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退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

本当に帰ってきたウルトラマン 野辺山高原100kmウルトラマラソンで号泣した話 その11 〜そして伝説へ〜 #625

time 2015/05/27


 

※『星の郷八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン』を2年連続完走しました!制限時間3分前ゴールという奇跡の軌跡を2年連続赤裸々に描きます。アイアンマンよりツラかったデス!

※用語説明『デカフォレスト』:野辺山ウルトラを10回以上完走している猛者。一般ランナーとは別の緑のゼッケンが与えられ、『デカフォレストが見える位置にいれば完走できる』という格言もある。

(あらすじ)
野辺山ウルトラマラソンを2年連続数分前でゴールすることが出来た。何物にも代え難い喜びだ。後学のために少しだけ、振り返っておきたい。

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教訓その1:人生には、努力すべき時がある

100kmという距離は、人生の縮図として非常に学ぶものが多かった。今回は特に序盤中盤でそこそこ気合いを入れていったため、体力の尽きる終盤には、昨年に比べるとだいぶラクが出来た印象だ。人生も同じではないだろうか。受験勉強、スポーツ、仕事。何でも良いのだが、

努力や我慢、忍耐の人生における総量が同じだとして、序盤に努力をすればするほど、終盤にラクが出来る仕組みになっているような気がする。逆に、序盤中盤でサボると、人生の終盤あたりで低収入、低年金、不健康による高コスト、後戻りの出来ない荒れた生活習慣など、そこから先に苦しむ要素が満載になってしまう。

そんなんだったら、序盤中盤である程度苦しむ方がマシだ。だって、終盤にはそれを覆す体力も気力も、基本的には残っていないことを想定しておくべきだからだ。

『人生はいつだって取り返しがきく』と言えば聞こえはいいが、現実はそうではない。取り返しのつかないところまで行く前に、ペースを上げるべきだと思う。

 

教訓その2:知っていることと知らないことの差は、天と地ほどもある

昨年に比べてラクだったことの大きなポイントは、経験である。野辺山のコースに匹敵する強度のコースを昨年来走ったかと言えば、それは否だ。だけど、俺は今回、コースの全てを知っていた。ここでこうなって、あそこでこう苦しむはずだというシミュレーションが全て出来ていた。

初見でびっくりするということがなかったため、気力のすべてをコースの攻略に使うことができた。昨年はまずびっくりしたこと、修正を迫られたことでだいぶ消耗してしまった。経験というのは、ないよりは1度、1度よりは2度していた方が良い、という当たり前のことを痛感したレースだった。

何事も経験しておいた方が良いのだとすると、多くの人はその初験の数が少な過ぎるし、程度が易し過ぎる。

 

教訓その3:デカフォレストといえど人間である

『強い者が勝つんじゃない!勝った者が強いんだ!!!』とは、キャプテン翼ジュニアユース編に出てくるラスボス、ドイツのカール・ハインツ・シュナイダーくんの言葉。今回、その言葉が具現化するのを目の当たりにすることとなった。

あろうことか、絶対的な野辺山の帝王であるはずのデカフォレストが、俺の目の前で1名、そして見えないところで1名と、知っている限りでも2名もの猛者が完走を逃している。デカフォレストも人間なのだ。

デカフォレストだから完走出来るのではなく、1回1回俺と同じように死にそうになりながら完走を積み重ねてきたからデカフォレストになれたのである。

世の中でも、スゴい人というのはスイスイとスゴいことを成し遂げているように見える。でもたぶん、本当はそうじゃないんだと思う。

 

教訓その4:勝ち続けるための最善策は、大勝することより大敗しないこと

株では損切りをきちんとすること。営業では毎月の売り上げのなかで売れない月でも最低限の数字はたたき出すこと。囲碁では死んだ石にさらに石を投入して、被害を拡大しないこと。

人生は一直線ではないので、ずっと勝ち続けることなど出来ない。やはり勝つときがあり、負けるときがある。結果はコントロール出来ないが、しかしその程度はある程度コントロールすることが出来る。

勝つときは普通に勝ち、負けるときはなるべく少なく負ける。今回、登りは捨てたが、しかし全部歩くようなことはしなかった。負けは負け、捨ては捨てだけれど、それでもちょっとだけ走る。傾斜が緩くなった瞬間を逃さず、前の人に追いつき、追い越す。

そういうことの積み重ねで、恐らく俺は登りで同じようなペースの人のほとんどをパスしたのだろうと思う。3分前ゴールは、この『負けコントロール』なしでは成し遂げられなかった。

 

教訓その5:精神力は技術である

精神力とは、個別具体の属人的な能力で、先天的で、再現不可能なものではない。精神力は技術であり、鍛えることが可能であり、技術ゆえに再現することすら可能である。

そういう結論を、2回の野辺山ウルトラを通して得られたことは大きい。勿論、超一流の人間が持っている精神力というのは、正直真似出来る気がしない。ブレイブハートなヤツらと張り合っても仕方ない。

だけど、精神力にもツボやコツはある。言語化することでそれが一層際立つ。精神の変遷を記録に残すことで、形のない記憶の1ページが永遠にめくることの出来るバイブルになる。

この赤裸々な日記も、そういう意味がある。

 

