ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

本当に帰ってきたウルトラマン 野辺山高原100kmウルトラマラソンで号泣した話 その5 〜勝負所〜 #619

time 2015/05/21


 

※『星の郷八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン』を2年連続完走しました!制限時間3分前ゴールという奇跡の軌跡を2年連続赤裸々に描きます。アイアンマンよりツラかったデス!

※用語説明『デカフォレスト』:野辺山ウルトラを10回以上完走している猛者。一般ランナーとは別の緑のゼッケンが与えられ、『デカフォレストが見える位置にいれば完走できる』という格言もある。

(前回までのあらすじ)

予想外に予定通りにいった前半。42km地点、八峰の湯へは、ほぼほぼ予定通りに到着することが出来た。が、やはりOPPに襲われ、携帯をうっかり無くし、10分後に見つかったものの目標から20分遅れとなってしまった。もともとの予定がギリギリの13時間59分ゴール予定。この20分の遅れを、どう取戻せば良いのだろう??

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42km(八峰の湯)〜59km(北相木村役場)

42km地点を目標から20分遅れで出発することになった。ちと厳しいビハインドを負ってしまったが、それでも昨年に比べれば疲労の程度において勝っている。ここから50kmまでは、ひたすら下っていく。キロ5分半ほどのペースで下りていき、スピードと疲労軽減の最大公約数を突き詰めていく。景色はひたすら雄大だ。

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今回のレースの肝は、繰り返しになるが登りは捨て、平地は粘り、下りでペースを稼ぐことだ。ドラッカーは言った。『強みにフォーカスせよ。弱みで戦うな。』

昨年の俺は、登りで頑張ってしまい、しかし体重ハンデのせいで頑張っているわりに全くタイムを稼げずただ疲弊してしまった。そのダメージが平地と下りにきてしまい、平地ではしょっちゅう歩いてしまい、下りでは全くタイムを稼げなかった。弱みで戦い、強みを放棄した結果がコレである。

畢竟、最後まで地獄を見ることになった。今年、終盤に至るまでは比較的精神的に安定したまま走ることが出来たのは、『De部は下りに強い』という強みに立脚した走りをしていたからだ。登りでは決して無理をしない、というかほぼ歩く。平地はまぁ走れる程度に。下りは体重で脚が壊れない程度にトバして。

 

50kmのエイドに差し掛かった。これでちょうど半分!ここから先は、『ここまで走ってきた以下の距離』しかない。こういった限界を越えるチャレンジでは、心の持ちようは平常時に比べて何倍も大事になる。よく言う『精神力』とは、一つは『精神の突進力や剛性』、もう一つは『精神の柔軟性』だと思う。

エイドには、野辺山名物の美味しそうなそばが並ぶ。

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俺、そばアレルギーやった。。。

 

泣く泣くエイドで何も食べずに出発することにした俺は、時計を確かめた。ここまで6時間半。残りは7時間半。あと半分。イケるやろ!!!

 

次の関門は、59km地点の北相木村役場。昨年はここに大きなエイドがあって着替えたり補給物資を手に入れたり色々出来たが、今回はただの通過点になっているようだ。そしてその次が71km地点、滝見の湯。100kmとは別の71kmレースというのが今回開催されていて、その参加者にとってのゴールだ。

そしてこの滝見の湯が、野辺山最難関と言われる『馬越峠』の入り口である。ここまでに9時間半ぐらいで行ければ、勝機は見えてくる。俺は、59kmの北相村役場を経て71kmの滝見の湯に至るまでの道程を、『勝負所』として全力で取り組むことに決めた。

『勝負所』

漫画では通常、勝負所というのは終盤に来ることが多い。スラムダンクでも、名試合は例外なく勝負所が終盤にあった。序盤の2点も終盤の2点も本当は同じ2点なのだけれど、その重さは何百倍ほども違う。

その重さの違いが出るのは、一つは終盤に進むにつれて勝敗という残酷な裁定が現実のものとなっていく過程で、どうしても1ゴール1ゴールの重みが増していくからというのが理由の1つ。

