ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

FBページ立ち上げました〜娘への遺言〜

time 2014/12/14


 

Facebookページを立ち上げました。

『羅王の遺言〜娘に遺す、我が人生に一片の悔いのない軌跡〜』(https://www.facebook.com/allfordaughtersfuture)

今後ブログをこちらにてシェアしていこうと思っていますので、宜しくお願いします。

おかんの名言 恩着せがましい版

今日はうちのおかんの名言に関してご紹介します。めったにブログに出てこないおかんに関する名言なので、すすりかけのクラムチャウダーにきちんとラップをかけて、このエントリをお読み下さい。

まず恩着せがましい方の名言から。

僕が人生で初めて恩着せがましい名言を食らったのは、小6の頃。

『あんたが◯◯中(行きたかった某国立中学、後から思えばここで人生決まったかな)に受かったのはあたしのおかげ!』

それ以来、かれこれ138回ぐらいはコレを言われています。それもそのはず、確かにその通りだからです。

塾に行くと言っては近くのゲームセンターという社会を学べる塾にしょっちゅう通っていた僕は、どの中学も今でいうところのCかD判定でした。四公六民ぐらいで受からない感じ。

とうに諦めてドラクエ5を受験前日にやっていた僕は、おかんが横で、『いい?カンボジアはココよ!ココ!あんたちゃんとしっかり憶えなさいよ!出るんだから!』と大声で話すのを、耳を閉じながらうっすら聞いていました。(当時、ポルポト政権が崩壊したとかで時事問題にカンボジアが出る可能性が高かった。)

そしたら出ましたカンボジア。僕の認識ではそれまでカンボジアという国はアフリカにあったのですが、前日のドラクエがてらのカンボジア特訓のおかげで、それがアジアの国であるということを把握していました。ややあてずっぽうながらも、さすがに前日に勉強したばかりなのでなんとか正解。

それが起因して、僕は補欠での合格を勝ち取りました。

 

『あんたがKO大学に受かったのはあたしのおかげ!!!』

これもおかんの恩着せがましい名言シリーズの一つです。コレは人生で68回ぐらい言われてきました。それもそのはず、その通りだからです。

僕は『学年ビリらへんから4ヶ月で東大に受かった』という、今でいうところの『ビリギャル』風の予備校の先生に感化されて、『だったら4ヶ月前に始めればいいや』といつまでも勉強をしない高校生でした。結果、3年生の2学期には偏差値が8まで落ちました。

そこから東大だけを目指すというなんともイタい受験生活を送ったわけですが、当然のことながら直前までE判定。おかんとしては、こりゃダメだと思っていたのでしょう。

しかし僕には、他を受けるとかすべり止めという概念がありません。『あの先生が受かったんだからオレも受かるはず』という、どこに自信の根拠があるのか分からない思い込みとともに、ばく進してました。

見かねたおかんが、『願書出しといたから受けなさいね』と言ってくれた他の大学の学部も、『いや、僕は東大受かりますから、必要ありません。何か?』などと、はねのけていました。終わってますね。

そしていかんともしがたいぐらい東大志望から動かない僕を見て、おかんがついにリーサルウェポンを出してきました。

『ふーん、そう?せっかくKOもWASEDAも、受けたら1学部につき1万円あげようと思ったのに。受からなくても受けただけであげようと思ったのに』

その頃にはサインコサインウソクサインに加えて一桁の計算ぐらいは出来るようになっていた僕は瞬時に計算し、『4学部で6まんえん?いや、4まんえん?』と、パン食い競争で哀れなほどパンに食いつくお父さんたちのようにそのオファーに乗ることとしました。

結果、またも補欠で合格。

今も昔も、事あるごとに『あたしのおかげ!』と吹聴されておりますが、感謝しております、ありがとうございました。そもそも勉強をすることがデフォルトな価値観を仕込んでいただいたおかげです。

ちなみになぜ中学と大学で『あたしのおかげ!!!』と言っていたにも関わらず高校受験でそれがなかったかというと、その頃は好きな子と同じ高校に行きたいがために結構頑張って普通に受かったからです。ここだけは守り抜きました。

