ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

認める勇気

time 2015/03/07


 

自分の現在地が、自分の思ってたはずの現在地ではなかった場合に、人はそれを認めることに有形無形の形で抵抗します。

いや、オレはもっと出来るはず、私はもっと良い場所にいたはず。なんて感じで。僕自身、そんなことを繰り返してきました。

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『認める』ことが出来なかった過去の自分

昔で言えば練習をがっつりして臨んだ部活の試合、最近で言えば結構追い込んだ末に出場したマラソンのレース。いずれも、自分が思ってもいなかった低レベルな現在地の場所を知らされる形となり、しばらく納得することができなかったりしました。

しかし事実は残酷で、がっつりだと思っていた練習がそこまでがっつりではなかったため、またそれによってカラダや技術が想定通り強化されていなかったから負けたのであり、練習だと思い込む程度の練習しかないのに良いタイムを狙ったから、きちんと実力通りのタイムが突きつけられたわけです。

本当の自分はもっと出来てるはず。その思いは必要最低限の自信という意味では良いのですが、実際問題その思い込みと現実がキレイに合致することは、過去の人生であまりありませんでした。

『認める』ということは、自分の本当の意味でのイマイチな実力や恵まれない境遇や努力の少なさや運のなさを受け入れるということであり、これはよほど精神力のある人でなければ、直視できるものではありません。

事実、僕はずっと理想と現実、思い込みと事実のギャップがある人生を歩んできて、そして後者は必ず前者に比して大きくビハインドしていたわけですが、そのたびごとに『認める』勇気を持つための精神的トレーニングを重ねてきました。

まぁおかげさまで、最近は事実を受け入れることに何のためらいもなくなりましたが。だってそうしないと、PDCAもまわせないし、改善もしていけないし、何よりそのことにより成長の速度が鈍ってしまうから。

ただ未だに『認める』のが難しいなと思うもの、しかし絶対に『認める』必要があるものが、一つあるような気がしている今日この頃です。

 

認めたいもの、認めるべきもの=損失

最近囲碁をやっていて、毎局毎局突きつけられるのは、

いかに損失を損失と『認める』ことができるか?

についての、具体的なケーススタディとその方法論についてです。相手に石を取られること、地(=陣地)を取られることを、一定量までは『認める』ことができないと、囲碁は絶対に高段者に勝てません。

譲るべきところは譲り、競り勝つべきところは競り勝ち、そうして全体的なバランスの中で、最終的に勝ちを拾えればオーケーなわけですが、その中途においてこの

損失を損失と『認める』

というテーマが、重くそして何度ものしかかってきます。

いや、まだこの石は取られてない!いや、まだこの陣地は俺のものであって、相手に渡すべきものではない!

こういった思考が働いてもがいているときというのは、諦める諦めないとか、精神力の強弱に関わらず、大体の場合は事実として石は取られているし、陣地は相手に浸食されたり占領されたりして、もがけばもがくほど戦況を悪くしていきます。

なぜなら、

損失を損失として『認めてられていない』

からです。

このあたりは株の世界で『損切り』として言われていることですが、株ならまだシンプルなものの、現実の世界においては

▼10年近く付き合ってるものの、こちらの年齢も気にせずにプロポーズの気配も全くなく、そういう関連の話をするとめんどくさそうにはぐらかす彼氏(女性の場合)と別れる

▼5年と数億円を費やしたものの、全く業績改善の見込みが立たず、赤字を垂れ流しているし、しかしそれ専門のノウハウの蓄積は、費やした年月相応に溜まってきているが、将来性を考えてその事業そのものから撤退するという決断

▼幼い頃からやっている楽器があり、しかしプロになるには実力も経験も環境も、そして勿論才能も足りず、いざ親の扶養庇護下から外れたときに、妻とまだ小さい子供のために食い扶持を稼ぐべく、夢は夢として諦める(男性音大卒生の場合)

などといった事例があるかと思います。そのそれぞれにおいて、自分のやってきたこと、費やしてきた時間とお金、何より想い。そういったものを、前を向くための『損失』ときちんと『認める』ことが出来るかというと、これはそう簡単なことではないように思います。

僕自身も、今思えば沢山の『損失』を抱えて、そしてそれらを『認める』ことが出来ないまま生きてきました。これまた株の世界で有名な話ですが、『株は売らない限り損は確定しない』といって、塩漬け株を何十年も持ってしまっているようなバブル世代の方が、当時は多くいたようです。僕もそんな感じでした。

最近はそういったマインドに関して、囲碁をやる際に強制的な矯正を受けています。毎度毎度、

『羅王さん、それはもう諦めなきゃダメですよ。』、『そこはもう死んでるって言ってんだろゴルァ!!!』

と怒られながら、自分がいかに『損失を認められない』人間かということを、痛感しています。

人生無駄なものはない、ということはそれはそれで僕は大事だと思っています。でも、そうだと断定するには、人生はあまりにも短い。ダメならダメで、さっさと次にいかなければ、この短い人生において、歩める距離がどんどんどんどん短くなってしまいます。

そろそろ、『ぽちゃスリート』、『マスコッチョ』と称される緩慢ボディに見切りを付けて、これは『損失であったと認め』、次に進みたくて書いてみました。『認める勇気』を持って、この重過ぎるカラダに別れを告げたいと思います。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。