昨日、つくばエクスプレスのエスカレーターが速かった話について書きました。
その中で出てきた弱者と強者について、補足しておきます。
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弱者は保護される一方で頭を押さえつけられる強者が多い日本

昨日書いた話は、弱者(=子供、高齢者、障がい者)に合わせた低速エスカレーターだけでなく、分単位秒単位で動く必要がある(と思い込んでる)ビジネスパーソンなどの強者に合わせた高速エスカレーターがTX秋葉原駅に設置されていて、その勇気に乾杯という話でした。
弱者に合わせるというと社会的合意が得られやすいのですが、強者に合わせたものをつくると叩かれやすいのが今の日本だからです。
弱者に対しては幼児用遊具に代表されるようにきちんとリスクや安全性を鑑みる一方で、強者に対しては利便性や効率性を最大限追求したサービスというのも、やはり必要だというのが僕の持論です。大人が砂場で遊んでも、あまり楽しくはありません。
勿論、しつこいようですが子連れのお母さんがベビーカーの上げ下げに困らないようにエレベーターを駅に完備するとか、段差が苦手な高齢者のためにスロープを用意するとか、そういったことは当たり前以下のレベルで備えてほしいとは思います。大前提ですよ。
でもそれだけでは不十分で、特に今の日本には不十分で、ウサインボルトのような天才アスリートや、スティーブジョブズのような天才ビジネスパーソンが日本で生まれたとしても、弱者『のみ』保護の、弱者『のみ』重視のこの国では、下手するとそういった傑物が潰されてしまうような気がしています。
なので、TXの駅に高速エスカレーターが設置されたことは、結構びっくりしたわけです。
 

弱者と強者は常に入れ替わる

確かに言われている通り、今の日本は格差社会になりつつあります。僕はこちらの方がより世界の現実に近いとは思っていますが、それはともかくとして、一昔前より確実に格差は広がってきています。
そしてその格差が生まれることは仕方ないにしても、格差が固定されてしまうことが問題だ!と、多くの識者の方が言っているわけです。が、格差は確かに固定されているかもしれませんが、こと弱者と強者という話になると、これはとても流動的なんじゃないかと思っています。
生まれたとき、人間は誰もが弱者です。1日ほっておかれたら、全員死にます。親のありがたーい愛情を受けて、何とか独り立ちできるまでに十数年、あるいは数十年かかるのが人間です。
その後、しばらくは強者の時代が続きます。俗にいう生産人口入りするからです。税金を払い、社会保障費を払い、働いているということは、世の中の富を消費する側でもあるものの、何より生産する側に回っているということです。大きな病気をしたり不慮の事故がなければ、定年あたりまで強者の時代が続きます。
が、いわゆる定年を迎えると、とたんに年金暮らしになります。資産以上に体力知力が目減りし、そこからはフィジカルな意味で弱者になります。これは生まれたときと同じく、誰にでも訪れる衰えです。それが嫌なら、ドラゴンボールを7つ集めて不老不死になるしかありません。
一人の人間でも、弱者→強者→弱者というサイクルは、必ず通ります。途中で病気をしたり障がいを負ってしまったとすればその時点で弱者になるでしょう。僕もフィジカル的に弱者な時期がありました。
 
フィジカル以外でも強者がいきなり弱者になることはあります。
日本では某有名士業予備校にて講師としてブイブイ言わせてる強者な仲間がいるのですが、ひょんなことから彼をインドに連れていったら、ものの見事に鬱になりました。どうやらおぼっちゃま育ちかつ英語だけ勉強せずにここまでのしあがってきたようで、汚い空気とインド人の適当さ、とびかうインドグリッシュにオーバーヒートを起こしたようです。
後日、その彼がトライアスロンをやるというのでプールに連れていったら、そこでは溺れてバルログのような声を出していました。 水の中は苦手だそうで、貴様は海賊王にでもなりたいのかこのゴム人間野郎!と言いたい気分を抑えるのに必死でした。
彼はインドにいったとき、英語に触れたとき、水に触れたとき、突如弱者になったようでした。このように、強者と弱者の間の垣根というのは非常に曖昧で、それは年齢で入れ替わることもあれば、環境やタイミングで入れ替わることもあります。
つまりは、誰もが強者になり得るのであり、誰もが弱者になり得るということです。だから、エスカレーターは低速のと高速のと両方あった方が良いし、どちらの側の人も相手側の人の姿を自分の姿にきちんと重ねて、物事を考えられると良いのになと思います。
 

弱者→強者はWelcome、強者→弱者は要配慮

ただ、僕がたまに思うのは、弱者がその年齢、フィジカル、英語等の垣根を越えて強者の世界にアタッチしてくるのは(完全に無茶な場合を除いて)ウェルカムなのですが、その逆には少し配慮が必要かなと思う事例が、普段の通勤時にあります。
電車を降りてすぐさまエスカレーター・・・ではなく、エレベーターに乗ろうとする強者な皆さんがそれです。確かに疲れているのかもしれないし、その時点では並んでいる人が多くはないのかもしれない。
だけど、弱者(=この場合は高齢者やベビー連れお母さん)は、『階段とエレベーター』と選択肢から選ぶことはできません。対して我々強者は、『階段とエレベーター』の両方の選択肢を取ることが、体力的に許されている。
ならば、そこは空いていたとしても、疲れていたとしても、使わない配慮をしないといかんと思います。空いているスペースにベビーカーを割り込めませることができるほど、日々疲れているお母さん方は強くないと思います。
これは優先席も一緒。僕は空いているときでも絶対に座りません。子連れのときは逆に空いてれば娘のセキュリティのために座らせてもらいますが。これは、子連れのときは僕は弱者になるからだと自分的に考えています。守るものが増えるということは、相対的に弱くなるということです。
 
ちなみに、この項の最初に書いた弱者→強者の垣根を越えてくる人ですが、トライアスロンをやっていると、そんな人がわんさかいます。しかもヤバいぐらい強靭な人が。
アイアンマンよりもきつかったみやじまパワートライアスロンは、僕や仲間が何度も途中で降りてしまうような激坂をバイクで登り、そのあとさらにお腹一杯なのに突きつけられる登りのランコースというドMなレースだったのですが、その最後の方で僕はこの方を抜きました。
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片足です。確かランの10数キロ地点で抜いたと思います。
つまり、スイム2.5km、バイク55km(激坂が30kmぐらいある。普通に死にたくなる。)、ラン10km、ぐらいまでの間は、この方の後塵を拝していたことになります。強者であるはずの僕が。
一体どれほどの努力をされたのか、その前にどれほどの挫折があったのか、知るよしもありませんが、想像を絶する世界を生きてこられたことだけは想像出来ます。
稀にこういう弱者の方を見るのがトライアスロンの面白いところ。もはや弱者ではなく、強者でもなく、超人としか言えませんが。こういう垣根の越え方というのは、心の底から応援したいと思います。
が、繰り返しますが、逆はちょっと考えた方がええんちゃうかな、と思います。
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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

 
 
 
 
 
 

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