ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

誰かを救うために戦い続けるということ

time 2015/01/26


 

尊敬するパイセンにお誘いいただき、小児外科医の吉岡秀人氏の講演にいってきました。(情熱大陸でも放送されています。 https://www.youtube.com/watch?v=LBXvos_aXM4)

スクリーンショット 2015-01-26 9.50.24

(Source:Japan Heart HP)

ミャンマーから始まった20年間の戦いの日々

淡々とした口調で展開される2時間の講演。しかしそのあまりの熱に、全く身動きできず、何度も涙する講演でした。

吉岡医師は、1995年よりミャンマーを中心にアジア各国で小児医療の最前線で戦い続けています。今の有名なミャンマーではなく、1995年、軍事政権当時の誰も知らない頃のミャンマーです。

たった一人から始まったその戦いも、今では医師看護師を始めとした賛同者が数多く集まり、ジャパンハートというNPOとなって大きな波を作り出しつつあります。

ちなみにその頃のミャンマーがどんな国だったかというと、

▼身内ですら、政府の悪口を言うと逮捕される社会
▼なぜなら、国民5人に1人は密告者だから
▼1日働いて50円、病気をして手術したら数万円、という世界
▼大火事があって火傷を負った人が多数押し寄せたときも、病院は10時〜15時きっかりしか開かなかった。
▼売られていく女の子は多数。近くにはそれ専門のマフィアがいる。
▼ある村の子供が病気をしたとする。当初小さかった顔に出来た腫れ物は、放置している間に顔の1/3を埋め尽くすまでに。その場合、近くの街までバスで8時間。その街に医療器具や医師がまともにいない場合も多く、そこから近くの大都市までさらに5時間。やっと病院までたどり着いても、『いくら払えますか?』の病院からの質問に答えられる農村部の親などいるはずもなく、病気の子供を抱えたまま、今来た道をそのまま戻ることを強いられるような世界

こんなです。今の日本のどの地域にも、こんなところはありません。日本は、本当に奇跡のような国なんだと痛感しました。阿部さんの悪口を国会の前で大声で言っても、別に逮捕はされません。そんなことは当たり前でもなんでもないのです。

ちなみに、アジアでは完全に言論の自由が保証されているのは、日本だけだそう。韓国でもアウトなんだって。

吉岡医師は、ヒトもカネも環境もないなかで、ずっと戦い続けてきました。その結果、1万人もの命を救うことになりました。それはもはや壮絶という言葉では表現が甘過ぎるほどの世界で、志に生きることの凄まじさを痛いほど感じる空間でした。

国際協力や人道支援というのは、素晴らしいことである一方で聖域化されていて、どこかお金の流れが不透明なところが最近気になっていました。東日本大震災の募金でさえ、まともに震災の復興、被災者の方々の生活支援に回っていないお金がたっぷりあると聞いて、愕然としたことがあります。

一方吉岡医師のやっていることは、『医療という現物のぶち込み』です。これならば、不正の生まれる余地はありませんし、ダイレクトに困っている人に届けることができます。自分に出来ることは数多いわけではありません。でも、少しでも力になれればと思いました。

 

かといって、自分には出来るか、否

僕は学生時代の最後に、バックパッカーをしました。一通りの貧困も見てきました。そして一通りの世界平和も志しました。日本に帰ってからも、これまで募金などの一通りのことはやってきました。

でもこの吉岡医師を見ていると、それとは全く次元が違います。徒手空拳で乗り込んでいって、色々な壁をなぎ倒していきながら、賛同する人たちを巻き込んで夢に過ぎないものを現実に引き寄せてます。

僕は思いました。

『果たして自分にそれが出来るだろうか?したいだろうか?』

答えは、講演でもらった感動に相反してしかし、『否』でした。

僕にはそこまで出来ない。僕はそこまでしたくない。本当に情けない話ですが、自分の子供の顔もほぼ見ずに数十年間を他人に捧げるということが、僕にはどうしても出来るとは思えなかったし、あさはかで醜いことを言うようですが、したいとも思えませんでした。

『僕もミャンマーにいきます!困ってる人たちを助けます!』

そう言えればどんなにラクだろうと思いましたが、今の僕は日本に住んでいて、日本で仕事をしていて、日本に家族がいます。それらを捨てていくという選択肢を、僕はどうしてもとることはできませんでした。

吉岡医師に聞きました。『お金で解決する、つまり募金などの経済的支援というのは、現地にいって命を懸けるという行為に比べて、醜いものでしょうか?イマイチな考え方でしょうか?あさはかなんでしょうか?』

出てきた答えは、『人それぞれの支援の形がある。出来ることをして下さい。』でした。知っていた答えではありましたが、改めてその言葉をいただくことができて、どこか救われた気持ちになりました。

僕は常々思います。僕はとてもズルい人間です。ナイチンゲールやガンジーのように、自分の全てを投げ打って、世の中のために尽くしたい。そんなことは理想としては持ちつつも、現実には全く出来ないししたいと思えません。どこかで限界が来るからです。

やはり人の子に美味しいものを食べさせるよりは、自分の子に美味しいものを食べさせてあげたいし、たぶん他国の子供の命を救うことより、自分の子供が私立の中学に入ることを優先させてしまいます。僕はその程度の人間です。自分が大事なんです。

でも、コップに注いだ日本酒が、注ぎ続けると溢れて升に溜まるように、まずは自分を満たしてから、その余力で人を助けることなら出来ます。というか、それしか多分出来ないと思います。これであれば、継続的長期的な支援が出来ます。情けない話ですが、それしか出来ないのです。

その事に10年ほど前に気づいてから、僕はひたすら自分の成長に重心を置いて様々なことをやってきました。単純な話、正しく成長して影響力を持つ人間になれば、正しい発信をした結果同意してくれたり一緒に動いてこういった支援を行うことに協力してくれる人が増えるのではないか、そんなふうに考えていました。

僕の夢は、娘が暮らす30年後の日本をより良くすることです。それには、日本国内の充実だけでなく、日本が世界のために出来ることが拡大するということも、それに含まれるのではないかと思うようになりました。

いち個人に出来ることはとてもミクロです。ショボいです。でも、その集積がとても大きな力になるのだということを、今回学びました。知っていたことではあるけれど、まさにその震源地となった張本人にお会いできて、自分の考えが間違っていなかったこと、そしてまだまだ色んなことが出来るということを知りました。

『出来ることをやる』、ただその当たり前のことを、これからもやっていこうと思います。

※ジャパンハートの方を招いて、近々セミナーをやります。人道支援の現場、現実を知りたい方はぜひ。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。