ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

IRONMAN JAPAN 2014 完『騒』記〜半年間の奇跡の軌跡 その17〜

time 2014/09/29


アイアンマンから1ヶ月かかって、アイアンマンについて書くことができた。最後にちょっとだけまとめをば。かなり長いけど。

***

ランニングど素人で走り始めてからちょうど1年、トライアスロンど素人からアイアンマン完走までの半年で、本当に色々なことを学んだ。

この長過ぎる備忘録の最後に、俺がこの1年で学んだことについて、記しておきたいと思う。

ブログを書いていると、よく想定読者を『ペルソナ』という表現で呼ぶ。『本来不特定多数の人が読むであろうブログを、そもそもはどこの誰に向かってどんな風に感じてほしくて書くのか』を明確にすることを、『ペルソナを設定する』とか言ったりする。

『女性に』とかいうアバウトな表現ではなく、『30代前半の女性に』でもなく、『大手町勤務でランチは高いオフィスビルのではなくお弁当を自分でこしらえて、未来への希望と現状への不満をハーフ&ハーフでミックスしたようなことを考えながら9時5時で働く30代前半のOL。休日はウィンドウショッピングで、基本は明るい引きこもり。』などと、かなり細かく設定する。

そうすることで、自分の届けたい情報がより具体性をもって、その想定読者に届けられるらしい。ちなみにこの『ラオウを目指す羅王のブログ』やこれらの経験談エントリで想定している読者というのは、実はたった一人である。

誰かの一歩を応援したいという気持ちで書いてはいるものの、本当のところはちょっと違う。『今の誰か』ではなく、実は『未来の彼女』に向けて書いている。

どんな彼女かというと、『今の段階ではほぼ本能のままに生きていて、プリキュアとラピュタをこよなく愛している。記憶力がよく、不思議なことに突然1ヶ月前のことを話し始めたりする。かなりポジティブでバランス感覚があり、自分の欲求(=お菓子買ってほしいとか)をストレートに言わずに、外堀を埋めることで大人をコントロールする術を既に生誕4年目にして身につけている、ちょっとおてんばでわがままな子。』

つまりは娘。

今4歳の娘が大きくなって様々な壁にぶつかったときに、たまたまふと開いたブログが俺ので、そこからヒントを得て前へ進んでいく。そんなことがあったらいいなと、妄想しながら、このブログを書いている。

親が自分ぐらいの年齢のときにどんなことを考え、どんなことに挑戦し、どんなことに苦しみ、どんなことを楽しいと思っていたのかを知りたくなる年齢が、きっと来る。

いわば、エントリの1つ1つが、娘への遺言だと思って書いている。

命に永遠はないので、突然それが途絶えたとしても、俺がもがき苦しんだ軌跡を、彼女がいつか知ってくれる日が来れば嬉しいなと思う。

んなわけで、この1年で学んだことを。

1:大人諸君、少しは子供を見習え

近頃は、子供が大人から学ぶべきことよりも、大人が子供から学ぶべきことの方が多いのではないかと思う。学校で、『子供の思考学』みたいのが必修であればいいのに。目標に最短で突っ走るところとか、ほとんどの大人はほとんどの子供を見習った方がいい。

子供は、欲しいおもちゃやお菓子があったときに、まずそれに手を伸ばそうとする。伸ばしてダメなら、もっと伸ばそうとする。どうやったらそこに届くか、を考える。そうしてどんなに手を伸ばしてみて届かなかったら、パパやママという目上の人間に協力を仰ぎ、自分に届かない範囲に手を伸ばそうとする。それがダメだからといって諦めることはなく、最後には泣き叫ぶ。泣き叫んだ結果、誰かが助けてくれて欲しいものが手に入ることもままある。

ほとんどの大人は、欲しい『おもちゃ』や『お菓子』が今の状態では届かないと分かった瞬間に、届かない理由を正当化する。誰の協力を仰ぐこともなく、自分だけで『届きっこない』と決めつける。『手を伸ばして届かなくてバランスを崩してコケる』よりも、『手を伸ばさずバランスを保ち、別に欲しくないよ』という顔をする。手が短いせいにしたり、欲しいおもちゃが遠くにあるせいにしたり、それを誰かがそこに置いたせいにしたり。

