僕は昔から英語が得意です。
今日はなぜ英語が得意で、数学や国語が得意じゃないかについて、自分なりの分析をしてみたいと思います。
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英語力ステータスとその他のステータス

まず話を分かりやすくするため、英語がちゃんと出来る人にとっては何の自慢にもならず、かといって一般的に見たら軽く自慢になってしまう僕の英語力とそれ以外の科目の力についてシェアしときます。
英語は、確か中学の頃は偏差値70程度、就活時点でTOEIC900ぐらい。留学経験はありませんが、『ペラペラ』ならぬ『ヘラヘラ』なぐらいは話せます。発音は『留学してたの?』と言われるぐらい。
ただし、商社勤務とかでちゃんと英語を話すヤツには、『お前は長い文章がしゃべれない』とバレる程度の、言わば非常に浅はかな英語力しかありません。実際に決まった定型文しか格好よくしゃべれないのですが、それでも海外旅行で困ることはほぼありません。
このぐらいのレベルだと、周りからは『あいつはしゃべれる』と思われてしまう一方、実際には現地の人とのコミュニケーションにおいて最低限の用事レベルの意思疎通しか出来ないので、本人は実は非常にバツの悪い思いをすることになります。
 
一方の他の教科で言うと、分かりやすいのは高校時代の成績です。数学は3年時に0点を取りました。全部書いたのに部分点すらもらえず0点。受験の科目にあったのに0点。それでも、偏差値は20強ありました。サインコサインウソクサインに関しては、3年間理解出来ませんでした。
文系の僕の要である国語については、確か同じく3年の時に偏差値8を取りました。隣に偏差値5のアホなヤツがいたので安心したものの、ちっとばかし心の傷になりました。
他には、受験に集中しないといけない3年の秋頃まで5ー6限目からの重役出勤をしていたため、そのツケもあって逆にあまり出席しなくてよくなる3年の後半に、1限からの出席を留年回避のためにマストなものとして強いられた記憶もあります。
ちなみに、僕が受験に受かったのは、視力が良かったからです。
とにかく右脳系の科目はダメだったので、美術なんかもダメ。体育と保健体育の成績だけは良かったです。
 
以上が、英語力とそれ以外の力の簡単な分布です。
 

英語とそれ以外の実力に偏りが出来た理由

これは非常にシンプルな話なので今更感もありますが、英語が得意でそれ以外がパッとしなかった理由として挙げられるのは、以下の2点です。英語に関して、
1、ある一定量の努力をした(ボリュームの問題)
2、その努力の方向性が間違っていなかった(ベクトルの問題)
ザッツオール。ドーユーアンダスタン?
つまり、当たり前の法則に従って努力したら当たり前のように上達した、ただそれだけのことです。
好きなことが得意になるのか、得意なことが好きになるのか、はよく議論の的になることですが、これは鶏と卵の話なのでどちらが先でも別に構わないと僕は思っています。ただこの二つはいずれかが起点となって、螺旋状に自分の実力を引き上げてくれます。だからどちらが先でもいい。
僕の場合は英語において上記の1と2が満たされたから上達しただけで、逆に言えば他の教科では1と2がなかったから上達しなかった、ただそれだけのことです。
さて、ここからが問題。
ではなぜ、1、2ともに満たすことが出来たのか?
 

目標設定の全てに優先する『◯◯の設定』

ある一定量の努力が出来、しかもベクトルを間違わない。これが出来れば、どんな物事であれ、必ず上達します。
センスがあるとかないとかは関係なく、ある一定レベルまでは必ずイケます。それはたぶん、野球で言えば大リーグの選手にはなれないかもだけれど、甲子園ぐらいまでなら誰でもイケる、というぐらいのレベル。
一般的に思われているよりも高いレベルかもしれませんが、人にはそれだけの潜在能力はあるものと僕は確信しています。ようするに、そこまでやらないから出来ないだけ。
が、そのためには一定力の努力とベクトルを間違わないことの2つが重要です。コレ、どうしたら出来るんでしょうか?実は僕の英語とそれ以外の教科(代表は数学)においても、コレが成否を分けました。
では回答。
当時の英語の先生(イメージ)
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当時の数学やそれ以外の科目の先生(イメージ)
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中学で初めて習う英語の先生が教室に入ってきたとき、まず最初に悲鳴をあげたのは、女子でした。なにせ格好いい。そして発音がいい(当たり前)。テンションが高くてカッコいい外人が教室でニコニコしているだけで、それはそれは教室の温度は上がったものでした。
ちなみに男子はというと、まだ嫉妬とかそういうのに陥らずに純朴な年齢なので、素直に『そうか、英語がしゃべれればああやって女子にキャーキャー言われて、顔もカッコ良くなって髪も金髪になるのか!?』ということで、同じくテンションが上がったのでした。
『憧れ』が設定された瞬間でした。僕がこのとき学んだのは、
1、英語をやることは良いことだ(ボリュームの部分が今後満たされることになる)
2、その中でも、発音が良いことは良いことだ(ベクトルが、テストではなく話す方に向かった)
ということです。ココで僕の英語人生が決まったのかもしれません。以後は、ビートルズやマイケルジャクソンの曲をコピーしたり、大学生になると映画のセリフやオバマのスピーチをシャドーイングするようになり、めきめきと上達したのでした。
 
一方の数学。コレです。
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まぁ、別に先生が悪いわけじゃないですよ。日本人なんてのは歳とったらみんなおんなじようなもんだし。金髪にはなれない。外人だって、歳とればハゲてくるし。
でも、多感な時期に『憧れ』を設定できなかったのはイタい。英語に比して、あまりにも『憧れ』を感じることが出来なかったのはイタい。
先生に何も感じることなく、ただ公式の暗記と問題の回答に費やされた日々は、何も僕に残しはしませんでした。数学のセンスのある人なら、『この定理スゲー!』とかなったのでしょうが、僕にはその機会もなく、ただただ落ちこぼれるのみでした。
 
『憧れの設定』は、目標設定の初期においてはとてもとても、いくら言っても足りないぐらい重要です。これが全てと言ってもいい。
子供の頃と異なり、大人になるとこの『憧れの設定』を自分の意志と時間とお金を使って能動的に起こすことが可能です。
子供に比して大人が優れているのはこういうところ。論理的に考えれば、感覚的なことすらも再現性をもって発生させることができる点です。
僕が今やっている囲碁では、10歳下の師匠二人が、たまにこういうのを見せてくれます。囲碁なのに、同じ色でやるというキチガイじみたプレイ。
意味わからんけど、これがめっちゃカッコいいのです。これぞ『憧れの設定』
大人になったら、大人になったなりの成長の加速のさせ方があるもんです。
 
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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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