ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

頭の良い人たちがどう考えても非道儀的な極端に走る理由

time 2015/02/14


 

僕は頭が良い人は頭の良い決断をするものだと昔から思っていたのですが、どうやらそうではない、というより、そうならないことがかなりの数世の中には存在するということが分かってきました。

今日は掲題の件について。

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非道義的な選択をする頭の良い人たち

麻原氏の子供が成人を迎えたということで、少し前にまたオウムが注目を浴びたことがありました。オウムには、一般に『超高学歴』と言われる人たちが、少なくない数所属していたことが知られています。

イスラム国問題が持ち上がってきたとき、あろうことか北海道大学の学生が、イスラム国への渡航を計画していたことが発覚しました。北海道でも指折りの進学経路を辿った若者が、何故にその行動に至ったのか、世間は驚いたものです。

アメリカの超一流大学を出たスーパーエリートのなかには、いまだに筋金入りの人種差別主義者みたいなのがいたりします。その時点でエリート失格だと思うのですが、こういう人物が意外と熱烈な支持を受けてたりします。フランスの大統領にまで登る人物が、少数民族をモロに迫害してたりもしてましたね。

コレ、なんなんでしょう?

少し時計を遡ればナチスのホロコーストから、日本の戦時期の不合理な意思決定まで、頭の良い人たちが後から見ればどう考えても間違ってる選択をすることが、稀にではなく結構頻繁に見受けられるのはなぜでしょうか?

賢い人たちって、バカなんじゃないの?

とたまに思います。

 

正解主義の弊害

海外のことはよく分かりませんが、国内に話を限って原因を探すとするならば、『頭の良い人たち』というのは、すなわち学歴社会において『正解に辿りつく能力が普通の人より高かった人たち』です。

よく言われている通り、正解が明らかだった時代にはこの能力はそのままその人の実力と今後の伸びしろを保証してくれるものでしたが、正解が何か分からない時代には、『正解に辿りつく能力が普通の人より高い』ことは、あまり意味がなくなってきました。

というはどうでも良いとして・・・。

オウムもイスラム国も、ああいうクレイジーな面を別として考えれば、実はオウムが突いた仏教の矛盾というのは原理的にはほとんど正解に近いものでした。『出家した坊主が妻帯、肉食、飲酒、ギャンブルとかしてんじゃねー』という主張は、実はそのまま仏教の原点に照らし合わせれば正解となります。

イスラム国の言っていることも、実はイスラム教的には正解です。

▼イスラム世界では、カリフ(ムハンマドの代理)が全てを統べる存在である。
▼政教分離なんてファッキンシット、欧米文化なんてファッキンシット。女性の社会進出もファッキンシット。
▼アラー以外の神と呼ばれる全ては神ではない。
▼今の世界は19世紀の列強帝国主義に端を発して形成されている。それは本来の姿ではない。
▼その本来の姿でないせいで、耐え難い格差、覆せない格差が広がっている。
▼にも関わらず、あれ?イスラム諸国諸君。欧米にすり寄ってない?間違ってるぜ。
▼痛みを伴う構造改革が必要だ。それはジハードだ。
▼ジハードとはすなわち、恐怖である。

一番最後の狂気は不正解ですが、よく見るとそれまでの全ては正解になります。そして受験戦争をくぐった僕から見ても、この8問がもし受験で出たとしたら、『最後だけ間違っちゃったけど、あとは全部正解だった』と解釈します。そして8問中7問も正解したら、普通は合格になります。高学歴の人にとっては、合格こそが正解です。

ちなみにこういう視点で世界を見ると、キリスト教も仏教も、そして当のイスラム教も、最初の2問目ぐらいから不正解であることになります。当然です。キリストやブッダやムハンマドが生きていた時代と今は違います。今は今なりに、当時の教えを解釈して不具合が生じないように適用、変化させる必要があります。

『隣人にパンを与えよ』と言われても、僕の知り合いはプロテインを渡してくるぐらいの時代ですから。

話を戻すと、今の宗教は2問目ぐらいから正解不正解が折混ざる状態であり、一方でイスラム国が主張することはほとんど正解です。

さて、頭の良い人たち、つまり『正解にたどりつく能力が普通より高い人たち』というのは、どちらを正解だと感じるでしょうか?道義的な問題はどうあれ、どうもイスラム国の言っていること、そしてオウムの言っていることの方が正解に聞こえることもあるようです。結果的に多くの人を殺すことになっても、自分は世間よりはるかに正しい正解にたどり着いているのだから、『多少の犠牲は仕方ない』のです。

普通はそこに論理的、倫理的な歯止めがかかるのですが、こと正解を追い続けてばかりの人は、稀にこういう陥穽にモロにハマります。仮に『ジハードとは恐怖である』というのが間違っていたとしても、それまでが正解なので、これもなんだかんだと結局は正解と見なされてしまいます。

 

正しさは必ずしも正しくない

ごくごく当たり前の感覚さえ持っていれば、オウムにしろイスラム国にしろ、それらが正当化されることはないと思います。

しかし、人間追い込まれたり余裕がなくなってくると、途端に自らのすがる『正しさ』に心奪われ、行動をコントロールされ、あまつさえ身を滅ぼしたりします。

お金が大事だといって全てをお金で判断してしまったり、自分の時間が大事だといって全ての友人関係を清算してしまったり、法律的には正しいのですが、100km制限の高速道路を105kmで走ってる車がいたら全力で追跡して車から降ろして暴力を振るったり、正しいことこそが間違いを生み出すということが、世の中では多くあります。

世界は、基本的には正しいことを追求して、しかし線路の枕木のごとく発生してくる様々な矛盾との折り合いをつけながら形成されています。

僕も自分の正しさをついつい前面に押し出してしまうことがあるのですが、結局のところその正しさこそが間違っているということを、感じることがままあります。

気をつけないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ゲリしたらゲリ止めを』という正しい理論を証明しようとして飲んだゲリ止めでゲリしました。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。