それで欲しいものが手にはいるのだろうか。そんなことは絶対にない、と思う。棚から本当にぼたもちが落ちてくる確率というのは、コンマパーセントレベルで低い。ぼたもちが欲しければ、棚が壊れるぐらい壁を蹴るべきだ。

明らかに実力を超越したチャレンジばかりしていた2014年は、手を伸ばし、バランスを崩し、涙し、喚いて誰かの協力を仰ぎまくった1年だった。

 

2:本丸を攻める前に外堀を埋めろ

例えばの話。太ってきたので走ることにした。さぁ皇居を走ろう。資格を取ることにした、参考書を開いて勉強しよう。

これはダメな例。走りたいからといって、『走る』という本丸をいきなり攻めてはダメ。資格が必要だからといって、1ページ目から参考書を開いていてはダメ。どうせ盛り上がりと同じスピードで盛り下がっていき、やらなくなるのがオチだ。

それよりも、まずは外堀を埋めることを優先すべき。大阪の陣で徳川家康が豊臣側に勝利出来たのも、本丸の城を攻めずに、まずは着々と外堀を埋めることに専心したからだ。

ランであれば、

・かっこいい/かわいいウェア、シューズを買う。結構高めのヤツを。引くに引けないヤツを。

・フルマラソン/ハーフマラソンに申し込む。このとき、人に聞いてどっちにしたらカッコいいか聞くといい。好きな子に、『ハーフもスゴいけど、フルマラソン走ったらスゴいね』と言われたら、迷わずフルマラソンをポチるべき。

・『初フルマラソンで4時間切りを達成します!』と言ってみる。チャレンジして出来なかったときのカッコ悪さと、言いもせず何もしないカッコ悪さだったら、後者の方がはるかにカッコ悪いと知るべきだ。

・『初フルマラソンで4時間切りを目指すおバカな仲間ぼしゅうちゅう』と、ちょっとネジの外れた仲間を集めてみる。決起会でもやれば、結構後に引けなくなる。

これぐらいやると、思いつきで決まったネタが、明確な目標に様変わりする。そして、目標が明確になった人間というのは、思いのほか強い。

ダメな自分の外堀を埋める技術が、ことの正否を分ける気がする。

 

3:サッカーをやりたいならFWを希望するべし

結果的にDFの渋さに惹かれてもいいし、結果的にGKのリーダーシップに憧れてもいいし、結果的にボランチのマネジメント能力に着目してもいいし、結果的に2列目の選手を目指してもいいのだけれど、サッカーをやりたいのであれば、まず初めに目指すポジションというのは、FWであるべきと思う。

なぜなら、FWは点を決めるのが仕事で、なんだかんだと一番カッコいい。子供のサッカーなど、フィールドの全員がFWになっていて、DFなんて誰もやらない。誰もが、ゴールを決めるヒーローになりたがっている。

『カッコいい!』とか、『ヤベェ!』とか、『神!』とか、そういった貧相なボキャブラリーで表されるような感動や憧れの方が、その何倍何十倍の言葉で装飾されたモチベーションよりも、ずっと強いのではないだろうか。

俺はこの動画を見て、アイアンマンをやるべき理由が1つ見つかり、やるべきでない100もの理由が吹き飛んだ。

それっぽくバランスを取るのは、ずっと後からでも出来る。サッカーならばまだ良いけど、最初からバランス取るボランチのようなポジションを取っているようでは、バランスの取れた小さな人生になるだけだと思う。バランスは取れてるけど、そんなのつまんないよね。

 

4:一般人が人生を変えるための正しい方法

これみよがしな正論においては、『やりたいことをやれ』とよく言われるが、これはあまり正しくないと思う。それを既にやれてるヤツはとっくに自分の目指す領域にたどり着いているはずだし、ほとんどの人はそれが出来ないから困っている。

