『ポチャスリート』、『マスコッチョ』の汚名を返上し、ヒトとしての名誉を挽回すべく、ダイエットしております。毎日2500kcalに抑えるという過酷な減量のなか、『親子ラン2km』に出場してきました。
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親子ラン2kmダイジェスト

出場したのは『湾岸ラン&駅伝 in 有明・お台場』という、何度聞いても覚えられないレース。2kmの親子ランと、その直後のハーフマラソンに申し込みました。
以前、幼稚園のイベントで1.3kmのレースに一緒に出て、五歳児といえど結構走れることが判明したので、今回は2kmのレースに初挑戦。
前の日におともだちのお父さんに、『あしたパパとマラソンでるんだよ!』と大声でしゃべっていたのに、当日はレースが近づくほどにぐずる五歳。
結局、変顔をしたり、レース後のお菓子、アイス、プリキュア、おもちゃなど並々コミットした上での無理矢理な出走となりました。どうも交渉成立後の笑顔からすると、CIA仕込みの交渉術にハマったのではないかと思ってしまいます。
午前10時30分、笑顔でスタート。
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最初200mほどはキロ3分台と思われる爆走。速い!後先を考えなすぎる走りに心配になりつつも、妙に感心してしまいました。

後先を考えすぎるから、大人は成長しない。

が、当然のことながら、200mを過ぎたあたりで大失速。『つかれたー』と止まります。あと1.8kmどうすんの。
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少し離れて見たら、やたらと美しいフォーム!何も教えてないのに見事に背筋が伸び、ナチュラルなアフリカ人並みのフォアフット!ポニーテールが美味しそうです。
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途中、たい焼き軍団がハイタッチしてくれました。
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川内選手もウクレレを弾きながら並走してくれました。
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ちょっとしつこかったので逃げました。
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結局、2kmのうちの2/5ほどを肩車させられた上でのゴールとなりました。ゴールのときはなぜかしっかりと肩車から降り、さも2km自分の脚で走ってきたかのような顔をしながらゴール。
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最後はもう一度川内選手と。歌のモノマネがウマかったです。
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トータル2km(肩車800m、その他ぐずり、だらけ込み)を15分ほどでゴール。まだ頭のなかで直結してはいないだろうけれど、パパがやっているマラソンやトライアスロンなどの挑戦について少し理解してくれたり、将来一緒に走れたらいいなと思っています。
終了後は当然のようにクレープ、アイスを買わされました。直後のハーフマラソンでは、2時間超えの惨敗。昨年の今頃、2週間で100kmマラソンを2本走った人間とは思えません。
 

与える教育

東大の入学者数の調査などでも言われている通り、『親の年収と子どもの学歴には相関がある』というしょっぱい法則があります。僕はこの法則については同意します。
年収が高いことがすなわち子どもに注げる教育費の額につながり、塾に行かせたり周りに意識の高い子どものいる環境を用意してあげることができます。そうではない家庭で頑張っている親御さんや子どもがいることは否定しません。でも、大数で見れば、きっとこの法則は正しいのだと思います。
年収が高い家庭というのは、畢竟『与える教育』において、そうではない家庭に比べて子どもの教育に関して相当程度優位にあります。どんなにきれいごとを言ったとしても、ピアノを我流でやっている家庭よりも、プライベートの先生を雇える家庭の方が、結果的にピアノの実力において天と地ほどの差が生まれます。テニスはテニススクールで習うものであって、部活では強くなれません。
勉強、習い事、交友関係、留学などの経験。あらゆる面において、教育に注げるリソースがあるということは、子どもの将来にとってとても大事なことです。
うちは裕福な家庭ではありませんが(稼ぎが・・)、娘には将来のために相当程度注いでいます。
ただ最近、この『与える教育』だけでは不十分、あるいは片手落ち、どころか、むしろ危険なのではないかと思うようになりました。
 

