは・・・

そうか、間に合わなかったか・・・

55kmの関門をほんの少しの差で超えられた俺はまだ戦うことを許され、55kmの関門にほんの少し間に合わなかったネバッティは、この先戦う権利を剥奪される。

残酷なまでの勝負の現実が、そこにはあった。微差が人生を分けるというが、現実はあまりにも非情だ。

『残念だったな』とか、『ドンマイ』とか、『まだ次があるよ』とか、浮かんだ言葉は色々あるけど出てこない。

『ダメだった』と言ったネバッティに対して、『・・・そうか・・・』としか言ってやることができなかった。

ネバッティの分まで走る。完走する。そのことだけ誓った俺は、ネバッティに渾身の張り手を背中にしてもらった。一発では足りなかったので、さらに強い一撃をおかわりさせてもらった。

これで痛みと引き換えに、燃料タンクを一個追加させてもらった。困ったときに助けてくれる、熱量無限の燃料タンクだ。これを背負って、必ずゴールしてやる。

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55km〜80kmの絶望

先の二人としばらく一緒に走った。色々と話をした。ランニング歴のこと、俺以外の二人がウルトラ初挑戦であること、まだまだ諦めなければ完走できるということ。

話すことで少しでも紛れるし、距離も稼げるので、ペースはそれなりでも、話しながら進んだ。

しかししばらくして、50代の方の姿が見えなくなってしまった。

さらにしばらくして、同い年君からも、『先行ってくれ』と言われ、また一人になってしまった。

55km地点の関門にこれでもかというほどたむろしていた『サヨナラバス(リタイヤ者用回収豪華バス)』がまた見える。

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リタイヤならいつでも受け付けるよ、と言わんばかりの安定した陣容だ。

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60kmを過ぎた頃だったか、序盤で別れてしまった教官にも出逢うことが出来た。この場所での再会ということは、当然関門には間に合っていない。あとは、55kmの関門まで『回収されるために』向かわねばならない。胸中はいかほどだっただろうか。

しかし鋼の漢教官は、『走って』いた。

戦ってたんだ。諦めずに、戦ってたんだ。負けが決まってしまっても、自身の矜持のため、脚を前に進めてたんだ。

かっこ良過ぎるぜ教官。

俺はまた、背中に一撃をもらい、予備の燃料タンクをもう一つ追加させてもらった。優しい性格の教官は、全然痛くない一撃を俺にくれたが、それが俺の体力の消耗を慮ってくれての優撃だったのだと俺は気づいていた。何せ、教官の二の腕は丸太である。本気でやられたら、背中から来た衝撃が胸を貫通し、肺が破れてしまう。

教官にまた元気をもらい、俺は再び走り出した。

***

一人になった俺は、ところどころで並走する人を見つけては、一緒に走ることにした。先の二人も含め、偶然にも、全員が初ウルトラだった。そういえば、ネバッティも教官も、初ウルトラだった。

で、残念なことに、全員と途中で別れることになってしまった。ある人はいつの間にかいなくなり、ある人は『もう無理です』と言って後退していった。

彼らと別れたどの時点でも、『計算上は』80kmの関門も、そしてゴールも、諦めなければギリギリできるという状態だった。

しかし、並走した全員が諦めてしまった。

これはなんなのだろうか。

俺には、思い当たることが一つあった。それは、俺と彼らの唯一にして最大の違いだった。つまりは、

『俺には二週間前に野辺山を走った疲労と経験がある』

ということだ。

***

小僧が何気なく言っていた言葉は、最近俺の中で頻繁にフラッシュバックしている。一時期のカフーやロベカルのように、ゴールライン付近までオーバーラップしてくる。

『1回目は10倍キツいっすけど、1回出来たら次は1/10の力で出来ますよ』

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これだ!、と思った。

俺は確かに疲れていた。『野辺山を制する者はウルトラを制す』とかなんとか言われちゃってる野辺山100kmウルトラに間違ってエントリーし、制限時間2分前に完走。身体はボロボロ、脚の先まで細かい疲労はたっぷり残ってる。胃だって復調したとは言い難い。

なんなら、並走した人たちの数十%増で疲れていたとは思う。

でも、俺には疲労と同時に、野辺山を走りきったという経験もあった。ここをこうすればこうなる、みたいな成功法則が、おぼろげながら出来上がっていた。

そしてその経験に照らし合わせると、『まだまだイケる』という答えしか出てこない。それは、他の誰がなんと言おうと、揺らぐことのない確信みたいなものだった。

野辺山は想定の10倍ぐらいキツかったが、そのときの経験が刻み込まれている状態で臨んだ今回の柴又では、野辺山の10倍ぐらい『イケる!』と思っていた。

そしてそれは、『初ウルトラ』の人たちとは絶対に共有できない類いの無形の何かだったに違いないと、今になって思う。

どれだけ俺が、『まだイケますよ!』、『このペースなら大丈夫!ギリギリセーフ!』と言っても、『もう無理だ』、『先行って下さい』と、彼らは返してきた。

『もう無理だ。』、『先行って下さい』とこっちが言いたいぐらいだったが、先にそれを言ってきたのは彼らだった。

小僧の言葉と、百見は一験に如かず、の格言が、俺に耐える力を与えてくれ、暑さと単調さが彼らから戦う力を奪ったようだった。

俺は、しばしの仲間を得て、そのたびに孤独を味わいながら、なんとか80km地点までたどり着いた。

17時51分に閉まる関門に、17時45分に着いた。制限時間6分前。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことに感謝します。

引かぬ媚びぬ省みぬ!

我が人生に一片の悔いなし!

 

 

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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