また、『やりたいことをやる』というのは、例えば『パチンコが好きだから毎日パチンコ屋に入り浸る』とか、『ゲームが好きだから一日中やっている』ということも、解釈によっては正当化してしまう。『やりたいことをやれ』といったときに、人は無意識に、『既にやれることのなかでやりたいことをやる』だと勘違いしてしまう。

一方、『Wantを達成するために、そこにたどり着くためのMustをやれ』みたいな話も良く聞く。これもぐぅの音も出ない正論なのだけれど、これが出来る人もまたそんなに多くない。少なくとも、俺はこの理屈は理解しているが、出来ているかどうかは非常に怪しい。出来ていたら俺は今の場所にいない。

フルマラソン、ウルトラマラソン、トライアスロン、アイアンマンと経てきて、なんとなく違和感を感じていた上記2つの主張の、現実的な落としどころが見えてきたので言語化しておこうと思う。

すなわち、大して才能もリソースもない俺のような一般人が、それでも更なる幸せを求めて人生を変えたいと思うのであれば、考え方の基本としてはこれが正しいと思う。

自分がいつかやりたいと思っていることのなかで、『だったら今やれば?』と言われたら『いや、それはちょっと・・・』と言ってしまいがちなSomething。それがあなたのチャレンジするべき項目であり、どうにかこうにか四十八手を駆使しながら、外堀を埋めつつ自分をそれに対するチャレンジに引きずり込む。英語で言うと、Want someday だけどいろんな理由でdon’t want now と言ってしまうSomething をWhatever な感じでNowに着手すること。

文字だけの定義だと非常に分かりづらいので、具体例を出すと、例えば富士登山。『一生に一回ぐらいはご来光見てみたい。けど忙しいしどうしても今というわけじゃない。』と思う人は、日本人ならほとんどでは?

そんな富士登山みたいなことを、Someday からNowに引き寄せるために、自分の外堀を埋めろ、そういうことだ。それだけで人生は、少なくともそれまでと比べて劇的に変わる。

 

 5:巻かれた渦で渦を巻け

人生において北極星と崇めている師匠の言葉で、『渦を巻け』というのがある。何かを変えたければ、まずは自分で変化を起こせという主旨の言葉だ。

が、最近分かった。これが出来るだけではダメだ。

いや、いいんですよ。渦が全く巻けないよりは。でも、自分から渦を巻くときの限界というのはおおよそ決まっていて、それはほとんど必ず、『自分の範囲内』であるということ。

渦を巻くというのは、、とても労力のいることである。そもそも、渦を巻いてる時点で、その他の9割の人よりも9割増しでパワーが必要になる。だからというわけではないけれど、自分で巻こうとした渦というのは、必然的に自分の能力の範囲内になる。

というわけで、渦を巻くのは素晴らしいことなのだけれど、成長には一定の限界が存在する。最近発見した、自身の能力を引き上げる上でもっと良いと思われるのは、

天上界の誰かさんが巻き始めた大きな渦の中で、自分が小さな渦を巻くこと

天上界の誰かさんを焚き付けて大きな渦を巻かせ、その中で自分が小さな渦を五月雨式に巻くこと

これです。

そもそもが自分の能力を大きく上回る人が作った渦というのは、質、量ともに自分の手に余るほどの経験をもたらしてくれる。そんな中で、おとなしくしているのはもったいない。でも手には余るので、全体をリードするというところまでは難しい。

そんなときにすべきは、虎の威を借りながらのちょっと恥ずかしい状態で、狐に徹していろんな働きかけをしていくことである。企画をするでもよし、連絡網を担当するでもよし、トリビアを発信するでもよし。

そんなこんなの狐業の積み重ねで、いつの間にか虎達が何を考えているのか、どう行動するのかを、感覚知として身につけることが出来るようになってくる。狐界だけで生きてたときに比べると、何年かかっても得られない経験が、かなりの短期間で手に入る。

順番としては、

0、他人の渦に巻かれている状態

1、自分で渦を巻く状態

2、虎の渦の中で狐として渦を巻く状態

3、自分が虎に近づいたらまた自分で渦を巻く状態

この繰り返し。

 

