ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

今日は3.11です

time 2015/03/11


 

今日は3.11です。

4年前の今日は、こういうことが実際に僕たちが住む国に起こった日です。(見たくない映像も出てきますので注意。しかしこれが事実起きました。)

この日は、どういう日であったか。様々な視点から思うところを記しておきたいと思います。

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僕が生まれて初めて『被災』した日

僕は関東大震災が起きた日には当然のことながらまだ生まれていませんでした。阪神大震災のときは当時中学生で、テレビで見て知ってはいたけれど、関西に行くような資金もなく、そして実際には自分が被害を受けたわけでもないため、簡単に言えば他人事に過ぎませんでした。中越地震なども、自分の国で起きていることにも関わらず、どこか遠い国で起きている地震と同じ扱いになってしまっていました。

3.11が、僕にとっては初めて『被災』した日でした。勿論、実際に被害を受けられた方々に比べれば、というか比べるべくもないほど軽微なレベルですが、それでも僕にとっては初めて『被災』が現実のものとなった日でした。

僕は過去の震災で、親兄弟、親戚友達含めて、誰かを亡くしたことはありません。唯一、祖母が被爆しただけで、その祖母も早世ではあったものの、母や僕を産んでこの世の存在を教えてくれました。

家も倒れず、仕事もなくならず、知ってる人は全員無事で、受けた被害は『コンビニからモノが消えた』ために物資の入手に少々苦労したことと、当日に『被災難民』となって家に夜遅くまで帰れなかったこと、そこからしばらく『まともなテレビ番組が見られなくなった』ことぐらいでした。

僕にとっての初めての『被災』はとても軽微なものでした。しかし、具体的に『地震』と『被災』が、頭の中で直結した初めての経験で、衝撃を受けました。

 

起きるはずのないことが起きた日

映画の世界でよく見る『ニューヨークの街が洪水に巻き込まれる』みたいな映像を、初めて実際のものとして見ることとなったのがこの日でした。欧米の安全保障においては、’Think the Unthinkable(考えられないことを考えよ)’、’Never Say Never(決して起こらないとは決して言うな)’が基本となっているそうですが、その言葉の意味がようやく分かりました。

人生には、本来であれば『必ず起きる』あるいは『かなり高い確率で起き得る』のに、『自分の周りでは絶対に起きない』と信じられていることがあまりに多いような気がします。病気、失業、倒産、死亡、災害。

『それ』はいつか必ず起きます。『それ』を避けることは出来ません。ただ、『今』じゃないだけ。『自分』がまだ対象じゃないだけ。この仕事でいつもお客様に言っていることが、初めて言っている当人の心にストンと落ちて理解できた日だったように思います。

 

自分のビジョンが固まった日

僕はなんというか、非常に浅はかな人間でこれまでの人生のほとんどで、自分が生まれた日本という国のことなど、考えたことすらありませんでした。

教養に見えるから、とか、ビジネスで役立つから、という理由で日本のことを多少勉強することはあっても、そもそもそこに想いはなかったように思います。考えていることのほとんどは、自分のことでした。

が、2011年の3.11を境に、少し変わってきたように思います。具体的に言葉になったのは最近のことですが、今思うのは、『娘の世代により良い日本を残したい』という、非常にシンプルでアバウトで実現可能か不可能か分からない、淡い夢です。

自分が暮らす世界ではなく、その次の世代の世界を気にするきっかけとなったのは、間違いなく3.11でした。僕たちの暮らす世界は、大いなる自然のほんの気まぐれで壊れてしまう、とても繊細なものなのかもしれません。

地震で揺らいだものも沢山あったけれど、揺らがなかった素晴らしいものもいくつもありました。それを発見できたのが3.11でした。起きたのは悲しいことですが、出来ることは過去を悔いることではなく、これからいくらでも変えられる未来を見ること。

その視線の先に、5年後10年後ではなく、娘の暮らす30年後が見えたのは、自分にとっても不思議な感覚でした。でも今は本当にそう思っています。

 

