ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

8月6日の話

time 2014/08/12


一週間ほど前の話なのですが、僕にとってはとても大事なことなので書いておきます。ほんとは当日に書くべきだったのですが、色々考えてるうちに時間が経ってしまい、かつ先日バイクでコケて手を怪我してしまったため、まごついてるうちに遅くなってしまいました。

ということで怪我しておじいちゃんタイピングしか出来ないので短めに。

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先週の8月6日。この日は原爆記念日でした。そして僕にとってもある意味記念日でした。

僕のばあちゃんは、8月6日に広島にいました。生家が広島で、育ちも広島です。

あの瞬間、何かの偶然で即死を免れる場所にいたばあちゃんは、残念なことに爆発でお母さん(ひいばあちゃん)を亡くし、しかし不幸中の幸いでそれ以外の家族は無事だったため、なんとか生きながらえました。

そういえば、まだ親族がとか血脈がとか何も分かっておらず、次週の少年ジャンプのことばかり考えていた中学生の頃に、一度だけ広島に行って原爆ドームを見に行った記憶があります。なんてひどいことをするヤツがいるもんだと思いましたが、そのときは気づかなかったけれど、要するにばあちゃんは家族を殺されたのです。

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そしてその後、報道局に勤めていたじいちゃんが東京から広島へ転勤になるのに伴い、二人は職場で出逢いました。おそらく原爆関連の復旧、復興の報道のためとかが理由なんじゃないかと思います。その後、おかんがその広島で生まれます。

そう言われてみれば、ちゃんと聞いたことはなかったけれど、ばあちゃんは原爆手帳(正しくは被爆者健康手帳)を持ってました。バスとか、印籠のようにかざしてタダで乗り回していた気がします。

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被爆の影響が少なからずあったのか、あるいは全くなかったのか、それは分かりません。でも、僕はじいちゃんの顔を見るほど早く生まれてくることはできなかったし、ばあちゃんは僕が理性を初めて持ち始めた頃(25歳頃)の4年前に天国に逝ってしまいました。(僕は25歳頃まで、類人猿でした)

今なら、聞きたいことは山ほどありますが、今となっては何も聞けません。

あの日何があったのか。

あの日以降、どうやって生きてきたのか。

あの日以降の日を、幸せと言える日々に出来たのか。

おかんが生まれたとき、どう思ったのか。

僕が生まれたとき、どう思ったのか。

僕に娘が出来たことに、なんて言ってくれるのか。

今の日本を見て、どんなことを感じるのか。

ばあちゃんはなぜ、鹿島でプレーしてた現役の頃のジーコにそっくりだったのか。

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ただ一つだけ言えることがあります。

原爆も戦争も、二度と許されるものではありません。これまでもこれからも、それは変わりません。

それは決して変えてはいけない原理原則だけれど、『原爆のせいで』、とか『原爆の影響』で、とかいう枕詞が付くのが当たり前の世の中で、我が家だけは

『原爆があったから』

という文脈で命が繋がれ、紡がれています。

どうしようもなく許せないことが起きた中で、奇跡的なあみだくじの連続の結果として、今僕がいて娘がいます。

そのうち、娘にもきちんと話そうと思います。

そんなことを思った、69年目の8月6日でした。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

引かぬ媚びぬ省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。