6:良い師、良い強敵(とも)、良いきっかけ

自分の人生をもっとよくしたい。自分の能力を、その理想に見合うレベルまで引き上げたい。多くの人がこんなことをぼんやり考えているとは思う。けど、その環境の設定の仕方には、巧拙があるように思う。

大事なのは、まず良い師、良い強敵(とも)を持つこと。どちらが欠けても片手落ち。

良い師だけでは、憧れや目標が見つかったという満足感、高揚感が一時的に心を盛り上げるだけで、しかし現実はあまり変わらないことが多い。

良い強敵だけでは、そのうち妥協や自己満、慢心が生まれ、道に迷う。分かれ道にぶち当たったときに、どっちに行ったら良いか分からなくなるからだ。MustとWantがぶつかったときに、誰も正解を知らないから、Wantに流れてしまうことも多い。

良い師を見つけたなら、良い強敵を頑張って探すこと。良い強敵が先に見つかったのであれば、良い師を血眼になって探すこと。ポセイ丼には幸運なことに、圧倒的な経験(と頻繁な計算間違い)を擁する良い師と、何事においても格上だけど手が届かないわけでもないという良い強敵が同時に存在していた。

で、良い師良い強敵が揃ったらそれでいいのかというと、実はそうでもない。片手落ちが解消されて両手は揃っているが、肝心の脚がない。

物事には、きっかけが必要だ。そしてこれは、とても重要だ。

結婚しそうなのに、いつまでもそこに踏み込めないカップルを見てると、よく分かる。きっかけがない、ただそれだけで何も進まず、そして(主に女性側からが多いけど)どちらともなく時間切れで別れたという人を何人か知ってる。

で、俺にとってのきっかけと言えばコイツ。通称『小僧』。

写真 (2)

 

良い師も良い強敵も揃ってはいたのだけれど、今更ながら、この小僧がいなければ、俺のフルマラソンもウルトラマラソンもトライアスロンもアイアンマンも、何一つ実現していなかったかと思うと、戦慄が走る。

絵に描いたように見事なきっかけになってくれたいきさつについては、こちらをご覧になられたい。

良い師、良い強敵に加え、この『良いきっかけ』があれば、人は前に進むことができる。そしてかなりのスピードで、目標に到達することができる。

 

7:『目標は、皆さんが重要だと思ってるその10倍ぐらい重要です。』

2010年南アフリカW杯のときに岡ちゃんこと岡田監督が言っていた言葉。

この1年の挑戦で、俺はこの岡ちゃんの言葉の意味を、自分の身を持って証明することとなった。フルマラソンはまだしも、ウルトラマラソンやアイアンマンは、『やろうと思ったからやってみたら出来た』のであり、それ以上でもそれ以下でもない。

一つ勘違いされやすくて、確かに一見するとごもっともで、でも言われるたびに『違うんだけどなぁ〜』と思うのは、『羅王さんだから出来るんですよ』、『さすが極真やってただけありますね』、『やっぱ違いますねー』などの、『◯◯さんは私とは別』みたいなステレオタイプである。

結果を出した今だからこそそう思えてしまうかもしれないが、少なくともそれらを始める前までは、『5kmで全身筋肉痛、10kmで全身筋肉痛×2、20kmで涙』するようなただのデブだった。

それが、ふとしたきっかけ(=小僧とか)でフルマラソンをやることになり、せっかくだからとサブ4を目指すことになり、その後はふとしたきっかけ(=小僧とか)でウルトラマラソンを走ろうということになり、さらにふとしたきっかけ(=小僧とか)でアイアンマンに挑戦することになった。

本当に、ただそれだけ。目指したから、ここまで来られた。

この1年の目標を10km走れることと決めていたらそれで終わっていただろうし、フルマラソン完走と決めていれば、サブ4は絶対に無理だった。ウルトラマラソンとアイアンマンは、雲の上だったに違いない。

