ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

自分の『地』に固執するということ #613

time 2015/05/15


 

ツイッターだったかな?経由で、待機児童4万人というニュースが流れてきました。興味深い写真付きで。ある場所に保育園がようやく出来た!というおめでたいニュースかと思ったら、違いました。とても残念な気持ちになりました。

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待機児童など減りようがない

ある地域には待機児童が沢山いた。だから保育園を作ろうとした。そしたら住民から『うるさいからやだ』と反対された。仕方ないから数百万かけて防音壁を作り、道路数mを一切使わないこととし、遊びは静かな『忍者ごっこ』などに限定した。。

というもの。

アホか!と思ったそこのあなた。たぶん仲良くなれそうです。

当然じゃん!と思ったそこのあなた。そんな人はこのブログを読んでないはず。

これで待機児童問題という、国の根幹を揺るがす人口減少に突進する日本を救うために解決が必須の課題が解決しないことが決定したように思います。

僕は今まで子どもの声をうるさいと思ったことはないのですが、それは果たして子どもがいるからなのでしょうか。そして全くそう感じない人たちがいて、しかもそれを我慢するでもなく明確に拒絶し、防音壁までつくらせる人が一定数いるということを初めて知りました。

決めつけはよくありませんが、恐らくは子どものいない人たちが多い地域なのでしょう。それから高齢者も多いのでしょう。子どもをもつ人たちとの間に、ここまでの価値観の差があることに軽くショックを受けました。

子どもは国の未来なのに何事か!と怒るのはとてもカンタンなのですが、少し気になったのは、じゃあ僕はそういうことをしていないのかということ。僕はタバコを吸わないのですが、僕がタバコを吸わないから『喫煙者はクサいからあっちにいけ』と言うのと、子どもがいない人が『子どもはうるさいからあっちにいけ』と言うのとでは、何が違うのだろう?と思うのです。

どうもあまり変わらない気がして、ちょっと凹みました。ただ、人間が子どもになったり高齢者になったりというのは、人生で必ず通る道であるというのに対し、タバコを吸う、パチンコをする、などはそうではないというところに、ほんの少し自分の正当性を見いだしています。

そんなの価値観の違いだよ、だから子どもがうるさいと思う自分たちの近くに子どもは来るな、と言われても何も反論できないのがツラいところです。

子どもの時は人に迷惑をかけてるはずだし、高齢者になれば人におしめを代えてもらうんだから、もう少しみんなが優しくなればいいのになと思います。子連れの人がベビーカーで満員電車乗るという問題もしかり。

 

自分の『地』に固執するとイタい目に遭う

話変わりまして、囲碁は、『地』と呼ばれる陣地を確保し合う盤上の戦いです。陣地の確保を最終目的とするならば、その前段として、石と石の戦いがあります。境界線を相手に食い破られると、負けに直結したりします。

さて、この囲碁において、特に上級者とやる場合は自分で『地』と思っていた部分を、気づいたら破られそうになる場合があります。このときに、自分の『地』を、1目(=1マスのこと)たりとも与えまい、踏み込まれまいと頑になればなるほど、結果的に当初見込んでいた『地』のかなりの部分を失ってしまったり、最悪の場合全て敵陣にされたりします。

少し踏み込まれた場合には、『どうぞどうぞ、その代わり別のところいただきますからね。』ぐらいの気持ちで鷹揚に構え、少し柔らかく受け止めた方がいいのです。一歩引くことによって、結果的に被害を最小限に食い止めるという感じでしょうか。

こういうことが自然と出来る人は、結果として囲碁が強いということと同義になります。で、これは人生にも必要な考え方だと僕は思うわけです。

自分の守備範囲、自分の価値観、自分の常識、そういうものにこだわりがあるのは良いのですが、そこから少しでもはみ出した人、守らない人が入ってこようとした瞬間に、『ガルルルルル!!!』と噛み付こうとする人というのは、自分の『地』を守ってるふうでいて、やはり全体的に見れば多くの損を被っているように思えてなりません。

今回の住民の方々も、自分の『地』を無理矢理守ったのは良いのですが、例えば将来の人口流入が減って街が衰退するとか、コレに限らず世の中の自分に合わないもの全てにクレームをつけまくる悲しい人生になったりとか、そういう大きな目で見たときの損失や機会損失が発生する可能性についても、少し考えてみてもらえたらなと思います。

僕は飲み過ぎてするおイタというのは、『寝ション』が最悪だと思ってそれだけはしないように死守していたのですが、大学の合宿で『寝グソ』をする先輩がいて、またある日別の先輩が『寝ゲリ』をしているのを見て、自分がこだわっていたものがなんと小さいものだったかというのを痛感したことがありました。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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