 教訓その6:ホットグループでホットエクスペリエンスを創りだそう

名著、『ドラッカースクールで学んだ本当のマネジメント』を書いた藤田勝利さんが共同で翻訳を担当した(んだったかな?違ったらすみません)これまた名著『ホットグループ 奇跡の法則』に学ぶことは多い。今振り返っても、なんであの頃あんなことが出来たんだ!?あんなん二度と出来ないぜ!と自分でも驚くようなパフォーマンスを発揮した経験は、誰にでも少なからずあると思う。

それは自分だけで起こることもあるが、より確率的に高いのは、ホットグループが出来たときである。ホットグループによるホットな活動が、ホットエクスペリエンスを生み出す。俺の経験で言えば昨年のアイアンマンがそうだったし、2年連続した野辺山でも同じことが起きた。

1人では無理だったが、みんなのおかげでホットエクスペリエンスを経験することが出来た。到達すべき場所までぐっと視界が広がった気がするぜ。

 

教訓その7:実力とは、『実』になってる力である

『あの人は実力があるはずだが、今のところ力を出し切れていない』という類いの日本語はよく聞くけれど、どうやらこれは間違いだ。出し切れていないのは潜在能力であって、今表層に出ている部分、既に出ている部分が実力である。

俺はこのことを長らく勘違いしていて、昨年11月から続くフルマラソン5時間付近をうろつく暗黒時代在籍期間中も、『実力はあるはずだから何かがおかしいだけだ』と少なからず思ってしまっていた。

事実としては、それは潜在能力であって(それすらなかったかもしれないが)、実力はきちんとフル5時間付近にまで落ちていたのである。

曲げたままの膝では飛べないし、隠したままの本気は永久に出てくることはない。

 

教訓その8:限界は大体200%

100kmを余裕で走れる人というのはたまにいる。けれど俺はそうではない。そうではないけれど、100kmを走ることが出来た。が、では実際はどうなのかというと、大体50kmぐらいで体力としては尽きている。限界だといっても別に全然おかしくないし、そこでレースを止めても次の日にしっかりダメージは残っている。

が、現実には100kmまで到達できた。ではこの50kmの差はなんなのだろう?

思うにそれは、『自分でこのへんが限界だろうと思っている、それなりに合理的に思えるけれど実際はまやかしの限界』と、『実際のカラダや精神の機能としての真実の限界』との差で、それは大体後者が前者の200%ぐらいの場所にある。

平たく言うと、『もうダメだ』と思ったところから、人間は大体倍ぐらいは頑張れるということである。逆に言えば、自分が一人で吐いた『もうダメだ』という言葉ほど、頼りにもアテにもならないものはないということになる。気をつけよう。

 

教訓その9:脳内最大派閥をどうつくるか

政治屋ばかりが跋扈するなか、稀代の政治家、橋下さんが『民意』を受け、退く形となった。結局どれだけ正しいことを言っていても、あるいは間違っていることだとしても、多数派が認めたことの方面に、国も組織も動いていくということが、はっきりした。

自分の思考や行動というのも同様で、何が最大派閥となっているかがとても大事。『やる派』対『やらない派』はどちらが強いのか。『諦めない派』と『諦める派』はどちらが強いのか。正しい正しくないではなく、趨勢を占めたほうの意思決定が採用される。

だからこそ多数派工作が必要で、今回で言えば

▼仲間を揃えること(サシハラの回避)

▼かっこいいカーフガードでカラフルに攻めること

▼下りをトバして俺走ってるぜ感を全身で感じること

▼ペース表をこれ以上ないぐらい細かくつくり、その通りにいけばゴール確実という保険を担保すること

▼歯磨きをしてジェルまみれになった口のなかをさっぱりさせ、気分を晴らすこと

など、書けばあと10や20はくだらない細かい技の積み重ねで、よりポジティブな気持ちになれるよう、ポジティブなフィジカルを保てるよう、多数派工作を行った。特にこの多数派工作は、負けが込んできて『ありのまま』ではマイナスに気持ちが触れそうなときにとても大事になる。

 

教訓その10:デカフォレストになりたい

なんか完走して戦友である仙人に『デカフォレストに向けて一歩リードですね!』と言われ、はてそういえばそうだなと思ったところから、急にデカフォレストになりたくなってきた。

大人になると、子どものときと違って『◯◯になりたい』とは、よう言わんようになる。新卒のときに『社長になりたい』と言っていた同期がいたが、何の業種のどんな会社の社長なのか、全くビジョンはなかったので他の同期に笑われていた。でも俺には、そういうことを臆面も言える彼がとてもまぶしく見えた。少しおでこが脂ギッシュだったのもあるけれど。

『MDRT』になりたい、と言って、実際なることが出来た。『ウルトラマンになりたい』といって、同じくなることが出来た。『アイアンマンになりたい』はさすがに無理かと思ったが、前日に肩に肉離れが起きてもなんとかなった。

『デカフォレストになりたい』は、果たしてどうだろうか。やってみなけりゃ分からない。

できっこないをやらなくちゃ!!!


このクソ長い話を最後まで読んでくれた皆さんに、感謝したい。『デカフォレストになりたい』と言ってはみたものの、その声の大きさは冒頭の写真のなかのどこかに写ってる俺の姿ぐらい小さい。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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