もう1つは単純に、勝負所が終盤にあったほうが読む側として面白いからだ。序盤に全てが決まってしまっている試合など、読んでいて面白くもなんともない。

同様に、多くの人は物事の終盤にこの勝負所をもっていく思考の癖がある。仕事であれば月末締め間際に、受験であれば最後の冬講習に。

しかし、高次元な戦いになればなるほど、勝負所の生息地域は、終盤から遠いところになる。囲碁を始めたばかりの級位者や低段者が陥りがちな思考の陥穽の一つに、『ここが勝負所!』と思った局面のずっと前で実は負けていたということがある。

そこそこ良い碁を打って負けたと思った一局の総評を師匠にしてもらったときに、『三手目が敗着(=敗けに直結する手)でしたね』と言われたときにぶったまげたことがある。

勝負所は、常に終盤にあるとは限らない。同様に、今回のレースにおける一見した勝負所は、間違いなく馬越峠だけれど、俺にとっての勝負所はそこではないと判断をした。

なぜなら、『どうせ馬越峠は走れない』からだ。最大斜度が15度ほどにもなる馬越峠は、俺の走力では走れない。ほとんどのランナーでも走れない。デカフォレストですら全歩きを貫くほどの激坂がずっと続く。

であれば、そこは捨てる。抗わない。時間を使う。

その代わり、そこにたどり着くまでに『馬越峠に時間をたっぷり使っても良い状態』を作れるかどうか。必然、50kmから71kmまでの21kmが、勝負所となる。

この発想が、完走出来なかったであろうもう1人の自分との明暗を分けたと俺は思っている。

 

59kmの北相木村役場への途中、また『さすらいのデカフォレスト』に出逢った。今日この人とは何度目の邂逅だろう。意を決して話しかけてみた。

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『このペースなら大丈夫ですよね?』

自分の作戦が間違っていないことを確認し、確信したくて、俺はさすらいのデカフォレストに聞いた。

さすらいのデカフォレストは、決してポジティブなことは言わない。ファクトベースの『ありのまま』を言う。甘い言葉や、明るい言葉で聞いた人間を勘違いさせるようなことは、逆に罪であると思っているのかもしれない。

『うーん、このままペースを維持できるんなら大丈夫だけど、今現時点でめいっぱいの人だったら無理ですね。』

ふむ、去年と全く同じことを言われた。やはりデカフォレスト、一流の人間というのはぶれない。しかしここから先は、去年聞くことが出来ないエピソードが披露された。

『僕は100km全体という距離を考えて、今ここにいます。それと同じなら大丈夫。でも僕は100kmをほとんど疲れが残らないように走ってるから。。』

『でも僕は100kmをほとんど疲れが残らないように走ってるから。。』

さすらいのデカフォレスト、偉大すぎ!!!こんなセリフをボソリと言われた一般人のショックの度合いが皆さんに伝わるだろうか?真に偉大な人の偉大な言葉を聞くと、民は『えぇ。。』とうなづくしかなくなるのだということが自分のカラダでよく分かった。

59km地点の北相木村役場には、そんなショックを受けた状態でたどり着くことになった。

 

 

59km地点(北相木村役場)〜71km地点(滝見の湯)

不思議な感覚だった。

昨年、この北相木村役場に着いたときは、いちランナーとして完全に限界を迎えていた。序盤の登りで消耗し、下りで脚を使い、このエイドに来るまでに生も魂も尽き果てていた。初めてのウルトラに気圧されていたのもあるし、何から何まで初めてで、ワケが分からないままこのときまでのキャリアでの最長不倒距離を走ってきていた。

このとき、正直なことを言えば俺はリタイヤを申請しそうになった。それはそれは立派なリタイヤ受付が設置されていて、俺は危うくそこに吸い込まれそうになった。そこに至るのを食い止めてくれたのは、ふと見回したときに入ってきた仲間の顔だった。

今は亡き仙人(解脱により)、小僧(喫煙過多により)、熊(夏まで長引いてる冬眠により)、そして今回一緒に出たハラル。それらの面々の、まだ全然諦めてない顔が、俺に一筋の希望とやる気を与えてくれた。