パンドラの箱が開いた日

3.11は、地震の揺れ以上に、国全体の在り方を揺らした出来事でした。いくつものパンドラの箱が開いてしまいました。

必死だったのでしょうが、人災としか思えない政府トップの『縊死決定』の数々。ついに牙を向いた原子力発電の脅威。震災を『震祭』として群がる魑魅魍魎。投入されど投入されど一番必要な人たちに届かない税金。ほんの少しですぐに大事を忘れる東京以西の国民。

嫌になるぐらい醜い人間の本性というものが見えたのが3.11と、そこから始まる日々でした。『こんなときぐらい一致団結できないのか!』と怒鳴りたくなるほど、自分勝手、利己主義が政界、ビジネス界を中心に蔓延しました。

僕自身も、復興や復旧のために何かしたいと思いつつも、現実は毎日の仕事に忙殺され、お腹がすき、カフェでお茶を飲み、細かいことに一喜一憂して、ごく普通の暮らしをしていました。そんな自分の幸運を喜んだこともありました。そんな低俗な自分の人間としての価値に疑問を感じたりもしました。

地震とそれに続く津波によって、実際の被害以上に、今まで見過ごされていたもの、見ないふりをしていたものが、一挙に噴出したように思えました。そのほとんどは解決が難しい問題で、長い時間をかけて腰を据えて戦っていかなければいけないのに、誰もがそこから顔を背けて、ラクな方ラクな方へと向かおうとしているように見えました。

開いてしまったパンドラの箱からは、本当にくだらない人間の本性が、これでもかこれでもかというほど飛び出してきました。

 

パンドラの箱が開いた後に、一筋の希望の光が見えた日

悪いことばかりではありませんでした。少なくとも、命を賭して何事かを成そうとする人が、『普通の人』の中こそ沢山いることがわかりました。『誰かのために自分の出来ることをする』という想いや力が集積することにより、驚くほど沢山のことができるようになるということもわかりました。

僕は、消防隊員や警察や自衛隊の方のことを、このときほど誇らしく思ったことはありませんでした。荒れている国では、こういった治安防犯にあたる組織から腐敗していきます。日本はまだまだ捨てたもんじゃないと思わせてくれたのは、彼らでした。

モノはなくなりましたが、ココロは見つかりました。各地で、たわいもない、しかしとても温かなエピソードがあったことを知ることができました。誰も駅員さんに噛み付かず、整然と並び、食べ物を融通しあい、お互いを思いやりながら夜を過ごせるような国民であるということを、僕は初めて知りました。

閖上という、特に被害の大きかった地域にいったときのことです。小学校の入り口に、津波で亡くなった同級生宛のメッセージが書かれた机をいくつも発見しました。書いた彼らはきっと住むところもなくなり、あるいは家族を亡くし、僕が想像も出来ないような厳しい暮らしをして、悲しい思いをしていることと思います。

それでも、そういった過酷な状況にある子供たちが、自分以外の人を思いやれているということに、僕は言いようのない感動を覚えました。涙でほとんど机の文字は読めませんでしたが、彼らはこれから亡くなった子供たちの分まで、必死に、正しく生きていってくれることと思います。

海外からの支援も沢山いただきました。日本のことを大切に思っていてくれる人が、日本人が思っているよりもずっとずっと多かったことが分かりました。僕たちは、世界に何かを返していかなければいけないと思います。

僕はこの3.11をきっかけに、娘の暮らす未来の日本を考えるようになったと書きました。今は、3.11以前と比べると、ずっとずっと日本の将来に前向きでいられます。それは、開いてしまったパンドラの箱の底から、日本という国が持つ可能性、日本人が誇る素晴らしさといった光を、確実に肉眼で見ることができたからです。

簡単な道ではないですが、かといって絶対に目指せない道というわけでもありません。今の現役世代である僕たちがやるべきことをやれば、きっと30年後は日本はもっと素晴らしい国になっていると思います。とりあえず目の前の課題は山積みで、何から手をつけていったら分からないというほど混乱しているのが正直なところですが、一歩一歩、積み重ねていきたいと思います。

 

3.11で亡くなられた全ての方々のご冥福をお祈り申し上げます。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

 

 

 

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。