ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

『夢』と『志』の違いについて考えてみた

time 2015/01/29


 

先週から今週にかけて、うーん、と唸らされる出来事が続いていました。また新たなステージが見えてきたような気がするので、少し書いておきます。

8893c661b55a2a2ad0e64156eeb4b2c1_s

『志』を語る人たち

先週参加させていただいたジャパンハートの吉岡医師の講演では、『何のために生きるのか』について考えさせられ、涙しました。

続いて、尊敬するパイセンに連れられて行ったのは、『ココ、CIA本部ですか?』みたいなアメリカンな会場。歴代大統領のような外人さんたちの写真がそこかしこに飾られていました。会場に入るなり、気分はupset。完全アウェーな場でした。このときのインパクトはフォーエバーにフォーゲットそうにありません。

そこでは、半分ぐらい何をしゃべっているか分からないような高度な日本語で、皆が『何のために死ねるか』について議論していました。

どちらも、『志』について語っていました。

いままでの僕であれば、自分とのあまりの差に、ここで落胆するところです。『目標』や『夢』について語ったことはあっても、『志』についてはなかったなと。

しかしこの日の僕の感想は、『あ、オレ間違ってなかったんだ』というもの。

自分が2014年に色々な挑戦を通じてたまたま見つけたこと、たどり着いたことが、それすなわち『志』だったんだと改めて分かりました。ま、両日ともそんな僕の志とはまるで次元の違う志を聞かされて、それはそれで凹んだわけですけども。

 

『夢』と『志』の違いってなんなんだ?

『夢』と『志』。

似て非なるものです。でも、似ているものではあるけれど、どこがどう違うのかということは、何となくしか分かりません。僕もいままで漠然と使い分けてきました。『夢』っていうと叶わないっぽいけどふんわりしてて、『志』って言うとなんかカッコいいな、オトナだな、みたいな。

僕なりに考えてみました。たぶんですね、こういうことなんです。

『夢』という自分(と家族)だけの目標に、『自分以外の誰かの幸せ』が加わると、『志』になる
『夢』+『自分以外の誰かの幸せ』=『志』

夢:プロ野球選手になって、スターになること。
志:プロ野球選手になって、自分と同じようにツラい境遇にいた子供たちが夢や希望を持てるような楽しいプレーをすること。

夢:お菓子屋さんになって、美味しいお菓子をつくること。
志:お菓子屋さんになって、日々に疲れてる人みんなが、ほんのひとときの幸せを感じ、笑顔になれるようなお菓子をつくりたい。

夢:銀行員になって、安定した人生を手に入れること。
志:銀行員になって、ずっとお金に苦労してきた自分の親のような経営者のサポーターとなり、いつの日か親の会社から融資を引き上げた大和田常務に復讐し銀行を潰すこと。

最後のはまぁ冗談ですが、こういうようなことではないでしょうか。ただ、この1週間で気づいたことは、それだけではありませんでした。『夢』と『志』の違いは分かった。しかし、実は『志』を語るのにも、実は資格があったようです。

 

『志』を語る資格

さてこの『志』ですが、誰でも彼でも語っていいのかというと、どうもそういうことではないように思いました。冒頭の両者とも、『志』を語ることに何の不思議もないというか、しっくりくる人たちではあったのですが、ではそれと同じようなことを果たして、

▼毎日パチンコに明け暮れているおっさん
▼9時5時で働いてあー疲れた飲みにいこーと言って新橋の飲み屋で上司の悪口を言ってるサラリーマン
▼あるいは普通の純真無垢な子供

が語ることは、アリなのでしょうか?

僕はナシだと思いました。語っても良いですが、まるで響かないものと思います。なぜか?それは、『志』には、

『それ』に向かって具体的直接的につながる『何か』に『今』着手しているかどうか

が問われるような気がするからです。

例えば、

▼宇宙飛行士になって地球という星や夢を叶えることの素晴らしさを伝えたい。でも英語は全くしゃべれない。英語を習うためにお金を貯める必要があり、今そのためにバイトをしまくっている。

だとどうでしょう?とても良いことを言ってるように聞こえますし、なんとなくそういう感じがするのです。が、これではただの、『風が吹けば桶屋が儲かる』状態なのではないでしょうか。

宇宙飛行士になって人々に何かを届けようとするのであれば、英語などは必須以下のものに過ぎません。だとすると、バイトの少ない稼ぎの中からでも、既にあらゆる経費を削って参考書を買いまくってて読みまくっててボロボロだとか、スカイプで格安の英会話教室を活用してフィリピン人講師とガンガン会話してる、というレベルにないといかんです。

子供も、夢を持つことは出来ますが、志となると具体的直接的な一歩がまだ先にあるため、なかなか難しいと思います。(稀にいますけどね、子供で志を語る化け物が。それは例外。)

よく『実力もないヤツが志を語るな』という言葉を聞きますが、これは『実力がないと志を語ってはいけない』という意味ではありません。

そうではなく、『志を語るってことは、そこに向かって既に具体的直接的な手を複数打って試行錯誤しているはずだから、ゆえにその分野に関して一定以上の実力がついているはず。それがないということは、志のために何かをしているわけではないのだから、その程度の努力を志と言うな』という意味だと解釈すべきでしょう。

なーんてことを考えたこの一週間。

 

 

 

 

 

 

 

『2015年はOPP癖を治す!』というのが志でないことはよく分かりました。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

家族とか教育とかの話

ラオウを目指す羅王のブログ

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。