『与える教育』だけでたどり着く先は優秀な勘違い野郎

子どもというのはある意味恐ろしいもので、どのような環境にあれど、(多くは親が用意した)その環境を、『当たり前』だと考えます。
最近、ちょっと危ないなと思うことがありました。僕はこの業界に転職して今年で10年目。運良く毎年のラッキーパンチがあたり、会社の招待旅行に毎年参加させてもらっています。
娘も、お腹にいる頃から通算すれば既に10回近く海外に行っています。五歳児がですよ奥さん!
グローバル化する世の中で井の中の蛙になってほしくない。海外を海外と意識しないで、日本も海外も自分の生きる世界の一部だぐらいに考えてほしい。そんなことを考えながら海外に連れていっていましたが、最近娘が言うには、
『つぎはどこー?もうシンガポールはつまんないからいきたくないー』
おいおい、大学生や社会人になって初めて海外にいったっていって涙流して喜んでる人もいるのに、ずいぶんな言い草だなと。
良い意味より悪い意味で、娘の中では海外が『当たり前』になってしまったようです。意識の上で日本と海外がイコールになってるのは悪いことではありませんが、しかしながら海外にいくにはお金などの一定の制約があるという事実がすっぽり抜けているのは、必ずしも良いことではありません。
僕がどれだけの苦労をして、ツラい思いをして毎年の表彰を決めているのかなど、当然のことながら知るよしもありません。(五歳児だから当然だけど。。)
ディズニーランドも、本来は特別な場所であるはずなのに、そろそろ当たり前の場所になりつつあります。喜ばせようと連れていってたけど、ヤバい。
てな感じですが、なるほどなるほど、よく政治家や企業経営社などのお金持ちの子息で、学歴も高く趣味も豊富で、しかし人間的にどうしようもないヤツが散見されるのはこういうことなのかと、妙に納得しました。
お金持ちの家庭というのは、『与える教育』に関しては完璧なんです。幼い頃からの習い事にしても、私立への入学にしても、留学すらもいまやスタンダード。一見してエリートかつグローバルな人材はそれだけで出来上がるのかもしれません。
しかし、『与える教育』だけを受けてきた人間というのは、社会の上の方に登りつめれば登り詰めるほど、害を及ぼします。政治家としてウン億円もの贈与を『知らなかった』と言ってみたり、高級官僚として自己存続のためにだけ税金を使いまくってみたり。
『与えられるのが当たり前』の環境で育ってしまうと、どれだけ学歴が高く教養に恵まれていたとしても、優秀な勘違い野郎が量産されるだけなんです。危ない!!!
 

『与えない教育』にも目を向けよう!

『与えることができるリソースがある』ことと、『それを際限なく与える』ことは別です。お菓子やプレゼントを買ってあげると子どもは喜びますが、それを毎日していたらただの甘やかしになってしまいます。世の中のおじいちゃん、おばあちゃんはこのへんが分かっていない。あげればいいってもんじゃないんです。
一言で言えばとても陳腐な表現になりますが、結局『与える教育』だけではダメで、いかに『与えない教育』とのバランスをとっていくかが大事なんじゃないでしょうか。必要なものがある場合は、『直接与える』のが一つの解。もう一つは、『直接与えないで、本人の努力でそこまで到達するような機会を与える』がもう一つの解です。
僕は娘に、教育の機会は徹底的に与えようと思っています。習い事もさせるし、受験もさせます。ただ、ある局面では全く与えないことによって、教育をしようと思っています。留学したいなら、海外旅行にいきたいなら、奨学金をもらうとか、バイトをするとか、そういった形を取らせようと考えています。
そのリソースが自分にあったとしても、敢えてそういう形を取る。『与えない教育』を選択する。
そうすることで、娘がちゃんとしたスタートラインに立ちつつも、当たり前と思いがちなことが実は当たり前の産物ではなく、幾多もの人の膨大なる努力の結晶であることを知って生きていってくれるのではないかと期待しています。
 
 
 
 
 
 
 

2kmのマラソンを走ったからといって、アイスとクレープとジュースとプリキュアの映画をあっさりコミットしているような親はダメです。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

 

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