今回はそれがない。エイドには誰もいない。誰もいないが、俺は希望に満ちあふれていた。

実際の走力はサブ4を連発していた昨年に遠く及ばないものの、体感的には昨年の1/10の疲労度。これはやはり作戦がある程度うまくいっていたことにより、タイムが早いにも関わらず肉体の疲労が物理的に軽減されたことと、何より『野辺山を知っている』という絶対的な経験値がモノを言ったのだと思う。

絶対的王者である山王工業戦を前に、安西監督は言った。

『彼らには何よりも、去年このトーナメントを最後まで勝ち抜いた”経験”がある。この違いは思いのほか大きいものだ。』

スラムダンク現役当時、俺にはこの言葉の意味が分からなかった。経験ってなに?それ美味しいの?そんなの役に立つの?実力が全てなんじゃないの?

今なら全て分かる。経験は勝敗を左右することがある。経験がないせいで敗れることがあり、経験があるおかげで勝ちが積み重なることがある。俺は、昨年野辺山を経験していた。

師匠である元帥閣下が元々所属していた(今も?掛け持ちが許される世界ではあるのだが)『イオマーレ』において女帝として君臨しているお百姓さんが水浴びしている様子を撮影して、このエイドを出た。一流の人は、自分を捨てる術を心得ている。

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ここから71km、滝見の湯までは、勝負所の続き。精神的には余裕がありつつも、しっかりカラダは疲れている。平地でももはやキロ6分とかで走るのは容易ではない。目標からビハインドしてしまった20分を少しずつ取戻しながら、脚を進めることにした。

62km地点ぐらいだっただろうか。ずっと1人で走ってきた俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。一瞬、誰に声をかけられているのか分からなかったが、ハラルだった。

え???これがハラル???

そう思ってしまうほどに腰が落ち、顔が前面に押し出されていかにもツラそうなハラルの顔が、近くになってようやく判別できた。ハラルは、本来こんな走りをする漢ではない。どうしたのだろう?

俺が42kmで関門リタイヤとなった2ヶ月前の『IZU TRAIL Journey 72km』で、制限時間2分前に感動的なゴールを見せてくれたハラル。そのときの勇姿の面影は、この日はもうなかった。今にも倒れそうなヘロヘロのペースで、弱音を吐きながら通り過ぎていったハラルの姿を、この日ゴールでランナーとして見ることはなかった。

 

ここから71kmの滝見の湯までの記憶は、なぜかほとんどない。『一見した勝負所』である馬越峠までの道のりを『本当の勝負所』として心身ともに集中していたからだろうか。

そうそう、ここらへんではまだデカフォレストがウヨウヨいたため、意を決して一番派手な装いのデカフォレストに話を聞いてみた。

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そしたら、

『楽勝だよ!このままだと10分前ぐらい(13時間50分)到着かな。』

とのこと。10分前到着って、全然楽勝でもなんでもないんですけど。

『なんなら10秒前到着だって、ゴール出来ちゃえば楽勝だよ!!!』

そ、そ、そ、そうなんですか。そういえば囲碁の師匠の言葉を思い出す。

『羅王さん、勘違いしちゃダメです。数十目差で勝とうとしてませんか?囲碁は、1目(=1マス)勝ってれば勝ちなんです。勝てれば良いんだからそれで良いんです。数十目も差をつけようとしたら、どこかで無理が生じます。それで負けるんです。』

一流の人の言葉は、業界が違っても同じことを指し示している。一流でない俺だけが、そのなかで右往左往している。

肝心のニュースを一つだけお伝えしておくと、後で調べたらあろうことか、このデカフォレストはゴールしていなかった。この日は暑く、天気は良かったがレース条件としては少々厳しかった模様。どこかで何かあったのかもしれない。そんな厳しいレースだったとは・・・

そうこうしているうちに、山の中腹にある71km地点、滝見の湯に到着した。あと29km!!!ニクの距離だ!!!

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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