ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

そういうものをそういうものとして捉える

time 2014/12/29


 

娘に囲碁を仕込み始めました。写真は初めて囲碁教室に行った2014年12月28日。プロでもほとんど打たない『初手天元』(=初手が盤上のど真ん中)を日本アマ界最強の井場八段に打ち込む五歳児。しかも万事挑発的。

先生がおだてたり泣いたりしてくれたおかげで、上機嫌で囲碁やってました。

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そういうものとして捉える

初めて囲碁教室に連れてきましたので、最初はかなりドキドキしていました。周りは7歳とか9歳とか聞き分けの良い子ばかり、ウチはまだ落ち着きがないし囲碁のルールの説明も、家でした限りはほとんど理解せず。

しかしいつの間にか、アゲハマ(相手から取った石)が20個ぐらい積み上がっていて、先生を泣かしていました。

驚いたのが、先生の教え方。僕が一度囲碁を家で教えたときには、相手が五歳児ということもあって、ものすごーく丁寧に教えました。

『石はね、黒と白があってね。あーでね、こーでね。』

『陣地っていうのがあってね、広いと勝ちで狭いと負けで、だけど石も途中で取れて・・・』

ところが先生は、

『はい、じゃーまず打ってみてー。』

といきなり打たせます。そして、分かってるのか分かってないのかも分からない五歳児に対して、ガンガン石を打たせて局を進めていきます。言葉も多少平易ではあるものの、どんどん詰め込む感じ。

そしてすぐ、『石を取る』という囲碁の大きな楽しみの一つを体験させて、『うわー、やられたー!』と大げさによろけてみせます。

これを2ー3回やると、『石を取る』→『先生が悔しがる』→『自分が褒められる』というパターンが認識できるらしく、そこからは加速しながら囲碁ってました。

全部が理解出来てなくても、浴びせかけることによって『囲碁とはそういうもの』として捉えさせ、それを数回繰り返すことによって、娘も『囲碁とはそういうもの』と理解したようです。

有無を言わさず進めてく先生もスゴいなと思いましたが、有無を言わさず進められても変な疑問は差し挟まずに『そういうもの』として受け入れていく娘もスゴいなと思いました。

 

外資系時代の僕

僕は新卒で入った会社が外資系でした。周りには、『◯◯さん、あのレポート、インザウィークね!?』なんていう、ハーバード帰りのルー大柴的な人もいました。

そこで頻繁に聞かれた言葉が、『それのゴールは何ですか?』です。お互いの手間を減らし、意思の疎通とターゲットの明確化をする意味ではとても有効な質問なのですが、いかんせん新卒でコレを見た僕たちは、

『かっけー!ああやって言われたことでも突き返すのが外資のビジネスマンなんだ!』

と勘違いをしてしまいました。百戦錬磨の先輩が、他の先輩の適当なオファーに対してこういう返答をすることはそれなりの正当性がありますが、新卒がレポートを頼まれた際に、

『それのゴールは何ですか?』なんて聞こうものなら、死刑確実です。さすがにそんなアホな使い方はしなかったものの、この時に僕に芽生えた感情は、

『言われたことをそのままやるなんてダサい』

というものでした。言われたことをそのまま出来る人がどれだけ格好いいかを思い知るのに、僕はその後8年ぐらいかかりました。(勿論何も考えずにそのままやる人ではなく、考えているのとは別にプライドを差し挟まずに出来る人を指します。)逆に、言われたことをそのまま出来ない人間が、どれだけの機会損失を抱えてしまっているのか、そしてそれに気づかずにいるのかということに関しても、いくつもの事例を目にすることになりました。

五歳児が『なんでご飯は座ってたべなきゃいけないの?』と抵抗するのと、高校一年生が『なんでせっかく野球部に入ったのに球打たせてもらえなくて素振りばっかなんだよ!素振りなんて意味あんの?』と文句言うのと、新卒が『それのゴールは何ですか?』と言うのとは、根本のところは一緒です。親や先輩に言わせれば、

『そういうものだからやれ!』

の一言でおしまい。

確かに、例えば部活の先輩の言うことには、競技力の向上に全く寄与しない、理不尽な事柄が含まれていることもあるかもしれません。だけど、それは含まれていたとしても、多くて2割程度の話です。残り8割は意味のあること、競技力向上のために必須のことだったりするわけ。

てことは、『ソレ、意味あるんすか?』みたいな質問をいちいちするヤツ、『それのゴールは何ですか?』といちいちつっかかるヤツというのは、2割の理不尽を削除するために8割の意味あることも誤って拒否ってる可能性があるわけです。

これは大きな損失です。大大大大損失。

『そういうもの』として受け入れることが出来る子供が成長が早いのは、当たり前なんだと改めて思いました。

 

そういうもの、そういうもの、そういうもの

特に大人になると、自分が分かっている分野ならいざ知らず、分かっていない分野、初心者なエリアに関しても、いちいち理由を求めてしまうことが多くあります。

これはね、はっきり言って時間と労力の無駄。話す相手のやる気も削ぎます。

大抵のことは変なオリジナリティを出すよりも、TTP(徹底的にパクる)に特化した方が成果が出やすいと思っている僕としては、今の最大のライバルは何度か触れている通り娘です。

物事を『そういうもの』として捉えられると、そこから先に目が向けることができます。思考も行動も、前へ進める事が出来ます。逆にそれが出来ないと、いつまでもそこに留まることになります。

頭を巡らせるのも、独自性を発揮するのも、流されずに意思決定するのも、全部『そういうもの』を『そういうもの』と理解し受け入れた後にすべきことです。

ちなみに僕は、娘に

『なんでパパはおかしたべていいのにあたちはたべちゃいけないの?』

と聞かれたときに、

 

 

 

 

 

 

 

 

『そういうものだから。パパは沢山食べていいけど君は子供だからダメなの!だからパパにちょーだい!』

といつも言っています。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

 

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。