 

おかんの名言 価値観が変わった版

話が長くなりましたが、本題はこちら。次に、このブログの根幹ともなった価値観を生んでくれた名言をご紹介します。

『永遠のゼロ』を読んだ直後だったでしょうか。

戦時の主人公の生き様に感化され、祖父母やご先祖様がどういう人生を送っていたのか、気になって聞いてみたなかでの会話。

『ある程度歳を取るとね、親のことが知りたくなる時期が来るのよ』

普段の恩着せがましい名言とは全く違う、深みのある言葉でした。恐らく、早くに両親を亡くしたおかんゆえに、自分が当時の親(僕の祖父母)と同じかそれ以上の年齢になって、感じるところがあったのかもしれません。

これ以来、僕は日々の何気ない瞬間に、この言葉を何度も思い出すこととなります。

少し前に、親父が本を出しました。

今僕は、親父が’Up or out’(外資系コンサル業界の生き残りの法則)の世界に飛び込んで死にそうになりながら働いていたときと、ほぼ同じ年齢になっています。

本の中で、普段『俺は世の中の全てを知っている』と言わんばかりの傍若無人にしか見えない親父の当時の苦労話などを見るにつけ、なんだか不思議な気持ちになっています。これが、『親のことを知りたくなる』という気持ちなのでしょう。

 

そして『娘への遺言』へ

多くの人は、子供を持って初めて親の気持ちが分かると言います。僕も思い知りました。こんなにも何にもできないヤツ(=今の娘、昔の僕)を、四苦八苦しながら育ててくれてたのかと。

そして親を次に意識するタイミングとなると、だいぶ先になるのが一般的です。すなわち、親が死に直面して初めて、親のことを知りたくなる人も多いように見えます。

僕はたまたまおかんの一言や親父の出版でそういう機会を得ましたが、そうでなければ、どこかで後悔することになったかなと感じています。

また、自分がいつか突然この世界からいなくなる可能性についても、身近なのも含めて色々な例を見てると、怖くなるときがあります。

そんなわけでいつしかおかんが親のことを知りたくなったように、僕がそれを聞いて以来意識するようになったように、もしかしたら娘にもそういう時期が来るかもしれません。また、伝えるべきは伝えているつもりですが、それが出来ないままこの世を去るということも、もしかしたらあるかもしれません。

今の時代は便利です。

昔の人の思考を辿ろうとすると、うっかり当時の日記などが残っていればラッキーですが、なかなかそうもいきません。写真だけでは、情景は得られても感情は得られません。しかも当時の写真は今のように量産できないので、大体が決めポーズ。そこから日常の何かを推し量ることは、簡単ではありません。

ブログならそれが出来ます。僕が日々、何を考え、何に悩み、何を壁と感じ、どうやって打ち破ってきたのか、はたまた道半ばで何かを諦めざるを得なかったのか、そんな中で何に希望を見いだしてきたのか、伝えることができます。

今5歳ではちゃめちゃな娘ですが、きちんといい子に育ってくれています。そんな娘が将来、どこかで壁にぶつかったときに、『悩んでいたのはパパも一緒だよ』と言ってあげたい。それを直接言ってあげられれば良いですが、それが出来ない環境にもしかしたら在るかもしれない。

だから、僕はブログを書くことにしています。ちょっとだけ役に立つ話も、どうしようもない話も、下品な話も、ウルトラマラソンやアイアンマンで泣いた話も、全部僕の生き様です。

そこから何かを見いだしてもらえなくてもいい。ただ、いつか娘がそういうことを知りたいなと思ったときに、娘と同じ年齢の時期のエントリを見てもらえれば、僕が言いたいことは数十年越しに伝えられるかなと思います。そう願っています。

FBページ設立は、そんな遺言の一環です。大切な僕からの遺言なので、ずっと残るサービスになればいいなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

いずれ、『ああ、パパって昔からお腹ユルかったんだ!?介護してもしなくても一緒じゃない』と思ってもらえれば望外です。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

 

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。