だから、改めて思う。

目標は、皆さんが重要だと思っているその10倍ぐらい重要だ。

目指していない目標に、『あっれー?気づいたらこんなとこに来ちゃったよ〜』といってたどり着く人は、意識をせずともそれが出来るほどセンスのある人であって、普通の人にはそんなことは絶対に起きない。

 

7、夢泥棒に気をつけよう

言おうと思ったけれど、怖いからやっぱやめようと思ったけれど、結構重要なことなのでやっぱり言っておきたいと思う。

夢泥棒に気をつけよう。

古来より、大国や強い軍隊が揺らぐのは、大体コレと相場が決まっている。すなわち、

内紛。

外圧にはめっぽう強い組織でも、内紛が起こると、もろくも崩れさる。そんな事例が、歴史上にはいくつもいくつも転がっている。大きな力でも、一つの方向にまとまらないと、それが出来てる小さな力にすら抗えない。

平和な現代でも、それは個人レベルですら当てはまる。

人生を変えようと思う。人生を変えるとまではいかずとも、少しでも前に進もうとあがく。そんなときに必要なのは、

1、時間の使い方を変えること

2、お金の使い方を変えること

3、その他色々変えること(住むところとか、付き合う人とか諸説あり。)

だ。

ネガティブな人との付き合いをやめてポジティブな人との付き合いを始めたり、早起きをしたり、パチンコやタバコにお金を使わずに自己投資する、というのがそれ。

で、そんなときに必ず起こるのが、身近な人からの、強烈な現状維持引力。

『あんたがそんなことやってどうなんの?◯◯さん(うまくいってる人)とは違うでしょ。』

こうやって鼻ならぬやる気を折られた人を、俺は何人も知ってる。そして悲しいかなそれが、一番身近な家族、親、親友などによって投げかけられる言葉であることがほとんどだ。

世の中には色んなcomfortableのレベルがあって、今誰かと誰かの間に付き合いがあるのは、それがcomfortableだからだ。それがズレ始めるとcomfortableではなくなり、どちらかが不満を持ち始める。

どうでもいい人だとそれはただのサヨナラを意味するけれど、身近な人であればあるほど、その関係は解消できない。だけどuncomfortableなのはなくならない。

ロケットが地球の引力圏を突破して宇宙空間まで飛び出すのに必要な速度は、秒速11.2kmと言われている。時速でなく秒速。

時速にすると40000km。1時間で地球が1周できる。

それぐらいのスピードでなければ、宇宙に飛び立つことはできない。それ以下のスピードでは、地球に引き戻されて、地面に叩き付けられて終わる。身近な人からの引力というのも、それぐらいのパワーがあると思った方がいい。

夢泥棒は、案外近くにいることが多い。個人的には、結果をさっさと叩き付けるか、何かのチャレンジのたびに自分のおこづかいを減らしてでも贖罪する以外に道はないと思っている。変わろうとして変われなかった過去の自分をよーく知っている人なのだから、容易に信用してくれないのは、言わば当たり前である。

結構これで苦労してそうな人とか、苦労しそうな人が他にも沢山いそうなので、怖いけど書いておきます。怖いけど。

もし何も言わず変わろうとする自分を応援してくれる人が身近にいたら、その人は天使であり神様だと思って崇めたほうがいい。

 

8、残る後悔、残らない後悔

最近、今まで以上に『死』がクローズアップされている気がする。『死ぬときに後悔する◯◯なこと』とか、そういう本がとても流行っているし、俺もほとんど同意している。

最近聞いて、そのとーり!!!と湘北高校バスケ部の皆さんのように激しく同意してしまった格言があるので、最後にそれをお贈りしたい。

やった後悔は、(失敗したときには)そのときに残る

やらなかった後悔は、一生残る

***

この一年でやってきたことを、もし一生やらなかったとしたら、俺はたぶん一生後悔したことだろうと思う。難しいチャレンジだったけれど、前を向いて脚を踏み出してきて本当に良かった。

これからも恐らくはそんなことの繰り返し。

アイアンマンで学んだこと、これにておしまい。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

引かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

 

 

 

 

 

 

 

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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